16.
急にグンッと持ち上がった体に一瞬驚く。
だけどそれは、彼女のように二階から飛び降りれる豪胆さを持ち得ない私の為にフェイが抱え上げたのだと、状況は直ぐに理解した。
ただ頭で理解しようとも心がそれに従うとは限らない。
バランスを取ろうとしがみついた場所はフェイの首元で、こちらを見る細い目は更に柔らかく細く、口端を緩く上げた顔は近い。
ブワリと、熱がまた集まりそうになり誤魔化すように顔を逸らせば「ふふっ」と笑う声が聞こえた。
何だか少し腹が立ってきた。
「フェイなんて好きじゃないし」
腹立ち紛れに、さっき放たれた言葉への返答を返せばフェイは苦笑混じりに私を呼ぶ。
「ルメリア様」
「………何?」
懐柔されるつもりはないと顔を背けたまま冷たく返すが、そんなことはどうでもいいとばかりにフェイは続けた。
「俺のことが好きとか嫌いとかはこの際どうだっていいです。ただ俺を置いていかないでくださいね」
――置いて行く?
側にいてと言ったのは私で、いつも共にいると言ったのはフェイだ。
なのに置いて行くなとはどういう意味だろう。
「フェイ?」
戻した視線の先にあるフェイは、薄い笑みを浮かべながらもその瞳はどこか頼るげなく。
「もし――……、もしも、ルメリア様がやっぱり諦めてこの炎に身を投じるなら、俺も連れていってくださいね、置いていかずに」
ああ―…、置いていくなとはそういった意味か。
炎の揺らめきが影を作り、そのせいか、一度も見たことない気弱にも見える印象でフェイは言う。
そしてその言葉は、それこそ私がさっき口にした言葉と、ぴったりと嵌まるものなんじゃないのか。
「最後まで側にいて」「置いていかずに連れていって」
見事に利害が一致していると思うのだけど。
だけどそれにしたって。
「私、諦めないって言ったよね?」
「俺も『もしも』っていいましたよ」
フェイはさらりと答えて窓の外へと顔を向けた。
「…絶対に、同じだと言えるとしたら、俺もあの女もルメリア様に会う為にこの世界に来たってことですかね」
それはフェイと、シャーロット様であった彼女が、同じだと言ったことについての。
急に戻った話しには、意図も無ければ脈絡もない。私は小さく息を零す。
「でもフェイは戻れないんだよね」
「ええ、戻らないんです」
言い切り、再びこちらを向いた顔に浮かぶのはもういつもの胡散臭い笑みだ。
「いつか言ったでしょう? 俺の生きている理由はルメリア様だって。だから、地獄だろうと地の果てだろうと海の中だろうとこの炎の中だろうと側にいます。死ぬなら共です」
「重いし」
「自覚してます」
今度は深く息を零す。
「…確かに、そんな場合私ひとりだったら簡単に死んでると思う。でも、私は死ぬつもりもないし、お母様が助けてくれたこの命を諦めるなんて絶対にしない。だからフェイも生きる方向に全力で振ってね。――ああそれと、置いていくなって言うけど、それも結局フェイ次第だよね」
「……?」
「だって今現状でさえ、置いていかれて困るのは私だよ?」
いつもより饒舌に語って最後にそう振れば、フェイは一度瞬いた後「…ですね」と頷いた。
**
落ちる――という行為は、やはり慣れるものではない。しかも突発的なものでなく落ちるのだとわかってる状態での落下。運河へのダイブと、今回で二回目か。
だけどフェイは予告もなくあっさりと飛び降りたので、私は声も上げる暇もなくヒュッと小さく息を飲んだだけ。
なので、地上へと降りた今、バクバクと激しく音を奏でる心臓と戦っている。
そんな感じで広げられた布の上へと姿勢を崩すことなくトンッと飛び降りたフェイは、手を貸そうと周りに集まっていた兵士の「おおっ!」という驚きの声に気に止めることなく、私を抱えたままスタスタと歩いて行く。
その向こうから急いでやって来るのはお父様と侯爵様だ。
「ルメリア!」
フェイの腕から地面へと降ろされた私を、駆け付けたお父様が強く抱きしめた。
「ああ、よかった…。お前まで失ってしまったら私は――…っ」
お父様のその言葉に、謝ろうとした声をグッと詰まらせる。
私の命は私のものであっても、私だけのものではないということ。己の命と、同等だと思う人がいるということ。
お父様だって愛する人を失った。だけど私のように拗らすことはなく。
…わかっている。これは過保護だけじゃないってことは。
私を抱きしめ声を震わせたお父様は私を愛している。横に視線を向ければ、少し疲れた様子で、でも安堵の表情を浮かべる侯爵様も友人として私に好意を持っていてくれる。フェイに至っては少し重すぎる程の思い。
わかっているのだ、後は私自身の問題だということは。
だけど取りあえず今は。
「ごめんなさい、心配掛けました。お父様、ロイス様」
安心したのかやっと体を離したお父様と侯爵様に謝る。
「…うん、ルメリアが無事で良かったよ」
「ああそうだな。――フェイ、ご苦労だった」
「いいえ旦那様」
フェイが言ったように二人にも怪我はないようで安心した。
じゃあシャーロット様は?と、辺りを見るも彼女の姿はない。レステート伯爵が連れて行ったのだろうか。
ただどちらにしてもシャーロット様があのシャーロット様で無くなった今、もう私と繋がることはないだろう。
もしまた顔を合わすことがあっても、それは伯爵令嬢、男爵令嬢としてのただ社交の場での繋がり。彼女と、もう少し話して見たかったと残念に思う。
でも私が話す相手はもう一人いる。
「ねえフェイ――」
呼び掛けに振り向いたフェイ。その顔色が余り良くないように見える。
燃える建物を背にしてるせいだろうか?
「あー…、話し、ですよね?」
と、少し困ったように眉を寄せた。
「え、あ、うん…、そうだけど…」
「んーでも流石に今は、って言うか場所を改め…た――」
言い終わる前にフェイの体がグラリと傾いだ。
「えっ!? フェイ!?」
咄嗟に支えようとするけれど、小柄だと言えども私より十分に大きいし重い。共に倒れそうになり、侯爵様が慌てて手を差し出す。
「おい、大丈夫か?」
「あー…すみませんね、侯爵様…」
「何だ? どうしたフェイ、珍しいな」
フェイの体を支える侯爵様の後ろからお父様が呑気に尋ねる。とても軽い。
「いや、ちょっと、流石に燃えるってのはキツかったというか…」
「燃える? 確かに焦げてるな、燃えたのか? ふーん、お前でショーでもしたら儲かりそうだな」
ハハと笑うお父様。酷い。そして軽過ぎる。その気軽さを信頼からと受け取っていいのかどうか、私は軽く引く。見れば侯爵様も少し顔をひきつらせている。
けど、フェイの不調が燃えたせいというならばそれは私のせいだ…………――いや、私のせい、かな?
ん? どうだろう?
あれはどう考えても、わざと炎を受けたような?
フェイならどうとでも避けれるものだった。だから、炎に包まれたフェイを見た時は本当に心臓が止まるかと思った。
そう、あの時は驚きが先行したけれど、考えたらあれは怒っていい案件だ。――だけど。
「――あ、おいっ!?」
侯爵様の慌てた声。
目を閉じ急に力の抜けたフェイの姿に、私の心臓がまた歪な動きを見せ、
「ああ、意識が落ちただけだ。大丈夫」
フェイを覗き込みそう話すお父様の声で、少し速いながらも、心臓は通常の動きへと戻る。
今日一日で私の心臓は一年分くらいの働きをしたと思う。これで寿命が一年縮んだとしたらそれこそフェイのせいだ。
**
テビュタントホールを燃やし尽くした炎は明け方には鎮火した。
当事者である三人――、シャーロット様はフェイが言った通りにこの半年間の記憶を失くしていた。それは火事での恐怖体験からである、という見解で納められ、そして犯人である預言者の男は病院での治療中だ。
ただ重症であるらしくその生存は五分五分。この火事で多数の死傷者も出でいる以上、生還したとしても裁判となれば極刑は免れないだろう。
どちらにしても自業自得としか言えない。
唯一、まともに話せる状態であった私はと言えば、当然の如く聴取の約束を取り付けられた。ただ――。
「まさか今からとは言わないよな?」
物凄く良い笑顔でお父様が言う。
「そうだね、話しは明日…いやもう日付も変わってるし明後日、フィッシャー家で。時間は…、うん、午後三時からにしてもらおうか。もちろん私も同席させてもらう。 ――ん? 何故渋る? 保護者である父親が同席するのは当たり前だろう。 ……はは。可笑しなことを言うなぁ、私の愛しい娘は巻き込まれただけだが? …いや、でももだからもないよ。時間は三時だ、その時間に我が家に来たまえ」
では、もう失礼するよ。と、最後は有無を言わさず笑顔で押し切った。
そうしてやっと長かったデビュタントの日が終わった。
朝日が目にしみる中、眠れるフェイを引き取り、侯爵様に挨拶を述べて家に戻り、その日は私も疲れ切っていたこともあり存分に睡眠を取った――わけだけど。
次の日の朝になってもフェイが目を覚まさない。
「ルメリア? …ああ、やっぱりここにいたね」
医者を呼ぶのにも利便性が良いと客間に運び入れ、そのベッドで眠ったまま起きないフェイの傍らで、椅子に陣取る私に声を掛け部屋へと入って来たお父様。
「朝食はちゃんと食べたかい?」
「ええ、食べました」
振り返り答えたら、そうかと頷き側へと来る。
「医者も言ってただろう、怪我も何もないって」
「……」
「…ふむ、鼻と口を塞いでみるか? 苦しくなったら起きるだろう」
「お父様…」
「はは、冗談だよ」
晴れない顔の私にそんなことを言ったのだろうけど、お父様は冗談と言いながらも本当に実行しそうな気がしてアレだ。
小さく息を吐いた私にお父様は言う。
「お前がそんなに気に掛ける必要はないんだぞ。フェイに関してて言えばほぼ無用だろう。こいつはそう簡単にはくたばらない」
「それは…、」
そうだ。フェイは何度も簡単に死なないと言ったし、置いていくなと言った本人が先にその言葉を違うなんて許されないし許さない。
でも結局は何も言わずに私は視線を眠るフェイへと戻した。代わりに、思案深げなお父様の声が落ちる。
「ふーん…。しかし本当にルメリアはフェイが好きなのだな…」
――そんなことない。
と否定する言葉は、今日も直ぐに出て来なかった。そんな私の横でお父様がストン膝を折る。視線が合う。
「…妬けるね。ルメリアは、私のことは好きじゃないのかな?」
少しだけ口角を上げ、これも冗談ぽく口にしたのだろう。けどお父様の、私より薄い紫の瞳には寂しげな影が見えた。
「そんなことないですっ」
今度は直ぐに口にしてお父様の手をぎゅっと掴む。
嫌いであるはずなんてない。そんなのあり得ない。
口に、してもいいのだろうか?
それで失うことはないだろうか?
でもそんなことなど関係なく何時かは誰にでも別れは訪れる。お父様は私より年上なのだし、それこそ当たり前に訪れる。
その時に、私はまた後悔するのではないだろうか。今度は違う意味で、本当の気持ちを、伝えれなかったことを、…心の底から、悔やむのではないだろうか。
「………」
キュッと口をつぐんだ後、躊躇いながらもゆっくりと口を開く。
「私は…、お父様が大事です…」
目を見開いたお父様。
「だ…っ、大好き…です…」
そして破顔した。
掴んでいた手はそっと外されて、代わりにお父様の両腕で全身を包まれた。
「ああルメリア! ルメリアっ…!」
私の拙い告白――、とでも言うべきか。
それにお父様は感極まったように声を詰まらせて私をぎゅうぎゅうと抱きしめる。うん、ちょっと苦しい。
でもたかがなのだ。こんな些細な言葉ひとつで、覚えてる限り一度も見たことない程の喜びを露にしたお父様。
ほんのちょっとだけ罪悪感がもたげた。
だってまだ、お父様の気持ち程には追い付けていないと思うから。
「…お父様、大好きです」
けれど、もう一度そう伝えて、返すように背中に手を回した。




