78話 D.C.
到着した救急隊。しかし彼らの目に光はなかった。
全身から激しく出血し、微動だにしない耀はすでに息絶えていた。玲司にとっては驚くことではなかった。あの言葉以来、彼女の心の声は聞こえない。何も考えていない、考えられないのはつまり、こういうことだったのだと認めざるを得なかったからだ。
それからレイジは警察に行き、事情聴取を受けた。ヒカリが助けを求めてきたのが伝わったのは午後七時すぎのこと。現場に到着し姿を見たのはその三十分後。ヒカリの強い思いが聞こえていたレイジは話せる情報を多くもっており、長く取り調べが続いた。そして分かったことがある。ヒカリが襲われた少し前、ある女性が刃物で刺され殺害されていたということだ。そしてその容疑者は、レイジが暗がりで見たヒカリを襲っていた男の特徴をもっている。
このことから、ヒカリはその現場を見てしまったがゆえに、その男によって口封じのために殺されたのだと考えた。
取り調べを終え警察署から出てきたレイジは、ヒカリの家へ向かった。彼女の家ではお通夜が行われている。クラスメイトのほとんどは参列し、他校の生徒も集まっていた。レイジは中に入ることなく、彼女の家の前で立ち尽くしていた。
お通夜が終わり、中から次々と人が出てくる。その中には未来や刹那の姿もあった。二人は涙を流していたが、特にミライは、レイジに強い怒りが湧いていた。
「どうして! どうしてあの子を一人にしたの!」
「ちょっとミライ! 家の前ですよ……」
ミライは家を出るなりすぐにレイジの存在に気づき、強い剣幕をたてた。セツナはそれを咎めたが、レイジは何も言い返さなかった。
二日目の文化祭が終わり、片付けも佳境を迎えた頃、ヒカリの感情が急に乱れたのを、塾にいたミライは感知した。そこからさらに鼓動は早くなり、移動も始まっていた。彼女は疑問に思いヒカリに電話をかけたが、繋がることはなかった。
ミライはなんとなく気づいていた。あのときヒカリはレイジに告白をした、あるいはしようとした。しかしその思いは届かず、悲しみに打ちひしがれて高校を飛び出し彼の前から去ったのだと。
それからしばらくして、ヒカリの鼓動が再度乱れ始めた。さっきのときとは比にならない不安定な鼓動が聞こえてくる。焦り、恐怖、さらに痛み。それらすべてが入り乱れ混乱状態に陥っているのだと察したミライは、再び彼女に電話をかけた。それでも繋がることはなく、ならば直接確かめようと家を出たが、外は激しく雨が降っていた。親はまだ帰っていない。電車で行くしかなかったが、走って駅に向かうも後一歩のところで電車が行ってしまい、二十分待つことになってしまった。
電車を待っている間、ヒカリの鼓動が激しくなっていくのを感じていた。そして彼女の側にもう一人、自分の知らない人がいる。焦り、そして怒りを覚えているその人に、危害を加えられているのだとしか思えない。助けを求め続けているのに誰にも助けにきてくれないことを嘆いているかのように、彼女は焦り、悲しんでいる。ミライはそれを黙って聞くことしかできなかった。駅のホームで待つ時間の一分一秒がとてつもなく長く感じ、何も力になれないもどかしさが、ミライの心を強く締め付けた。
電車が見えてきた頃、ヒカリの鼓動に変化が現れたのを感じた。悲しみ苦しんでいるなか、どこか心が和らいでいる。よく聞くともう一人やって来ていた。聞き覚えのあるこの鼓動の主はレイジ。彼が来たからには大丈夫だろうと安心した次の瞬間、ヒカリの鼓動は聞こえなくなった。そして元いた人はいなくなり、来たばかりのレイジはひどく悲しんでいた。恐れていた最悪の事態。ミライが現場に着いたときには、すでに彼らは警察署へ向かっていて誰も残っていなかった。
ミライにも分かっていた。何者かがヒカリの命を狙い、奪ったのだと。しかしこの雨のなか、なぜ一人で外を歩いていたのか。外を歩いていなければ、巻き込まれることはなかったのではとミライは考えた。
ヒカリのクラスメイトは打ち上げをして集まっていた。その輪にヒカリはいなかった。あれだけ完璧にライブを成功させておきながら、なぜ彼女は打ち上げに行かず一人で出歩いていたのか。考えられる原因はただ一つ。レイジだ。彼とのトラブルが、彼女の一連の行動に繋がったのだと思うと、ミライは怒りを覚えずにはいられなかった。話を聞くに、レイジはノコノコと打ち上げに参加していた。ヒカリのことなど考えず、自分だけ楽しんでいたことが、さらに彼女を掻き立てた。
「聞かせなさいよ。あの後ヒカリに、何をしたの!」
レイジは黙ったままだ。言いたくないことを黙っているわけではないことは、ミライにも分かっている。彼はただ単に、現実が受け入れられていないのだ。いわゆる放心状態。何を言っても、心は動かないし表情も変わらない。
そんな彼に、ミライは全力で拳をぶつけた。
「教えてよ! 何があったのかを! 私は、私は……」
ミライの瞳から涙が溢れる。雨に混じるその涙をヒカリに重ね、レイジは我を取り戻した。目の前にはミライがいる。彼女は悔やんでいた。苦しんでいる親友に、手を差しのべられなかったこと。その怒りを、他人をぶつけてしまっていること。
真相を知りたいという強い願いを感じたレイジは、文化祭が終わり教室に戻ってからのことを思い出し、口にした。
「俺のゴールは文化祭の成功だった。それはあいつも同じだって思ってた。けど、あいつの夢はまだ終わってなかった。未完のまま、俺が夢を絶ってしまったんだ。」
文化祭のライブは成功した。それは一日一日の長くつらい練習があってこその結果だ。未練のないレイジはこれから先に控える期末試験や体育祭に目を向けた反動で、今まで練習してきたことを頭からすっぽ抜いてしまった。そのことがヒカリを傷つけてしまった。打ち上げには来てくれるだろうと信じていたが、こんな結末を迎えるとは考えもしなかった。そう伝えた。
「心を読めるあなたは……」
ミライはずっと抱えていた思いをぶつける。今となってはもう遅いが、黙ったままで、レイジが知らないままでいるということが堪えられなかった。
「その気持ちに応えなかった。応えていれば、こんなことにならなかった。」
もういくら悔やんでも仕方がない。しかし、二度と同じ気持ちを味わいたくはない。
「いつまでも、心を閉ざしていないで……」
そう言い残し、俯いたままミライは去っていった。後を追うように、セツナも去っていく。残されたレイジの元へ、一人の女性がやって来た。
「久しぶりね、レイジ君。ヒカリの母よ。」
「……こんばんは。はじめまして。」
彼女はヒカリが普段からレイジの写真を見せていたようで、暗闇でも認識できるくらいには顔を知っていた。そしてレイジにノートを手渡し、彼はその表紙に目を向けた。
「あの子ね、いつもレイジ君の話しててね。今日は一緒にライブやるんだって張り切ってた。」
その気持ちはよく分かる。それだけに、彼女の結末は親としてつらすぎるものだろう。
「そのノートはね、毎日書いてたヒカリの日記。」
見覚えがある。レイジが一度こっそり拝借したヒカリの日記帳だ。なくなっていたことに気づき読まれたのではと思うと顔も会わせられないと思うくらいに恥ずかしくなり高校を休んでしまい、読んでいたことを知られたときは強くビンタされたことのある日記帳だ。
「今朝ずっとこのノート見ててね、部屋から持ち出してくるなんて珍しいって言ったらレイジ君に読んでもらうって言ってたのよ。」
けれどもそのノートは食卓に置かれたままヒカリは高校へ行ってしまい、放課後に届けてほしいと言っていたそうだ。しかし母親も渡すことを忘れていて、結局ずっと家に残されていた。
「このノートは、あなたが持ってて。」
レイジは受け取ったノートを、その場で開くことなく鞄にしまいこんだ。
レイジは家に帰った。家の人たちは気を遣って事件のことには一切触れてこなかった。彼の心が落ち着き、自ら話すのを待とうという息吹の心遣いにレイジは感謝した。結局その日、レイジは一睡もできなかった。ヒカリの母親から授かったノートも一度も開いていない。心のどこかに抵抗があったのか、表紙を見ることさえ避けていた。暗い部屋の中で、レイジは天井を見つめる。外から響く雨音は、いつの間にか収まっていた。
翌朝。レイジの部屋で、午前六時にアラームが鳴った。普段は休日に目覚ましはかけないのに、けれども睡眠を妨げられたわけではないから深く気にしなかったレイジは、すぐにアラームを止め再び天井を眺めた。昨日の天気が嘘のように外は明るい。起きてはいるものの活動する気になれなかったレイジは、相も変わらずベッドの上で固まっていた。
「レイジー。何やってるのー。もうすぐ出るわよー!」
下の階からイブキの声がする。まだ六時半だというのに、日曜日の朝からどこへ行こうとしているのか。上体を起こし心の声を聞くと、思わず耳を、いや脳を疑い部屋を出た。
「文化祭って、昨日で終わっただろ?」
「昨日は校内だけのでしょ? 今日は一般公開、二日目があるのよ。」
イブキは嘘を言っているわけではない。本気で今日が文化祭二日目だと言っている。昨日終わったはずの二日目が、これから始まろうとしているようだった。
「……どうしたの? 固まって。」
「なんだ、夢か……」
文化祭をやった夢を見た。レイジはそうだと思い不思議に思うイブキに話した。そうだ。あんな突拍子もない出来事が起こるわけがない。レイジは安堵しため息をつくと、テレビからの音声が耳に入った。
『本日は夕方から雨模様です。明日まで続くでしょう。』
お天気キャスターの言う通り、夕方から雨が強く降っていた。そして夜中も降っていて、気づいたら止んでいた。そこで夢から覚めたのだろう。レイジは昨日のことを夢だと割りきり、早急に身支度を整えイブキとともに家を出た。
「まったく……今日こそはあいつの好きにはさせないわ。」
イブキのいうあいつとは、金曜日に突如現れた五人目のS+ランクである星香のことだ。夢の中でレイジはミライそして春菜とともに彼女を撃退し、ライブは事なきを得た。夢の通りにやれば、きっとうまくいく。そう思っているレイジは、策に悩むイブキと対照的に余裕をもっていた。
夢の通り、レイジはミライとハルナに協力を要請した。そして夢の通りに撃退に成功し、倉庫に閉じ込めることに成功した。高校へ行く途中にガスマスクを発注し、夢のときより早く準備ができたため時間稼ぎせず速攻で押さえ込めたので、十時には教室へ戻ることができた。
問題はここからだ。夢の通りなら、二時間分のシフトをクラスメイトに代わってもらいライブの準備に専念できた。今回も同じく、午後の二時間のシフトは急遽代理を用意することができた。つまりこれで午後はフリーだ。この時間に最後のギターの練習をする。
ライブ後に緊張が抜け、そのまま記憶が吹き飛ばないようにするためだ。
レイジは体育館裏で一人、練習を続けた。音は出さずとも、イメージした音が出てるように指を動かすことができている。これなら大丈夫だと確信し、午後三時からの発表に向かった。
本番。夢の通り、大成功を収めた。しかしこの後の片付け。ここで弾けなくなりヒカリを失望させると、夢の通り彼女は殺人現場を目撃し殺されてしまう可能性が高い。今までは夢で見た通りに、むしろ夢のとき以上に効率的に進めてきたが、ここからは違う、未知の領域だ。といっても、無事に演奏を成功させヒカリと打ち上げに行けば、彼女が一人夜道を歩くことはない。
ジャッ、ジャーン
「くそっ、なぜだ! なぜなんだあ!」
しかし結局、レイジの演奏は失敗した。ヒカリの心はひどく傷つくが、ここで彼女を離してはいけない。教室から出ていくヒカリの腕を、レイジはしっかりと掴んだ。
「待ってくれヒカリ!」
「離してレイジ! もう知らない!」
彼女にとって一生の宝物。そしてこれからも一緒にやりたいと思っていたライブは、彼にとっては一つのゴールに過ぎず、終えてしまえば何でもいいものだと知ってしまった。そんなヒカリになんと声を掛ければいいのか分かるものではないが、少なくともこの手を離してはいけないとレイジは感じていた。
レイジは弾き方を忘れてしまった。無責任なようだが、これはもうどうすることもできない。このままでは夢の通りの結末を迎えてしまう。たとえヒカリの心がどんなに傷つこうと、生きていてくれれば後でいくらでも償える。だからレイジは彼女の後をつけた。下手に追いかけ逃げられてしまうと、レイジの足ではヒカリに追いつけない。だからこっそり尾行し、何か怪しい気配がしたらすぐに飛び出そうと考えていた。
ヒカリは交差点の信号が変わるのを待った。車通りは少ないものの雨音が強く、少し離れたレイジにははっきりと聞き取れなかったが、心の声はしっかり聞こえた。そしてそれが、彼女が呟いた言葉そのものだ。
「どうしてあんなこと言っちゃったんだろ……」
ヒカリは教室でのレイジへの態度を思い出し、自分を責めていた。欲が出てしまったがゆえの考えだ。楽器のことなど知らなかったレイジが、三週間という短期間に必死で練習し、一緒にステージに立ちたいという願いを叶えてくれた。それは嬉しかった。嬉しかったからこそ、この気持ちを何度でも味わいたいと思ってしまった。
けれども、それはもう叶わない。その事実が、ヒカリは受け入れられなかった。
「もう一度……ステージに立ちたい……」
ヒカリが呟くとちょうど信号が青に変わったので歩きだした。遅れまいとレイジも前に出るが、横断歩道は歩行者用信号が点滅を始めるまで渡らずに待った。
そこへ猛スピードでトラックが突っ込んでくる。赤信号だと気づくがすでに遅く、ぬかるんだ道路では普段以上にブレーキを踏んでから止まるまでに時間がかかる。
殺人犯から逃れたと思ったら今度は運転手か。レイジは咄嗟に後ろからヒカリを突き飛ばした。これで彼女がいた所には代わりにレイジが行く。そしてヒカリは撥ねられることはなくなる。経験上、乗り物に撥ねられたくらいでレイジは死なない。戸惑うことなく、彼は身代わりになることを選んだ。
しかしその運転手は飛び出したレイジに気づくと突然ハンドルを左に切った。そして突き飛ばされたヒカリの真横へ、トラックが向かっていく。
レイジが気づいたときにはもう遅かった。バランスを崩し地面に倒れた彼女の体は、前輪、そして後輪の下敷きになった。
夢の通りになってしまい、レイジは放心状態になった。夢の通りに事情聴取を受け、お通夜には参列せず。
予知していた未来を変えられず、レイジは何も話せなくなった。家に着くと目を閉じることなく、天井を眺めていた。
「これも夢……じゃないよな……」
レイジはポケットからサバイバルナイフを取り出し、左腕に突き刺した。痛みはある。生臭い血の臭いも感じる。あのときの、ヒカリが轢かれたときのと同じ臭いだ。レイジは左腕とその血を眺めながら、あのときの光景を思い出していた。
「ヒカリ……ヒカリ……ううっ……」
左の頬が涙で濡れ、シーツへと染み渡る。あのときの光景と、今までの三ヶ月がふと頭に蘇る。震える手でヒカリへ電話をかけるが、砕けたスマホに電話は通じない。レイジはひとしきり泣いた。
しばらくしてレイジは、左腕に違和感を感じた。痛みが急になくなったのだ。暗い部屋でスマホを点けて腕を照らすと、その光景に驚愕した。確かに昨日の夜、自分で突き刺し痛みを感じた。しかし今になって痛みはなくなり、傷は元からなかったかのように消えていた。
「なんだよ……どうなっているんだ、これは……」
画面を点けてふとスマホのロック画面を見た。そのときレイジは気づいた。彼のスマホのロック画面に表示されていた日付に。
七月十四日、土曜日。0:00
土曜日が終わり、同じ土曜日が始まっていたのだ……




