86話 試験どころじゃないんだよ
期末試験前日。試験は明日と明後日の二日間で、学力を評定する筆記試験とは別の技能試験も両日実施される。明日は校内一年生の全生徒を対象とするマラソン大会があり、明後日は個別の対決を行うのが予定されている。校内唯一のSランクである玲司はその勝負に参加するのが確定していることが昨日の潜伏調査で分かっていた。そして彼の対戦相手は、この島に流れ着いた彼を救い今も家で世話になっているS+ランクの息吹だ。今回が初の正式な勝負となるが、その実力を認めてもらうためにも負けるわけにはいかないとレイジは本気だった。
おそらく大多数の人が、イブキの勝利だと予測を立てるだろう。それは彼女に勝てる者などこの高校にはいないとずっと思われていたからだ。その固定観念を打ち破ったのは、レイジではなく星香だ。彼女にはイブキはおろかかつて最強とうたわれていた白でさえ到底敵わない。だからといって、彼女が直接弱体化したわけではない。セイカ以外にイブキに勝てる者がいるだなんて、誰も思っていないだろう。
その固定観念をもう一度打ち破る。それを周りだけでなく、イブキ自身に認めさせるため。レイジはほとんど一夜漬けに近いが修行に励んでいた。家の側では相手であるイブキに見つかる可能性があるので、基本アウトドア派のイブキはまず来ないと思われる図書館の裏でこっそりと取り組もうと考え、今しがたそこへ到着したところだった。
ちなみに昨日散々面倒を見たセイカはというと、昨日友達になった藍子の元で朝から勉強に励んでいる。出題範囲と出題予定問題の情報は夜中に送ってあるので、もうレイジが世話を焼く必要はない。
「……暑い。中入ろう……」
七月半ばの快晴という猛暑の中、大して風の吹いていないこの炎天下の中、駅から図書館まで歩くだけでレイジは汗だくになっていた。この状態でトレーニングを始める気など起きるはずもなく、何も始める前に無意識の内に図書館の入口を通り抜けてしまっていた。
「だいたいこんな所来て何になる? 隠れて特訓したいからってだけで、ここで何するかなんて考えてなかったな。」
じっとしている余裕がないのは分かっているが、それ以上にこの状態で体を動かそうという気も起きず、汗が引くまで適当にスマホを弄っていた。
考えた末、レイジは図書館を出て遊覧船に乗った。とにかく勝負のルールからして、水の多い所で過ごすのがベストと判断したため、近場の観光スポットの情報を漁ったところそこへ行くことに決めたのだ。
「あら、こんな平日のこんな時間に珍しいな。すぐ出港の準備するから、もう少し待ってな。」
「あっ、高校が休みだから……別に引きこもりじゃないので。」
変に心の声が聞こえるせいで、余計な言い訳をせずにいられなくなる。不本意とはいえ自分の能力の弱点を実感できたのは大きな収穫だろう。
しかし振替休日とはいえ試験前日に一人旅する人などあんまりいないわけで、まともに学校に行ってないのだと思われても仕方がない。まともに勉強する気がなく外をほっつき歩くのは、例年決まって高能力者だ。
「……でもぼっちでしょ? というか今テスト前じゃなかった?」
「自分探しの旅ってところだ。テスト前だからこその、な。」
操縦士はレイジが能力者であり、学力以外の点で伸ばす課題があるのだと察してそれ以上追及してこなかった。
出港してしばらく経ち、辺り一面海景色となった。
「広いなー。」
当たり前のような感想が思わず口から溢れる。初めて乗り、今後また乗る予定があるわけでもないのだが、写真や動画に残すこともなくただ海を眺めていた。他に客は誰もいない。船の中にはレイジと操縦士の二人だけ。音声ガイドと波の当たる音だけが聞こえてくる時間が刻々と過ぎていく。
さっきまでとは違い、適度に吹いてくる風が暑さをかき消してくる。海風が心地よい。揺れる海面を眺めているだけで、自然と心が安らいできた。風、そして波によって船が揺れる。
しばらく進むと、魚の心の声が聞こえてきた。群れになって、船のすぐ側を泳いでいる。窓から眺めてみると、水面に激しい水しぶきが上がっていた。それに伴い、海面が不規則な方向に揺れ始めている。それからレイジは席を立ち、外に出て手すりに捕まり海を、海面を眺め続けた。
「何かヒントは得られたかしら?」
「潮風を読んでた。きっとこれが攻略の鍵になる。」
レイジは船を降りると操縦士にお辞儀をし、その場を後にした。
『あ、千迅か?』
『どうしたのレイジ? いきなり電話してくるなんて。』
『実はちょっと頼みたいことがあってな……』
実家はこの近くであるが遠くの私立高校に進学したため向こうで一人暮らしをしているチハヤに電話で尋ねてみた。レイジと違い今日は授業があり一日中高校にいるようで、すぐにこちらには来れないそうだ。無論明日も学校へ行かなければならないため、片道一時間半もかけて帰ってきてさらに翌日朝早くに出発する手間がかかってしまう。
それを承知で、チハヤにはこの町へ来てほしかったのだ。今日か明日のどちらかに、この海の近くに。もし厳しいというのであれば、逆にレイジが彼女の寮まで向かうという手もあるのだが、できることならこの地域の環境でやりたいというのがレイジの望みだった。
『チハヤにしか頼めないことがあってさ。水面の動きの読み方、風が読めればできるだろ?』
期末試験で、イブキに勝つための最大限の対策を立てたい。そのためにチハヤの能力が必要だ。そう訴えるレイジの言葉に、チハヤは自身の勉強時間を削ってまで彼に協力することを選んだ。
『分かったわ。地元と都会じゃ海の向きも違うし、ビル風なんて吹かないからね。今日の夕方、そっちに行くわ。』
『悪いな。この借りは今度返す。』
レイジは電話を切るとチハヤが到着するまでの時間のほとんどを、昼食含め海を眺めて過ごしていた。
「お待たせ。」
「来てくれてありがとな、チハヤ。」
土手で体育座りしているレイジの隣に、チハヤは腰を下ろした。
「そっちも明日からテストなんだろ? 呼び出しておいてなんだけど、勉強は大丈夫なのか?」
チハヤの通う高校は私立高校であり、レイジの通う公立高校と違って入学するために受験し合格しなければならない。そしてその私立の中でも彼女の進んだ高校はトップクラスの偏差値を誇り、生半可な学力では合格することもその後の授業についていくこともままならない。大事な期末試験の前日なんかに外をほっつき歩いている余裕なんて誰にもないのだ。
「まあ……一応平均点は超えられそうだしね。心配だから、今日中には寮に戻るわ。」
自信を持って言いきっているわけでもないが、補習を免れないほどに不安を抱えているわけでもなさそうなので、レイジはチハヤを無理に帰そうとせず、それでもなるべく短時間で終えられるように意識を集中させた。
「で、私は何をしてればいいの?」
「ああ。あの海を眺めながら、風の動きを読んでくれ。」
チハヤが風の動きを計算する。そのときに考えていることをレイジが読み取る。どんな風が吹いているときに海面がどう変化するのかを感じ、逆に海面の揺れから風の流れを読み取る。寸分たりともずれることなくできるようになるのはほぼ不可能ではあるのだが、感覚だけなら掴めるかもしれない。それができるようになることでしか、今のレイジでは対応できない。いわば一つの賭けだった。
「やってみるけど、頭痛くなっても知らないわよ。こんな広範囲を一度に見ようとしたら、あっという間に疲れてくるから。」
「お前だけが頼りなんだ。チハヤに負担がかかっちまうのは分かってる。けれどもお前しかいないんだ。お前が必要なんだ。」
チハヤはそっぽを向いてレイジの顔を見ないようにしつつ、自分の顔を見られないようにした。そして若干不満そうに顔を向けてくると、じっと目を細めて言ってきた。
「必要なのは私じゃなくて、私の能力でしょ?」
「何言ってるんだチハヤ。そんな能力使いこなせるのは、俺でも耀でもない。とんでもない計算量に耐えられる努力をしてきたお前だからこそ、こうして頼み込んでいるんだ。」
一切目線を反らさず真っ直ぐに語りかけてくるレイジに、チハヤは再び目線を反らす。そしてぼそぼそとした声で呟いた。本人は聞こえてないつもりで言ったのだろうが、実際の声量に反してはっきりと聞こえる心の声の副音声によって、声そのものもバッチリ聞かれてしまっていた。
「ズルいんだから……」
レイジは言ってほしい言葉を言ってあげただけで、心が読めるという能力がなければこんな気の利いた言葉をかけられなかっただろう。逆に右目を使って無理やりにでも服従させていたかもしれない。
なぜこんな対策をしなければならないのかというと、イブキとの勝負の場が高校のプールとなっているからだ。イブキは自身の能力で、考えるより先に体が動かすことができる。すなわち心を読んでいては間に合わない。
例を挙げるならじゃんけんだ。相手が何を出すか分かっているレイジでも、自分の手を読まれた後で瞬時に切り替えられてしまっては勝つことはできない。レイジ自身、イブキほどの反射神経を備えていなければ、それを能力によって底上げすることも叶わない。ならばそんな彼女に何をすれば勝てるか。それは心の声に頼らない読み。プールの水面の変化を見て、彼女の動きを読む。どれだけ見えない速さで動かれようと、水面の揺れや風の変化でその動きを捉えることができるかもしれない。いや、できるようになる。それが勝負二日前、最後の休日にできる対策であり悪あがきだ。
たとえ脳に負荷がかかろうと、感覚を掴めさえすれば活かせるはずだ。だからレイジは今、時間と、そして自分との勝負を始めようと燃えている。
「分かったわ。そこまで本気なら、私も止めない。……でも、その前に一つ聞いてもいいかしら。」
チハヤの言葉を途中まで聞き、ありがとうと言おうとしたタイミングでチハヤは震える声で聞いてきた。
「ヒカリに告白したって聞いたけど、本当なの?」
なぜ知っているのか、なんて野暮な聞き返しはしなかった。ヒカリが真っ先に伝えたのはチハヤだ。レイジはその場にいたが止めに入らなかった。どのみちすぐに知られてしまう。そうなったとき黙っていたことで彼女がショックを受けるのは分かりきっていたからだ。
「入学当初から、よくあいつと話していたんだ。そして気がついたら、お互いにってところかな……」
チハヤは後悔していた。もし自分が私立を選ばず地元の公立へ進学していたら、もしヒカリの代わりにクラスメイトになれていたら。今さら考え直しても手遅れというのは分かっていたが、分かっていたからこそどうしようもない悲しみを、抱え込まずにはいられなかった。
「俺は良かったと思っているぜ。」
レイジは彼女の望みを否定した。否定しなければ、先へ進めない。後ろへ戻れないのにいつまでも止まっていられない。それをチハヤにも受け入れてもらうために。
「覚えているか? ゴールデンウィークの大会で、初めて会ったときのこと。あの場でチハヤに会えたから、今の繋がりが生まれたのだと思う。四月に会っていたら、インパクトが薄れていたかもしれなかった。」
その言葉に嘘偽りがあっても、彼女の心が変わってくれればいい。下手に本心を言って傷つけてしまうよりかは適切な回答だ。そう考えるレイジは、なるべくチハヤが喜ぶような反応が得られるまで、いろんな言葉をかけるつもりでいた。しかし、その必要はもうなさそうだった。
「そ、そうね……私も、初めて見たのが試合している姿だったから印象に残っていたのかもしれないわね……」
チハヤは前を向きながら少し腰を上げて再び下ろし、レイジとの距離を詰めた。
「今日だけは……あなたの隣にいていのは私だけって、言ってもらえる?」
それでチハヤが満足するなら、惜しみなく口にしよう。レイジは左手を伸ばしてチハヤの左肩に乗せると、海を真っ直ぐ眺めながら言葉にした。
「ああ、今日俺の目に映るのはチハヤ、お前だけだ。だから隣にいてくれ。」
チハヤは口元を震わせながら、その顔を見られまいと俯いた。いつまでも座っているわけにもいかないので、レイジは左手を離すとチハヤは残念そうに声を洩らすが、気持ちを切り換えるべく首を激しく左右に振り立ち上がった。
そしてしばらくの間、チハヤは海を眺めた。四方八方から吹いてくる風、引力や風によって揺れる海面がまた乱してできる風、すべての強さや向きを瞬時に計算し、ただひたすら海を眺める。しかしその集中力は、長くは続かなかった。
「なんでずっとこっち見てるの!?」
「だって顔を見た方が心読みやすいし。」
「だからってそんなじっと見られたら……ってええっ!? 心、読めるって……」
そういえばまだチハヤには言っていなかった。端から見れば存在しているかなど分からない、人の心を読む能力。これが本当なのか、いつから目覚めていたのかとチハヤの質問攻めは絶え間なく続き、本題に入る前に長い説明タイムが始まってしまった。
それからの特訓はチハヤがまともに集中できなかったため、レイジはまともに風の動きを読むことができなかった。




