92話 映画はまた今度に
土曜日。今日から夏休みが始まった。玲司は朝早くに家を出て、電車に乗って遠くの町へ向かっていた。
「待たせちまって悪いな、千迅。」
「ううん。私こそ、こんな早くに来ちゃって……」
駅で待ち合わせをした約束の時間は午前十時。しかし今は九時過ぎだ。決して遅刻したわけではない。
時間を決めるとき直接話し合っていれば、チハヤがどれぐらい早く来ようと考えているかを読んでそれに合わせて家を出られたのだが、電話では相手の心は読めない。とはいえそれで妥協したのではなく、一時間前に着けるよう家を出たつもりなのだ。
ここはチハヤの通う高校、開明教育学院幕合高等学校の最寄り駅の一つ、海浜幕合駅。北には映画館、南には大型ショッピングモールを構える娯楽スポットだ。
そして、チハヤと合流した理由はこの前の期末試験でのことだ。寮住まいの彼女に頼んでわざわざ片道一時間半もかけて学校帰りに来てもらい、息吹に勝つための特訓に協力してもらった。そのためのお礼として、この近くで食事に連れていく。それがレイジのできる精一杯の感謝だ。
夏休みに入ったとはいえ、部活動で忙しい彼女は帰省している余裕はない。できてもお盆休みを迎えてからだろう。その時期はレイジも一度あの街に戻るつもりでもあるし、何より一ヶ月も後になってお礼を言うのも変なので、ならばこちらが向かおうということでレイジは彼女の寮の近くまで行くことにした。もう一つ、ただ単純にレイジがその町へ行きたいという願望もあったわけだが。
ひとまず駅を出て、北の映画館へ向かう。下のフロアにはゲームセンターがあり、休日は九時から営業を開始している。九時半からは上映も開始されるので、映画を観にやって来た客も多く、朝から賑やかだった。
「レイジは見たい映画とかあるの?」
「今は別に……チハヤはよく来るのか?」
夏休み初日であるためか今日から上映開始の作品もあり、家族連れやカップルで来ている人が多い。レイジの高校の近くには映画館はないので、この島に来てからは春休みとゴールデンウィークとに一回ずつ行ったきりだ。チハヤも実家はレイジの家とさほど離れていないが、高校に入学して入寮してからは歩いて行けるし、他の映画館でも片道三十分もあれば行けるようになったのだ。
「私はあんまり行かない。はまったら二回三回見たりするタイプだけどね。」
「いいなぁ……俺もこっちに来たかった。」
来る時期が悪かった。もう一年早く来ていれば、受験してチハヤの高校に通うことができたのだ。
「私も去年来たばかりだけど……人が多くて窮屈に感じるわ。特に休日は。」
チハヤも進学してからしばらくはこの町の環境に慣れずに苦労したそうだ。確かに電車を降りて改札に向かう階段を人が埋め尽くしている光景は気持ち悪い。改札も一ヶ所に横並びなので、出るまでに一苦労だ。チハヤは寮にいると普段は電車を使わない。だからこそたまに乗ると、その人の多さに気圧されてしまう。そして帰省すれば乗降客の数の落差で落ち着くらしい。
「そうそう。あの勝負、結局どうなったの?」
勝負、つまりイブキと交戦した三日前の期末試験のことだ。その前のマラソン大会が予想外に盛り上がらなかったという理由で一日繰り上げられたため、急遽チハヤに電話して一分間でアドバイスをしてもらうというめちゃくちゃな流れとなったあの勝負。結果としてはレイジの勝ちだが、その連絡はチハヤにはしなかった。
「ああ。勝ったぜ。お前のおかげだよ。」
「えっ、勝ってたの!? だったら連絡してよー。」
チハヤはレイジが負けたと思い込んでいた。だから彼から一切連絡が来なかったのだと。彼女も気を遣って触れないでおいたのだが、まさか勝っていたとは思いもよらなかった。
「だってそっちもテスト期間だったし、余計なこと言って邪魔しちゃ悪いと思ってさ……」
「言ってくれれば余計な心配しなくて済んだの! まったく……」
水曜日の放課後、突然電話をかけてからずっとチハヤはレイジのことが気がかりで、仮に負けていたとしても伝えてほしいと思っていた。それなのにレイジは、勝っていながら連絡をくれなかった。チハヤは完全に余計な心配をさせられていたのだ。
「罰として今日一日付き合ってもらうから。」
もとよりそのつもりで来たのだとは言えなかった。言ってしまえば要求がエスカレートするのは目に見えているので、レイジはわざと嫌がるような態度をとった。
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃん……」
「だってさ、こんな娯楽だらけの町いたらいくら使うか分からんし……」
金銭面に話題を逸らそうとするが、チハヤの機嫌は直らない。むしろ人を財布代わりに酷使するような女だと思われたのでさらに傷ついてしまった。
「あなた本当に人の心読めてるの!? そうやってどんどん痛めつけて、そんなに私のことが嫌い!?」
チハヤの剣幕に、レイジは一瞬たじろいだ。心は読めている。問題なのは、それを受けてとった行動が、尽く裏目に出てしまっていること。
「嫌いなら、頼ったりデートに誘ったりしねえよ!」
レイジは叫んだ。半分本心で、半分はチハヤの願望に応えるための嘘。それでいい。本心だけ言っても駄目なのだ。本心を言って傷つけるくらいなら、嘘を言ってでも喜ばせたい。それが彼の本心だ。
「いいよ、いくら使おうが。でも、楽しんでくれないと俺も困るから。」
「私だって、一緒にいられたらお金なんていらないわよ。ちょっと言い過ぎたわ。ごめんなさい。」
チハヤは決して嘘を言わない。本心を隠すことなくぶつけてきた。それは嬉しくもあり、逆に心苦しくなる。人の心は読めても自分の心は伝えられない、レイジの能力の長所にして短所。もし自分がもう一人いたら、なんてことを考えたがそんなことをしていても仕方がない。ともかく今は、本心込めて謝るときだ。
「俺も悪かった。せっかくの休日なのに……ごめん。」
「休日デートでしょ? レイジがそう言ったんだし。」
チハヤがそう思ってくれているならそれでいい。後は彼女の気がかりにしていることを取っ払うだけだ。
「ところで、今日は耀はどうしているの?」
「風邪引いて寝てる。わけはあれだ、イブキとの勝負の話とちょっと関係してくるからそのときに話す。」
ただの風邪なのに、ヒカリは今日で丸二日経った今も体調を崩している。まともに寝てないからこうなるのだ。
昨日も昼ご飯食べてからろくに眠らず、もう大丈夫と言い張ってゲームを始め、部屋に追い返してもベッドでゲームを続けていた。案の定夜中に風邪がぶり返し、今も寝ているとの話を聞いていた。だが問題はそれだけではない。
「そうだ。申し訳ないんだがチハヤ、あいつの勉強見てやってくれ。夏休み補習受けることになったんだ。」
「補習!? 何やってるのあの子は……」
チハヤに教わるとなれば、ヒカリも黙ってはいないだろう。対抗心を抱いてやる気を出してくれるだけでもいい。そうすれば平均点は越えてくれるだろう。レイジが教えても甘えるだけだ。
「試験前日に風邪引いちまってよ……遊んでたわけじゃないからあまり責めないでやってくれ。」
下手に刺激するようなことを言えば、ヒカリはレイジの体操着を着た自撮り姿を送りかねない。そうなってしまえばあらぬ疑いがかかってしまう。それを避けるための些細なフォロー、これもやり過ぎるとチハヤの気に障ってしまいかねない。何事もほどほどがベストだ。
適当にゲームセンターを回って、午前十一時を迎えた。十二時になるとレストランが混み始めるので、早めに向かうための切り上げだ。
特に盛り上がったのはエアホッケーだ。お互いに百円ずつ出し合い、片側二個ずつあるバレットを一つずつ持って戦う。
風を読んで打つチハヤと心を読んで打つレイジの白熱したぶつかり合いとなり、強く打つあまりいくつもパックをネットの上から吹き飛ばしたり、お互い満足するまで何度も小銭を注ぎ込んだりと、すでに丸一日遊びきったような疲労と達成感があった。
「……ってな感じで勝ったわけよ。」
「ふーん。私も見たかったなぁ。」
「んで、ここからヒカリが風邪を引いた原因に繋がるんだけど……」
レイジが話そうとしたところで手と口を止めた。視線が正面でなく店の外に向かっており、何を見ているのだろうかとチハヤも後ろを振り返る。
「あの二人、確か……」
外にいたのは津田沼浪郁と錦糸郁爽。両者ともチハヤと同じ開幕の生徒であり、前回の期末試験を持って新たにS+ランクと認可された能力者だ。今まで繋がりのなかった二人だが、同時に能力が評価されたうえに二人ともS+ランク上位であることからライバルの関係になったようで、事ある度に争い合っている。
チハヤも今まで面識はなく、試験後に少し顔を合わせた程度の付き合い。基本的に能力者は有名で、学力重視の名門私立でもチハヤのことはほとんどの生徒が知っている。もっとも彼女の通う高校には、他の能力者とは桁違いに強い神田玄という最強の存在があり、彼女の前ではチハヤでさえ霞んでしまう。
しかしハルカに匹敵する能力を持つ者が同時に二人も現れたことで、校内では話題を呼んでいたという。
「何やってるんだろ? あっ、こっち気づいた。」
ガラス越しにチハヤを見た二人は立ち止まっていた。そしてこっちへと歩いてくる。店の入口ではなく、やはりガラス越しに覗き込んでくる。いくら待たされようと店に入ってくるつもりがないので、人目を寄せたくないレイジは急いで食べ終えることにし、同じくしてチハヤも彼女なりに急いで食べ始める。
「あーっ、やっぱりチハヤだった! こんなところで彼氏とデートなんかしてぇ!」
「大和撫子の風上にもおけないわ! 殿方も離れてくださる?」
チハヤの高校はそんなに校則が厳しいのかというとそうでもないらしい。普通に交際している人は見かけるし、それをとやかく言われることもない。ただこの二人は異性経験がないため、たまたま男子といるのを見かけたチハヤを僻んで突っ掛かってきただけだ。
「ちょっと待って。この人は別に彼氏なんかじゃ……」
「ああ。部活で知り合った友達だ。」
チハヤがそう言うのであれば自分も合わせよう。レイジは正直に否定した。
「そ、そう……ならいいわ。」
「見苦しいところお見せしました。」
一言ずつ言っただけで信じたうえ、仲間として認めていた。けれども話はそれで終わることはなかった。
「ねえイクサ? どっちが先に彼氏できるかで勝負すればいいんじゃない?」
「そうねナミカ……じゃあ……」
「ちょうどいい人がいるしね……」
チハヤがSNS上に写真をアップしている傍らで何かひそひそと話している。囁き声でも無意味、レイジには心の声が丸聞こえだが、それができたところで回避できるというわけではなかった。
「どっちがあなたの彼女に相応しいか勝負よ!」
「なんでそうなったの!?」
混乱しているチハヤに、レイジは今の状況を三行で伝えた。
「そ、そんなの……認めないわ!」
「認めるもなにも、あんたの彼氏じゃないなら問題ないでしょ?」
「癪だけどいるのよ! この人に彼女が!」
チハヤの訴えに、冷たい空気が流れた。そして沈黙を破り、言葉は止まらなかった。
「なぜ!? 意中の方がおりながら、他の女と会瀬を重ねていたというのです!?」
「見損なったよこの浮気男!」
「だから友達だって言ったろ! 今日はあれだ、試験勉強手伝ってくれたお礼をしにだな……」
その試験勉強に至る過程を話すとなると面倒ではあるが、家が近くで部活を通して知り合ったのなら、名門私立に通うチハヤに教わるのは何ら不思議ではないという結論に至りそれで話をつけた。
「ではこの際殿方論争はおいといて、どちらが殿方に相応しい女かどうかの勝負にしましょう。」
「おいといてないじゃん。」
イクサの提案したのは、単純な優劣で勝敗を決するのではなく、男から見てどちらが魅力的かのアピールをするというものだった。そしてその内容は、この駅周辺のアトラクション、つまりほとんど体力勝負だ。
「最初はこれね。」
先ほどレイジとチハヤがやっていたエアホッケーだ。ナミカとイクサは両手にバレットを持ち、そのままプレーしている。利き手でない左を上手く使いこなせていないイクサとは対照的に、両手を自在に動かし器用に立ち回るナミカが圧倒していた。
「器用だな。奥の子は。」
「ナミカは両利きなの。前から有名だったわ。板書中にスマホ開いてとんでもない速さで文字を打てるって。」
両利き。今となってはその発展といえる能力が目覚め、一度に二人までの能力や動きをコピーできる。それがナミカの能力だ。
「一方イクサは背中に生えた十字の物体を自在に操るわ。投げたり、羽にして飛んだり、武器に変形させることもできるわ。」
イクサは能力発現とともに背中に十字の物質を生やすことができるようになった。それは変幻自在で、取り外し自由という汎用性の高いもの。
「でもここじゃあ、使いようがないな。仮にあっても、ナミカにはコピーがあるし、アドバンテージは取れない。」
「だから一応、ナミカの方が順位は上なのよ。私たちからすれば、雲の上の存在だけどね。」
レイジはチハヤと一緒にその戦いを見守っていたが、そこに二人の女性客が通りかかった。
「見てくださいよ奥さん。あの子たち朝からあんなにはしゃいでますわよ。」
「まったく女の子なのにはしたない。この近くは名門校に通う子たちが多いというのに、あんな子もいるのですね。」
その名門校の生徒なんです。心の声に限らず通り道からひそひそ話が聞こえてくるレイジは、心の声で嘆いた。そんなことをしても向こうには通じないわけで、彼女たちの視線はレイジの方へと変わった。
「あの男! さっき連れの女の子相手に容赦なく打ってた男ですわよ奥さん。」
「まあ! あの玉をポンポン外に飛ばしてた迷惑行為をしてたあの!」
「名門校に通う優等生もいるのにこんな暴れる生徒もいるのね。」
「劣等生ですよ劣等生!」
すみませんこの人たちがその優等生です。でもそうですね。確かにあれはもう怒られても文句を言えません。レイジは気づかないふりをするが、容赦のない心の声に胃が痛くなってくる。とはいえ、もうすぐタイムアップだ。もう少しの辛抱、そう思っていた。
「ふっ、この勝負、私の勝ちねイクサ!」
「こうなったら、見せてあげます、私の能力!」
タイムアップ目前のところで、イクサは十字の物質を回転させパックを風で吹き飛ばした。当然吹き飛んだパックはテーブルの枠にあるゴールに入ることはなく、場外へと飛んでいく。テーブル上のパックが次々と外へ飛び散り、他の筐体や客の所へぶつかっていった。
案の定店員に見つかり、ゲームを中断して店の外へ出て行かざるを得なくなってしまった。
「あれは無効試合ですね。」
「仕方ないわね。飛ばし返せなかった私の失態よ。でも次はないから。」
「まだ終わらないの!?」
そう。ナミカとイクサ、二人の戦いはまだ終わらない。戦いの舞台はショッピングモールへと続く。




