71話 現実と向き合って
数日後の出来事。いつものように暴れている華燐は止めようとした玄に殴りかかってしまう。謝ろうと思ったものの今までの態度から急に変えるわけにいかないという思いが勝り、つい悪態をついてしまった。
「邪魔する方が悪いのよ。」
その言葉はハルカの心にグサッと刺さった。そしてハルカは今まで一度もカリンに対して握ったことのない拳をかつてないほどに強く握りしめ、鬼の形相で彼女の顔を見た。不安に思った百花の手を振り払い、立ち上がったハルカはカリンの正面に立った。
「いい加減に……しなさいよ……」
ハルカの殺気に気づいたカリンは、自分に歯向かわせまいと、自分が一番強いと証明しようとおもいっきり拳を振るった。しかしハルカはそれを紙一重で避ける。何度も殴ろうとしても、一切当たる気配がない。たとえ背を向
けているところを狙っても、その拳も足も彼女の体を捉えることはなかった。
すると今度はハルカから蹴りを入れた。足裏はカリンの腹部に真っ直ぐ当たり、その勢いで彼女は五メートル先の壁に叩きつけられた。
一瞬の出来事に何が起こったのか分からず混乱するカリンは、さっきまでいた場所から遠く離れていたことと腹部への痛みから、自分は蹴り飛ばされたのだと気づいた。我に帰ったカリンはハルカを見上げるが、彼女の形相は恐ろしいものだった。
カリンがもう抵抗してこないと分かったハルカは蹴ってしまったことを謝ろうと走り出したが、それはカリンには追撃の意思があると捉えられてしまった。蹴られたことがフラッシュバックし反射的に悲鳴を上げたカリンを見てハルカはその足を止めた。さらにゆっくり進もうとするとより大きな声で叫ぶカリンに、もう近づいてはいけないのだと察した。
「……あのカリンを一瞬で吹き飛ばすとか、ハルカって昔からあんな強かったの!?」
「今までもああやってカリンを守っていたけど、あそこまで力を出したのは初めてだったわ。」
今でもハルカはめったに力を見せない。決して全力は出さない、出せば並大抵の人は吹き飛ばされる。おとなしいハルカの姿しか印象に残っていなかったチハヤにとっては衝撃的な事実だった。
カリンの叫び声を聞いて先生がやって来て事態は丸く収まったが、震えの止まらないカリンは保健室へ行った後に早退した。
その日の放課後、カリンを心配して家に寄ろうとしたハルカとモモカだったが、家の玄関が見えた所でカリンの叫び声が聞こえた。モモカは急いでインターホンを鳴らしカリンの親と会って部屋まで向かったが、ハルカはそこで引き返した。
自分の気配に気づいて、怯えてしまったのだろう。そう考えたハルカはしばらく落ち着かせるためにカリンには近づかなかった。
しかし次の日からカリンは学校に来なかった。事情を聞いた彼女の両親はカリンにも非があるのでハルカのことは責めずにカリンを励ますことに専念したが、ハルカは責任を感じずにはいられなかった。
それからハルカもしばらく学校を休んだ。一人復帰したかと思いきや、やって来たのは不気味な能面を被った子ども。その子どもの正体はハルカ本人。
これを被っていれば、カリンは自分を認識できない。まるでいない者として見られるという能面を手に入れたハルカは、その日からずっと能面を外さなかった。
慣れない内は段差に躓いたり物にぶつかったりすることが多かったが、次第に普通に生活していたときと変わらないくらい不自由なく過ごせるようになった。
ハルカが学校に復帰してからカリンも登校するようになった。モモカたちとは今まで通り接することはできたが、まるでハルカはいなかったかのように目を合わせることも話題に出すこともなかった。逆にモモカからハルカの話題を出してもカリンは拒絶こそしなかったもののまるで興味を持たなかった。今ハルカがどこにいるのか気づいていなかったが、能面を被った少女について触れることもなかった。本能的に関わってはいけないと避けているのだろう。
「あのお面ってそんな理由があったのね……なら、もうカリンは怯えることないんじゃないの?」
高校に進学してから知り合いになったチハヤは純粋に疑問をぶつけた。
「ううん。ある日私たちは三人で帰っていたんだけど……カリンからしたら、私との二人だけっていう認識だったんだけどね。」
一ヶ月後、そろそろ大丈夫だろうとハルカは学校の帰り道に能面をゆっくりと外したそのとき、カリンは彼女の気配を察知した。あのときの彼女の表情が脳裏に蘇る。カリンは口をパクパクさせ、頭の中が恐怖でいっぱいになると前と同じような発狂をした。
ハルカは咄嗟に能面をつけ直し、その場から離れた。カリンは徐々に落ち着きを取り戻していったが、それからは二度と彼女の側で能面に手を触れることはしなくなった。彼女からは見えない位置からこっそり能面を外そうとしてもその気配は伝わってしまうようで、月に一回試しては毎回彼女の心を苦しめてしまっていた。
「でもある日、ハルは誤って面を取っちゃったの。本当ならそれだけでカリンは震えて叫んでいたのに、そのときだけはなんともなかったって。」
それは今年の四月の出来事。カリンがレイジの高校に乗り込んできた、彼女と初対面の日だ。新たに現れたSランクと聞き、カリンが勝負を仕掛けにやって来た。その情報を聞いたハルカは彼女の行き先である小湊原高校へ向かった。
グラウンドの柵の外からレイジとカリンの対決を眺めていたハルカ。二人はサッカーボールとゴールを使って勝負をしている。
そのとき突然くしゃみが出てしまったハルカは思わずその直前に能面を取ってしまった。前は一瞬顔を覗かせただけでカリンは叫び震えてしまっていたが、今日はおもいっきり顔を見せたのにまったく反応がなかった。
不思議に思ったハルカは、能面を被り直すと木陰からカリンを眺めていた。
Sランク最強と評価されていた自分の前に、得体の知れない少年が立ちはだかっている。このときのカリンは、今まで見せたことのない表情をしていた。ずっと抱えていたものを忘れ、目の前のこの瞬間を楽しんでいる。ハルカの目には、そのようなカリンの姿が映っていた。
カリンが蹴ったサッカーボールはレイジによって軌道が変えられ、ゴールポストで跳ね返り彼女の額に直撃した。そして気絶したカリンはレイジに背負われ、電車を利用して海の家に運ばれた。
なぜかカリンは水着に着替えされられていたが、復活して外に出てきてからも、能面を外したハルカの存在に気づくことはなかった。
ヘキサフリートとの決闘が終わり、それぞれ家へ戻っていった。次の日にカリンの元へ行き能面を外そうとすると、昨日とは違いいつも通り気配に怯えて叫び出してしまったのですぐに引き返してしまった。
結局あの日以外カリンはハルカに気づかない日はなかった。ときどきカリンはモモカにメッセージを送っていたことをモモカから聞いたハルカ。彼女はよくレイジのことを話していたらしいが、カリンが戦っていた相手という情報しかなくハルカは直接話したことはなかった。
一ヶ月経ったゴールデンウィーク初日。チハヤの応援にやって来たハルカは偶然レイジに会った。この人が側にいれば、自分の存在に怯えることはないのだろうか。そんなことを思いながら、ハルカは一日レイジを見ていた。
「そういやチハヤ。あの日の帰りにハルカと話してなかったか? 本来の判定がどうのって……」
「えっ!? 何でそれを……」
耀とチハヤのバドミントンの試合。ヒカリが打ったシャトルに対し足がつって動けなかったチハヤは見送った。その球がライン上の判定の際どい所に落ちたので、審判にも正しい判定が見えなかった。
微弱な風を読み正確にシャトルの落下点が分かるチハヤが見送ったのだ。なら今のショットはコート内に入っていないにちがいない。そういう先入観によって判定を下されたせいでヒカリは勝機を逃し、敗北した。
一度起こった事象を繰り返すことができる能力、深夜零時と名付けられたヒカリの能力は、彼女がサーブを打ったラリーで点を取ればそれを繰り返すことで一方的に点を取れるというもの。あの判定が逆だったならばそれが成立したため、後一点取られれば負けるという状況でも逆転勝利することができたのだ。
しかし審判の判定は覆すことができなかった。事実あのときチハヤは風とシャトルの落下点の計算で頭を使いすぎていたため、正確な判定は誰にも分からないものだった。
しかし一度見た物であれば目を離していても障害物に阻まれていても、またどれだけ離れている所に移動しても正確な位置と動きが分かるというハルカからはシャトルの落下点、そして正確な判定が見えていた。試合が終わり電車に乗った後に、チハヤはハルカに電話をかけて真実を知った。
レイジはその真実を今さら知ろうとしたわけではない。能面を被っているせいなのか飛影同様に他人の能力が効かないという能力も持ち合わせているのかは知らないが、ハルカには離れた位置から物が見えるという能力があるのは確かだ。
問題はその本質だ。ハルカ本人の心を読んで知ることはできないが、同じ高校に通うモモカやチハヤなら分かっているかもしれないと思い、レイジは話題に食いついたのだった。
「うーん……そうね。確かにハルカには、すべてが見える能力が目覚めているわ。あの能面を被ってからはね……」
視界が塞がれるゆえの純真培養と言うのだろうか。一度見た物に注意を払うことを心掛けて極力ぶつからないようにしていたために身に付いたとも考えられる。秘密はあの能面にあるのか、それとも彼女自身にあるのか。
真実を知るには、あの面を外した姿を見る他はない。
能面の下にあるハルカの素顔。右目を隠している自分にも似通っているとレイジは感じていた。
直接頼めば、取ってくれるのだろうか。いや、見てはいけないものだ。なんとなくだが、彼の直感がそう告げていた。
今のレイジには、彼女がどこにいるのか分からない。チハヤにもモモカにも、いつどこに来るのかまでは知らせなかった。けれどもカリンたちの演技が始まった今、この会場にいるのは間違いない。レイジがここにいることは、彼女に伝わっているのだから。
「みんなー! 来てくれてありがとうございまーす。私たち四人の舞を、ぜひご鑑賞ください!」
長袖劇団リーダーサクラの掛け声によって、四人による演技が始まった。
以前見たときよりさらに派手で華麗なパフォーマンスとなっていて、会場は盛り上がっていた。レイジも楽しみたかったところだったが、何か不穏な空気を感じずにはいられなかった。
ステージに立つカリンの瞳には、しっかりとレイジが映っている。それは彼自身も気づいていた。モモカの言っていたことが本当なら、仮にハルカが能面を外したとしてもその威圧感にカリンが取り乱すことはないと信じていた。
しかし、その考えは甘かった。
嫌な予感が的中した。カリンはハルカの気配には気づかなかったものの、その姿が視界に入ってしまったのだ。他の三人は観客席全体に視線を向けているなかで、カリンだけは常にレイジが見える範囲だけに視線を向けていた。
しかし人の視界というものはそこまで狭いものではない。人混みを少しずつ潜ってレイジの後方三メートルの所なで進んできたハルカの体が、カリンの瞳に焼き付いた。
演技はクライマックスの最中。突然札を落とし、産み出していた幻の炎が乱れて雪や桜、そして蝶を打ち消した。突然の乱れに客席はざわつくが、それ以上にパニックになったのはステージの上だ。
顔を両手で押さえつけ、怯えるように叫ぶカリン。喧嘩に強いと評判の彼女が見せている今の姿に、客の多くは混乱していた。サクラたちは踊るのをやめ幕を下ろした。
「皆さん、今日はお集まりいただき、ありがとうございました! 突然ですが、以上で舞は終了とさせていただきます。」
幕の裏から出てきたサクラはマイクを持って演技の終わりを告げた。そして裏ではアゲハと冬雪がカリンの心を落ち着かせようと体を擦っている。最悪の事態だが想定はしていた三人は、手際よく閉演のアナウンスと準備に取りかかれてた。
レイジは迷った。迷った末に、ステージの上へと走り出した。
すぐ側にまだハルカがいる。彼女の元へ向かえば、能面を外して情報が得られるかもしれないと思ったが、ハルカではなく反対側のカリンの元へ向かった。
「カリン! 大丈夫か!?」
「レイジ! ほらカリン、来てくれたよ! もう大丈夫だから。」
レイジは何度もカリンに声を掛けた。その声は届いてはいるが、ハルカへの恐怖心は止まらない。
「最初はあそこにいなかったわ……演技が始まってから、あそこへ移動したのね……」
ステージの上から見ていたサクラは言った。おそらくハルカは最初、カリンの目に映ってないことに気がついていた。意図的にレイジの方を向いていたことに気づいたのは定かではないが、彼女の視界へ入ろうとしたのは事実だろう。そしてもう、今日はここに戻ってくることはない。ハルカにとっても、能面を被った姿で視界に映っただけでフラッシュバックが起きたのは想定外だったにちがいない。
しばらくしておけばカリンは元通りになる。しかしレイジは、このままではいられなかった。
「俺が必ず、ハルカの面を外す。だからカリン、お前もあいつから逃げるなよ。約束だ。」
長袖高校の文化祭は、急展開を迎えて幕を閉じた。そして一週間を切ったところで、レイジたち小湊原高校の文化祭が始まる。ハルカとの決着を着ける前に、越えるべき壁は残っているのだ。




