53話 幸せは相対的
「天界から来ました、福俵天使です。皆さん、よろしくお願いします!」
レイジが中等部に上がって一ヶ月後、突如同じクラスにやって来た転入生のアツカ。
優れた容姿に加え天使を名乗り話題を集めた彼女の周りには、男女問わず多くの学生が寄っていった。天使としての性質だけではない。持ち前の明るさや優しさが多くの人を虜にし、彼女の存在は瞬く間に学園中に広まった。
転入したその日の内にクラスメイトほぼ全員と会話をし、連絡先も交換した。
唯一会話も連絡先交換もしなかったのは、関わらないように他の学生から釘を刺されていたことに加えて自らも距離をとっていたレイジだ。
そう。アツカ自身にはレイジと関わりたくないという思いはなかったにもかかわらず、その日レイジは彼女と関わろうとしなかった。
その理由は一つ。彼女を巻き込みたくなかったからだ。
中等部へ進学してからは、レイジは基本的に一人でいた。特定の学生や教師から絡まれることが多くあったが、それは暴力暴言に嫌がらせの仕掛け等で、親密な関係を築けることはなかった。
寂しいという気持ちはあった。しかし彼の父親に説得されるとその寂しさは感じなくなった。
自分が価値のないと認識した人間的と仲良くする必要はない。価値がある立派な人だと認めている父親の愛さえ受けられれば、後はどうだっていい。
それがレイジの強い思い込みだった。
ある日のこと、ツバサの所属している美術部で騒ぎが起きた。
放課後の部活動の時間に鉢に植えた花をスケッチしていたツバサが一瞬目を離している間に、鉢が壊されてしまったのだ。奥の教室で顧問の先生が呼んでいると聞かされて行ってみたものの誰もおらず、教室に戻ってデッサンの続きを始めようとしたところ、テーブルから鉢が落下し砕けていたという。
誰か知らないかと聞いても、誰も答えない。結局その日は誰の仕業か分からず、描き途中だった絵も放棄して一人で帰ってしまった。
翌日、暗い顔で教室に入ってきたツバサに真っ先に気づいたアツカは何かあったのかと聞いたが、絵のことには一切触れず疲れているだけだと言って誤魔化していた。
心の読めるレイジには分かっている。なぜ暗い顔をしているのか、そして誰が鉢を壊す嫌がらせを仕掛けたのか。そしてその人物が、なぜそんなことをしたのかを。
いわゆる嫉妬だ。ツバサの絵の才能に嫉妬した彼女はツバサに美術部を退部し、絵描きの夢を諦めてほしかった。そうすれば、二番目と評価されていた自分は一番になる。自分が有名になれる。
それがツバサへの嫌がらせの原動力だった。
別にツバサに深い思い入れがあったのではない。彼女の境遇に自分が重なった。レイジはただ、弱い人間が強い人間を陥れようとしていることに怒りを覚えていた。
犯人を突き止めたはいいものの、どうするべきか悩んでいた。
ただツバサに味方するようではいじめの矛先がレイジからツバサに変わってしまう。いかにしてヘイトを自分に向け、絶望に陥れるかが、彼にとってはなかなか難しい問題だった。
そうだ。皆壊せばいい。ツバサも主犯の女子も皆夢を叶えなくさせれば、弱者の思い通りになることもヘイトが自分以外の人に行くこともない。
ツバサは才能のある人だというのは分かっているが、父さんには遠く及ばない、認めるほどの価値でもない。
そういう思いが、彼の決断に至らせたのだった。
「お邪魔するよ。」
次の日の放課後、美術室に入り込んだレイジは、周りを気にせずある女子生徒の元に向かった。
ツバサの絵の才能を妬み、彼女がモデルにしていた鉢を壊し絵を断念させた張本人だ。
「ちょっと君、部外者が勝手に入らないで。」
顧問の先生が彼を追い返しにやって来たが、これも彼の想定の内。
「部外者、ねえ……」
レイジは教室の壁に飾られた絵画を見ると、一瞬の内にナイフを取り出し引き裂いた。
「お前! なんてことを……」
部員も顧問もすぐさまレイジに怒りの声をぶつけるが、誰一人として止めに入らない。下手に彼に触れれば何かしらの不可思議な現象が起こり、夢を壊されるという認識が広がっていたからだ。
教室の内線や個人のスマホで助けを求めようとすると、その心を読んだ彼は体や端末に傷をつけに動く。彼女たちは黙って見ている他なかった。
すべての作品に傷をつけたレイジは、振り回していた右手を下ろすと、最後に主犯の生徒の胸ぐらを掴み、教卓に向かって突き飛ばして言った。
「体験入部。ここって人の作品を破壊する部何だろう? こいつがやったようになあ!」
朝にあらかじめ美術部に入り教卓の端に置いていた鉢を手に取ると、彼女の頭に振り下ろした。
ツバサは気づいていた。自分がモデルにしていた鉢を落として砕いたのが彼女であること、そして彼は自分に代わって仕返しをしているのだということに。
しかしレイジは、彼女の本心を最後まで読まなかった。
突如部室に侵入してくると自分のも含め以前部員が描いた絵を次々と切り裂いていったのを見て、ついに美術部を崩壊させに来た。ツバサは最初にそう思っていた。それは彼も分かっていたが、その後捉え方が変わったことには気づかなかった。
誰かの夢を守るために、他の誰かの夢を壊す。壊すためならば守りたい人を巻き込もうと関係ない。守りたい人は強い人、だから他の人たちと同じだけ苦しみを受けても立ち直れる人なのだから。
そして誰かを守ろうとしていることを他の人に知られてはいけない。守られていると分かれば彼の心を苦しめるために犠牲にされてしまう。
そんなレイジの考え方は曲がることはなかった。ゆえに死んでしまって悲しいと感じることも、自責の念にからわれることもなかった。
「おはよう! ツバサ、元気になったね!」
「うん、先週ちょっとあってね……」
レイジが美術部に乗り込んだ翌週、ツバサは明るい表情で教室にやって来た。理由はあの女子生徒の退部である。彼女の退部によってその日は誰にも邪魔されなくなったのが嬉しかったようで、部活に出ることに恐怖感を感じることはなくなったらしい。
そしてあの日、レイジに絵を破かれたことによって絵に対するこだわりもなくなっていた。破かれた瞬間が頭に焼きついたことで、休日の日課であるスケッチをすることができなくなってしまった。
絵を描かないことで空いた時間に遠くの町まで一人で行ってみたら普段見れない景色や食べ物に感動し、座っているだけで過ごしているのが惜しく思えてきたのだ。
日曜日になると破かれたときがフラッシュバックし手が動かなくなることもなくなり、土曜日に見た景色や食べ物を思い出して絵に起こすとより作業が捗った。
満喫した休日を過ごしたツバサは、晴れた顔で登校することができていたのだ。
それからツバサは、バスケの練習後に一緒に買い食いすることが増え、彼女から誘ってくることもあった。
自らレイジを誘うことはなく、アツカに誘われる、または誘うことで彼と一緒に過ごすことが普通で距離を取っているのも変わらなかったが、彼女の中で何かが変わったのは事実だ。
それからだ。レイジ、アツカ、ツバサ、アスミ、ヨウコ。バスケのレギュラー五人が揃って学園生活を送るようになったのは。
そして、いつの間にかレイジは学園内で彼女たちと一緒にいることに抵抗がなくなった。
彼女たちは味方というわけではないが強者だ。彼女たちに敵意を抱いても行動に移す者はいなくなったので、気遣って守る必要もない。
まるで他の人たちとは違う、物語で例えるなら主人公一味と通りすがりの脇役のように明らかな境界を越えた存在となっていた。
排除すべき相手ではない。その認識をレイジは持っていた。
それは彼女たちが価値のある人だからという理由だけではない。
価値がある人でも自分を敵視してくれば、相手がどうなろうとその夢を叶えなくさせていた。上級生や大人たちがまさにそれだが、アツカたちは違った。
敵視をしていなかったのは完全に無視していたからというわけでもない。少なくとも中等部に上がってからの半年以上は、チームメイトとして繋がっていたのだから。
どんな形であれ、強い人は頼もしい。そんな意識が強かった時期だったのだ。
俺は、そんな環境をどう思っていたのだろうか。
「あれっ、いつの間に寝ていたんだ?」
ふと目を覚まして周りを見渡したレイジだったが、一面真っ白だった。
身体中に色々と感触がある。
後ろから抱えてくる細い両腕、両肩に感じる少し固い重み、そして膝の上の柔らかい重み。
正面だけは白くない。誰かが背中を向けて膝の上に座っていることはすぐに分かった。
白い物に触ると、バドミントンで使うシャトルの羽根の部分のようなものの集まりだというのが分かった。そしてこれが、アツカの翼であることも。
レイジは周りの人の心を読んだが、誰一人としてこの状況のことは考えていない。皆が思い思いの、夢の中の世界に入ってしまっているのだ。
翼の生え際を考えると、真後ろに寄りかかってしがみついているのがアツカ、夢の中を見ると左隣にツバサ、右隣にチハヤ、そして膝の上にクルリがいると分かる。
けれども問題は、なぜ彼女たちが揃って寄り添っているかだ。冷房でも入っているのか。とにかくこの中は暖かい。よく晴れた日に布団を干して、日光で温かくなったところで取り込み潜ったときのような温もりを感じる。
誰も現実を見ていないから何が起こっているのかさっぱりであり、外を見たいところだが膝に乗られていて動けない。
しかし膝はもう限界だ。一気に開くと足の間からスポッと抜け落ち、クルリは床に尻餅をついた衝撃で声を上げ、目を覚ました。
「痛っ、いったーい。」
「んっ、どうしたの……?」
物音とクルリの声を聞いて他の三人も目を覚ました。ひとまずレイジはアツカの翼の中から抜け出すと、最初に彼女たちが座っていて今は空いている席に移動した。
「ああー、膝が痺れるぅー。」
適当な呟きをして、大袈裟に膝を擦った。さっきまで何をしていたのかを冷静になって考え直すと恥ずかしさに耐えきれなくなる人が出るのは目に見えているのだ。
そうは言っても眠りに就くまでのことを思い返すと、なんてことをしていたのかと赤面する人も出た。しかしそれは自分自身の決断に基づいた行動であり、レイジが責められる義理はないはずだ。
「あのっ、さっきのことは忘れて!」
「そ、そうよ、あれはちょっとしたジョークだから!」
案の定チハヤとツバサは必死に否定した。
やりたくないことをやらされたのではなく、やりたいようにやった結果なのでどこに突っ込んで返せばいいか分からず、彼は気圧されるだけだった。
レイジはさっきまで見ていた夢を思い出した。そして今さっきまでの状況、中等部時代の外国語の授業で習った単語を一部取り入れた夢の中の会話。
これらから考えられることは一つある。しかしレイジにとって面と向かって聞くのは恥ずかしいことであり、口による返事だけでなくより小さな声で心の声が聞こえてくるものだから、余計に聞き出すのに根性が必要になる。
けれどもレイジは聞きたいことを迷わずに聞いてしまった。
「なあ……お前たちって俺のこと、好きなのか……」
しばらく沈黙が続いた。声に出さずとも、彼女たちの返事は読めている。かといって変に彼女たちの本心を代理で明かしてはいけない。ゆえに聞き出した彼でさえも黙り始めた。
「別にそんなことないから! 確かにさっきは甘えてたかもしれないけど、そういうつもりじゃないから!」
チハヤは全力で否定する。初めて会った日から抱え込んでいた気持ちを一気に発散したのだ。少しばかり過激になってしまのに無理はないのだろうが、そこでフォローを入れると余計な一言になってしまうのも目に見えているので彼は分からないふりをした。
クルリは完全に興味本位であり、アツカも恋愛というより慈愛と表現すべき心情だった。問題はチハヤを行動に至りしめた張本人のツバサだ。
今までずっと避けてきたというのになぜ?
レイジの頭に疑問が生じたが、彼の頭が突然閃いた。
相対的に彼を敵視しない人が増えた。四十人クラスの内四人が敵視しないのと、三十人クラスに減った中でもも四人が敵視しなければ、敵視率は大きく変化する。
敵視する人ばかり減らしていた結果、心を許せる人の割合が増えた。それを知ることで、彼のドリームタウンへの憎悪は僅かに弱まった。
そして思った。近い内に、あの街に戻らなければならないと。
「よし、久々に集まったんだし、砂浜でできることやろうぜ。」
レイジは昔やっていた輪になってビーチボールのパスを続ける遊びや、二チームに分かれて水鉄砲を撃ち合うゲーム等を提案し、五人で遊んだ。
どこか懐かしく、過去に戻りたくなったと感じる時間もあった、不思議な一日を過ごしたのだった。




