94話 その出会いは偶然か
『うん、来週には……うん、それじゃあ……』
七月はあっという間に終わってしまい、もうすぐでお盆休みがやって来る。玲司は夏休みの宿題を早々に終わらせようとしているため、夏休みの一日一日があっという間に過ぎていったが、おかげでお盆前にはすべて終えられそうだ。
レイジは一週間後から始まるお盆休みに一度、元の家に帰ることになっている。それはこの島に来てから過ごした五ヶ月の出来事を報告するためと、これからの暮らしについてを話し合うためだ。そして話し合いの結果次第ではお盆明けから忙しくなることを想定すると、今のうちに面倒事を片付けておく必要があった。
レイジは母親との電話を切ると就寝の準備を始めた。すると家の、居候先であるこの家のインターホンが鳴った。訪問してきたのはレイジの知らない、レイジに用があって来たわけではない人だ。関係ないと思いそのまま眠りに就こうとしたレイジだったが、下の階から聞こえる心の声が彼の興味を惹き付けてしまった。そして体を起こして部屋を出ると、足音を立てないように階段を下りていった。
「部屋は……ちょっと厄介者がいるけど、気にしなくていいわよ。どうせもう寝てるし、朝も起きるの遅いし。」
レイジは階段の下から二段目に腰掛けると、そこでリビングからの声を聞いていた。息吹の言う厄介者が自分であるということは気づいていたが、何か言い返そうとは考えなかった。問題は別のところだ。どうもその訪問者は彼の部屋で一晩過ごそうという話で進んでいるらしい。一体どんな人なのかと思い、レイジは廊下に足を着けて立ち上がるとリビングへと入っていった。
「こんばんは。その厄介者のレイジですよ。」
「あら、起きてたのね。あなた今日外で寝てくれる?」
どうも部屋を借りるというのは彼がすでに眠っていたらという話だったらしい。そして、起きていたから部屋に招き入れるのでなく、部屋から出てくれと頼んできたのだ。
「嫌だ。イブキが出ろよ、居候だろ。」
「どの口が……無理にとは言わないけど、寝ている横でごそごそされたら迷惑でしょ?」
話を戻すと、今しがたキャリーバッグを携えて訪問してきたのは大森憩という男だ。イコイはAランクの能力者であり、以前、時の石を巡って戦った同胞である祭や時間と同じ航漁高校の一年生だ。けれども問題は、彼の正体ではなく目的だ。
「だいたい年頃の女の子の家に泊まりに来るって倫理的にどうかと思うぜ。」
「自覚があるなら住みつかないでほしかったわ。今さらながら。」
イブキ自身彼を招くことにさほど抵抗はなかった。レイジと意気投合して一晩中騒ぐようになってしまうのを危惧しているくらいで、泊まっていくこと自体に反対するつもりはない。
「まあ、こんな遠くまで来てるってのに、部屋を貸さねえわけにいかないからな。俺は別にどこでもかまわないぜ。」
「……君が例の……ありがと。急で悪いね。」
元々イコイは満の家に泊まる予定だったのだが、夏バテで体調を崩してしまい行けなくなってしまった。単なるお泊まりなら、それを高校生がやるのもどうかとは思うが、別の日に回せば良いだけの話だが、連絡を受けたのが今さっきのことであり予約をキャンセルできなかったのだ。
そして、その予約したイベントというのはというと、鯛ラバ、釣りだ。
「四時半には出るから、ちょっとだけ世話になるよ。」
「それはそれはご苦労様。そんな時間に俺は起こしてやれないから、適当に大音量でアラーム鳴らしてもいいぜ。」
出港が朝の五時、イコイの家からは電車で二時間なので間に合うはずもなく、近くの知り合いに泊めてもらう他はない。それでも遅くとも四時半には家を出なければ間に合わないので、結局早起きをしなければならないことに変わりはない。そして今彼は終電に乗ってやって来たため、現在時刻は0時半だ。
「レイジも来る?」
イブキは元々行く予定はなかったのだが、イコイから連絡を受けたときに行くと決めたのだった。予約することもできるが、参加人数次第では当日に参加することも可能らしい。彼女はとりあえず行ってみるようだが、それでも早起きすることに変わりはない。午後からの部もあるというのに、わざわざ早起きして五時から出ようと言っているのだ。
「……起きれたら考える。」
時間ぎりぎりになって、起きなければ諦める。起こされても行かないと言えば置いていかざるを得なくなる。行かないという返事を避けつつ行かないでいるためにはこれがベストの返事だろう。
「暇ってことね。じゃあ連れていくわ。」
用事がある、とは今さら言えなかった。言ったところで確認され、バレて余計に怒られるだけだろう。
「……船酔い体質ってことには……」
「私も行くから心配いらないわ。」
同行すれば酔わずに済むというような話ではない。吐き気がしたら必殺の真空掌で強引に吐き出させるだけの力技を行使するという恐ろしい治療を問答無用で施そうということだ。本来は心臓内の空気を押し出し呼吸できなくさせるだけの技だが、応用させれば胃の中の物質や液体を押し出すこともできるというもの。名前の通りこれは必殺技なので、決して治療用の行為でないことはライフセーバーを名乗るイブキにはその頭に入れてもらわねばならない。
「じゃあ、ちょっと部屋にお邪魔させてもらってもいいかな?」
家を出る前に夕食や入浴等をすべて済ませてきたイコイのすることは、明日持っていく着替えや現金の準備くらいだ。釣竿やバケツ等は向こうで用意してもらえるため、バッグの中身はほとんど衣類。濡れる可能性があるとはいえ一日分で十分なので、少し整理の時間をとって朝早い出発に向けて早めに寝るつもりであった。
「いいぜ。エアコンは好きにいじっていいから。」
部屋を漁られたり隠し物をイブキに見せられたりするような心配をすることはないと思い、レイジは部屋に戻ることなく中へ案内した。
「へーっ、いい部屋だなー。」
「俺のことは気にしないで寝てくれ。それじゃあ。」
レイジはドアを閉めてリビングへ戻ろうとしたが、イコイは彼を呼び止めた。
「いや、悪いよ。俺はカーペットで寝るからさ、君はベッド使ってよ。」
「ありがとう。でもいい。今日は合法的にリビングで寝られるからな。」
別に下の階の、自室でも寝室でもない所で寝たいという欲があるのではない。遠慮するようなことを言っても話がつかないので、部屋の外で寝たいというアピールをするのが合理的だと判断したがための発言だ。
「それじゃあお言葉に甘えて。君も鯛ラバに行くのかい?」
「朝には強くねえし、釣りも興味ないしな。起きたときの気分次第?」
こればかりは翌朝のイブキの気分次第というほかない。今の彼女は無理にでも叩き起こして連れ出そうと考えているが、一晩立てば気が変わるかもしれない。そうすればわざわざ起こされることもなく、そしておそらく自分だけでは起きられない。だからレイジは、イコイに起こしてもらうようなことは頼まなかった。
「そうか……Sランク最強の実力ってもんをこの目で見たかったのに……」
「何がSランク最強だよ。その上のS+ランクがポンポン増えていってるってのに。」
実力者が見たいのならそのS+ランクの一人であるイブキの姿を見ればいいじゃないかと、レイジは機嫌を損ねていた。
かれこれ二週間以上前になるが、レイジは新たなS+ランクの二人の争いを間近で見てきた。ゲーセン、スポーツ、カラオケ。あらゆる場で遺憾なく発揮し、一般人とは一線を画するその戦いはまさに雲の上の戦い。レイジはとても渡り合えないと感じ、その力の差を思い知らせられたのだった。
「君と似たようなことをずっと言ってる友達がいてさ、誰よりも先に能力に目覚めて当時最高だったAランクの最高峰と言われていたのに一年後に上が現れて、自信なくしちゃったんだ。」
イコイが語ったのは小学校からの付き合いである男子高校生、板橋茂吉の過去だ。彼は能力の目覚めこそ早かったもののそこから伸びることはなく、後から現れた能力者たちに追い越され今ではCランクにまで落ちてしまった。幸い家業に活かすことができているのでその能力が目覚めたことに嫌悪感を抱いているのではないが、単純に差をつけられたのが悔しいのだろう。
「良かったら彼を、元気づけてくれないかな? 今のままでもいいってことを、伝えてくれないか?」
「今のままでいい、ねぇ……」
レイジは不満げだった。現状に満足しているつもりなどまったくないし、今のままでいいなんて説得したくもない。常に上を目指すことが、進化の兆しに繋がる。それは必ずしも繋がるというものでもないが、諦めてしまえば間違いなくそこで止まってしまう。
「分かったよ。そいつをぶっ飛ばしてやるから。」
「ええっ!? なんでそうなるのさ!」
それはもちろん説得するためだ。置いていかれて悔しがる人に、今のままでいい、なんて伝えて納得させるつもりなど微塵もない。レイジは自分が彼の立場だったらと仮定して、まずそんな言葉はかけてほしくなかった。だから諦めるなと伝える。諦めては駄目だとモキチ自身が理解するまで、何度でも拳を振るう。レイジの決意は揺らがなかった。
「……分かった。君の判断を信じるよ。とりあえず、連絡先を教えてくれないか? モキチにも教えておいた方がいいかい?」
「そうだな。けどそいつの連絡先は教えてくれなくてかまわないぜ。向こうから連絡寄越してくるまで俺は何も言わねえからよ。」
レイジはイコイの連絡先だけ受け取り、自分のアドレスをモキチへ送るのを承諾した。これで一度でも彼からメッセージが届けば、彼のアドレスも把握できてそこからは送受信し放題だ。逆に一度も連絡を寄越さなければレイジからは一切送ることはできない。どちらを選ぶかは、モキチ自身の決断に委ねられている。
「じゃあ俺は下に戻るから……お土産とか別に要らないから。おやすみ。」
「おう、また明日。」
イコイは明日の鯛ラバを終えたらそのまま駅に向かい帰るつもりだ。明日の朝レイジが早く起きない限り、顔を合わせる機会はない。
また明日。この言葉が何を意味するのか、レイジには分かっていた。
「……またバイト頑張らないとな……」
リビングに戻る際にイヤホンだけ部屋から持ち出し、スマホのイヤホンジャックに挿し込んだ。リビングはまだ明かりが点いており、イブキもテレビを観ていた。
「お前も明日朝早いんだろ? 起きられるのか?」
「普段より三十分早いだけよ。そう言うあなたは大丈夫なの?」
イブキの頭の中ではすでにレイジの同行も確定事項にようだ。
「心配すんなら早く部屋戻ってくれ。寝られなかったらどうするんだ。」
「あっ、ここで寝るの? じゃあ部屋戻るわ。おやすみなさい。」
イブキはリモコンを手に取りテレビの電源を切ると、小さくあくびをして部屋を出ていった。
リビングの電気を消してソファーに寝転んだレイジはイヤホンを耳に入れてスマホの目覚ましアラームをセットする準備を始めた。これで外部に音を漏らすことなく大音量で鳴らすことができる。四時に一度、四時半に一度の計二度のアラームを鳴らせば確実に起きられるだろう。そう思ったレイジは画面をスライドさせながらアラームのメロディを一つずつ鳴らし、使用するメロディを選んでセットした。
目を瞑ってしばらく経つと、メッセージの通知音が鳴った。レイジは今晩は夜遅くまでやりとりする気力はないので通知を切り、今届いたメッセージも含めすべて無視しようとスマホを開くと、送り主は先ほどアドレスを送ったモキチだった。レイジは通知を切りにいかず、そのメッセージを読んだ。
「この店にいるってことか……話をしたいから来てくれないかって、俺が行くのかよ。」
メッセージに続いて送られてきた地図に載っているレストランは、モキチの家で経営している老舗だ。駅からはさほど離れていないものの、その駅へ行くまでに二時間ほどかかってしまう。
レイジは考え込んだが、行くと答えた。本当は実際に会ってから話をするはずだったのだが、あまり気にせずレイジは聞き出してしまった。同年代で二年前に発現し最初の能力者となったモキチの経験したこと、感じたこと。一つ一つを尋ねてはすべて事細かく答えてもらい、彼の本音を聞き出した。




