90話 服の用途は十人十色
終業式が終わった。成績表が配られると同時に能力測定の結果が出された。玲司は相変わらずSランクのトップ。一昨日の勝負でS+ランクの息吹に勝利したにもかかわらず、昇格はできていなかった。しかし勝敗が順位に直結するわけではなく、能力自身の成長によるものだ。つまりあの勝負ではレイジの能力はまだ伸び足りなかったということになる。
前回から変わらずSランクは十人。しかしその上のS+ランクが四人から八人に増えていた。
そして昇格も降格もしたわけではないが、順位が入れ替わっているところもちらほらと見られる。例を挙げればレイジの一つ下、つまりSランクのナンバーツーは華燐から智絵に変わっている。能力の見直しがあったのだろう。
Sランクが増えていないのも、ちょっとした問題だ。Sランク最初の六人によって結成された集団‘ヘキサフリート’に対抗してレイジが企画したSランク以上のメンバー六人の集団ネオ・ヘキサフリート。そのメンバーがレイジ、藍子の二人から増えない。かといってS+ランクから選ぼうにも、新しく入った四人全員が最初の四人より高順位であるため差が大きすぎる。せいぜいギリギリS+ランクに入るくらいの人が欲しいところだった。
話を戻して学力試験の方はレイジはクラス内トップ、学年でも五指に入る高得点を取り、能力者、いわゆるEランク以上とされている校内六人の中ではトップだった。
もっとも能力と学力は基本的に比例しないし、試験中の故意の発動は禁じられている。しかし心を読めるレイジには関係のないことであり、逆に視覚と聴覚を操りカンニングし放題の星香は教室に監視カメラを設置するだけで不正ができなくされていた。しかし彼女の能力ランキングは全体で二位であり、マラソン大会での無双っぷりからすればその存在は脅威だ。下手に成績を自慢しに行けば痛い目に遭わされるのは間違いないだろう。
とにもかくにもこれで一段落つき、明日からは夏休みだ。しかし、出鼻から厄介な問題があった。
「やだよぉ補習なんて……レイジも来てよぉ……」
一日目の午後、幸いにもイブキの打ち上げた大波によるずぶ濡れを回避したにもかかわらず、そして予備の着替えがあるかを確認もせずに、濡れた人に着替えを貸しているのが羨ましくなった耀は自らプールに飛び込みたいと言い出した。隣にいた小通に押してもらい全身水に浸かった結果、その日の夜に風邪を引いてしまい前日復習ができないまま試験を迎えてしまった。
風邪と分かった段階で諦めて寝ていればよかったものの、レイジに借りた体操着を抱えたままベッドに横たわった結果ろくに眠れなかったらしい。当然熱は下がらずふらふらした状態で登校し、全然集中できず試験に臨んでしまった。そして今日返却された試験の中で一つだけ三十点を切っており、夏休みの間に補習を受けなければならなくなってしまったのだ。
レイジは昨日の朝ヒカリに電話して体調を聞いたとき、ろくに会話が続かないので休んで別の日に受けろと言ったのだが、一緒に休もうと言ってきたのでそのまま切ってしまった。そしてヒカリは無理してその日に受けに来て、いろいろと台無しな結果に終わったのである。
「鞄は持ってやるから、来たからには頑張って歩いて帰れ。家まで着いていってやるから。」
家の方向はレイジと逆だが、一人で帰らせるわけにもいかない。ヒカリを一人にさせるとどうなるかは、文化祭のときに痛いほど知ってしまったのだから。
「……なんで昨日お見舞い来てくれなかったの?」
「昨日はイブキの世話で忙しかったんだよ。話も長かったし。」
二人は一緒に住んでいるから優先するのも不思議ではないのだが、ヒカリはとても不満げだった。
「だからって私のこと放っておかないでよ! おかげで補習よ補習!」
「お前は風邪を引いた原因から全部自業自得なんだよ! あと俺は体操着返してもらうためにお前んち行くのであってお見舞いはついでだからな!」
体操着を返せと言われてヒカリは驚き顔になる。あたかも自分の物にしていた物を無理やり寄越せと言われているかのような表情だ。
「あれ夏休み中寝間着と部屋着にしようとしてたのに……」
ぶかぶかのシャツ一枚。それでも夏にはちょうど良いと思ったヒカリは、二枚あるレイジの体操着を貰ったつもりで考えていた。確かに帰宅部であるレイジにとって学校指定の体操着など夏休みの期間は必要ないが、それでも手元にないと落ち着かないものだ。
「風邪引くし、女子としての自覚が足りねえよ。頼むから余計な心配させないでくれ。」
それでも一着だけでもと言って聞かないヒカリに、レイジは強行手段に出ることにした。昨日の時点で二着とも乾いており、彼女の部屋のクローゼットの中にまとめてかけてある。ズボンも含めハンガーごとでも持ってくればすぐに回収できる。後は走って駅まで行けば、いくら速力で劣っていても風邪でふらふらの人がまともに追ってこられるとは考えにくい。家の人が帰ってきて面倒なことになる前に、素早く持ち去りたかった。
「うちの親、今日帰り遅いって……レイジが来るから任せられるって……」
つまりレイジが早々に家を出てしまえば、ヒカリは長時間一人で留守番になってしまう。彼は今まで組み立ててきた作戦を諦め、しばらく家にいてあげることにした。
「分かった。家にいてやるから、早く帰るぞ。」
「……歩きなの? カリンさんはおんぶしてたのに……」
そこまで我が儘を聞いてあげたくはないが、拒否したらしたで面倒なことを言ってきかねない。レイジは自分の鞄をイブキに預け、持って帰ってほしいと頼みに行った。そしてヒカリの鞄と自分の着替え袋を彼女に背負わせ、そのままおぶって駅まで歩いた。
「ほらっ、着いたぞ。」
ヒカリの家の玄関に着くと、鞄から鍵を出して開けてもらうため一度背中から降ろした。夏真っ盛りの昼過ぎのせいで、レイジは汗だくになっていた。ワイシャツのボタンを外し、上着はシャツ一枚になるがそれでも暑い。しかし無事に彼女を家まで送ることができたので、レイジは一安心していた。
「先に風呂入ってきな。着替えくらい取りに行けるだろ?」
レイジは玄関のドアに寄り掛かるように座り、腕や足を休めていた。先に汗を流されたいという気持ちもあったのだが、それ以上に彼は今休みたかった。
「……一緒に、入ろ?」
「風邪じゃないときなー。」
ヒカリはとぼとぼと部屋に戻り、着替えとタオルを取りに向かった。
「お風呂出たよー。」
確かに浴室から出てはいるがまだ服を着ていない。そんなことで扉を開けてサービスシーン突入なんていう事故に遭遇してしまうほどの無用心ではない。早く出てくれと急かすとようやく体を拭いて服を着始め、洗面所から出てきた。案の定、レイジの貸した体操着一枚だ。下に下着は履いているものの、上下一枚ずつだけという破廉恥な格好だった。
「もうそれでいいから、そのまま寝てろ。俺も入ってすぐ出るから。」
ヒカリに鞄を渡して着替えを持ち、レイジは浴室に向かう。
さすがに一緒に洗うわけにはいかないので、着てきたシャツ等は浴室まで持ち込んだ。
「あー、やっぱり私服は動きやすいわー。」
シャワーを浴び終わると体が軽くなったレイジは、着てきた制服を片付けて洗面所を後にした。このままいつも通り牛乳をイッキ飲みしたい気分だが、他所様の家の冷蔵庫を勝手に漁るわけにもいかない。代わりに持参した水筒の麦茶を飲んで喉を潤した。
レイジはヒカリの部屋に向かわず、リビングのソファーに腰かけた。家の中くらい近ければ顔が見えなくても心の声が聞こえるので、無理に側にいる必要はない。飲食や排泄など、ヒカリの希望通りに適宜動けばいいということだ。それに彼女もレイジに見られていては、やりたいことも満足にできないだろう。レイジは気を紛らわせるためにイヤホンを取り出し、大きめの音でゲームを始めた。彼女が脳内で情事に没頭している時間は一回当たり十五分。それまでは外音をシャットアウトしても問題ないだろうという考えの元、十分ほどはゲームに熱中しているようにした。
しかしゲームに熱中するあまり、レイジは時間を見失ってしまった。耳栓をしていることを忘れ何も聞こえてこないことを疑問に思わず、かれこれ一時間ほど続けてしまった。彼がそのことに気づいたのは、ゲーム中に電話がかかってきたせいで突然画面を切り替えられてしまったときだ。
レイジは焦ってイヤホンを外すと、玄関の外に来客がいることに気づいた。彼女たちはさっきからインターホンを鳴らし続けているもののまったく応答がなく、眠っているヒカリはともかくリビングにいて出てこないレイジに怒りの電話の抗議をしてきた。玄関にいるのは分かっているので、わざわざ電話には出ずドアを開けに行く。
「えーっと……何か、用かな?」
ドアを開けた先にいたのは未来と刹那だ。二人は昨日もお見舞いに来たのだが、まだ体調が良くないヒカリを心配してアポなしで訪問してきた。せめてヒカリがこのことを知っていればと恨んだが、ここまで来てしまってはどうしようもない。セツナはともかく、レイジが家の中で何をしていたかはお見通しのミライはそれはそれはご立腹だった。
「わざわざありがとな。それは届けてやるから、気をつけて帰れよ……」
レイジはミライが買ってきたスポーツドリンクを取ろうとすると、それは振り上げられ彼の脳天に直撃した。床に突っ伏す彼をよそに、二人はヒカリの部屋へと向かっていった。
「ヒカリ、入るわよ。」
ミライはヒカリが眠っているのが分かっているため、返事はなくとも部屋へと入る。しかしミライは彼女の服装を見て絶句した。
そう。ヒカリはミライたちが来ることなど想定していなかったので、レイジに貰ったと思い込んでいる体操着一枚のまま、そしてシーツ代わりにもう一枚を抱えて眠っていたその姿をバッチリ見られてしまったのだ。そして何より、ヒカリはまったく寝苦しそうにしておらずむしろ幸せそうな顔をして眠っている。
ミライは抱えているシャツを引き抜こうとしたが、思ったほど簡単には抜けず強引に引っ張ると彼女の体ごと動いてしまい、セツナに咎められた。
レイジはヒカリの部屋からおぞましい殺気を感じると、すぐに家から出ようとした。しかし着替えはリビングに置きっぱなしだということに気づき引き返したが、再び出ようとしたところで鉢合わせてしまった。
「何逃げようとしてるの?」
「急用を思い出してなー。それじゃあ……」
横を抜けようとしたところ襟ぐりを掴まれたレイジは、そのままヒカリの部屋まで連行された。
「これはいったいどういう状況なのかしら?」
「……父親のシャツじゃないのかな。」
ミライも確信があったわけではない。ヒカリの体格には大きすぎるシャツを着て寝ていただけかもしれない。しかしわざわざ同じ柄のシャツを抱えているのはどう考えても不自然。彼女は直感で彼を疑った。そして案の定、彼は嘘をついて鼓動を乱していた。
「もうヒカリはこのままでいいです。きっともう手遅れですよ。」
セツナはヒカリの現状についてはもうレイジを責めることはしなかった。下手に更正させようとしたらまた別の禁断症状が発生しかねないという懸念があり、彼女はもう好きにしてくれというなげやりな言い方だった。昨日聞いていた風邪の原因からすれば、彼女の取っている行動はさほど不自然に思えないらしい。
「じゃあ俺、帰るわ。ヒカリのことよろしくな。」
レイジはシャツの奪還を諦めた。一度味わってしまったヒカリから取り返してしまえば、欠乏に堪えられなくなってもおかしくはない。むしろシャツ三枚の犠牲で済むならましだと思い、それらはもう置いていくことを選んだ。
「あっ、それなら私も一枚借りていいですか?」
セツナの言葉にミライの顔が険しくなる。しかし彼女たちと違い、その理由は健全なものだった。
「また衣装作るときに、寸法は記録しておいた方が良いと思いまして。レイジもまたやりたいですよね、ライブ!」
「まっ、悪くないとは思ったけどさ。」
文化祭のライブ。ヒカリの思いに応えられず何度も悲劇を生んだつらい記憶だが、演奏している時間は確かに格別だった。できることなら、もう一度ステージに立ちたいとレイジは願っていた。
「それなら今度借りますね。落書きとかしませんから、安心してください。」
「ああ。また機会があればよろしく頼むぜ。」
普段はツンツンしていながら、根はすごく良い子だと感じたレイジは、セツナの頭をわしゃわしゃと撫でる。子ども扱いはやめてほしいと手を振り払う様子はいつも通りだった。
「私はいらないわよ。」
「もう余ってねえし、あげるなんて一言も言ってねえよ。」
欲しいなんて言ってないと返すミライとは言い争いになり、騒がしいとセツナに叱られ部屋から出されてしまった。
「出てきたついでにコンビニ行ってヒカリの昼ご飯買ってきてくれるか? 俺はこのまま帰るからよ。」
「私たちも食べてないのよ。あんたは食べなくてもいいから、ちょっと手伝ってくれる?」
全員分の食事の買い物と荷物持ちか。また外に出て重い物を持つのは面倒だが、料理で手伝えることはないのでせめてここは協力しないといけないと思ったレイジは財布だけ持って家を出た。




