59話 目の前とその先を見て
「俺の勝ち。まあ、読めてたけどな。ほらっ、飲みなよ。」
セツナが事前に用意していたテーブルの上のペットボトルから紙コップにお茶を注ぎ、倒れているレイジの手元に置いた。しかしレイジはせっかく用意してもらったお茶を取らず、何も飲まなかった。
別にこれくらいの量なら、飲み物に頼らずとも堪えきれる。わさびトラップは昔何度も仕掛けられて、それ以上の辛さで仕返しするために罠と知りながら食べてきた。だから多少多く盛られたところで、ハズレだと分かりつつも表情には出さない自信があった。
辛いのを我慢してそれを二人に悟られなければ、元から一つもわさびは入っていなかったとごまかせる。万が一ハズレのわさび入りを引いたらその手で乗りきろうと思っていた矢先に予想以上の量が盛られた物を取ってしまい、声を漏らすのも顔をしかめるのも我慢できず隠し通せなかった。
「くそっ、この俺が二択で……五十パーセントの負けを引いちまうなんてよ……」
「残念だがレイジ、お前は百パーセントの勝ちを捨てたうえで五十パーセントの負けを引いたんだ。」
百パーセントの勝ち、つまり二つある皿のハズレを絶対に選ばない方法があったということだ。
何かしらの種があるとは考えていた。それに気づけず完全に運任せで選んだことが敗因だと言っているのだとうと考えたが、真相はまったく違うものだと知らされた。
「最初に取る前、お前はお盆を回しただろう。目で追えなくなるくらい素早く。」
確かにレイジは一つ目の皿を取る前に、仕掛けた皿がどこにあるか覚えておけなくなるように高速回転させた。
「そのときだよ。ハズレの皿を見えなくさせて、当たりの皿の幻影を生み出したのは。」
「ハズレの皿を見えなくさせただと……」
「お盆の上に乗せるのは五皿。このルールは守ったよ。けど、それより多く作っちゃいけないなんてルールはなかったよな。」
レイジの頭をある考えが過った。そしてそれが本当かを確かめるべく、仕掛け部屋である海の家に飛び込んだ。
案の定見つかった。さっきの皿と同じデザインの皿に盛られた一貫の握り寿司。わさびの入れられていない握り寿司があった。
「分かったか、レイジ。」
「この幻影を見せる代わりに、ハズレを見えなくさせたってことだな。」
ヒエイの策。それはセツナにハズレを引かせないこと。二連続で三分の一のハズレを引いた彼女に取らせないためには、ハズレを見えなくさせればいい。いくら不運の彼女でも、見えないハズレを引くことはない。
そうすると出てくる課題は三つ。
まず一つは数。わさび入りを一つ見えなくすれば、お盆の上の数が一つ減ってしまう。お盆の上の別の皿を見せつつその幻影を見せることもできないので、五つ用意するだけでは成立しない。
そのために一つ多く作り、見えない所に隠しておいたのだ。
二つ目は、幻影があることに気づかれないこと。触れば消えてしまう幻影の皿に手をつけさせてはならない。だからセツナが皿を選び直そうとしたときの忠告、一度触れたらその皿を取らなければならないという忠告をすることで、一つ一つ触って調べるという策を封じた。
最も重要な三つ目は、いつ幻影を見せるのかということ。本来空いているスペースに裏に隠した六枚目の皿を見せ、元から置いてあるわさび入りの皿を見えなくさせるから、普通にやるとすぐにバレる。案として挙がったのがレイジのやった高速回転。
しかしそれをやってしまえば、その動きに何かあると疑われる。いかにしてレイジやセツナに気づかれないようにするか、そのために考えた策が、すべての皿を同じ柄にすることだ。
目論み通り、レイジは自ら皿を回した。場所を覚えておけば絶対にハズレを引かない四択を利用するために、ヒエイが仕掛けた皿がどれだか分からなくするようお盆を回転させた。
目で追うのが困難。しかし回転してすぐに入れ替えればバレる。目で追いきれるギリギリまで加速するのを待ち、残像が見え始めたところで幻影を発動。
作戦は成功し、レイジとセツナには四つの本物の当たり皿と一つの幻の当たり皿が見えるようにした。
後はレイジがその五択で、セツナが三択で幻影を選ばないこと、二人に気づかれずに彼に二巡目を返すことを祈るだけだ。
二人は幻影を選ばなかった。残り二皿になったとき、レイジはどう動くかを見る。
このタイミングで当たりの幻影に気づけば自分の負け。なぜならその段階で見えている皿は残り一皿になってしまい、それを取られれば彼らに見えないわさび入りの皿を取らなければならないからだ。
逆に空を切ろうとした手や箸が見えなくしていたハズレの皿やその上の寿司にぶつかれば、本物のわさび入りの皿が現れる。ルール上一度触れた皿は取らなければならないので、そうなればヒエイの勝ちが確定する。しかしよほど箸を遊ばせない限り見えない皿にぶつかることはないので期待値は低い。
ゆえに前者と後者では起こりうる確率は前者のほうが高い。加えて見えている二皿の幻影ではないほうを取られてしまうことも自分の敗北条件だ。
ここまで作戦通りに進めたものの、詰めの一手が甘かったと悔やんでいたヒエイだったが、そのとき希望が見えた。
レイジは再び取る前にお盆を回転させた。先ほど同様の高速で。
これは絶好のチャンス。少なくともこれによって五分五分の勝負に持ち込める。ヒエイは見せていた当たり皿の幻影を消して隠していたハズレ皿を露にした。
こうすればただの二択。それでも低いとは思えるが、元々ゼロに近い可能性を互角に持ち込めるなら万々歳だ。
レイジが悩んだ末に思考を放棄し、運に任せて選んだ皿。それはわさび特盛りの握り寿司。隠し通すこともできず悶え苦しみながら倒れたその姿が、ヒエイの勝利を表したのだった。
「そうか……幻影、完全に予測していなかったぜ……」
「お前の弱点。それは人の思考に頼りすぎたことだ。つっても、セツナにも予想できないような俺の策が完成していたのもあるだろうけどな。」
それはどうなのだろうか。彼女は勝負の間、自分以外のどちらかがハズレを引いて勝負をつけてくれないかということと、回ってきた三択の賭けに勝利することしか頭になかった。二人がどんな策を使ってくるかなど、考えてもいなかったのだ。
他人の心理でなく自分の直感に頼った選択だったからこそ、ヒエイの使ってくる策が読めなかった。
「俺は互十パーセントの勝負に負けた。が、その前の百パーセントの勝ちを捨てたうえで五十パーセントの負けを引いてしまったんだ。」
どこか空元気で、それでいて吹っ切れたかのように、レイジは微笑んで手を伸ばした。
「俺の負けだ。」
「それで、相手はヒエイってわけね。」
「宣言通りってとこだな。絶対に倒してやるから覚悟しろ、イブキ!」
午後五時。約束の勝負の時間がやって来た。体力を完全に回復させたイブキと、そんな彼女に臆することなく向き合うヒエイを、レイジとセツナは審判の立場から見ていた。
「あのっ、ちょっといいですか、レイジ?」
彼女の聞きたいことは分かっている。なぜ自分はここに残っているのかと。
「お寿司は全部レイジが作るんですよね。私に運ぶ役でも押しつけるんですか?」
一対一で勝負するというスタイル上、挑戦者に寿司を作らせて早い者勝ちで取り合うのは不平等だ。特にヒエイは自分で作った寿司ならば直接触れずともその幻影を生み出すことができるので、イカサマとまでは行かないが自分に有利になるような仕掛けをできる。だからこの勝負において寿司を用意するのは勝負に関わらないレイジだ。
なぜセツナではなく彼なのかというのも、彼がどこに仕掛けるかを読んで行動するという実力が試されるからだ。
レイジには事前に誰がどこを狙っているのかが分かる。ヒエイには通じないが、それが彼にとって絶対的に有利になるとも限らない。
例えばイブキが中央を狙っていてそこにレイジが仕掛けたとして、それをイブキより先にヒエイが取ってしまえば彼の負けだ。
かといってイブキが先に取るようにする策を取ったとしても、レイジが並べた後に彼女が取る場所を変えれば常に彼の勝率はゼロパーセント。五十パーセントで負け五十パーセントで持ち越しという、負け以外に道のないものとなってしまう。
しかし常にレイジがイブキの狙いに合わせて並べるかも彼らには分からないので、どう予測するか、実際はどう動くかは挑戦者自身の判断に託されている。
「用意するのは三つの皿。二人が取るのは一つずつ。この意味がセツナは分かるか?」
「んーっと……はっ、私に残りの寿司を食べろと言うつもりですか!? 勝負がつくまで食べ続けろと言うつもりですか!?」
「正解。さすがは偏差値七十オーバーの秀才だな。」
「ふざけないでくださいよ! 何で私ばかりこんな扱い何ですか! 私仮にもアイドルなんですよ!」
プロダクションも何もない、サークルのようなものでアイドルを名乗るのも失礼じゃないかと思ったレイジは、歯に衣着せず言い返した。
「体の一つも張れないで何がアイドルだ甘ったれめ! 芸能界の闇を知らない奴が生意気な口を叩くな!」
「うるさいわよレイジ。こっちは準備できているんだから、早く始めてくれない?」
イブキの怒声で二人は言い合いを止めた。
「それでは最終決戦を始める。ルールは合図が鳴ったらスタートラインから進み、早い者勝ちで皿を一つ選ぶ。三つの皿の内一つだけわさびが入っていて、それを取った方の負け。勝負がつくまでこれを繰り返す。以上。よーい、始め!」
テーブルに横並びに置かれた三つの皿にはその中央の皿を挟んで向き合う二人。スタートラインの立ち位置はそこだが、レイジの声とともにスタートすると二人はそれぞれにとって右側の、両端の皿をめがけて走り出した。
今回も同じように一度触れた皿から変えることはできない。テーブルの前に着いて、どれを選ぶかを見るだけで判断しなければならない。
「これね!」
イブキが取ったのは走り込んだ先の真逆にある、元々ヒエイが狙っていた皿だ。
しかしその皿に触れた瞬間に皿、そしてまだテーブルに届かない所をゆったり走っているヒエイの姿が消えた。それはすでに幻影だった。彼女の目に映っていたとき以上に速く走っていたヒエイは彼女より先に皿を取っており、その場所に幻影を見せていた。
「さあ、これで二択だぜ。これは確実に当たりだから、続行かお前の負けのどっちかだけどな。」
ヒエイの言葉を聞き終えたイブキは、迷わず中央の皿を手に取った。結果は二人とも当たりを引き、勝負は続行。再びレイジが三つの皿を用意することになるが、その間に残ったハズレの皿はセツナに完食してもらわなければならない。
「じゃあ二回戦目に入りまーす。セツナ、よろしく。」
「こんなんもう嫌ですよ……」
三択ならともかく、わさび入りと分かっているものを食べなければならない彼女の心情はとても暗いものだった。しかし、レイジは今の二人の動きを見て次の勝負で決着をつける自信がついた。
「並べまーす。」
悶えているセツナを気にかけず左手で持ったお盆から一つだけ皿を右手に持つと、彼はしばらくの間固まった。その様子を見ても二人は何も言わない。
分かっているのだ。レイジが今イブキの考えを読んで、どこにハズレを配置するのかを考えていることを。
イブキから見て左、右、最後に中央の順に皿を置く。そして宣言した。
「イブキ、ハズレはこの左の皿だ。」
「ヒエイ、ハズレはこの左の皿だ。」
それぞれの方を向いて別々の皿を指差し、それがわさび入りの皿だと言った。向かい合う二人のそれぞれから見て左手にある皿なのだから、当然指したのは別々の皿、両端の二つの皿だ。
少なくとも二人のどっちかに言ったことは嘘であり、中央のハズレを置いてあるという両方に嘘を言ったケースも存在する。
そして一回目と同じ審判としての立ち位置、辛さに苦しみ踞っているセツナの隣に戻ると、二人の目を見てスタートの合図の体勢に入った。
「よーい……」
「ねえレイジ、一つ聞きたいけど。」
振り上げていた右手を下ろし、イブキに顔を向けた。聞きたいことは分かっている。にもかかわらず、彼は尋ねた。
「何だ? 降参か?」
冗談で答えた。それはイブキにも分かっている。彼女はレイジのボケを無視して真剣な眼差しを向けて言った。
「私はあなたの言葉を信じてそれを取るわ。けど、それが嘘だったらどうするつもり?」
彼女がそう聞いてくるときは、さっきの言葉を伝えた直後から分かっていた。厳密には、こう言い返してくると読んだうえで口にした言葉である。
レイジはさっきと違いこれまた真剣な眼差しを向け返す。
これはこの勝負一つに対してのものではない。これから彼の前に立ちはだかることすべてを見据えたうえでの戦略だ。ヒエイとの勝負に負けたのは不本意だが、それを糧とするための策。
こうして審判として立っている今だからこそ言える言葉を伝えるのが自分の役目だ。そう思っているレイジは、この決着が着いた後の自分たちの姿を想像して答えた。
「どうするか、それはだな……」
凄まじい水飛沫の音に、彼の言葉がかき消される。その飛沫とともに、刺身の匂いを嗅ぎつけた鮫の群れが飛び込んできた。




