91話 それはそれは美味でした
最寄りのスーパーまで片道一キロメートル。歩いていくと十五分といったところか。七月下旬という夏真っ只中の昼下がりに、外を歩いて買い物に行くにはやや時間が長い。一食分とはいえ四人分買わなければならないので、荷物の量も膨大になるだろう。
疲れるからという本音を腐るからという建前で吐露した玲司は自転車小屋に向かい、鍵が差さりっぱなしになっている一台を引っ張り出した。
「残念だが使えるのはこれだけだ。耀に聞いて鍵を借りてくるんだな。」
「せっかく寝てるのに悪いわよ。それに自転車使うほどの距離じゃないし。」
未来たちからすれば、これぐらいの距離は通学路で歩き慣れている。夏場だろうと安易に車に頼らない習慣が自然と身に付いているのだろう。
「行きはともかく、帰りは食材が温まっちまうと思ってな。だから行きはお前が乗ってていいぜ。」
「あなたの走るスピードに合わせて漕ぐ自信はないわ。」
走りの遅いレイジには気を遣われたくないという意味の応えに、レイジはカチンときた。おもいっきり漕いで置いてきぼりにしてやろうと思ったが、ミライも自分の足で向かうつもりはなかった。
リタキャリアに横を向いて腰掛け、レイジが乗るのを待っている。すなわち乗せていけという合図だ。
「いいか? 俺たちのやっていることは道路交通法違反だ。見つかれば補導、罰金は覚悟のこと。」
「ええ、分かっているわ。それなら私たちのすることは一つ。」
レイジが心を読み、ミライが鼓動を聞く。これで周囲の警察官や通報者の動向を先読みし、逃走なり口封じなり最善の手を取って立ち回る。バレなきゃ犯罪じゃないを体現するためには手段を選ばない。それが公道での自転車二人乗りをする者たちとしての覚悟だ。
「常に人目につかないルートを選択する。しっかり掴まっていろよ。」
「分かってるけど、変な道は通らないでよ?」
レイジは返事をしなかった。そして周囲に障害物がないことを確認すると、ゆっくりと自転車を漕ぎ始めた。
平日の日中、普段なら人通りは少ないが、終業式を終え出かけに行く学生がちらほらと見られる。なるべく顔を見られないように、前髪で目元を隠して進む。目で見えなくても心を読めば前にいる人の動きが分かるため、ぶつからずに進むことができた。
「二人乗りなんて初めてだけど、不思議と悪くないものね。」
レイジの背中にしがみつくミライは独り言を洩らした。彼女の思っていることには、彼も共感できた。
「他の人がやってるのを見て、そんなにドキドキするものかと思ってたけど、その気持ちがよく分かったわ。」
「同感だな。うざってえカップルだって思ってたけど、法律破ってまでして乗りたがる気持ちがよく分かる。」
高校の帰り道に堂々と二人乗りを始める学生も度々見かける。その度にイライラし、教師に告げ口してやろうかと思ったレイジは、こうして自分も経験することで彼らの心情を理解することができたのだった。
「本当は人目なんて気にせず進みたいわ。」
「いや、あえて人目について走ることにリア充アピールできて優越感に浸れるんじゃないかって思うぜ。あとは法に逆らうことに対する背徳感だろ?」
法を破ることに限らず、悪いことだと分かっていながら人前でやってのけることに自己満足を得る。そんな理由でちやほやされたがり、その上痛い目に遭わずに自由でいる人間は何度も見てきた。しかしこれからは彼らのような人に会っても嫌悪感は抱かなくなりむしろ見て学ぶ材料として見るだろう。
「……彼女の自転車に他の女乗せて漕ぐ背徳感ってことかしら?」
「お前じゃなきゃ乗せねえよ。」
その言葉にミライが動揺したのがすぐ分かる。今のは周囲への警戒を高めるための相方として彼女以外は乗せないという意味で言った。そういうことにすればいい。
しかしレイジは自分に嘘はつけなかった。
「本当にそれだけの理由?」
ミライの質問に、はいともいいえとも答えることはできない。言葉にしてしまえばそれは嘘か本当か見抜かれる。今の問いかけには、素直にイエスと答えることはできなかった。
「私はあなたの後ろにしか乗らないけど?」
レイジは一瞬ドキッとしたが、ここでミライのペースに乗せるわけにはいかない。
「他に誘う相手がいねえだけだろ?」
「余計なお世話よ。」
ミライは右手で握りこぶしを作るとレイジは脇腹へ押しつけた。不意討ちを食らい奇妙な声を洩らしたレイジは手元がふらふらしてハンドルが不安定になる。これは危険だと思い咄嗟にブレーキをかけると、転倒する前に足を地面につけられたものの横に腰掛けているミライは後ろへ倒れてしまい勢いそのままに落下してしまった。
「……大丈夫か?」
「え、ええ……平気よ。」
背中から落ちたものの頭と背中に手を回して勢いを抑えたおかげで大きな怪我をすることはなく、無事に助けることができた。後ろに倒れたおかげで足が車体の下敷きになることもなかった。代わりにレイジは足が巻き込まれたもののたいして痛みは感じなかったので、些細な問題だったのかもしれない。
レイジの足が挟まっているのを見て、ヒカリはすぐに体を起こして自転車を立てた。足が自由になるとレイジも立ち上がり、手や服についた砂利を払った。
「サンキューな。自転車起こしてくれて。」
「こっちこそ、その……助けてくれてありがとう。」
誰も怪我することなく済んだのは良かったが、ミライが取った行動にレイジは納得がいかなかった。
「まったく……落ちるって分かったら掴まれよ。」
「でも、巻き添えにしたくなかったし……その手、怪我したの?」
レイジは大げさに手の甲を擦っていたが、少し皮が剥けた程度だ。ミライがコンクリートに後頭部を強打せずに済んだのなら、この程度の傷くらいどうということはない。
「別に、このぐらい……」
しかしハンドルを握るレイジの手にはあまり力が入っていない。ミライはリタキャリアには乗らず、スーパーへ向かって歩き出した。慣れないことをしたがゆえの結果だと認め、もう二人乗りはやめようと考えていた。そのためレイジも彼女に合わせて歩いていき、自転車は押していった。
「ただいま。」
「おかえりなさいです、ミライ。荷物預かりますから、少し休んでいてください。」
買い物を終えヒカリの家に戻り、インターホンを押すと刹那が出迎えた。ビニール袋を受け取ると台所へ向かい、準備を始める。
「付き合ってくれて助かったわ。料理は私たちがやるから、後は任せて。」
「……俺もやるよ。」
レイジは腰を下ろすことなく台所へ向かった。そしてセツナの隣で手を洗いに行くと、汗臭いとあしらわれている。そこからのやりとりはいつも通りで、頭にきたレイジが濡れた両手を勢いよく開いてはセツナの顔に水を浴びせている。
「レイジ、意地悪しないの。それにあなた料理できたの?」
「ない。」
レイジは手から垂れた水を床に落としながら、その手を止めることなくセツナの顔を狙う。料理をしたことがないのに手伝おうとしているのは冗談で言っているわけではないことを言葉で伝えるため、一通り撃ち終えるとその手をタオルで拭いてミライの方を向いた。
「お前たちは普通に作っていてくれ。俺は手伝えることを探して端っこでチマチマ作業してるから。」
タオルをそっとセツナへ投げると、買ってきた袋の中を漁り一つ一つ食材を取り出した。二人が作ろうとしている物とそのための調理手順を読み取れば、どこで何を使うかを先読みして並べておくくらいならできる。そのアピールだ。
その後も調味料や冷蔵庫に入れた具材の用意、使わなくなった食器の後片付けなど、レイジは言われる前に行動してはミライたちの仕事を少しずつ減らしていった。些細なことだが、普段昼食を摂る時間よりずっと遅くになってしまっている今、一分でも早く作業が進むのは嬉しいことだった。料理ができない身としてただ一人待っているよりもマシな選択ができたとレイジは安堵していた。
「意外と役に立ってくれましたね。不本意ですが感謝します。」
「まっ、俺にかかればこれくらいどうってことねえ。」
「でも料理は勉強しなさいよ。」
「はい……」
あれだけのことで褒めてもらおうだなんて思っていない。が、だからといって料理含め家事なんてものを練習しようとは思わなかった。ミライもそれに気づいていたが、強制はしてこない。彼女自身しっかり料理はできるので、そこまで世話を焼く必要はないと思っていたからだ。
そして、レイジの本領が発揮するのはここからだ。
「ほらよ。セツナの好きなアイスだ。」
「わぁーっ、ありがとうございます! これ今日食べたいって思ってたところだったんです!」
だから買ってきたのだ。わざわざ自転車で行ったのも、なるべく溶けないよう早く帰るため。二人が料理している間に袋を漁りつつ、こっそり冷凍庫へしまっていたのだ。
「ミライにはこっちだ。」
「なんかこそこそしてると思ったら、そういうことだったのね。」
とりあえず見せはしたが、今から昼ご飯の時間だ。だというのに、我慢できなかったセツナは蓋を開けて食べ始めている。空腹に耐えて手間のかかる料理を終えた自分へのご褒美のつもりだろう。そしてミライもつられて袋を開けていた。
「そろそろヒカリ起こしてくるから、あんまり食べ過ぎるなよ。」
「あっ、買ってきてくれたお礼です。一口あげますよ。」
セツナはスプーンで掬ったアイスをレイジに向けて伸ばした。よほど美味しかったのかテンションが上がっており、けれども全部自分で食べきろうという食い意地は張っていないようだ。
「いらねえって。なんでわざわざ飯の前にアイスなんて食うんだよ。」
「そんなこと言わずにさあ、さあ!」
グチグチと言い出すレイジの口へ、自分も使った紙スプーンを突っ込んだ。確かに美味しいが、問題はそこではない。
「てめえ、俺のファースト間接キスをこんな形で奪いやがって! 初めてだったのに、どうしてくれるんだ!」
「キス!? 私、別にそんなつもりじゃ……」
狙ってようが狙ってまいが結果が変わることはない。ちなみにファースト間接キスの定義というものは他者が口にしたものを自分が口にするということであり、自分が先に口にしたものを他者がどうこうしたところでそれはノーカウントとなる。すなわちレイジが使った箸やスプーンを舐められようが吸われようが無効、無関係ということだ。
「……レイジ。」
横を向くと、ミライが凄まじい形相で睨んでいる。手に持ったアイスが震えるほどに、彼女は怒っていた。これ以上巻き込まれるのは御免だと言わんばかりに、レイジはこの場から離れようとした。
「と、とにかく、俺はヒカリを起こしてくるから、アイスはもう片付けとけ! それから……」
「何を騒いでいるの、レイジ。」
ヒカリはすでに起きており、というよりさっきのレイジの大声によって起こされており、気が動転している間に台所に着いていた。まったく想定していない最悪の事態に焦りが止まらず、レイジは黙りこくるしかなくなった。
「ヒカリはいつまでそんなの着てるの。早く着替えてきなさい。」
「あっ、そうだよね。私の匂いが付いちゃうとレイジの匂いが薄まっちゃうからね。」
ヒカリは浴室へ向かい、下着だけ脱いでシャワーを浴びにいった。体の汗を流すついでに、体操着の匂いを落としにいくらしい。
「あいつ風呂の中で何やっているんだ?」
「人には知らない方がいいことがあるのよ。」
ミライたちも深くは追求しなかったようで、上機嫌でシャワーを浴びるヒカリのことはレイジ自身も避けたいと感じていた。
「わぁー、すごい豪華! 二人ともありがとー。」
「作ったのは私たち二人だけじゃないわ。そうでしょ、レイジ。」
協力こそしたが作ったとは言えない、なんて屁理屈を言う場面でないことは分かっている。ここは素直に感謝され、感謝する場面だ。
「俺だって何もしないわけにはいかなかったしな。あっ、残念だが俺の作った料理はないぞ。」
ヒカリは最初にレイジが作った料理を当てて食べようとしていたが、彼女の期待には応えられない。
「じゃ、後は飲み物だな。三人は座って待っててくれ。」
レイジはそれぞれの好みであるジュースを取り出し、さらに個々の望んでいる数の氷を黙ってグラスに入れる。そしてストローの袋を開け、一人ずつ色を選びグラスに差し込んだ。
「お待たせ。ヒカリ、エアコンも付けていいか?」
「いいよいいよ。好きに使って。」
快適な室温、豪華な食事にそれを用意するまでの苦労。皆が皆、今までの中で一番幸せな食事の時間を過ごした。




