98.僕と、定例発表会と、即席麺
「ヒロキくん、お待たせしましたぁ!2年生のステージ、無事に大成功です! さあ、何から手伝えばいいですか!?」
ステージから息を切らせて猛ダッシュで戻ってきたアオイさんは、有言実行と言わんばかりにすぐさまエプロンを装着し、満面の笑みでうどんコーナーの売り場に立ってくれた。現役アイドルの神接客の効果は絶大で、うちのブースはひときわ華やかな大盛況となった。
そうして夢中でうどんを茹で、客足がようやく落ち着いてきた頃――グラウンドの入り口のほうが、にわかにザワつき始めた。
「やあ、ヒロキくん! 素晴らしい盛況ぶりだねえ!」
人混みを割るようにして現れたのは、あの眩しい白スーツを纏った大象食品のアキラ専務だった。しかも、なぜかその逞しい肩には、やたらと頑丈そうな大きな木箱を直に担いでいる。
「あ、アキラ専務! お疲れ様です……って、その担いでいる大きな箱は一体……?」
僕が思わず尋ねると、アキラ専務はニカッと白い歯を見せて笑い、箱をドスンと地面に下ろした。
「ああ、これかい? これは後のお楽しみさ。それよりヒロキくん、まずは君に紹介したい人たちがいるんだ」
アキラ専務がそう言って一歩横に退くと、彼の後ろから、いかにも『お偉いさん』という尋常じゃない威厳とオーラを放つお二方が、ゆっくりと前に進み出てきた。
「君がヒロキくんか。噂はかねがね聞いているよ。うちの息子が大変お世話になっていますね」
そう言って、穏やかな、しかし地響きのように深く響く声で僕に右手を差し出してきたのは、アキラ専務よりもさらに一回り体格のいい、仕立てのいいスーツを着こなした初老の男性だった。
「私はね、大象食品社長、タイゾウ・テルと申しますね。よろしくね、ヒロキくん」
「し、社長さん……!?」
僕が完全に硬直していると、その隣にいた、眼鏡をかけた非常に知的な雰囲気を纏う男性も、スッと僕に握手を求めてきた。
「初めまして。私は大象食品専務、タイゾウ・ヒカル。アキラ兄さんと同じ専務取締役という役職ですが、私は主に財務関係の責任者をしております。いつも兄がフットワーク軽く動き回ってご迷惑をおかけしているようで、申し訳ない」
なんと、アキラ専務が先日話していた、大象食品の社長(父親)と、異母兄弟の三男であるもう一人の専務(弟)のヒカルさんだった。
大象食品の、というかタイゾウ家の重鎮トップ3が、まさかこの優美林のグラウンドに勢揃いするなんて……!
しかも、象族の血筋だからなのか、全員が漏れなく信じられないくらい身体が大きい。そして、鼻が長い(気がする)
3人とも190cmを余裕で超える巨体で、横幅も規格外だ。
大熊猫族のヘッドギアを被っているとはいえ、中身は17歳・小柄な人間の僕から見れば、目の前にそびえ立つタイゾウ家の3人は、まるで巨大な壁か動く山。見上げるだけで首が痛くなる。
笑顔で握手を求められているだけなのに、彼らが放つ圧倒的な体格差とトップの経営者としての「圧力」は、ちびっ子の僕にとってはもはや優しめの拷問レベルだった。
「あ、あわわ……!は、初めまして、イノウエ・ヒロキです……! こちらこそ、いつも大変お世話になっております……!」
僕は完全に気圧されながら、巨木のような彼らの手を恐る恐る握り返した。隣でアオイさんが「はわわ……大象食品のトップ陣が直々に……!」と僕の後ろで小さくなって震えている。
「まあまあ、お堅いご挨拶はこれくらいで。うちの冷凍うどんが、こういう形でいろんな人に食べてもらえて、僕は本当に嬉しいよ」
アキラ専務の満面の笑顔が、真夏の強烈な陽射しに反射して眩しすぎるくらいに輝く。テル社長とヒカル専務も、僕の屋台の盛況ぶりを見て満足そうに深く頷いていた。
「そして、ここからが本題なんだ」
アキラ専務は、先ほど担いできた頑丈な木箱の蓋をバンバンと勢いよく叩いた。
「大象食品の社運をかけた、我が社の歴史を塗り替える新製品を、どこよりも早くヒロキくんに見せたくてね!」
パカッと開けられた木箱の中からアキラ専務が取り出したのは、円形にカチカチに固められた、茶色い麺の塊だった。
「お湯をかけて、たったの3分待てばそのまま食べられる……名付けて『即席麺』さ!」
(――ついに、この世界でも即席麺が登場した……!)
レミ社長が言っていた「温風で麺を乾かす新技術」の正体はこれだったんだ。元の世界では当たり前のように存在していたインスタントラーメン。
僕がこの世界でわざわざ伝えなくても、大象食品の圧倒的な技術力は自力でこの領域にまで達していた。それを目の当たりにして、料理人として、世界の先駆者として、ほんの少しだけ悔しいような、だけどそれ以上に猛烈な感動が胸に突き上げてくる。
アキラ専務は、屋台の匂いとタイゾウ家の巨体に釣られて集まってきた野次馬の一般客たちの前で、さっそく実演を始めた。
「仕組みはいたってシンプル! この麺の塊を丼に入れて、そこにお湯を注ぐだけ!」
アキラ専務が屋台にある湯沸かし器からお湯を拝借して丼に注ぐと、ジュワジュワという心地よい音とともに、固まっていた麺がみるみるうちに柔らかくほぐれていく。それと同時に、麺自体に染み込んでいた香ばしいしょうゆベースのスープの香りが、湯気となってグラウンドの空気に一気に広がった。
これは……元の世界の『チキンラーメン』とほぼ同じ、味付け麺のギミックだ!
「これにお好きな具を乗せれば、あっという間に出来上がり! な、簡単だろ?」
アキラ専務から「さあ、食べてみてくれ!」と出来立ての丼を渡され、僕は割り箸を割って、フーフーと息を吹きかけながら一気に麺をすすった。
「――っ、うわぁぁ……これは、懐かしい……!」
口いっぱいに広がる、あの素朴で、だけど完成された鶏ガラしょうゆの香ばしい旨味。ジャンクでありながら、全人類を虜にするあの懐かしい味が、完全に再現されている。
「懐かしい?」
アキラ専務が不思議そうに少し長い鼻をピクリと動かした。
「あ、いや! なんでもないです! どこかホッとする味だなと思って!」
慌てて誤魔化す僕をよそに、アキラ専務は集まった大勢の観客に向けて、両腕を広げて高らかに宣言した。
「皆様! この大象食品の未来を担う『即席麺』を、本日この会場にいる皆様に、1人1個、合計で1000個! 完全無料で先行配布いたします!」
「おおおおおー!!」
グラウンドが今日一番の地鳴りのような大歓声に包まれる。待機していた大象食品のスタッフたちが、手際よくパッケージされた即席麺を次々に配り始め、お祭り騒ぎは最高潮に達した。
凄まじい大盤振る舞いだ。この発表会の場を、完璧な新作プロモーションの舞台に変えてみせたアキラ専務の手腕には脱帽するしかない。
配られる即席麺のパッケージを見つめ、実際にそのクオリティを舌で味わった僕は……料理人としてのサガというか、元の世界を知る者としての熱意が抑えきれなくなってしまった。
気づけば、レミ社長のライバルであるはずのアキラ専務に向かって、不覚にもこんなアドバイスを口にしていた。
「アキラ専務。これ、もし量産するなら……麺の真ん中に、生卵を綺麗に落とせるような『丸い窪み』をあらかじめつけておくと、絶対に良いですよ」
「……麺に、卵を乗せる窪み?」
アキラ専務が目を丸くする。横にいたテル社長と、財務担当のヒカル専務も「ほう……」と身を乗り出してきた。
「はい。お湯を注ぐ前にそこに卵を落とせば、白身が綺麗に固まって、見た目も栄養価も最高になります。獣人の皆さんも、お肉や卵が大好きですから、絶対に大ヒットします!」
僕の言葉を聞いた瞬間、タイゾウ家の3人の目が、ビジネスマンとしての鋭い輝きに変わった。
「卵を乗せるための、窪み……! なんだそれは、天才的な発想じゃないかヒロキくん! ヒカル、すぐに試作ラインの金型を修正できるか!?」
「ええ、すぐに手配します。ヒロキくん、素晴らしい視点だ。我が社の財務にさらに貢献してくれそうだ」
しまった、敵に塩を……いや、ライバルに最強のアイデアを授けてしまったかもしれない。レミ社長が知ったら「おろろろろ」どころじゃ済まないぞ、と背筋が凍る。
だけど、アオイさんが横で「さすがヒロキくん、もう次のアレンジを考えてるなんて凄いです!」と尊敬の眼差しを向けてくれているし、何より、この世界の『即席麺』が僕のアイデアでさらに美味しく進化していくと思うと、ヘッドギアの裏の僕のニヤケ顔は、どうしても止まらないのだった。




