108.僕と、人たらしと、イケメンとの約束
撮影はその後も(僕がスタジオの端から見守る限りでは)ピンと張り詰めたプロの緊張感がありつつも、全体としてはすごく穏やかで良い雰囲気のまま進んでいった。
それにしても、やっぱり役者さんって凄い。
さっきまで僕のお弁当を「美味しい、美味しい」ってあどけない笑顔で食べていたアオイさんが、カメラが回った瞬間に完全に『犯人』の目になるのだ。
特に圧巻だったのは、あの『ストレンジ・シープ』のボーカルの子――名前はランちゃんというらしい――の後ろから、アオイさんが音もなく忍び寄って、その細い首を容赦なく締め上げて殺害するシーン。
192cmの熊族であるアオイさんの圧倒的な体躯と、普段の穏やかさからは想像もつかない冷徹な演技の迫力が凄まじすぎて、見ているこっちまで息が止まりそうになった。
(……うわぁ。もし僕がアオイさんを本気で怒らせたら、あんな風に一瞬で首をポキッとやられちゃうのかな……)
なんて、ちょっと背筋が寒くなるような想像をしてしまったのはここだけの秘密だ。
やがて「はい、カット! ランさんオールアップです!」と声がかかり、無事に“被害者役”としての出番を終えたランちゃんがスタジオの裏に戻ってきた。
まだ首を絞められた余韻で少しハァハァと言っている彼女の元へ、僕は「お疲れ様」の気持ちを込めて、さっきの俳優さんと同じように隠し持っていた『特製チャーハンおにぎり』をそっと贈呈した。
「あ、これ、もしよかったら食べて。お疲れ様!」
「えっ……! 嘘、これさっきのめちゃウマチャーハンのおにぎりっすか!? うわ、最高すぎる……!」
ランちゃんは一瞬でステージの上のロックスターみたいな鋭い目に戻り、熱く僕の手を握りしめてきた。
「ねえ寮長さん、今度うちのバンドのワンマンライブがあるんすよ。その時、楽屋のケータリングにマジで来てほしいっす! メンバー全員これ食わせたら、絶対に過去最高のライブができるんで!」
「あはは、スケジュールが合えばレミ社長に相談してみるよ」
そんな嬉しい勧誘を受けつつ、気がつけば時計の針もいい時間に進み、この日のアオイさんの撮影スケジュールもすべて無事に終了した。
「ヒロキくん、お待たせしましたぁ……。私の演技、どうでしたか……?」
衣装から私服に着替えて戻ってきたアオイさんは、さっきの殺人犯のオーラが嘘みたいに消え失せていて、いつもの人懐っこい、ちょっと不安げな熊族の女の子に戻っていた。
「すっごく格好良かったよ。迫力が凄くて、本当にびっくりしちゃった」
僕がそう伝えると、アオイさんは「へへ、よかったですぅ……」と、安心したように尻尾をパタパタと左右に大きく振った。その様子を後ろで見ていたサリーが「はいはい、イチャイチャしてないで荷物積むわよー」と笑いながらコンテナを運んでいく。
空になった弁当箱やIH内蔵寸胴鍋をサリーの車のトランクに積み込み、よし、これで撤収完了だ、と一息ついたその時。
「待ってくださーーい!」
スタジオの入り口から、バタバタと大きな足音を立てて誰かが駆け寄ってきた。
見れば、あのボーダーコリー系のイケメン主演俳優さんだ。まだ衣装の先生のスーツ姿のまま、額に汗を浮かべて僕の前で足を止めた。
「今日は本当に、最高に美味しいお弁当をありがとうございました! 現場の士気が爆上がりでした!」
「いえいえ、皆さんにあんなに喜んでもらえて、作った甲斐がありました」
僕が恐縮しながらお辞儀をすると、主演の先生は僕の両肩をガシッと掴み、ものすごい真剣な眼差しでこう捲し立ててきた。
「だからお願いです、ぜひとも! ぜひともまた次の撮影にも来てください! 今度は僕が材料費をポケットマネーで全部持ちますから! 肉でもカニでも何でも最高級のやつ指定してください! ね、お願いします!!」
「えっ、あ、ええっと……!?」
イケメン犬族の、完全にロックオンされたようなキラキラとした猛プッシュ。断る隙を一切与えないそのバイタリティに押し切られる形で、僕は「あ、はい……タイミングが合えば……」と、なし崩し的に『次回の出張』を承諾させられてしまったのだった。
「よしっ! 約束ですからね! 楽しみにしてます!」
満足げにスタジオへ戻っていく主役さんの後ろ姿を見送りながら、僕はポカンと立ち尽くす。
「あーあ、ヒロキ、またファンの獣人を増やしちゃったわね。相変わらずの人たらしっぷりね」と呆れ顔のサリー。
「ユイナ、次も力仕事なら手伝うからねー!」と頼もしいユイナ。
そして、「……ヒロキくんのご飯が美味しいから、みんな狙ってるんですぅ。次は私ももっといっぱいキープします……」と、なぜかまだお弁当への執念を燃やしているアオイさん。
心地よい疲労感と、にんにくの匂いがほんのり残る車内に乗り込み、僕たちは特別寮へと向けて走り出すのだった。




