13.
咄嗟に身を伏せた横、私が割った窓から黒い影が駆け抜けて。そして目の前の男の体が壁へと叩き付けられるまでは一瞬。
「すみません、遅くなりました」
男を投げ飛ばした影――、フェイはいつも通り、何事もなかったかのようにしゃがむ私に手を差し出し、これまたいつものように私はその手を取った。
ホッと息を吐き尋ねる。
「……死んでないよね?」
「さあ?」
壁に凭れ項垂れた姿のままピクリとも動かなくなった男。…まあ、そう簡単には死なないだろう、うん。
フェイは引き起こした私を一通り見分してから眉を寄せて言う。
「何もないですね?」
「うん、何もないよ。……て、今日二回目だね、これ」
そう話せば深く息を吐かれた。先ほどとはうってかわって今度は不機嫌そうだ。
「ホント…、マジで止めて下さいって言ったでしょう」
「でも不可抗力じゃない? 巻き込まれたのだし。それに、私が危ない状況になったってフェイが必ず助けてくれるでしょ?」
「それはそうですけど、そうじゃなくて…、」
「じゃあ大丈夫、私はフェイを信じてるもの」
まだ続きそうだった小言をそんな言葉でさらりと遮ればフェイはグッと喉を鳴らした。「これで無自覚なのか…」と呟かれた言葉はどういう意味だろう。
「それより、何で窓なの?」
当たり前のように、男の背後にあった扉からフェイは来るのだと思った。なのに窓から現れるもので少しだけ驚いた。
「目印だったんじゃないんですか? ここから入れって」
「いや、目印ではあったけど…」
ここ二階だし。と、思えどもフェイにとってはそれは大差ないのかも。
そしてお父様と侯爵様はちゃんと無事に避難しているとフェイは話す。だけどいつまで経っても私が避難場所に来ないので兵士に尋ねれば、移動はしていると言われたらしい。
避難場所は他にもあるのでそちらではと。
でも、兵士が言う場所とは別方向から私がフェイを呼ぶ声が聞こえた気がして。そちらへと向かえば、割れた窓を見つけたのだとフェイは言った。私は目を瞬かせる。
「……聞こえたんだ」
「え? 何がです」
「呼んだの」
「ああ――。そりゃあそこに居たんだし、ルメリア様の声は直ぐわかりますよ」
「ううん、そうじゃなくて」
違うのだと首を振ればフェイは怪訝な顔をする。
私が、心の中で呼んだフェイの名。それが届いた。
そんなことがあったりするのか? でも……。
「――ふふ、」
急に顔を綻ばせ小さく笑う私に「まあいいですけど」とフェイはため息と共に呟いた。
「じゃあ、取りあえずは移動しましょうか。いい加減旦那様まで乗り込んで来そうですし」
そう言えば、色々あったけどお父様とは会場で別れたきりだ。フェイの言葉は確かにあり得そうだし避けたい。
頷いて、促され部屋を後にしようとした、そんな私たちに「ちょっと待って!」と声が掛かった。
………忘れてた。
カーテンをぎゅっと握りしめ立つシャーロット様。私が声を出すより早くフェイがその間に入った。
「――何か? ルメリア様に守られて隠れてただけの人」
「それはっ! ……それは…、ごめんなさい…」
フェイはどこから見てたのだろうか。
冷たい視線と声で告げられた言葉に一瞬怯んだシャーロット様は謝罪を口にして。それに一瞥をくれたフェイは、話しは終わったとばかりにまた私を促した。けど。
「――ねぇ、ちょっと待ってってば!」
再び引き止める声。
苛立たしげに舌打ちをしてフェイは振り向いた。
「ルメリア様に用があるな――」
「違うの! ルメリアじゃなくて、用があるのはあなたによっ」
「――は?」
剣呑な顔付きのまま器用にフェイは眉を上げた。
シャーロット様が言うフェイへの用事とは、それはきっとさっきの件だ。
「シャーロット様は、フェイも…未来を知ってると思っているみたい」
「は? ……はあ」
「それと、」
続きを一旦切りチラリとシャーロット様を見る。その先の言葉を、シャーロット様もわかっているだろう。けれど止める気配は見えない。
「…シャーロット様が、私の噂を流した本人なの。預言者ではなくて」
「――ああ…」
なるほど…と、フェイは驚くことなく言った。
「フェイ?」
知っていたのだろうか?
見上げる私にフェイは今度は眉を下げた。
「ルメリア様、旦那様のとこに戻るのは少し後でも構いませんか?」
「ええ、別に構わないけど…」
「すみません」
私に断った後フェイはシャーロット様へと視線を向けた。
線になった目が弧を描く。とても笑顔だ。
「――で、俺に何の用が?」
だけどその声は低く、険が滲む。が、シャーロット様が動じることはない。
「あなた…、私と同じだよね」
「何のことか」
「ううん、絶対にそう」
言い切られて、フェイは不快そうに笑顔の仮面を外した。
「貴方と同じとかそんなことを言われても。俺は人の噂を広める悪趣味なんてありませんよ」
「そういうんじゃなくてっ」
「はあ…、それなら尚更何のことかわかりませんね」
「『レディ・ルメリア・フィッシャーの最期』」
「………」
「……知ってるよね?」
急に黙り込んだフェイ。
その言葉は私も一度聞いた。私の名前を冠してるのだから私のことだろう。そして『サイゴ』とは。
あの後シャーロット様と話した今ならわかる。それはそのままの意味、私の最期――。
フェイはハァと大きな息を吐いて片手で額を押さえて俯いた。くしゃりと、給仕役の為に整えられていた前髪が乱される。そのまま、隙間から覗く黒い瞳が私を見て。
「ルメリア様」
「?」
「…ルメリア様」
「何?」
「好きです。愛してます」
突然の告白。
それは別に初めてのことではないけれど。何で今この場で?と思う。
流石のシャーロット様だって驚いている。
私は少しだけ目を眇め「…そう」とだけ呟けば、フェイはフッと笑って上体を起こした。
「聞きたいことも言いたいことも後で受け付けますので」
「どういうこと?」
「それも後で」
起き上がったフェイの顔に浮かぶのはいつもの胡散臭い笑顔だ。こうなったらもう絶対にその通りにしか動かないと知っている。
無言の私の了承を得て、フェイは再びシャーロット様に向き直った。
「今のでわかったろ」
「何それ…、無茶苦茶な答えだね」
わかったけども。と呆れたようにシャーロット様は言う。
私は首を傾げた。今のどこに何の答えがあったというのか? 口を挟むつもりはないけど思うことは自由だ。
「そんなことより、あんたはどこまで知ってる? 最後まで知ってるのか? 覚えてるのか?」
随分とぞんざいな口調となったフェイが今度は問う。
「何よ…、まさか忘れたの?」
「いや忘れたんじゃなくて、俺は知らないんだよ」
「――はっ?」
「読んでない。チラリと見ただけで」
「――ああ…、それで…」
シャーロット様は馬鹿にしたような、とても残念そうな顔をして、フェイは決まり悪そうな顔をした。
何もわからない私に至っては無だ。
「……しょーもな…。何よ…、あんたなんかただのにわかじゃない」
シャーロット様は「はあぁぁ」と盛大なため息を吐いた。
「…これはルメリアにも話したことだけど、破滅以外の救いなんてないから」
「おい、ルメリア様にも言ったのか?」
「そうよ」
チラリとフェイがこちらを見たので頷く。
視線を戻したフェイが目を尖らせた。
「お前…」
「言っとくけど! あんたが怒鳴ろうが喚こうがそれは変わらない。ルメリアは死んだ後にしか幸せになれないから」
シャーロット様の見返す目の、揺らぎの無さにフェイでさえも一瞬呑まれた。
「お前、何言って…」
「続刊がね、出たのよ」
「は?」
「きっと、余りの救いの無さにそう言った声が多かったんじゃない? 鬱本とも呼ばれてたし」
「……鬱本」
「前作でのね、記憶を持ったままルメリアは新たな生を受けるのよ。そこで色んな人と関わって心を通わせて空っぽだったルメリアは満たされてやっと幸せになるの。間違いなく完全なるハッピーエンド」
「それは……」
「それは…、何? あんたもクソ本だとかクズ本だって言うの?」
「……」
「そうだね、評価は散々だったよ。前作の要素なんてひとつもないもの。ただルメリアの記憶があるだけって言う、…全く別の話し」
シャーロット様は小さく笑って視線を落とした。
それを、私は何とも言えない顔で眺める。
二人が話している内容はどう考えても本の話しではないのか?
尋ねたいけれどフェイに後でと言われてる。そのフェイを見れば、内容的に普段なら何言ってんだという顔をしてるはずなのに。
硬い表情のままフェイは口を開いた。
「これからどうなるか、あんたならわかんだろ? 教えろよ」
「……はっ、言い方。それが人にものを頼む態度?」
「チッ、……教えて…下さい。お願いします、ご令嬢」
「無理ね」
「――あ゛!?」
珍しい、フェイが翻弄されている。
だけどシャーロット様は別にそういった意図で言ったわけでは無さそうだ。
「言ったでしょ? 救いはないって」
そう話す彼女の顔は呆れや嘲りの気配はなく淡々としている。逆に、返すフェイは声を荒げた。
「そんなのわかんねーだろうが! 今までだって少しずつ変えてきた! これからだって――」
「無理だよ」
「……っ!! ………――くそっ!」
フェイは乗り出し気味になっていた体を一旦引く。そして深く息を吸い、ひとつ呼吸を置くと握りしめていた拳を解いた。
「……何で…、そう断言できる?」
憤りを無理やり押さえ尋ねるフェイに、シャーロット様もふっと軽く息を零して。
「……そうだね、確かに私が知ってるものとは大分変わってるとこもあるよ」と、話す。
「ルメリアの父親が再婚してないのもそうだし、従者の、フェイの存在が既にイレギュラーだしね。まあそれ以前に、母親が転生者であった時点であれだけど」
―――テンセイシャ?
え…? お母様が、……何て?
お母様の話しが出たことで私の中がザワリと揺れる。だけどフェイにとってそれは疑問ではないのか言及することはなく。
「でもね、どれだけ変えようと結局は帳尻を合わせてくるんだよ。…今回のもそう」
「元々火災が起きる予定だったと?」
「そうだよ」
「…おい、何で言わなかった? 備えだって出来ただろうに」
フェイの言葉にシャーロット様はコテンと首を傾げた。
「可笑しなこと言うよね?」
「は?」
「このデビュタントが始まりなんだよ。私がそれを阻止するわけないじゃん」
シャーロット様はうっすらと笑った。その笑顔の中に苛立ちを乗せて。
「ホント…、何で色々邪魔するかなぁ…。 好きなんでしょ? 愛してるんでしょ? 彼女の幸せを願ってるでしょ!? なら、そのままのストーリーに沿いなさいよ!」
「――は…、何勝手なこと言ってんだお前? 」
「ハッピーエンドが決まってるの、幸せになるの、だからルメリアはこの世界では悪女として終わらなければならないのっ!」
「ルメリア様がそれを望んだのか?」
「……っ!」
シャーロット様の視線が一度こちらに流れたが直ぐに逸れた。
「でもっ、それが最善なんだよ!? どんなに努力しようとしたって無駄、話しの大まかな流れは変わらない。過度な期待はルメリアを苦しめるだけじゃない! ――三年…、いえ、後三年も満たない。それで終わるの。その先に待っているのは暖かで優しさに満ちた幸せな世界。ルメリアが幸せになる為の世界があるんだよ!」
三年―――。
シャーロット様が今口にした、
それが、多分私の猶予。
「……三年ね、…なるほど。教えて頂きありがとうございます」
一気に捲し立て肩で息をするシャーロット様にフェイが言う。いつもの胡散臭い笑顔で。
「ただ、努力が無駄かどうかは別として。だけど確実に、影響を及ぼすだろう程に変わった、そしてまだ変わるだろうことがあるんだよ」
「………何のことよ?」
「わからないのか? ガチ勢なのに?」
「ホント、ムカつくわね、あんた…」
睨み付けるシャーロット様にフェイはフッと笑った。
「ルメリア様だよ」
「…は?」
「あんたさっき言っただろ? ルメリア様が空っぽって」
「………」
「それはどのルメリア様にだ?」
そう言って、フェイは私を見た。
胡散臭さは消えた穏やかで柔らかく強い、その細められた黒い瞳にあるのは私が決して認められないもの。言葉にされなくてもいつもそこに宿っている灯り。
「俺のルメリア様は空っぽなんかじゃない」
「―――……」
何かを言おうとして。声にならずに。
フェイはそう言ったが、私が空っぽであったのは確かだ。
昏睡状態となったお母様が目覚める前、確かに私の内側には何もなかった。
今の私にならなかったルメリア。
シャーロット様が言うところのルメリアは、きっと言うようにその終わる運命を受け入れた。
だけど今は―――。
胸の奥で、何かがグッと詰まった、ような感じがした。
自分で自分の表情を見ることが出来ないのは当たり前で。それが幸いかどうか。
こちらを見て、何故か目を見開いたフェイとシャーロット様。何となく咄嗟に片手で顔を隠す。
「…ちょっ………ルメリア様…?」
見たこともない程の驚愕の表情を浮かべるフェイ。隙間からそれが見えたが、直ぐにふいと視線を逸らせてしまった。顔に当てた手が熱い。
だけど突如沸き上がった感情の意味もわからなければ、火照る顔の意味もわからない。
「…え……? ちょ…待って、
どこにそんな要素が……?」
戸惑うフェイの声が聞こえるけれど、何のことかわからないんだから返せるわけもなく。かといって黙っていてもますます上がる熱に、寧ろ何か言った方がいいのかもと思い切って視線を上げれば、ヒュッと風を切る音がした。
「――!! ルメリア様!!」
焦った声が飛ぶ。伸びてきたフェイの腕が私を引き寄せ閉じ込める。
ガシャンッ!!
瞬間見えたフェイの背後で、赤々とした炎が上がった。




