14.
ガラスが割れる音は何度か続いた。その度にむせ返るような熱が襲い、フェイの腕の中にいても皮膚を炙る。
私がそうなのだからフェイはそれどころではないはずだ。ぐいと押し退けようともびくともしない。
「フェイ離して!」
「無理です」
一言のもとに却下された。
それでもぐいぐいと押していれば「きゃあっ」という悲鳴が聞こえた。シャーロット様だ。
「フェイっ!!」
更に渾身の力で押せば少しだけ隙間が空いた。
急いで飛び出し声の方を見れば、シャーロット様のスカートには火が纏わる。
「――っ!」
早く消さなければ!
まだ燃えていない無事なカーテンを引き千切ろうとするけれど、そんなに簡単にはいかない。苦戦していれば小さなため息が側で落ちた。
「代わりますよ」
そう言ってフェイは私に代わり簡単にカーテンを外すと、そのカーテンでもってシャーロット様のスカートの炎を叩いて消し止めた。
シャーロット様を襲った炎は何層もあるスカートの表面を焼いただけで済んだ。だけど室内に広がった炎はもうそんなもので消し止めれる状態ではない。
「…皆、一緒に燃えてしまえばいい…」
と、直ぐ後ろで声がした。
フェイとシャーロット様は私の視線の先にいるのだからそれは後一人。
フェイがこちらを振り返ったのと、男の片腕が私の体に回ったのは同時。
ぐっと後ろに引き摺られ、その横から前方に向かって突き出された反対の腕。その先にあるのは既に火を付けられた瓶だ。…一体、何本持っているのか。
死んではいなかったがフェイから与えられた一撃の余韻で、男は苦しそうに途切れ途切れの声を上げた。
「これが、最後だ…! この一本は、お前にくれてやる…、それで全員道連れだ、はは…っ!」
なるほど、最後らしい。そして「お前」とはフェイのこと。
自分を打ちのめしたのがフェイであることもだけど、今のこの状況ではシャーロット様と私では打つ手なしなのは明らかで。矛先を向けられたフェイは呆れたように言う。
「いつも手加減しろって言うからですよ」
ほれ見たことか、という顔は私に向けてだ。
体に回る男の腕の不快さもさることながら、フェイの言葉にムッと眉を寄せた。
「だって、直接手を下したら後味悪いでしょ?」
「ルメリア様、そのセリフは悪女っぽいです」
「…!」
「大体、こいつらが酷い目に会うのは当然でしょう。今だって、――…俺のルメリア様に気安く触れやがって…殺すか…」
最後の、低く剣呑な声は男へと向けて。
そんなことより。俺の――と、また言った。
不穏極まりない呟きの中、その言葉が起因なのかどうかわからないけれど、また頬に熱が集まりそうになるのをきゅっと下唇を噛んで誤魔化す。
「殺すだと…! ――はっ、お前、状況をわかってるのか!?」
そんなフェイに対して苛立たしげに、そして主張するように瓶を掲げ言う男。思わず、私も心の中で同意する。
うん、そうだ。その通りだ。そもそもそんな状況でないし私はフェイのものでもない。
私の内心の動揺など関係なく、フェイは無言でジリリと間を詰めて男は逆に退く。引き摺られるように私も。
「………」
「……っ」
無言での一進一退。
きっかけは何であったか。
燃える炎の中で何かがパンッと爆ぜたせいか。後退る途中に割れた瓶をパキリと踏んだせいか。
それとも、窓の外で「こっちだ!」という声が聞こえたからか。
張り詰めていたものがプツリと切れたように男は声を上げた。
「……ぅ、うわぁあ…っ!」
私の横にあった火の着いた瓶が、放物線を描きフェイの方へと向かった。
それは慌てたためにか、私から見てもそんなに速くないスピードで。フェイなら何ということもなく避けれる速さだ。なのに。
足元で跳ねた瓶。瞬間上がった大きな炎。
避けることもせずに、フェイの体が炎に包まれた。
「…………え、…フェ、イ…?」
炎の中、庇うように体の前で腕を交差させたフェイが見える。
「――ぁ…いや…!! フェイ…っ!!」
私は急いで捉われたままの腕から離れようともがく。
「離してっ!! 早く離してよ!!」
「――っ…」
暴れた腕がどこか掠めたのか男は小さく声を漏らすが私を離さない。そのまま後退る。
目的は達成したのだからさっさと私を離せばいい!
そう言ってやろうと振り返れば、男の顔には驚愕と畏怖が浮かび、わななく口が掠れた声を絞りだした。
「…おかしいだろ…? ……化け物か…」
私は見開かれた男の視線を追った。
その先にいたのは、……フェイだ。
悠然とした様子でこちらへと近づいてくる。
―――燃えたまま。
「……は…ぁ?」
そんな間抜けな声が漏れてしまうのも仕方ない。
え…、燃えてる、よね…?
私を盾に怯えたように男は後退り、炎を纏い近づくフェイは、何なら笑みさえ浮かべてる。
いや、ちょっと待って?
「何で逃げんだよ、道連れなんだろ?」
「く、来るな!」
「一緒に燃えてしまえばいいって言っただろうがお前、一緒にって」
「――そ、それは…っ」
いやいやいや、ちょっと待っててば。
燃えてるからね?
あり得ない状態で普通に会話するフェイに私でさえも若干引く。
ふいに、そんなフェイの眉が寄った。
それは苦痛を感じて、とかではなく、不快を全面に押し出して。
「ってかさ…、お前、いつまでルメリア様に触れてんだ?」
いい加減離せよな!
と、フェイは一瞬で間合いを詰め、グンッと手が伸ばされる。
「――ひぃっ!」
恐怖に、男は私を離して一人で後退さった。
どういった状況でさえ、燃えてる人間が近づいて来たらそりゃあ普通に怖い。でも。
離して欲しかった時にそうせずに今離すとは。それはとても悪手だ。そこは私を盾にしたままの方が良かっただろうに。
男が一人になったことでフェイの動作が格段に速くなった。嬉々とした顔で逃げ出そうとした男を瞬く間に捕まえる。後から羽交い締めるように、文字通りの熱い抱擁で。
「うわわぁああーーー! 離せ! 熱いぃっ!! 離せぇーーっ!!」
フェイの炎が燃え移り男は絶叫した。それが普通の反応だ。
普通じゃない、平然とした様子のフェイは、それでも男の叫び声がうるさかったのか少し顔をしかめ。ズルズルと男を窓際まで引き摺って行くと、躊躇うことなく割れた窓から男を放り投げた。
何度も言うがここは二階だ。
ドサッと鈍い音がして、男が落ちただろう外からは驚く声が聞こえる。
「何だ!?」
「人が降ってきたぞ!?」
「燃えてる!」
「取りあえず消火だ!」
男を落とした後、フェイはシャーロット様の消火で使ったカーテンを拾い、自らの燃える体を雑に拭い火を消した。
……そんなに簡単に…。
そして唖然としたままの私の前に何事もなく立つ。
服は焦げてボロボロだけど、フェイ自身が火傷を負ってるようには見えない。
本当に、どういうことか…。
だけど私が口にしたのは。
「……死んでないよね?」
「俺、ですか?」
足はありますよ、と自らの足を指差すフェイ。意味はわからないけど、ふざけてるのだと思う。まあ、フェイの安否でなく先に落ちた男のことを口した私もあれだけど。
「違うよ、フェイは……、死なないでしょ?」
橋から落ちても、火に巻かれても、フェイは必ず私の元へと帰る。生きて、当然のように。
あり得ないし不思議過ぎることだと思う。だけどそう簡単には死なないと、フェイは幾度となく証明してきた。
私の言葉にフェイは当然という顔で笑った。
「そうですね、ルメリア様を置いて俺が先に死ぬことはないので。いつまでも共にいますよ」
それは宣誓であり誓言。
恋や愛などを使った言葉よりも、よほど信じれる告白。
「…うん、……だね」
「ですよ。それと、落とした男なら、」
「それはもういいよ」
下で声がしていた。なら後はもう任せればいい。男が死のうが生きようが元から私たちには関係ない人間だ。
関係があるとするならば――。
私は、静かに佇んだままのシャーロット様を見た。
どこを見るでもない彼女の表情は虚ろだ。
「シャーロット様」
声を掛けるとノロノロとこちらへと顔を向けた。
「私たちも行きましょう。そろそろここも崩れます」
炎はもう天井にまで達してる。脱出口は男を落とした窓しかないがフェイがいれば大丈夫だ。
事後承諾でいつものフェイ頼み。シャーロット様に手を貸すことには渋面を作るだろうがそこは我慢してもらおう。
シャーロット様は焦点の定まらない視線を私に当て呟く。
「……どこへ…?」
その目は私を見ているようで見ていない。どちらかと言えば燃えさかる炎を映している。
「逃げないと」
「逃げる…?」
「ここにいたら無事ではいられないですよ」
「死ぬ?」
「ええ」
「……そう…」
不機嫌にフェイが言う。
「…ルメリア様、もう放って置きましょう」
それに私は首を振った。
「それは出来ないよ」
「――何故?」
返したのはシャーロット様。
「私は貴方に死ぬことを強要するような人間だよ? 彼が言うように放って置けばいい」
シャーロット様は虚ろう眼差しの中に少しだけ光を点し小さく頬を歪めた。
私は問う。
「死ぬ――、つもりですか?」
「………………、私が、ルメリアの幸せを望んでたのは本当だよ」
それは今更私も疑いはしない。
少しの沈黙の後、尋ねたこととは全く関係ないことを話しだしたシャーロット様は俯きがちに呟く。
「…だけど結局は、私が言う幸せはルメリアにとっての幸せには成り得ないってことだね」
私は私、シャーロット様はシャーロット様。それぞれが持つどこまでも交わることのない想い。
そうですね。と答えて私は続けた。
「私はルメリア・フィッシャーとしての幸せを望みたいんです。シャーロット様の言われたことは、ちょっとよくわからないですけど…、その新たな生の先には今私の側にいる人はいないわけですよね?」
「そう…、だね。この世界とは、全く、別ものだよ」
「なら、やはり無理です」
今度こそはっきりと言い切ると、シャーロット様は更に顔を俯けた。
「………そんなの、わかってたんだけどなぁ…、わかってたんだけど……」
自嘲気味に溢された声はしりすぼみに途切れ、再び顔を上げたシャーロット様は見た感じ元来の彼女であった。ただし何かを吹っ切ったような諦めたような。
「だったらさ、私がもうここにいる意味はないよね」
ここで話しが戻ったのだろう。さっきの私の問いに対するものへと。
「もし、貴方がやっぱり運命に抗えなかったとしたら…。私はきっとその先に待つ結末を正気では迎えられないと思うんだ。……ああ、貴方として破滅を進めたくせに何言ってんだって思うでしょ? でも…」
「………」
「…何をしようともきっと絶対に後悔するってわかってた。読者としてでなく同じ世界にいてリアルにそれを迎えるんだよ? 今の、ルメリアの心情を知って。……そんなの、絶対に…、絶対に」
無理だと、だからここで終わる方がいいと。
「元からルメリアが最期を迎える前に私も終わるつもりだったから。それが前後するだけだよ」
と、シャーロット様は言う。
一部意味のわからないことがあれど、シャーロット様は、本当にルメリア・フィッシャーが好きなのだろう。
ルメリアの幸せの為に破滅を望み、だけどそれを見たくない為に自身の死を望む。
とても自分勝手な、とても愚かな行為。
私は深く息を吐く。
「…シャーロット様は、私が好きなんですよね?」
「そうだよ。そこの男より断然私の方がルメリアを愛してるからね」
「は? 何言ってんだお前――」
シャーロット様の煽り文句にフェイが反応を返すが、話しが逸脱する前に言葉を重ねた。
「じゃあ、死ぬとかそういうことは止めて下さい」
「………」
「聞いてますか?」
「………聞いてるよ、――でもっ」
「私は――、」
意見を口にしようとしたシャーロット様を少しの強い声で遮る。
「……私は、私を愛する人が私のせいで死ぬことを望みません。その想いが本当に誠実で真実であればあるほど絶対に嫌です」
「ルメリア……」
「シャーロット様、私は抗うことを諦めません。それこそ最期まで」
「………」
「ズルいですよ? 先に逃げるなんて。だから貴方も最期まできちんと見届けて下さい」
「…見届ける…?」
「ええ」
私は頷いた。
「だってシャーロット様はにわかじゃなく、ガチ勢なんでしょう?」
シャーロット様とフェイの会話はわからないながらもきちんと聞いていた。言葉の使い方は間違っていないと思う。
私の言葉にシャーロット様はポカンとした顔をして。「だったら見届けて下さい」と、私は更に重ねた。




