19.
客間のソファーへと移動すると、フェイがテーブルの上に紅茶のカップを置いてくれた。私が寝ている間に用意をしていたらしい。というか私はやっぱり寝ていた。だけどあれを完全に夢だと決め付けるのはどうだろうか。
「少しぬるくなってますね、入れ直してきましょうか?」
「別にいいよ。それよりフェイも座りなよ、そこじゃ話せないでしょ」
定位置である横に立つフェイに告げれば、「別にここでも話せますけど」などと言うので半分閉じた目を向ける。
「いいから座って」
少しだけ強めた口調に、フェイは渋々と向かいに座った。
大体言いたいことも聞きたいことも後で受け付けると言ったのはフェイなのに、その渋る様子はやっぱり話したくないということか。
私はひとつため息を吐き居心地悪そげに座るフェイに尋ねた。
「それで、私は何を聞けばいいの?」
「は…、え、それを俺に聞きます…?」
「だって、きっと言いたくないことがあるんでしょ?」
「あ、…ああ…、いえ…」
そう言うわけでは…、とフェイは口ごもる。だから。
「じゃあ取りあえずはフェイが話せることを話して」
譲歩の提案にフェイは何とも言えない顔で、一度呼吸を置いてから口を開いた。
「この世界が本の中の世界だ、って言ったら信じます?」
「本の……」
シャーロット様もそんな感じのことを言っていた。
「で、その題名が『レディ・ルメリア・フィッシャーの最期』?」
「信じるんですか?」
「じゃないと話しが進まないでしょ?」
「まぁ、そうですけど…」
自分から振ったくせに不満そうなのは何でだ。
「それは私の『話し』なんだよね? そしてそれが私が悪女になると言われる所以…ってことだよね?」
「そう…、ですね」
フェイは軽く眉間にシワを寄せたまま、少しだけ視線を落として話しを続けた。
曰く、全くピンとはこないが、私は本の中の登場人物であるらしい。それも一応は主人公であると。
悪女として破滅を迎えるのに主人公?と思うが、シャーロット様の「余りにも救いのない」という言葉も聞いているので、要するにそういった本なのだろう。
しかし自分が主人公の本と言われると…、うん、なんとまぁ…と複雑な気持ちにはなる。
「その本が発行された世界――、」
と、フェイの語りはまだ続く。
「俺もあの女も、そしてルメリア様の母親もそこから来ました」
「テンセイシャって言ってたね」
「転生者ですね、まぁそうです」
「それで、お母様もシャーロット様もその本を読んでいたから未来を知っていたということだね」
「………そんなに普通に受け入れられると、逆に戸惑うんですけど?」
語られる突拍子もないとも思える話しを、淡々と返す私にフェイが眉を寄せた。そう言われても。
驚いていないわけではない。けど、なるほどと頷ける部分も多い。それにフェイとシャーロット様の会話も色々聞いてたわけだし。
「そう言えば、フェイはニワカって言われてたね? 読んでなかったんだ」
「あー…そうですね、だから先を知らないって言うか…」
「その、転生者?の為の条件ではないの? と言うよりもそもそも転生者って?」
尋ねた私にフェイが答えた内容は。
予期せぬ不慮の事故で亡くなった人が、神様の配慮で望む世界へ生まれ変われるようにしてくれると言う。それが転生で、その施しを受けた者が転生者なのだそうな。
だけどそれは望まぬ場所や人生の途中からということもあり、神様も色々のようでかなり大ざっぱな感じだ。
そしてその世界も、本であったりネット?小説であったりマンガ?であったりゲーム?であったり、とにかく色々らしい。ちょっと意味のわからないとこもあるけどそこはどうでもいいとのことで省く。
だけどそれでいくと。
「じゃあ、フェイも死んじゃったってことだよね」
「あー………ですねー。でも遅かれ早かれ人は死ぬもんで――」
「そうだけどっ! …そう言うことじゃないって、わかってるでしょ」
遮ったのは、フェイがその自分の死を仕方のないものと、当然のように話そうとするのが嫌だったから。
「……ええ、まあ」
フェイは困ったように眉を下げた。
「でもあんまりその自覚がないんですよね」
「そのって?」
「自分が死んだことに関して」
「それは…」
浮かべられた曖昧な笑みに怪訝な顔を向ければ、フェイは膝の上で両手を組んで視線を落とした。
「実際どうやって死んだか覚えてないんですよね、未練とかもないですし。ただ生きていただけと言うか…。別に死んだってわかった時も『ああ、そうなんだ』って感じで、ただそれだけで」
俯いた顔にはさっきのままの小さな笑みが浮かんでいる。それはきっと自嘲の。
「幸せ…は、なかった…?」
私の問いにフェイは視線を上げた。
「死にたいほどの辛いこともないし、積極的に生きたいと言うほどの思いも持てなかった、ってとこですかね?」
「……っ」
あの邂逅――が、楔には為り得なかったことが今度は私の心に突き刺さる。
「………嫌ですねー、ルメリア様がそんな顔をするほど不幸でなかったと自分では思ってるんですよ?」
「でも…」
「うん、なので次は望んだんです」
「……?」
「そう。これだと思える絶対的なものを」
「……………それが、……私、なの?」
それについての回答はなかったが、そうだとしか思えないくらい酷く柔らかな表情が返った。
だけどそれは徐々に解け、一度口を開き、でも躊躇ったように閉じて微かに眉を寄せたフェイはまた顔を伏せた。視線は握った自分の手を見ている。そのまま沈黙が落ちた。
何度か口を開いては閉じる。落とした視線は言葉を探すように僅かに揺れて。
フェイが今から言おうとしていることは、本当は話したくはない部類のものなのかもしれない。だけどもう一度の躊躇いの後フェイはゆっくりと口を開いた。
「貴方が…、いいと思った。運命といえる存在があるなら、それはルメリア様がいいと思った。……ふふ、完全に一目惚れですよ」
苦い笑いを零し、私が何か言うよりも先にフェイは言葉を重ねた。
「…炎の中で、微笑む貴方はとても綺麗だった。 暗い世界に燃え盛る篝火を纏って、ガラス玉のような瞳はそれを受けて煌めいていて…、複雑な感情なんてない。求めてもいない。そこにあるのはただ空虚な美しさだけで、」
「――それは…っ」
それは…、ルメリアであって私でないルメリアだ。浮かぶのは一人佇むシルエット。
途中で挟まれた声にフェイはこちらを見た。
「ええそうです。運命だと思い、会いに来た貴方はルメリア様じゃあない」
「……………はっ…」
瞬間詰まった喉を押し上げるように息が零れた。
フェイが向けてくれていたものが私にではなかったという事実に、打ち砕かれた心の破片が小さな塊となって口から出た。
そのことに傷付いたとでも言うのか?
でもそれはお門違いだろう。今まで自分が散々あしらい、見ぬふりをしてきたものであるのに。
「…だけど…、」
と、声は続いた。
「だけど、それももう今となってはどうでもいいんですけどね」
「……え…?」
フェイは僅かに眉を下げ、緩く口端を上げた。
「なんて顔してんですか」
「……顔…?」
「置いてきぼりの子供みたいですよ?」
「……っ」
言われるように、情けない顔になってるんだろう。少しだけ呆れた顔でフェイは言う。
「絶対何か勘違いしてますよね?」
……………そうだ、その通りだ。
わかってる。私の勘違いってことは。
何度も言わなくったてわかってる。
ぎゅっと唇を噛みしめた私を見て、フェイは大きなため息と共に首を振った。
「やっぱり勘違いしてますよ、ルメリア様。俺が今話したのは単なるただの事実ですからね」
「だから事実なんだよね」
「じゃなくて…。あー…いや、まあそうなんですけど、今となっては言葉だけの意味と言うか…」
「……?」
フェイは「ハァ…」とまた俯いて、首の後ろをガリガリと掻いてから顔を上げた。
「あー、もういいです、さっきの告白は俺の黒歴史とでも思って忘れて下さい」
「黒歴史?」
「意味は気にしなくて大丈夫ですし、知らなくてもオッケーです。だから全部横にでも放り投げといて下さい」
「――え、…ええ…?」
「じゃあルメリア様、耳の穴かっぽじってちゃんと聴いといて下さいね」
「え、耳の穴…?」
「いえ、そこもどうでもいいです」
「…え」
話す会話の流れに思考と感情が追い付かない。でもそんなことを気にする様子もなくフェイはさっさと話しを続けた。
「確かに、運命だと、ここに来ることを決めたのは貴方にではないです。けど俺がこの先、最期まで共にいたいと願うのは貴方なんですよ、ルメリア様」
黒い目がふっと更に細められた。
「前世の俺は、やっぱりどこかいびつに歪んでたんだと思います。ホント、何もない、何もいらない人生だったんですよ、求めても与えられないなら求めるだけ無駄だって。
絶対的なものだって、欲しいとは思ったけどそれが何かもわからなかった。ただ、ルメリア様を見た時も『ああ、これだ』って思ったのは確かなんです。何故かわからないんですけどね。…でも、それは本当にきっかけでしかないんです。一緒にいるうちに今はもっと欲が出ました」
「………欲…?」
それは甘いと、表現するのかもしれない。
とても緩く柔かくフェイは笑った。
「俺はルメリア様からの愛が欲しいです」
「……は」
「あの空虚でないルメリア様の、悪女でないルメリア様の、俺が共にいたいと思うルメリア様の、心が、愛が欲しいんです」
「―――なっ………」
思わず絶句した。
フェイからの告白ならば割と良く耳にしている。ただこんなにも直情的なものは初めてだ。
感情の上がり下がりが大きすぎて脳内が悲鳴を上げてる。これはまた寿命が縮む案件じゃないか? 絶対そうだ。フェイのせいで頭だけでなく心臓だって悲鳴を上げてるじゃないか。
逃避なのか、そんなちょっとずれた思考の中にいる私を引き戻すようにフェイが言う。
「ルメリア様、そちらに行っていいですか?」
「――えっ、」
私の返事も待たずに立ち上がったフェイは机を回りこちらへと来ると、目線の高さを合わすようにソファーに座る私の足元に片膝を付いた。
フェイが側にいるのも、向かい合うのも別に普段通りのこと。なのに泳ごうとする私の視線をフェイはしっかりと捉えて。
今度はとても簡潔な言葉を放つ。
「愛してます、ルメリア様」
「―――っ」
いつも、当たり前のように側にいて。
いないとその姿を探して。
見つけたらホッして。
私が危ない時は絶対に助けてくれると信じれて。
不安で眠れない時は側にいるだけで安心出来て。
炎に包まれた姿に、急に倒れた姿に、
失う恐怖に心が壊れそうになるほどに。
私はフェイを―――…。
与えられる思いを否定しないと決めた。
後悔する前に自分の思いを拗らせずにちゃんと伝えようと思った。
だけどフェイを前にして言葉が口から出てこない。そして顔が火照ったようにとても熱い。
「ルメリア様?」
返事を、答えを、促すようにフェイは首を傾げた。
でも、もう既にいっぱいいっぱいなので、催促するのは止めて欲しい。中途半端に開いていた口をぎゅっと閉じ、察しろという思いで見つめた。
そんな私を見てフェイは数回目を瞬かせた後、ふっと小さく声を漏らす。
「なるほど。瞳は雄弁に語るってわけですね」
そう言って笑った顔はどこか甘く、そして少しだけ意地悪そうで。察しろと願ったのは私の今の状況だけで心の中の方ではない。
だけど私の優秀な従者は余計なとこまで察してしまうのでたちが悪い。
ごく自然にフェイが私の手を取った。ピクッと体が反応するも、それは嫌悪感とかそういうものではなくて。それはフェイもわかっているだろう、私がフェイの手を拒むことがないのは。そんなとこがたちが悪いと言うのに。
「私はっ―――、」
考えるより先に慌てて口にした言葉は意味あるものとならずに、バンッと勢いよく開いた扉から姿を見せた人物の前に霧散する。
もちろん、この家でそんなことが出来るのは一人しかいない。
「ただいま! 帰ったよ、私の愛しい娘」
にこやかな顔で部屋に入って来たお父様はそのまま「……おや」と呟く。
急に気温が下がったように感じたのは気のせいだろうか?
長くなりそうだったので中途半端に続きます。
次でラストのはず!




