56話 それは幻影だ
「できましたよ、防水性にデザインした服。ですが、ヒエイは海に入っては駄目ですから。」
防水性をイメージするだけで良かったのだが、やけにカラフルに仕上がっていた。マーブル模様に染まった、洋服屋では見かけないようなデザインをしていて、これはこれで味のあるものだ。
イメージしたものを作り出す能力も凄いが、デザインセンスも抜群だ。さすがはボーカルユニット‘蒼の月光’の衣装デザインを担当しているだけはある。
「俺がこれ着て海に入ったらどうなるんだ? 破けるのか?」
「いえ、コンセプトの防水性が機能せず元々の服の性質に影響されますので、さっきのように水を吸って重くなるだけです。」
つまり濡れたらまた描いてもらえばいいだけだな。そんなヒエイの思考を読んだかのように、セツナは付け加えて言った。
「次濡らしたらもう描きませんよ。」
彼は舌打ちをすると店を出た。セツナを追いかけるために置き去りにしたバイクを持ってこなければならない。砂浜に戻ろうとすると、すでにイブキが押して持ってきてくれていた。
「サンキュー。取りに行く手間が省けたぜ。でも悪いな。俺が置いていったのに。」
「処分しようとして持ってきただけ。あんなでかいゴミを放置しておけないわ。」
直すことができるが今はまったく動かせないので仕方ないことかもしれないが、愛用のバイクをゴミと言われたのには腹が立った。ヒエイは許せなかった。
「ゴミだと!? 俺の大事な相棒をゴミと言ったな!」
「この海に来るバイク乗りは大抵ろくでもない者なの。音がうるさいし揉め事を起こすし。」
イブキの経験上、海岸で問題を起こすのは多くは高校生や大学生であり、車でなく指定された場所以外にバイクを停めてやって来る連中であった。
元々バイクが好きだというのもあるが、イブキに見つからずに迅速に逃げるための方法として選んでいるのもある。
現に例のナンパ八百長作戦でヒエイが待機していた場所は駐車禁止区域だったから、手口としては彼らと似た者同士だ。
「ちっ、海を守るためにやって来たってのに逆に海の厄介者ってか。分かったよ。」
ヒエイはイブキからバイクを受け取ると駐車場へ押して歩いていったが、一度足を止めて背を向けたまま叫んだ。
「けどなぁ、絶対にお前に勝つ! 勝って証明してみせる。お前一人では届かない世界があるってことを!」
この海を守る。それはイブキだけではできないから、誰かに頼る必要が出てくる。その候補の筆頭に自分が挙がるくらいの存在になる。そのために一度でも勝負に勝つ。それがヒエイの目標だった。
S+ランクが相手とはいえ、Aランクである自分の力の価値を見出だしたい。それがヒエイのプライドだ。
イブキ一人ではこの海は守れない。だから誰かに頼らなければならない。この町に来てから色々な場面で言われてきた言葉だ。
なら誰に、誰に頼ればいい。イブキは考えていた。
自分と同じS+ランクの四天格か。それに頼りたくないから、グループに入っていながら一人で行動しているのではないか。
なら他に誰がいる。いや、身近にいるじゃないか。四天格には一歩及ばないもののSランク最強の男が、すぐそばに。
イブキはレイジに目を向けた。確かに生徒会選挙では機転を利かしてもらったし、校外学習も無理言っておきながら最後まで付き合ってもらった。
頼りになるかならないかで言えば、頼りにはなるほうだろう。
「じゃあレイジ、先にあなたが相手しなさい。」
突然のことにレイジは困惑したが、彼女の心を読んでその真意を受け入れた。
「勝ったほうが私と勝負。時間は今日の五時。場所はこの海岸の中ならどこでも構わないわ。もちろん、海の中でもオッケーよ。」
これはヒエイへの試練でもありレイジへの試練だ。ここでヒエイに負ければ彼はその程度だと認知されてしまう。本当に力になりたいならどんな相手にも勝て。そういう意味だ。
もちろんヒエイがレイジに勝っても彼女に負ければそれまで。かっこつけて海を守るライダーを気取る必要もないと見限られてしまう。
つまり、レイジにとってもヒエイにとっても、負けられない戦いであるのだ。
「……レイジはそれでいいのか?」
「まあな。これは俺にとっても重要な決着になるからな。」
元々は四天格、つまりS+ランク全員を下位から倒していくつもりで最初はトシヤと勝負するつもりだったが、その勝負は二週間後に迫っており今ここで先にイブキに歯が立たない程度では話にならないだろう。
だからレイジは順番を気にせず今日ヒエイに勝ってトシヤより先にイブキに勝負を挑み、そして勝つと決めた。
「じゃあまた夕方。集合場所はこの店の前。」
「私、ついていきますよ。何かあったら危ないですし。」
確かに消耗している今ならイブキを狙う絶好のチャンスだ。以前彼女にボコボコにされたヤンキーたちが恨みを晴らしに襲ってくるかもしれない。セツナがついたことで戦力の向上にはならないが、周りへの警戒をすることでイブキに早く気づかせることができる。
自身の体力の低下を自覚しているイブキは、セツナとともに自宅へ戻っていった。勝負に備えて体力の温存に専念するつもりだ。
現在時刻は午前十一時。イブキとの対決まで後六時間で、それまでに二人で戦い代表を決めなければならない。
今ヒエイはバイクを駐車場まで運んでいる。戻ってくるのは二、三十分後だろう。
しかしヒエイはかなり厄介な相手だ。能力が効かず心が読めないという点ではSランクのヘキサフリート以上に対策が困難。何が得意なのか、何が弱点なのか。
それを知るには心を読むのではなく目と耳で見聞きすることが必要だ。
彼が駐車場から戻ってくると、レイジは話を持ちかけた。
「よし、まずは作戦会議だ。議題は何の勝負でイブキに勝つか。これを決めておけば、俺たちがどんな能力を競えばいいのかの目処が立つ。」
そう、ヒエイとの勝負までの時間にできるだけ話す、聞く、そして見る。分析するんだ、彼の特徴を。
「そうだな……イブキといえばスピードと潜水能力。それと髪質だな。」
髪が以上に硬いのも特徴といえば特徴なのだが、有益な情報ではない。髪が硬いと何が起こるかというと、下手に触れるとザクッとして痛いというくらいだ。ハリネズミとも言うべきその髪に触れれば出血とまではいかないが咄嗟に放そうとしてしまうくらいには強烈なものだ。
潜水能力は言わずもがな。圧縮した空気を大量に吸い込むことで常人には不可能なほど長時間息を溜めて吐き続けることができるので、何の道具もなしで一時間以上水に潜ることができる。
彼女は測定はしていないが、それより何倍も長く潜っていられるようだが、そんな長く潜っても何も得られないので限界までは挑戦していない。
最後にスピード。これはどんな人でも太刀打ちできない速さだ。次の日への負担を考えなければ新幹線以上に速く走れるので、短距離走のような直線の動きでは右に出る者はなく、サッカーやなバスケットボール等の他の動きを行いつつ不規則に動くものなら、その分野に相当長けている人でやっと渡り合えるくらいだろう。
だったらそれらと縁のない、まったく別の分野で勝負すればいいという話にもなる。
しかしそれでもレイジが勝てる見込みのある勝負はないのだ。
料理や裁縫はできないので勝負にならないし、得意分野で挑もうとしてもその上を行かれて負けてしまう。
心が読める人が絶対有利になる勝負として真っ先に挙がるのはじゃんけんだ。これだとイブキの出す手自体は読めるので一見有利だが、実はその読みはまったく意味がない。
彼女はレイジが出そうとしている手に気づいた瞬間に超高速で自分の指を動かすことができる。いわば後だしの後だしだ。
こんな感じで、イブキのテリトリーを避けて挑もうとしても駄目なのだ。勝つためには彼女の専門で挑み、本人の知らない弱点を見抜き隙を逃さず攻めなければならない。
幸いヒエイの能力も瞬間移動の亜種といえる点でイブキのに似通っているので、彼との勝負の中で攻略の糸口を導き出せるかもしれない。
「ならあいつの得意分野、スピードを利用した勝負にしないか。」
ヒエイが提案したスピード勝負。イブキにとって能力の発動によって最も向上する分野であり、能力抜きでも他を圧倒できるほどの実力を備えている領域だ。現に彼女は、単純な走力ではどんな能力にも負けない自信を持っている。それを証明するのは能力の強さだけでなく日頃の努力もだ。
「スピード……というと何がある?」
「そうだなあ……鬼ごっことか?」
やはりそれが真っ先に挙がるか。
これならレイジでもヒエイでも対策して挑むことができる。レイジはイブキの動きを読んで避けたり捕まえたりできるし、ヒエイは幻影を見せて避けることも隙を狙うこともできる。
「ならそれでいくか。」
「よし、じゃあ俺たちの勝負の手段を決めに入るか。」
一段落ついたことに気づいたセツナは、今まで言おうと思っていたことを口に出すために手を挙げて、二人の間に割って入った。
「ちょっといいですか? 私もう帰りたいんですけどその前に!」
テーブルをバンと強く叩く。まあ、怒っているのも当然だろう。
「私を連れ去ってバイクに乗せ、逃げていったことについて何も説明されてないんですけど!」
「ああ、あれはな……」
元々はセツナをナンパして、助け、というよりイブキが来る前にヒエイが救出するという演技を見せるつもりだったということ、イブキ一人では海を守りきれないから頼れる人がいることに気づいてほしかったがために実行したことを話した。
彼女は呆れてため息をついた。
「海に入らないだけならまだしも、そんなことに利用するために私を呼んでたなんて……」
セツナは席から出ると、店の出口へと向かった。
「本当に帰るのか? これから面白くなるってのに。」
「私だって、自由にいたいんです。」
一瞬だけ足を止めて言い残すと、セツナは店から出ていった。二人は目を合わせると、何も言わずに頷いた。
「行くぞー!」
「うおおお! 海だあー!」
セツナが出てしばらくした後、レイジとヒエイは叫びながら店から飛び出した。彼女は声に気づいて振り返ってみたが、彼らの格好は奇妙だった。上半身は裸で、ズボンも自分がデザインしたものではなく、長ズボンを捲ったものでもない。短パンだ。
状況が整理できていないまま、二人が海に飛び込んでいくのを眺めていたセツナは、一度店に戻り中にいた店員に話を聞いた。
「あのっ、さっきの二人は……」
「ここで水着を買って着替えていったんだ。あっ、脱いだ物はこっちに畳んでおいたよ。」
店員の指差す通り、角にあるテーブルに二人分の服が置いてある。防水性に優れ水の中でも自由に動けるように彼女がデザインしたその服が、確かに残されていた。
セツナは再び店の外にいる二人を見た。一見何をしているのかは分からないが、思うがままに遊んでいるようにも見える。
「あの二人って今……」
「遊んでくるって言ってたな。」
自分のことを散々ほったらかしにしておきながら、結局何も考えずに遊んでいるというのか。今までの苦労と我慢は何だったのかと憤り、拳を震わせ立ち尽くすセツナの視線の先には、無邪気にはしゃぐレイジとヒエイの姿があった。
「こんな早い時期からあれだけ楽しんでくれるのは嬉しいことだ。」
店員、もといレイジの居候先の旦那さんは、未開封の段ボール箱を開けると水鉄砲と膨らませる前の浮き輪をカウンターの上に置いた。
「お代はいらないよ。好きなだけ貸してあげるから、自由に遊んできなさい。」
「しょっぱい! 久々の味だぜ。この島に来た日を思い出すなー。」
「そりゃあそうだ。お前、この海から来たんだもんな。」
「まあな。あいつらは元気に死んだんだろうか?」
三月十六日。レイジが連れ去られ、ヘリコプターから空中脱出した日だ。連れ去った連中諸とも海に落下し、その後のことは聞いていない。だが落ちた所からは陸が、家や街灯の光が見えないくらい沖のほうに落ちていたので、まず助からなかったのだろう。レイジとしては生きていられたら困るので、死んだというのはむしろ好都合なことだ。
「むしろお前がよく生きていたよ。」
「まあな。陸に着いたはいいものの、もし朝まで見つけてくれなかったら、どうなっていたことやら。」
そんな話をしていると、レイジは誰かが海に入ってくる気配を感じた。
「帰る帰るって言っておきながら、結局は遊びたいんじゃん。」
「う、うるさいですよ! 私は元々このために来たんですからね。では早速……」
やって来たセツナは海中に忍ばせていた右手に持っていた水鉄砲を二人に向けた。
「ふっ、食らいなさい!」
水鉄砲から海水を放ったが、その先にいたヒエイは一瞬で姿を消した。
「消えた!? くそっ、いつから……」
実はレイジと話しているときから幻影を見せていたのだ。そのことに気づいてなかった彼も度肝を抜かれ、どこにいるのかと咄嗟に辺りを見渡した。
「……隙あり。」
レイジは注意をヒエイに向けてしまったことでセツナの動向に気づくのが遅れてしまった。気づいたときにはもう遅い。すぐ近いまで迫ったセツナの構える水鉄砲の銃口は、しっかりと彼を捉えていた。




