103.僕と、まだ見ぬ世界と、マイペース
試作のIH内蔵鍋で鶏ガラスープをじっくりと煮込みながら、僕はふと、ずっと胸の奥に引っかかっていた疑問について考えていた。
元の世界の常識で言えば、僕が以前メニューに出して大好評だった『餃子』は、誰もが疑いなく「中華料理」をイメージする。
けれど、この獣人世界のカントウ自治区では、それが『これまでになかった全く新しい料理』として持て囃されているのだ。
(これだけ美味しい料理のベースがあるのに、どうして今まで誰も作らなかったんだろう……?)
そこで生じるのが、「この世界には、中華料理の本場に相当するような自治区がないのだろうか」という疑問だ。
それは、僕がまだこの世界で再現できていない、あの国民食『カレー』についても全く同じことが言えた。
元の世界では世界最大級の人口を擁し、独自の深く豊かな食文化を築き上げていた、あの大国たち。
あの素晴らしいスパイスの技術や、小麦粉の皮で具を包むといった調理法は、単にここカントウに伝わっていないだけなのか。それとも、そもそもこの世界には存在すらしていないのだろうか。
気になって仕方がなくなった僕は、他愛のないお喋りのついでを装って、歴史学の権威であるフェイ先生にそれとなく尋ねてみた。
「ねえ、フェイ先生。この世界の116の自治区の中には、例えば……ものすごくスパイスを使った辛い料理が得意な地域とか、あるいは強い火力を使って、小麦粉の皮で肉を包んで蒸したり焼いたりするような、独特の食文化を持つ巨大な自治区って、どこかに存在したりしないんですかね?」
僕の言葉に、フェイ先生は寄せ鍋のハクサイをハフハフと口に運びながら、うーん、と猫耳を傾けて少し考え込んでしまった。
「スパイスを薬草として使う地域なら南の方にいくつかあるけれど、それを主食にするような国は聞いたことがないわねぇ。それに、小麦粉の皮で肉を包むなんて、ヒロキくんの『ギョーザ』以外では見たことも聞いたこともないわ。そもそも、その二つの特徴に当てはまるような大規模な自治区は、私の知る歴史書には出てこないのぉ」
学術的な知識の塊であるフェイ先生が首を傾げるのも無理はなかった。
実は、それらの「本場」に相当する位置にあるはずの広大な自治区は、どちらもカントウ自治区圏とは一切の国交がない。それどころか、カントウにはそこに関する資料になるような文献すら、ただの一冊も入ってきていないのだ。
結局、歴史学の権威であるフェイ先生をしても、この食文化のミッシングリンクに関する疑問の解決が為されることはなかった。
「……そっか。やっぱり、116もあると、お互いに全く干渉しないままの国もあるってことなんだな」
「そうなのぉ。地続きとはいえ、言葉も文化も全く違うから、お互いに存在すら意識していない自治区なんて山ほどあるのよ。でも……もしそんな国があるなら、私も歴史学者として一度見てみたいわねぇ」
スープの入った寸胴鍋を見つめながら、僕は小さく息を吐いた。
存在しないのか、それとも、ただ遠すぎる未踏の地の奥深くに眠っているだけなのか。
もし後者なのだとしたら、いつかその巨大な自治区の獣人たちがカントウにやってきて、僕の作った餃子や、いずれ再現するであろうカレーを食べたとき、一体どんな反応をするのだろうか。
一瞬、そんな甘い考えが頭をよぎりそうになったけれど、すぐに苦笑しながら頭を振った。
そんなに世の中は甘くないし、僕の力なんてたかが知れている。
何より、僕の元の世界の頃の知識だけでは、カバーしきれない食材や料理が多すぎるのだ。
例えば『カレー』にしても、僕が知っているのは市販のカレールーを使った家庭の味や、一般的な数種類のスパイスの組み合わせくらい。本場の複雑怪奇なスパイスの配合ルールなんて、ほとんど知らないに等しい。
『中華料理』だってそうだ。火力が命の炒め物や、特殊な調味料や乾燥食材を駆使する本格的なメニューは、この『火が使えないオール電化の世界』では再現が難しいものが山ほどある。
そして、一番痛感しているのは、僕一人の力では「調味料」や「食材」そのものを作り出せないということだ。
お好み焼きや中華そばに欠かせない『ごま油』だって、獅子丸食品の技術開発がなければこの世界に存在しなかった。大象食品の企業努力がなければ、あの美味しい『即席麺』だって生まれなかっただろう。
僕が元の世界のアイデアをいくら出そうとも、それをこの世界にアジャストし、形にしてくれる現地の企業の力や熱意がなければ、何一つ実現しないのだ。これから先、僕が作りたい料理が増えれば増えるほど、そういう「この世界の獣人たちの技術力」に助けられる場面はもっとたくさん出てくるに違いない。
「まあ、僕は僕で、ぼちぼちやるさ」
スープの煮える優しい音を聞きながら、僕はポツリとつぶやく。
世界一を目指して肩肘を張る必要なんてない。
僕を頼ってくれる特別寮のみんなや、楽しそうに協力してくれる現地の企業、そしてこれから『まんぷくししし亭』にやってくるお客さんたち。彼らの笑顔を思い浮かべながら、自分の手の届く範囲で、美味しいものを丁寧に作っていければそれでいい。




