72話 欠けていた楽しむ気持ち
木曜日の放課後、つまり明日明後日に控える文化祭の前日であるこの日は直前の準備で大忙しだ。
机や椅子を定位置に並べ、テーブルクロスを敷いたり看板を張り付けたりする。出し物は学年問わずジャンルの似たもの同士で近い所に並ぶため、三日前つまり月曜日から教室は移動している。椅子や机は移動先の物を使い、廊下の装飾や小道具の用意はすでに済ませてある。そのためそこまで作業量が多いわけではないが、一人一人が担当する場所に向かいせわしなく働いている。
玲司たちは体育館にいた。教室で仕事をする人たちとは違い、学級での出し物であるカジノではなく、レイジと耀によるライブの準備をしている。
しかし学級の出し物と違い、体育館のステージという限られたスペースを時間帯で分けて複数のグループが利用するので、土曜日の午後三時からの一度だけの発表であるライブのセットを木曜日の放課後に置くことはできない。今できることは道具が紛失していることなく揃っているか、そして不備なく作動するかどうかだ。
「それにしても、土曜日の一回だけとはな。トリを飾れるわけでもないしさ。」
「正式な部会でもないのに使わせてもらえただけ良かったことだ。」
パイプ椅子を運びながら、レイジはクラスメイトとそんな話をする。この高校は軽音楽部やダンス同好会、そして学級での演劇などが盛んで、多くの団体が両日に体育館ステージを利用したいと申請していた。
「それって正式な部会のものでもないだろ。」
「一年C組はカジノだろ。体育館でライブなんてできるわけがねえよ。」
各々の代表者と生徒会役員が一堂に介し話し合いをするなかで、レイジとヒカリによる個人発表は見送られるという方向へ流れていった。しかし息吹、この高校の生徒会長であり島に流れ着いていたレイジの命の恩人である彼女は、彼らの使用を許可した。
当然のように他の生徒会役員や団体の代表者からは反論されたが、一度くらい、十分くらいは与えてもいいんじゃないかというのがイブキの意見だった。
どうせ二週間という短すぎる練習期間なのだ。一曲演奏できれば十分なくらいに考えていたレイジは彼女の意見を受け入れた。
「……はい、ひとまずはこのスケジュールに沿って利用するように。当日とかの変更希望は、あなたたち利用団体だけで話し合ってね。解散。」
イブキが作成、印刷した日程表には、確かにレイジたちに十分の時間が割り当てられていた。準備や片付けを急ピッチで進めれば、ギリギリ収まるかどうかの短い時間ではあるが、使用申請を通すこと、そしてヒカリと二人でライブをすることは可能となり、レイジは一安心した。
「どうしたの? 何か不満かしら?」
一人会議室に残るレイジを見てイブキは問いかけた。
「いや、不満なんかない。無理言ったのに通してくれて、ありがとうって言いたくってさ。」
「私が見たかっただけの気まぐれよ。せいぜい恥はかかないようにね。あなたは生徒会選挙のときの推薦者だったんだから。」
生徒会長になるために手を貸してくれたこと、これはそのときの彼女なりの恩の返し方だ。
「もちろんだ。お前も見に来るなら観客席に来いよ。」
「遠慮するわ。どうせあいつも来るんでしょ?」
あいつというのは中学二年まで同じ学校に通っていた幼なじみの一人、十四哉のことだ。学級でカジノを出す、そして自分は挑戦者を相手することは多くの知り合いに連絡済みだ。そして噂が広まれば、彼らはレイジたちのライブの存在を嗅ぎ付けてくる可能性がある。イブキは観客席で幼なじみに会ってしまい居場所を知られるのが嫌に思えたので、いつでも隠れられる体育館の壁際に立って見ていようと考えている。その心を読んだレイジは、観客席へ見に来いと言ったのだった。
「ほんと、面倒な奴らばかりだな、能力者って……」
イブキもトシヤも、お互いの事情はとっくに分かっている。それなのにお互い意地を張り続けているから、いつまでも犬猿の仲なのだ。自分が強いと思ってしまえるばかりに。
「それじゃあ今日の準備はここまで。練習は禁止、各自解散するように。」
体育館の準備担当が集まり、リーダーの指示によってレイジたちは教室へと戻っていった。
明日の金曜日は校内での文化祭だ。生徒や学校関係者ではない一般の客が来れるのは明後日の土曜日のみ。つまり明日は、校内の人としか回ることができないし、校内の人しかやって来ない。だから明日は大して強い相手がカジノに挑戦しに来ないので、レイジは明日はほとんど非番、土曜日は長時間連続で様々なゲームを担当することにしていた。
そういうわけで、ヒカリも明日は空けていた。担当の時間もレイジと被っているため、明日は一日彼らは一緒にいる予定としている。
「明日誰と回るの?」
「カレシがまだ既読つけてくんないのよー。」
空き教室から荷物を運んでくる係の三人の女子のうち、二人は楽しそうに喋りながら階段を下りてきている。その二人の手前を一人黙って歩いているヒカリは、彼女たちとはまったく関わろうとしていなかった。もっとも向こうもヒカリとはそこまで仲が良いわけでもないので会話に交ぜようとも思っていなかった。
すでに気持ちは明日のことの妄想でいっぱいになっているヒカリは、準備中ずっと上の空だ。レイジが体育館から戻り教室への階段を上り終えたところ、ヒカリは上の階から下りてきていた。
レイジは後ろを振り返り、ヒカリの姿を見る。彼女は少人数教室に置いていた景品を詰めた段ボールを抱えて階段を下りているが、目線が足元に行っていないし段差に気づいてもいない。
このままでは踏み外して危ないのではないか。そんなレイジの予感は的中し、段差に気づかず足を進めたヒカリは空を切った右足とともに前に大きくバランスを崩した。
ヒカリは思わず悲鳴を上げたが、踊り場や階段の上など、近くにいたクラスメイトは誰も反応が間に合わなかった。加えて誰もヒカリの目線の先と注意が階段へ向かってないことにも気づいていなかった。
ヒカリが抱えていた段ボールは彼女の手を離れ、ガムテープで封をしていたわけでもないのでこのまま落ちれば中身のお菓子のいくつかは衝撃で砕けてしまう可能性が高い。封をしなかったのも不注意といえば不注意だが、中身をいつでも確認しやすくするために開けたままにしておくというのが学級での結論だった。
飛び散るリスクと天秤にかけたうえでの結論だ。落としたのが誰であろうと責めるのは間違いだ。
そう判断したレイジは階段を駆け上がり、邪魔な段ボールを腕で弾くとそれを壁に叩きつけた。こうすれば、障害物に妨げられずにヒカリを助けることができる。
右手で手すりをしっかり掴み、踏ん張れるようにする。これで準備はオッケーだ。
しかし落下の勢いを完全に殺すには、腕だけでは足りない。何も道具に頼れないレイジは、右手を離して体全体で押さえつけるようにヒカリの体を支えることにした。
怖いあまり足を伸ばして踏ん張ろうとするも、ヒカリはさらに体勢を崩してしまった。完全に上体が倒れ込む。これでは首から上は受け止められたとしても足や手首は階段にぶつけてしまう。
今日までずっと、文化祭に向けて準備も練習も頑張ってきたのだ。自分にしろ彼女にしろ、怪我で本番に出られませんなんて結末にしては駄目だ。レイジは屈んで両手を伸ばし、ヒカリの右足の太股、そして左肩を掴んで受け止めた。腕がつっかい棒にならなかった左足は階段に当たったがそこまでの衝撃ではない。むしろ彼女の体を支えるのに活きていた。そして左足に体重をかけつつゆっくりとレイジの腕から降りた。
何はともあれ、二人とも怪我することなく済んでレイジは一安心した。ヒカリは階段を踏み外した原因が自分の不注意だと自覚すると、悲しそうな表情を見せた。体は無事だったものの自分が運んできた段ボールは壁にぶつけた反動で中身が飛び出てしまい、明日から使う景品のお菓子が潰れてしまっていたからだ。
「ごめんなさい、レイジ、みんな……私のせいで、こんな……」
「安いもんだ。お菓子の一本くらい……無事でよかった。」
ヒカリは本当に怪我はしていない、隠しているわけでもないことを確信したレイジは、ほっと一息ついて飛び散ったお菓子を拾い集めた。
「どうする? 今から買いに行くか?」
「所詮はF賞、残念賞だ。多少減ったところで問題ねえだろ。」
落としたのはヒカリだが、箱を潰したのはレイジだ。もし責任をとって買い直しに行かされるとしたらこの二人のどちらかだ。しかし二人、特にレイジは今日と明日とひたすらギターの演奏をしなければならない。本番まで後二日という目前に迫っている状況で、三十分程度とはいえ余計なことに時間を使いたくなかった。
元々このお菓子はE賞が取れる得点に届かなかった人、そして取れる賞の景品がすべてなくなってしまい何も取れない人のために用意するものであって、お菓子がなくなってから交換に来た低ポイントの人には何もあげないつもりではいた。つまりE賞より上をすべて取られるという事態さえ回避すれば問題ないというわけだ。そんなこと、Sランクの頂点である自分の前で許さない。レイジは俄然燃えていた。
カジノというシステムは、何人相手が来ようとも基本的には一対一の勝負。レイジより上のランクの同級生など片手で数えられるほどしかいない。他校からやって来る土曜日でさえも高い景品を守り抜く自信があった。何より今までやってきた単なる勝負ではなく、景品を懸けた勝負だ。緊張感も高まる、最高の時間だとレイジは気持ちが昂っていた。
「誰が相手でも関係ねえ。一人残らず捩じ伏せて、景品は守護りきる。」
興奮を抑えきれず不気味な笑みを浮かべながら、形のひしゃげた段ボール箱を抱えて教室へと入っていった。
その日の放課後、レイジはヒカリの家に一緒に向かっていた。ヒカリの部屋は、刹那に頼んで壁、ドアと全面に遮音シートを貼られている。本来は吸音材と併用して音をすべて遮るように作られているのだが、色を塗ることで性質を自由に変えられる能力を持つセツナによって遮音シート単体で、室内からの音のみを遮るように作り変えられているのだ。
これならいくら音を出しても下の階や外に迷惑がかかることもなく、外部からの声や音はしっかり聞くことができる。その部屋の中でレイジたちは月曜日から練習していたのだ。今日で四日目、そして今日含めて練習できるのは後二日だけだ。
「ふぅ……だいぶ様になってきたんじゃないか?」
「レイジもそう思う!? これならきっと、本番は大丈夫そうね。」
とは言うものの、今日家にお邪魔して練習を始めてからは、昨日までに比べてヒカリの調子が悪かった。高校でのお菓子の箱のことを、帰り道までずっと引きずっていたためだ。
「なあヒカリ。あのことはもう忘れてくれよ。全然集中できてないじゃんか。」
「う、うん……ごめんね、レイジ……」
ヒカリが思い詰めているのはよそ見して階段を下りていたことではない。よそ見をしていた原因、明日の文化祭で、レイジと一緒にあちこち回るという妄想をしていたことだ。そして今でも、明後日の午後三時から行う一度きりのライブのことではなく、それ以上に明日のことで頭がいっぱいの状態のまま気持ちを切り替えられずにいることだった。
レイジは明日のことなどまったく気に留めず、明後日のライブに向けてしっかりと切り替えている。どうしても彼に迷惑をかけてしまうことに堪えきれないでいたのがさらにヒカリの心を追い詰めていたのだ。
「お前は今まで、未来やセツナと歌っていたときどんな気分だった? 失敗を恐れて満足に歌えなかったか? そんな暗い顔を浮かべていたままだったのか?」
ヒカリは強く目を瞑って首を激しく横に振った。
まるで過去の彼女を本当に知っているかのような言い回しをしたことにレイジは思うところがあった。今までヒカリ、そしてミライとセツナに会ったなかで勝手に彼女たちの心を読み、どんな気持ちを抱えていたかを知ってその情報を利用したに過ぎない。
見た人や動物の願い、夢を叶わなくさせる能力を宿してしまったレイジは、ことある度に誰かを不幸な目に遭わせてきた。そしてさらに備わっていた人や動物の心を読める能力。誰かをいつも悲しませてしまう償いとして、せめてこっちの能力を上手く使って人の役に立ちたい。
しかしいざ実践してみるとなかなか思い通りにはならない。心の奥に潜む真実を伝えればそれで幸せになれるのか。自ら知ることで掴める幸せを逃させてしまっていないか。そんなことを考える日々だった。
だからと言って諦めたくはない。何度失敗しても、いつかこの能力で、自分自身の力で人を助けるために、レイジは語るのを諦めなかった。
「ライブを成功させるっていうのは歌詞を間違えずに終えることでも、楽譜を弾き間違えずに終えることでもない! 精一杯楽しむことだ! 失敗なんてノリで乗り越えろ。人生いつもそんなもんだ。」
ヒカリはレイジの言葉を聞いてマイクを持ち直した。今までの経験を振り返り、そのときの自分の、そしてミライたちの顔を思い出す。始めたばかりの頃こそ不安ではあったがそれは皆一緒。今年の四月、悩みに圧されていたミライは不安が解消されただけで、楽しんで歌えるようになったことで生き生きとしていたのを思い出した。そしてヒカリも過ちを頭から放り出し、明日のこと、そして明後日のことの両方を妄想した。どちらが重要だとかいう話ではない。どちらも楽しみたい、彼女の願いはそれだけだ。
「ありがとう、レイジ。今の言葉、すごく響いた。でもね、レイジ……」
ヒカリは嬉しそうに、そして照れくさそうに言った。
「そんな言葉、他の子にも言っちゃだめだよ。勘違い、されちゃうから……」
それからのヒカリは楽しそうに歌い踊った。レイジも彼女に負けないように、そして一緒にステージに立てることを楽しみにしつつ練習を続けた。




