88話 水面下の思い
上位十人が、しかし三人を残して失格となったため、上位三人が表彰台に上がった。順位は上から耀、玲司、星香。一人ずつ順番に金、銀、銅メダルを渡されるが、受け取った三人も失格となった他の生徒も誰もが納得しない結果となりざわざわしていた。
「なあんで私が一位じゃないわけえ?」
「あれだけちんたら走っているやつが一位になんてなれるわけねえだろ。ここに上がれただけでも喜べ。」
セイカは周りの人の視覚を操り、カーブの位置を錯覚させていた。そして本来の位置より前で曲がり始めてしまった人は内側にある縁石を跨いだり躓いてそのまま倒れ込んでしまったりしてコースアウトしてしまい失格となってしまう。
体力に自信のないセイカが一昨日から考えていた秘策であり、自分以外全員脱落させることで一位を獲ることを狙っていた。そんな動きを読んでいたレイジは、コースの内側全体を囲う縁石を利用して、常に沿って進むよう左足を引き摺って進んだ。視覚も聴覚も当てにならないため、触覚にすべてを委ねる。そして途中でセイカに突き飛ばされて脱落させられないよう、常に他人の思考を読む。すぐ後ろを付いてくるヒカリにさえも、裏切られても凌げるように警戒を解かなかった。
結果セイカはレイジたちを落とすことも追い抜くこともできず、大きく離された状態でゴールされてしまった。銅メダルを貰えたとはいえ、三人中三位という結果に苛立つ気持ちは分からなくもない。
「そして何ヒカリはちゃっかり俺を抜いてんだよ。」
五周目のラストカーブで、レイジはヒカリに外側から追い抜かれた。カーブの終わりがゴール地点となり、ここで抜き返さなければ一位はない。レイジは外側を走り抜き返そうとしたが、素の走力が低いため大回りした分逆に差を広げられてしまい、結果二位に終わってしまった。ゴール直前までは順位より完走することを第一としていたヒカリはレイジの匂いを頼りに彼のすぐ後ろを付いていたが、突然抜いてきたのでレイジも対応が間に合わなかったのだ。
レイジは一位を獲りたいと思っていたわけではないが、自分を盾に歩いていながら最後の最後に美味しいところだけをかっさらっていかれたことで機嫌が悪くなっていた。
「こうすれば、目線が合うかなって……」
表彰台の一位と二位の台の高さの差。これによって二人の身長の差を縮め目の位置を揃えたかった。それがヒカリが前に出た理由だ。想定通り二十センチメートルほどの台の高さの差は二人の身長差を五センチメートルほどまで縮め、ヒカリが背伸びをすれば二人の目線はほぼ同じ高さとなった。
しかし思ったほどの幸福感はなく、ヒカリの辿り着いた結論はどうしようもないものだった。
「横に立つと顔が見ずらいね。ステージに立つレイジを正面から見たかったな……」
文化祭のときは一緒にステージに立ちたいと言っていたのに、なんとややこしい理想を掲げてくるのだろうか。ここまで締まらない結果になったのも、すべてセイカのせいだ。そうは思いつつも地味や対策しか使えなかったレイジの方も、まだまだ未熟だったと悔やんでいた。
「んー、なんか締まらないので、明日予定の試験も今から始めますね。」
「ちょっと待てぃ!」
明日の試験、つまりレイジとイブキの一騎討ちだ。校内三強の内二人の勝負だというのに、盛り上がらないという理由だけで日程を繰り上げてくるのは納得がいかない。誰が出るのか公表されてないにもかかわらずクレームを言い放ったレイジに対し、その教員は素っ気ない態度で突き返した。
「嫌なら棄権すればいいぞ。無様に負けるのを見られたくないならな。」
決めたことを変えるつもりはなく、一年生全員に競技内容を説明した。
「ここからは個人での試験。無関係の学生は、見学するなり帰宅するなり好きにしろ。そして戦う二人は辰巳息吹、そして三門玲司だ。」
周りからは歓声が上がる。しかし当の二人はまったく騒がない。
なにせレイジは秘策こそ練っていたもののそれを実践して身につけることができておらず、試験が明日だと分かっていたので今日の放課後に取り組むつもりでいたのだ。これでは勝つどころかボロ負けし、イブキから相変わらず実力を認めてもらえないだろう。
ここで彼女に認めてもらわなければ、頼ってもらえるようにならなければ、イブキは過去を告げることができず十四哉とは仲違いをしたままだ。イブキのためにもなんとかしたいが、そのためには勝たなければならない。勝つための貴重な機会を、一日繰り上げたからという理由で無駄にして終わりたくはない。
「いいぜ。やってやる。」
レイジは勝負を承諾し、イブキに目を向けた。彼女も彼に目を向け、すでに臨戦態勢に入っている。
「よし、それでは二人はプールに来い。服装の変更は自由だが、十分後には済ませておくように。」
教員が次々とプールに向かい、準備を始める。レイジは表彰台から降り、一度教室に戻った。
教室に着くとレイジは鞄を漁り体操着入れとスマホを取り出す。勝負開始まで後七分。ゆっくりしている時間はないので、一か八か、一度だけ電話をかけてみることにした。
「レイジ、勝てそう?」
「確率が上がるかは今からの電話次第だな。」
おそらく今は能力試験の真っ最中かもしれない。可能性は低いが、他に打てる手はない。彼にできるのは繋がるのを祈るだけだった。
『もしもし? 何かあったの?』
『あっ、良かった、出てくれて。』
昨日特訓を手伝ってもらおうと呼び出した千迅だ。幸いにも今彼女は手が空いているらしい。
『あの勝負、今日やることになっちまったんだ。一分で教えてくれ。』
『ええっ!? そんなこと言われても……』
チハヤは焦りつつも、なんとかして言葉にして伝えようとする。しかしレイジはあまり理解できない。電話越しでなければ言葉にせずとも心を読めばだいたい理解できるのだが、百キロメートル以上も離れていては心は読めない。
『と、とにかく、水面から目を離さないこと! 後は、直感!』
『……サンキュー。』
レイジは電話を切り、袋を持ってスマホは袋に入れた。防水性ではあるが、携帯しておくと動きが鈍くなったり途中でどこかに飛んでいってしまう可能性がある。チハヤから追加で連絡が来るというのも考えられるので、盗難に遭わないよう袋にしまい込んだ。
「今ので分かったの?」
「聞いてたのか。まあ、聞かないよりはマシかなって感じで聞いただけだし、頭の片隅に入れておくってところかな。」
情報を整理している時間はないので、駆け足で廊下を抜けてプールへと向かう。
「それではこれより、一年C組三門玲司と、一年D組辰巳息吹の能力育成試験を始める。両者はスタートラインへ。」
入学時点での二大巨頭にして現生徒会長とその推薦者であるイブキとレイジの存在は校内でも知れ渡っており、無能力者の生徒もほとんどが観客として集まっていた。観客はプールサイドに並んで座り、勝負が始まるのを待っている。レイジ同様開始ギリギリに着いたヒカリは、見物場所を見つけられずおろおろしている。
「あのっ、ここに入れてもらってもいい?」
「かまわないわよ。」
黒い傘を差して一人で二人分の場所を陣取る小通を見つけたヒカリは、人混みを抜けて傘の中に入る。
「優勝おめでとう。すごいじゃない。」
「えへへ、ありがとう。でも、コミチも大変だったね。」
「ええ。人波に飲まれてあっという間に吹き飛ばされたわ。」
もちろんコミチにも想定外だったわけではない。これだけの人数がいて、傘を差して走ろうものなら次々とぶつかってしまうのは目に見えているので最後尾に向かおうとしていたものの我先にとスタートラインに向かう連中に飲み込まれ、最後尾まで辿り着けずにスタートを迎えてしまった。そのためコミチは開始早々押し出しによるコースアウトで退場してしまったのだ。
「一緒に来てたみたいだけど、彼は秘策でも用意してるの?」
「ううん。本当は今日の放課後に準備するつもりだったんだけど、仕方なく一分間電話してきたって。」
中学からの付き合いのためイブキのことはよく知っているコミチは、彼女が負けるとは思えなかった。しかし何もせずやられるような人ではないというのがレイジへの評価でもあり、心のどこかでイブキへの不安を抱いていた。
「それではこれよりルールを説明する。それぞれスタートラインにボタンを設置してある。相手側にあるボタンを先に押した方の勝ちだ。ただし、相手側の陣地内でタッチされるかプールサイドに出たら強制的にスタートラインへ戻る。時間は無制限。」
勝負の仕様に合わせてか、コースロープはすべて外され代わりに円柱状の足場が散らばって浮いている。助走をつけて飛び回っていけば、水に浸からずに向こうのボタンまで辿り着けそうだ。
レイジはイブキの思考を読む。服装は制服で、泳いでいくつもりはない。とにかく高速で足場を飛び回り、素早くボタンを押しに行くつもりだ。ならばレイジの打つ手は一つ。耐えて耐えて、一発で押しに行く。
「それでは、始め!」
ホイッスルとともに勝負が始まる。イブキはすぐさま足場を利用して攻め込む。速い、そして不規則。しかしレイジは、余分な動きを取らずに最低限の動きだけで狙うコースを防ぎにいく。イブキの反応が間に合う前に詰め寄りタッチしてスタートに戻す。序盤はこの繰り返しが続いた。
「ったく、手間かけさせてくれるわね。」
「お前こそ、能力なしで俺に勝とうとしてるのも諦めたらどうだ。」
イブキは素早い動きだが、彼女にとってはまだ素の身体能力での活動圏内。本気を出せば、この数倍、数十倍速く動けるが、体への負担も大きくなるため出し惜しんでいる。
「俺とお前は今まで一勝一敗。けど俺は、一度勝った相手には決して負けねえ。」
「何のことか知らないけど、私あなたに負けた覚えはないわよ。」
覚えてないのも当然だ。勝ったのも負けたのも、失われた未来の話。タイムリープによって消え去った過去であり、存在しなかったことになった未来。残っているのはレイジの記憶だけだ。
「俺の夢の中の話だ。」
「夢ぇ?」
イブキは呆れ顔で反応する。彼の言う夢で何があったのかは知る必要はない。負けるはずがない。そう考えて曲げないイブキは、一層挑戦的になった。
「あのときはお互い殺す気でいたけど、今回は殺さないから安心しろ。」
「何言ってるか分からないけど、大怪我しても知らないから!」
イブキは能力‘覚醒’を発動し、脚力を大幅に上げた。本来使える体力の上限を一時的に解放し、百パーセント、二百パーセント、さらにそれ以上の力を発揮できるイブキの動きは、さっきまでとは比べものにならないほど速さを増していた。
レイジにはもう、目で追うことは不可能。観客も誰もが追いつけていないので、心を読むのは無意味。ならばイブキ自身の心を読む。レイジは彼女がボタンへ辿り着く直前に動き出し、正面から止めに入った。
「くっ、しつこいわね……」
「それが限界か? お前の能力はそんなものじゃないだろう?」
イブキはさらにスピードを上げる。しかしその方法はレイジには通じない。スタートする段階でコースを決めているから、前もって準備できる。どれだけ速く動こうとも、コースが分かれば何も怖くないのだ。
三回繰り返して通じないと気づいたイブキは、さらに力を解放し次の策に移った。
「なんだ!? 急に遅くなったぞ。」
「体力切れ……こんな早かったか?」
外野の目で追えるくらいの速さに落としたイブキは、慎重に足を進めていく。レイジとの距離を五メートルまで詰めたところで、その足を止めた。
「付いてくれるなら、やってみなさい。」
そう言うとイブキは目にも止まらぬ速さで足場を飛び移る。距離もルートも不規則で、人の目で追えるような速さではない。
ここだ。レイジは視線を落とし、水面をじっと見る。足場から揺れが生まれ、あちこちから揺れがぶつかり合う。水面から目を離さず、そして強い揺れが起きたタイミングで、視線をそのままにレイジは横っ飛びをする。
伸ばした手は空を切った。今の動きを読んで回避できるほど、イブキは瞬発力を上げている。
自らスタートラインまで戻ったイブキは、一度その足を止めた。限界を感じたのと、打開策が見えないのがその理由だ。
「なんか裏がありそうなのよね……誰かと連携してるのかしら?」
チハヤの手を借りていたのは事実だが、彼女が想像していることは利用できそうだと考えたレイジはあえて曖昧な返答をした。
「どうかな。俺が素直に一人で戦うと思うか?」
ここにいる観客の中に、彼に手を貸す人物がいると読んだイブキは、最後の賭けに出た。水面に向かって両の掌を撃ち込む。するとプールの端から激しい噴水が上がり、波打つように観客席に迫る。一瞬、レイジの視界から彼らが消えた。視界にあるのは水柱、それによって打ち上げられた足場、そして正面にいるイブキだけだ。
「これでどうかしら!」
イブキは足に力を込め、足場を強く蹴った。足場にはヒビが入り、彼女の姿は一瞬にして消えた。
イブキによって打ち上げられた水は観客席を襲い、浴びた人たちは水浸しになる。傘を差していたコミチとヒカリは幸いにも足元以外濡れることはなかった。
「何だよ、今の津波は?」
「それより見ろ! イブキの姿が消えた!」
水で視界を遮られた一瞬の間に、彼らはイブキを見失っていた。制服姿とはいえライフセーバーとして名を馳せている彼女は、ついに潜水という手段に出たと思われていた。
誰も彼女を、自らの意思で潜ったと信じて疑わなかった。
こういうところだ。強いお前は誰もが強いと認めている。誰にも心配されない、強いがゆえに孤独な存在だ。
けれども人の心が読める俺は、お前をちゃんと分かっている。だから、頼ってほしい。
レイジはシャツを脱ぐとプールに飛び込み、真っ直ぐに泳ぎだした。そしてイブキを抱えて顔を出すと、そのまま足場に載せて横たわらせた。
「……ゲホッ、ゲホッ!」
噎せるイブキに安心したレイジはそのままボタンを押した。これで決着は着いた。
「そこまで。この勝負、三門玲司の勝ち!」
辺りは静まり返ったが、一拍開けて歓声が響き渡った。レイジはシャツと袋を取りに戻り着直すと、再びイブキの元へ向かった。
「た、助かったわ……ありがと……」
「お前は息止めはできるけど、水を飲んじまったら死んじまうからな。言ったろ? 今回は殺さないって。」
イブキは最後のジャンプに全エネルギーを注ぎ込んだ。しかし足場がその圧力に耐えきれず砕け、足場を崩したイブキは落水してしまった。泳ごうとしたが体全体に反動の痛みが走り、うまく体勢を直せずそして痛むあまり口を開いてしまい、一気に水を飲んでしまっていた。
潜ったのではない。溺れていたのだ。
レイジは残していた一着の体操着をイブキに渡した。
「風邪引くだろ。俺のでよければ着とけよ。」
レイジは体操着の袋を渡した。戦いを長引かせた自分にも責任があると思い、風邪を引かれないようにという彼なりの気遣いだ。
イブキは息を整えつつ袋を受け取ると、どこか嬉しげに口元を緩めた。
「ふう。傘がこんな形で役立つなんてね……ヒカリ? どうかしたの?」
「私も濡れれば良かったな……」
ヒカリはそう呟くと、コミチはなんとも言葉を返せなかった。
「いいのかよ。あいつら水浸しだぜ。」
「あれぐらいすぐ乾くわ。あの子は知らないけど。」
振り向いた先には、コミチによってプールに突き落とされたヒカリの姿があった。
「えへへ……濡れちゃった。風邪引いたらどうしよー。」
意味ありげにレイジをチラチラと見ては、そのまま水に浸かっている。明らかにわざとだ。
「……あいつは知らねえ。」




