87話 無能力者が馬鹿を見る
「それでは今から試験を始める。終わりのチャイムが鳴るまで、諦めずに取り組むように。」
一学期の期末試験、一日目が始まった。玲司はシャーペンを右手に持つと握る力を少しだけ弛めた。彼の意識は目の前の問題用紙ではなく、左前方にいる学級一の秀才の思考に向けられていた。
人の心が読めることを利用して、自分で考えず他人の考えているままに問題を解いていく。よほど難解な問題を解かない限り、普通に解いた方が脳への負担は少ない。しかし今解いている世界史のような大半が暗記勝負となる教科においては、暗記に至るまでの労力を考慮すれば一切自力で暗記せず、努力してきた人の答えを間接的に覗き見する方がレイジにとっては楽なことだったのだ。
書いていてその答えが合っているかを知るよしもないレイジの得点力は、頼りのクラスメイトが自信を持って解いているかに懸かっているのだった。
そんなことに頼らず最初から勉強していればいい話だという人もいるだろうが、彼が望んでいるのは能力の応用力を評価してもらうことだった。普段から授業を聞き予習も復習も欠かさずこなしていれば、全教科学年上位を取ることも造作もない。しかしせっかく能力の使用がバレなければ良いというルールであるというのに、危ない賭けに出られずにはいられなかった。彼の本能がギャンブルを求めたのだ。
さらにこれは、適切な人を対象に取りつつその思考に追いつき、かつ顔を上げずに、不自然に思われないように実践できるようになるための試練。レイジにとっては単なる学力検査ではなく、自身の能力の伸長を図るための勝手に用意されたプロジェクトというわけだった。
「そこまで。裏返しにして、後ろから回してこい。」
他の人の悩み具合からして、平均点は六十から六十五といったところか。レイジの答案、もし周りの生徒の考えていることが正しければ九十は超えている。学級内の誰もが解けていない問題があるため百点は不可能と言えるのだが、それでもクラス内トップの点を取れている自信はあった。学年内となると担当教員が代わる都合問題の内容も違うので一概にはいえないが、自信を持って満点取れたと感じている生徒はいないので学年一位も夢ではない。模試と違って学年順位が出ることはないが、上位を取れることが気分の良いことに変わりはない。
「どうだった? レイジは……なんか余裕そうだね。」
「まあな。昨日も丸一日勉強してたし、対策していた所がうまいこと出てきてくれたからな。」
「ふーん。丸一日勉強してたんだ……」
当然ながらまったくのでたらめだ。変に能力を使って解いていたことを話して噂が広まるのもまずいし、勉強していなかったことも知られる能力を使ったと疑われる可能性もある。無難な答えとして長時間復習したことにしておきたかったが、それを一晩中ではなく丸一日と言ってしまったのが間違いだった。
「夕方ちょこっとだけ……遊んでたかな……」
「レイジの嘘つき! 昨日千迅と一緒にいたって聞いたよ!」
だからお互いのプライベートには過剰に干渉するなと言っていたんだ。レイジは苦い顔をしながらチハヤを呼んだわけを話した。技能試験の対策に協力してもらったこと、それ以外は何もしていないことを話してようやく疑いは晴れたが、耀からは強く釘を刺された。
「他の子に会ってもいいけど、私にもちゃんと言ってよね。だって私たち……」
ヒカリは最後まで言い切る前に口を止めた。レイジは目だけ横を向いている。ヒカリも同じ方向を見てみると、クラスメイトが周りに集まっていた。
「私たち、何なの? もしかして二人は……」
「な、何でもないから! そ、そうでしょ、レイジ!」
「ああ。お前たちが想像しているものとは全然違う。お互い独学で勉強して点数勝負してたのに、俺がルールを破っただけだ。」
ポーカーフェイスには自信のあるレイジは、一切表情を崩すことなく淡々と言い返す。ごまかしてくれているのが分かっているとはいえ、あまりにも本音に聞こえたせいでヒカリは少しショックを受けてしまった。
レイジは昨日チハヤに言われたことを思い出した。人の心が読める能力を持っていることを知られてしまい、色々と注意された。たいして気に留めなかったが、レイジは一つだけ忘れずにいられなかったことがあった。
「で、その心が読めるってのはヒカリは知ってるの?」
「いや、あいつは知らない。あいつの友達から言われてるんだ。ヒカリには教えるなって。」
「ふーん。まあ、知ったらすごくショック受けると思うけどね。」
チハヤも今聞いたレイジの秘密を彼女に打ち明けるつもりはないようだ。けれどもそれは、知らないままが良いということによるものではなかった。
「私は早く言った方が良いって思うわ。その子じゃなくて、レイジの口から。」
なぜかは言わない。けれどもそれが、最もヒカリが傷つかない、納得のいく答え方だと直感した。それがチハヤの考えだった。おそらく彼女もそれ以外の道でヒカリに伝われば納得しないだろう。
「そうか……いつ言うのが言いかな? 今は試験期間だし、それが終わってからにしようと思うんだけど。」
「そうやって先延ばしにしようとしてるといつまでも言えないでいるわよ。早いとこ覚悟を決めなさいな。」
そうは言っても、言うべきタイミングを考えられない。夏休み入ってから。それもせっかくの休みにいきなり暗い話をするのもどうかと思う。結局結論は出ず、今に至っていた。
「本当なの? 文化祭の打ち上げの後、二人でどこか行ったんでしょ?」
「えっ、何それ初耳!」
周りのざわつきは治まらない。次の時間も試験だというのに、いや、だからこそか、静かに勉強したい人たちと今すぐにでも真相を知りたい人たちとで揉め事になり騒ぎは一層激しくなる。
レイジは黙秘を貫いた。話し始めれば長くなるし、中途半端なところで次の試験が始まってしまう。それなら最初から話さない方が良い。他の人に試験に集中してもらわないとレイジも良い点が取れなくなってしまう。それでは本末転倒だ。刻々と時間が過ぎるなか、次の試験の担当教員が教室に着きクラスを静まらせるのをじっと待っていた。
「それでは今日の学力試験はこれまで。次は技能試験だ。全員グラウンドに集まれ。」
そんな話は聞いてない、体操着は持ってきてないとざわめきが上がる。学力試験後の能力育成のための技能試験は中学校まではなかったため、入学式の説明を覚えていない人はその試験の存在を忘れているのも当然だろう。実際レイジも入学式の話はまともに聞いていなかったのだが、ここ数日の教員の多忙っぷりからその存在を知ることができたに過ぎない。
着替えを持ってきた人はそれに着替え、持ってこなかった人は制服姿のまま、校内の一年生全員がグラウンドに集まった。
レイジはこの暑い時期にもかかわらず長距離マラソンを始めようとしていることも知っていたので、ジャージは着用せず半袖半ズボンに着替えた。彼があらかじめ持ってきたのは三着分の体操着。一着は当然自分が着て、残りの二着は予備だ。
「えへへ……ありがとうレイジ。本当に準備がいいんだね。」
「あんまり浮かれていると怪我するぞ。暑くなったら脱いでその辺に置いてもいいぜ。」
前日の内に明日体操着持ってきてと連絡するのも不審だと思ったレイジは、ヒカリに貸すのを前提に予備の体操着とジャージを持参した。もし彼女が忘れてきたら貸すことができるし、自分のを持ってきていたらそれでいい。多少サイズは合わないが大きい分には問題がないので気にするとしたら匂いや価値観だ。体育の授業以外では使用しなくなったとはいえ、男の肌に触れて汗も吸い込んでいる服を着たいかと言われて拒否する気持ちも分かる。わざわざ借りるくらいなら名前も知らなくても同性の服を借りると言うかもしれない。
しかしレイジはヒカリがそんな考えを持たず期待していることに気づいた。試験日だというのにきっちり体操着を持ってくるほど用心深いレイジなら、替えの体操着も持っているのではないかと。そこでレイジは自分の服を着るかと尋ねた。結果ヒカリは悦んで受け取り、ついでに上に重ねるジャージも着させたのだった。
案の定大多数の生徒は制服のままで、部室に予備の着替えを残していた人もいて一割ほどは運動着だ。つまり今体操着姿でいるレイジとヒカリは比較的目立つ方であった。
「いきなりマラソンとか言われてもなあ。」
「せめて昨日言ってくれれば良かったのに。」
あちこちから愚痴が飛ぶ。事前に、あるいはいつでも準備しておくことの重要性を体で覚えるためらしいが、肝心のモチベーションがこの低さではまともに挑めない人が多いだろう。しかしそんな人たちを支援するつもりなどない。すでに気落ちしているような人は切り捨てていく。それがこの島の学校の考えだ。逆に能力が芽生えてなくても運動着を用意できた少数の生徒は走りに自信がなくとも運動に不向きな服装をしている周りの生徒を見て優越感に浸っている。
「おいレイジ! うちのクラスでお前たちだけ着替えているのは認めねえ! 平等にやれよ!」
「こちとら帰宅部なんだ。ハンデをくれてやってもいいだろ!」
レイジ自身も足の速さには自信がない。しかし今回の勝負は足の速さとか持久力とかの問題ではなさそうだと察していた。
「それでは今からマラソン大会を始める。全員一斉にスタート、トラックを五周すればゴール。ただし縁石を越えるとその時点で失格とする。」
突然一人の教員がマイクを持って壇上に上がり、ルールを説明し始めた。この人数で一斉に走れば団子状態になるのは目に見えており、すぐさまあちこちからブーイングが上がる。レイジの黙ってまだ公表されていないスタート地点に向けて歩き始めた。ヒカリも彼に付いていく。
生徒が何を言おうとプログラムは一切変わらず、刻々とスタートの時間が迫る。公表されたスタートラインのすぐ手前では、先頭に立とうと押し退け合いが始まった。ただでさえ暑いのに密集した場所で争う気にもなれず、レイジはあえて最後尾に立っていた。
「いいの? こんな後ろで。足速くないのに。」
「ヒカリは前に行ってもいいぞ。俺は後ろから抜かれてるときぶつかってこられたくねえからここにいるけどな。」
ヒカリもこんな経験は初めてであり、能力持ちとはいえ争いには不向きであるため近づく勇気は出なかった。高校の能力者は、レイジとヒカリを除けば凶悪な被害をもたらす危険人物だらけだ。彼らは元から争う予定はないのだが、トップを取るためならどんな手段にも出ようという恐ろしい考えを企んでいる。
「それでは位置に着いて、よーい、ドン!」
生徒たちが一斉に走り出す。案の定足がもつれ合ったり腕がぶつかったりして競走が競争になった。故意に突き飛ばして失格にさせたり、転んで踏み潰されるのも次々に現れる。先頭に近いほど地獄に遇っていた。
そんな集団をいち早く抜け出した生徒たちがいた。息吹と満。前者はS+ランク、後者はAランクの能力者であり、その能力を駆使して後ろとの差を広げていく。
「この試験……俺にうってつけだな!」
「私も負けるわけにはいかないわ。生徒会長の名にかけて、ね……」
ミチルとイブキはほぼ横並びに走り、最初のカーブを迎えていた。
「直線勝負は無理だけど、こう頻繁にカーブあったら制御が必要だろう。今回は俺に軍配が上がったな。」
「そうね。けど、外側に縁石はない。大回りしてでも、スピードは落とさない!」
イブキは大きくトラックをはみ出し、それでもほぼ速度を落とさずに駆けていく。彼女の能力‘覚醒’は一時的に身体能力の限界を解除する代わりに後に痛みが走るものなので、発動と解除を切り替え続けるのは負担が大きい。
一方ミチルの能力‘野性’は狂暴な肉食動物のように正面の獲物への狙いを定め、理性を失いかけ本能的に動くようになる。身体能力強化という点でイブキと共通するが、彼女のと比べリスクは小さいものの最大火力は大きく劣る。しかしこの楕円形のコースを五周、通算およそ一キロメートル走るというルールでは、最大火力の差はあまり活きてこない。制御がしずらいイブキは、三周目辺りからボロが出ると思われた。
「そんな大回りして、後で疲れても知らないぞ。」
「急がば廻れって言うでしょ? 有利になった気でいると、後悔するわよ。」
二人とも勝つのに本気だが、どこか楽しげだ。あっという間に大半の生徒に一周差をつけていく。二人は目の前の軍団に向かって大きくジャンプし、肩や背中を踏み台にしながら軽々と抜き去った。
しかしこんな正攻法で終わるほど、この戦いは甘くない。誰の目にも触れず最後尾をノロノロとバテバテになって歩く、最強最悪の能力者。
星香が今、その真価を発揮した。
「ピーッ! 辰巳さん、佐倉さん、失格!」
「えっ、嘘……」
「いつの間に……」
二人は三週目に突入し最初のカーブに差し掛かったところで縁石を越えてトラックの内側に入ってしまっていた。イブキたちだけではない。ほぼすべての生徒が失格を言い渡されていた。
「もーっ! いいところだったのにー!」
「残りは……あれだけか?」
残っている生徒は三人だけだ。レイジとイブキ、そしてセイカ。先頭を行くレイジは、今ようやく一周目を終えたところだった。
「何やっているんだ! ちゃんと走れ!」
「そうだそうだ! 歩いてんじゃねえ!」
外野という名の脱落者からは怒号の嵐。しかしレイジは気に留めず、ゆっくりと一歩ずつ進んでいく。
最後まで二人はペースを変えず、ノロノロと五周を終える。レイジがゴールしたところで全員の順位が確定したので、マラソン大会は強制終了となった。




