20.
「何を、してるのかな?」
尋ねる声はとても低く、だけどお父様は相変わらずにこやかだ。
その微妙な雰囲気に「お帰りなさい」の言葉も言えずにいたら、そんな雰囲気など気にすることなくフェイがしれっと答えた。
「お帰りなさいませ、旦那様。 そうですね、姫と騎士ごっこですかね」
「ほう? ……そうだな、ルメリアなら姫で当然だが、お前が騎士とはどうだろう?」
「やだなぁ旦那様、ルメリア様を守るのは騎士って昔から決まってるじゃないですかー。それに俺の方がそこら辺の騎士より優秀ですよ」
「と言うか、いつまでルメリアの手を取ってるつもりだ?」
言われて、まだフェイに手を取られたままだったことに気付きパッと離れる。忘れてた。チッとフェイが舌打ちをしたのは聞かなかったことにしよう。
色んな感情を誤魔化すように、立ち上がった私はお父様の元へ行きハグと親愛のキス。下がった気温は直ぐに戻った。
「お帰りなさい、お父様」
「ああルメリア、ただいま」
「もしかして、もう時間ですか?」
「いやまだ三十分はあるかな」
「何です、時間って?」
最後の声はフェイだ。私は簡単に説明する。
「へぇ…。じゃあもちろん、俺も当事者ですから同席してもいいんですよね?」
「ああ全く問題ないな」
いや、その決定権はお父様じゃあないのでは? 先ほどとは違う意味でニコリと笑い合う二人。仲が良いのか悪いのかわからない。
そんな二人を眺めていたらコホンと小さな咳払いが聞こえた。扉の脇に困り顔の家令ハンス。
「どうかしたの、ハンス?」
「ルメリア様、実は応接間にて侯爵様がお待ちでして…」
「え? ロイス様が」
「あ、そうそう忘れてた。リッツラント侯爵も立ち会うと言ってくれてね」
「お父様…、忘れないで下さい」
何にせよ、これ以上待たせるのはどうかと思う。のに、お父様はまた何か思い出したのかポンと手を打った。
「ああ、そうだ! フェイと侯爵に自慢せねばならないことがあるんだ」
「は? 自慢ですか…?」
フェイが反応するが、私はお父様のその言葉に嫌な予感を覚える。
だから遮ろうとした、
「お父様――」
「ルメリアが私のことを『大好きだ』と言ってくれたぞ」
「は!?」
――が、遅かった……。
お父様…、ちょっとタイミングが悪すぎます。
にこにこと上機嫌のお父様とは反対の感情が込められた視線が背中に刺さる。ついでに「ルメリア様…?」と若干咎めるような低い声も。なので。
「――さ、お父様!ロイス様がお待ちですよ! 私は着替えてから行きますので先に行って下さい。それとフェイも、一度シャワー浴びた方がいいと思うよ。じゃあ、ハンスそういうことでお願い」
一気に纏めて最後はハンスに丸投げにした。けど、どういうことだ?と問い返されはしない。ハンスは良く出来た家令なので。
「ふむ…、じゃあ先に行って侯爵にも自慢してこよう」
いや、だからお父様…。
でもハンスを連れて意気揚々と向かってくれたので取りあえずはいい、そちらは。
――で、こちらは。
「ルメリア様…」
と、また低い声。
振り返ると案の定のジトリとした細い目。
そもそも私が咎められるっておかしくない?
「何? お父様だもの大好きって言っても普通じゃない」
「ですけどもっ」
「それにフェイのことも好きだって言ったよ、ビュタントの前夜に」
「あれは……、いやでも、絶対ニュアンスが違いますよね?」
細かい。だけどその通りだ。あの時点の私はまだ色々と認めていなかった。
でもだ、あのデビュタントの夜の私の言動こそもう答えでしかない。そんなのフェイだってわかってるはずだ。それなのに更に言葉でも望むなんて。
伝えると決めた決心が揺らぐのは、その求められた答えである思いが既に自分の中にあるから。今まで口にしなかったものが溢れそうで、今はまだ、ただ気恥ずかしい。
優秀な従者ならそここそ察して欲しいもの。だから違う方向から攻めてやろうと思う。
「フェイあのね、私、待ってるって約束した人がいるんだ」
「……は…」
「ずっと待ってるって約束したの」
「……………誰なんです、そいつは?」
更に声が低くなった気がする。でも多少の意地悪は大目にみてもらおう。
「そうだね、黒い髪と黒い目の、すごく痩せっぽっちで表情も乏しい子かな。 …私のね、目がキラキラして綺麗だって言ってた。置いていかないでと言う言葉を我が儘だと思ってた。それに小さいくせに妙に聡くて。そして、私を好きって言ってくれた」
あのね…と、あの時耳元で告げられた告白。「大人は怖いけど、おねえちゃんは好きだよ」と。
「だから大きくなるまで待っててね」と。
「フェイに似てたよ」
「それって……」
「待ってるの、ずっとずっといつかの先で。幸せになれるよって言っちゃたしね」
「………」
今のフェイの表情をどう表現すればいいのか。
泣きそうな、嬉しそうな、そして驚きと困惑と、もっと複雑なものをない交ぜにしてフェイは口を開けた。
「…幸せになれるよ、じゃなくて、共に幸せになるに変更して下さい」
その言葉にちゃんと伝わったことを知る。私が置いた布石は、道しるべはきちんと役割を果たした。
「わかった」
置いていかないし、最期まで共にいる。そして同じく、共に幸せになる。
フェイが欲しいといったものについても、いつかは言えるだろう。それは私の中に既にあるのだから。
だからまだもう少し。
***
「…ルメリアよ。 私は、ルメリア・フィッシャー」
「そう、ルメリアね、ルメリア。うん、わかった」
記憶に刻むように私の名を数度繰り返す。
彼女にとって、私の名は外套を貸してくれた者、としてだけ刻まれるようだ。
「これ、必ず返すから。お互い絶対また生きて会いましょう」
じゃあ。と軽く手を上げて今度こそ女は人の流れの中に消えた。
言葉通りに、この母親が生き延びれたとして。その後に私の名をどう聞くことになるだろうか。
―――
私はまた、徐々にこちらへと迫る炎を静かに見つめる。
あの日――、あのデビュタントの日に。
私の心を魅いらせ猛けさせた、燃え踊る炎。
私は待っている。この空虚な心を埋める絶対的なものを。
「それが私にはなりえませんか?」
ふいに聞こえた声に振り向く。どこかで見た覚えのある金髪碧眼の男がいる。
この場には私一人しかいないので、ならその問いかけは私に対してだろう。だけど話す内容をわかりかねて無言で見る。
「私が貴方の楔にはなれないでしょうか?」
「………楔…?」
「貴方を留める為の楔に、執着に、なりたいんです」
………執着……。
言葉の意味はわかる。私が一番持ちえないものだというのも。
「……私には必要のないものですね」
「いえ、だからこそ必要なんです」
「……?」
「私は貴方を生という執着の中に縛りたい。死への誘惑に奪われたくはないんです。たとえ貴方がそれをどんなにも望んでいたとしても」
「………」
火の粉が、目の前の闇に舞う。夏の夜に舞うホタルという虫がいるらしい。それを何時かの人がこの火の粉のようだと思い、火の虫と表現したと言う。
男から視線を外し舞う火の粉へと目を向けた。
圧倒的なものではない。直ぐに消えてしまうだろう小さな火。そこかしこから立ち上る煙で黒く塗りつぶされた空に、大量なる小さき灯りが散る。
それを見上げたまま口を開いた。
「…ホタルと言う、虫を知ってますか?」
「ええ」
唐突な話しの振りにも関わらず当然のように直ぐに返された返事に、私は男に視線を戻した。
「知ってるの?」
「ええもちろん」
私の領地は田舎ですので。と話す男は少しだけ困ったように眉を下げた。唐突な話しの流れの、その急な飛び方にやはり戸惑っているのだろう。
改めて男を眺める。名前はどうやったって思い出せない、確か侯爵であったとしか。
私が興味を示したと思ったのか男はホタルの話しを続けた。
「領地には幾つもの綺麗な川が流れていてホタルはそこに沢山生息してるんですよ。その横に広大な向日葵畑があって、夜になればホタルも飛ぶ。人の手が少し加えられたといっても、やはり自然の美しさは人知の及ばないものだと痛感させられます。……とても美しくて幻想的な光景ですよ」
語りながら男は視線を飛ばした。今現状ではあり得ない光景を望むかのように。
私にはどうしたって捉えることの出来ない景色。
王都を蹂躙する炎を美しいと感じるように、男が語るその景色を私は美しいと思えるのだろうか?
「……ですので、私の領地に来ませんか?」
「え…」
再び男の意識が私へと戻っていた。
「少しでも貴方が興味を示してくれたのなら何でもいいんです。貴方を繋ぎ止めれるならホタルでも何でも」
藁にもすがりたい気持ちなんで。
そう言って男は笑った。
差し伸べられた手と迫る炎に、私はその手を取―――
「いやいやいやいや、ちょっと待って待って!? 急に安直になろうとしてない?」
「ええー…、だってどうやってもそのまま堂々巡りになりそうで…」
「途中まではいい感じだったじゃない」
「でも無理、脳みそが死んだ」
「いや頑張ってよ! ってかさ、これってロイス様ぽい感じ? 私的にはフェイ君推しなんだけど?」
「無理、アイツとは相性悪いし」
「それはあんたでしょ。ルメリアたんには絶対フェイ君だって」
「なんでよ?」
「母親の勘」
「はあ?」
「て、ことでやり直しねー」
「はああぁぁ………」
「ハイハイ嘆かない。書くって言ったんだからちゃんと書いてよね。もちろん、ルメリアのハッピーエンドを」
それは――、どこかで語られた彼女たちの会話。
***
くしゅんと、フェイがくしゃみをした。
「フェイ、風邪?」
「違いますよ。誰かが噂してんじゃないですか」
「そう? 夏風邪って――、」
「馬鹿じゃないですし、風邪じゃないですからね」
「うん。…ふふ」
デビュタントから一年経った。今のところ私の日常にあまり変化はない、――けど。
「リッツラント侯爵領って自然が多いんだねぇ」
「いや、ただの田舎でしょ」
私とフェイの目の前には一面の向日葵畑が広がる。ここは言うようにロイス様の領地。
何故ここにいるかと言うと。
好きなものを好きだと、きちんと口にすると決めたあの日。お父様と、フェイを交えもう少しきちんと話し合った。そうしたら。
「なら別にこの国を離れるという手もあるぞ。生きていく場所なんて別にどこだっていいのだから。貴族でなく商人として生きるのも良いし」
取りあえず他国でも商売の手を広げるか。と、お父様はさらりと言った。そしてこれまた幸いと言うべきか、その件に侯爵様が名乗りを上げた。侯爵様の母方の祖母は隣国の公爵家に連なるものであるらしい。
というわけで足掛かりは直ぐに見つかった。ホント、どこまでも侯爵様様な気がするのだけど。もう足を向けて寝られない。
もちろん、その隣国と言うのはいずれこの国に攻め入る(予定?)隣国とは別だ。
お父様と侯爵様が、その隣国の公爵家との話しの席にいる間、私とフェイは向日葵を見ている。
解放されたマナーハウスの庭に広がる一面の向日葵。少しだけ高い位置に陣取るここからは、青空の下でどこまでも続く鮮やかな色の海。心地よい風に波立つ。
「夜にはホタルも飛ぶそうですよ」
「そうなんだ」
「見たことあります?」
私は首を振る。知識としては知ってるけど見たことはない。
「俺のいた国では火を二つ頭に着けた虫って書いて螢って読むんですよ」
「へえ」
「火って言っても螢の光って赤くはないんですけどね、黄色なんですけど」
色は違えど火の粉のように見えたと言うことだろうか?
「フェイは見たことあるの?」
「ええ、…ずっと昔に」
と、フェイは緩く笑った。
今言った昔も、さっき話したホタルの話しも、きっとそれは痩せっぽっちのあの頃のこと。苦い思い出だろうあの頃の記憶を語るのに、その表情は柔らかい。
「夜にでもまた見にきましょうか? きっと綺麗ですよ。 ルメリア様も好きだと思います」
「そうだね、私も、フェイが好きだよ」
「……………」
「……………」
「…………は…?」
「え……?」
待って…、今、私は何て口にした…?
「――え? …ルメリア様、今俺のこと『好き』って言いました?」
「――え!?」
好きなことを好きと言えるようになった。――でも。
「いっ――、言ってないっ!」
自分の心と向き合った結果、何故かフェイにだけ面と向かってその言葉を言えてない。
そう、まだ言えていない。むしろ余計に言えなくなった。
お父様にだって、ロイス様にだって、マリアにもハンスにも言えてるのに。
「いや、絶対言いましたよね?」
「違うし、私もホタルが好きって言ったのっ」
「ふーん? でも見たことないんですよね」
「み、見たことはなくても好きなものとかってあるし」
「へえ? 例えば?」
「例えば―――、」
………出てこない。
何も言えなくなった私を見てフェイはニコニコと笑う。
「…ねぇ、ルメリア様?」
「………何?」
こちらは警戒しかないというのに、すこぶる笑顔のままフェイは言う。
「好きって言ってもいいんですよ、俺のこと」
「――なっ…!」
言葉に詰まる。そんな私に更なる追い討ちを掛けるように「それとも…」と続けた。
「愛してる、でもいいですよ?」
「―――…っ!!」
全てを認めた受け入れあの日からぐんぐんと膨らむ思い。
時折、暗い夜空を焦がす炎の光景が胸の奥を過ることがあるけれど、今私の中で大半を占めるそれはもっとふわふわとしてほわほわとして。
熱いよりも暖かい、美しく綺麗であるよりも当たり前で普通な。
焦燥感に駆られるも、それもまたどこか甘く優しい。
私の赤くなってるだろう頬を風がゆっくりと宥めるように撫でる。そのせいで少し乱れた髪を耳に掛け、その向こうのフェイを見た。
「フェイ、私は―――」
わざと小さく呟いた声は、ザザザ――ッと黄色い海を渡る風に紛れた。
聞こえただろうか?
フェイの細い目が最大限に見開かれてることがその結果。だけど聞き取り難くはあったようだ。
「え? ――え…、ルメリア様、今何て…?」
「も、もう言わないよ」
「ええっ、そんな…っ! お願いです、もう一度!」
「言わない!」
今は、これ以上は――。
私は絶対に悪女にはならない。
その決意の先に、フェイへと伝える言葉は沢山用意している。
若干焦り顔のフェイを尻目に私はふふっと笑う。
空っぽでなくなった心を満たすものは私だけのものであって、私だけのものでないもの。
愛を知りえたレディ・ルメリア・フィッシャーは、悪女にはならない。




