52話 翼の温もり
アスミにヨウコ、そして今ここにいるツバサ。彼女たちは皆、ドリームタウンで生まれドリームアカデミーに入学し、初等部を卒業した。
中等部に入学し、一ヶ月後にアツカがやって来た。
この四人が昔の、島に来る前のレイジを知る者だ。
初等部四年生の半ばまでは、大して仲良くなかったが、レイジが退院してからしばらくするといきなり彼を避けるようになった。
それはこの三人に限った話ではない。昔仲が良かった人も手のひらを返して敵になり、彼の味方は誰一人学校内にいなくなった。
レイジの味方は二人だけ。彼の両親だけだった。
特に父親は、右目が見えないままだったときは見向きをしてくれなかったが、赤い光の筋を取り込んで目が見えるようになってからは愛情を注いでくれるようになった。
彼の認識上一番偉い人である父さんから愛される、認めてもらえるのなら、他のクラスメイト、まったくえ偉くない、価値のない子どもから愛される、認めてもらう必要などない。
そして何より、見た者の願いを叶わなくさせる能力を持ったからといって直接自分に害があるわけではない。能力が宿ってしまったことに、後悔などまったくなかった。
だからレイジは、どんな人であろうと生徒を、教師を嫌った。やられたらやり返す、やられる前にやる。こういったことをポリシーに掲げているかのように、能力を得た彼は日々暴れていた。
学園から何人減ろうと関係ない。強い父さんさえいればいい。弱い者は消えていけ。その歪んだ考えは変わらないまま、三年間の中等部生活を終えた。
その被害に遭ったアツカが、ツバサが今ここにいる。当然自分を憎んでいるにちがいない。誰も自分を知らないはずだったこの島での生活を邪魔される前に片づけてしまいたい。
そう思っているはずだった。
なぜなのだろうか。
なぜこうして楽しく会話していられるのだろうか。
好きなだけ非難すればいいじゃないか。事実でも捏造でも、好きなだけ噂を広めればいいじゃないか。
そうしようと思っていれば、すぐさま仕返しをするのに、なぜ何も言わないのだろうか。
彼女たちの考えていることは分かる。レイジへの報復など考えてさえいないこと。
分からないのは、なぜそう考えるのかができることだ。
なぜ許せる、許すことが当然と思っていられる。レイジはアツカとツバサの心の底が読めなかった。
「ツバサ、お前の夢って何だ?」
突然聞かれてツバサはきょとんとした。そして本心を隠すことなく、そしてどこか悲しげに、思っているがままに話した。
「私の夢はデザイナーだよ。もしかして、忘れてたの……?」
そのタイミングでショックを受けるのは予想外だった。家族以外で最初に自分の絵を褒めてくれた人はレイジだったということを覚えていたツバサは深く傷ついていた。
思わぬことで調子を狂わされたが、聞きたいことをここでしっかりと聞かなければならない。気にかけはしたものの何一つフォローの言葉をかけずに彼は次の質問に入った。
「その夢、まだ諦めてないんだな。」
言い回しの問題で、そんな夢は早く諦めろというように捉えられてしまったが無理もない。レイジの失言だ。
「そういう意味じゃなくて、今もその夢に向かって頑張っているって言ってほしかっただけで……」
夢を叶わなくさせてしまったのではないかと不安だったから聞いたのだと、レイジは弁明した。
ツバサは自分の画力に自信を失ったわけではないが、諦めろと解釈できてしまった言葉をレイジの口から聞かされたことがショックだった。
レイジは彼女が今も夢を持ち続けていることを知れてほっとした一方で、どうにもスッキリしない複雑な気持ちになった。
どうして急に聞いてきたのかとツバサはレイジに尋ねた。
「みんなあの学園を去ってしまったからだ。アスミ、ヨウコ、そしてツバサ。留学中だったアツカはともかく、初等部からずっとあの学園にいた人が次々に去ってしまった。ほとんどは夢を諦めた結果の退学だが、お前たちは何も知らないまま出ていったから。」
複雑な事情があったのだろうと、事情を知らないチハヤとクルリは顔を見合わせる。レイジの右目のことは、彼女たちのいたウィンドタウンには噂が広がってなかったのだろうか。
少なくともこの二人は彼の右目のことを知らない。
「寂しかったんだね、レイジ……」
アツカはレイジの頭を撫でる。
懐かしい感触。あの町にいた頃は会えた日はいつも父親に撫でてもらっていた頭。中等部に上がっても彼の心の拠り所だった父親が、ふと懐かしく思えてきたレイジの目元に涙が浮かぶ。
「大丈夫だよ。これからはずっと、私たちがついてるから。」
アツカは羽を実体化すると、レイジの背中に寄り添い、両手でそっと抱きつくと翼で体を包んだ。感じたことのない温もりが、彼の心に安らぎを与える。
人の夢を叶える能力を持つアツカ。その力が本当であるということを、彼はその身をもって知った。
純白の翼に包まれて、レイジの顔は周りから見えない。
中から、レイジからも見えないと思ったツバサは、こっそりと席を立ち彼の隣へ歩み寄った。そしてレイジを包む翼にピタリと寄り添うように、彼の座っている椅子の左隣の空きスペースに座った。
それを見たチハヤは、逆隣に座って寄りかかった。
一人残ったクルリは、それほどまでにあの翼は温かいのかと確かめたかったが場所が残っていないので、テーブルの下に潜ってレイジとテーブルの隙間から顔を出し、一度翼を広げて膝の上に座り、翼を羽織った。
羽に包まれたレイジは、とても優しい温かさを感じていた。本人は気づいていない内に一人、また一人と寄り添ってくるとより温かさが増してくるのを感じられた。
このままずっといたい。何も考えずにいたい。そう願ったレイジは、周りを気にすることなく少し膝が重くなったのも気にせず、そのまま動かず温もりを味わっていた。
しばらくすると、レイジの頭に思い出が蘇ってきた。
ドリームアカデミーに通っていた頃の、アツカやツバサとの思い出だ。一緒に過ごした七年間の中でも特に印象深い記憶が、彼の頭を駆け巡る。
「わたしのなまえはみょうがだにつばさです。すきなことはおえかきです。」
「よろしくね、つばさちゃん!」
「わたしもおえかきだいすき!」
これは学園に入学した日の話だ。
座席は教室黒板に向かって右前から後ろへ、最後列まで行ったら左隣の列へ一つずれて前に戻る。並び方は五十音順で、レイジの次で席は左横になったツバサが、入学して始めてできた友達だった。
「ねえ、なにしてるの?」
休み時間、クラスの子どもたちが折り紙や自由帳、消しゴム飛ばしで遊んでいるなか、一人でスケッチブックを抱えて自分の席で絵を描いているツバサに、レイジは声をかけた。
「あのおはな、かれちゃっているでしょ? だから、きれいなおはなのえをかきたいの。」
ツバサが描いていたのは、教室の窓際の棚に置かれたアネモネという花の絵。
お世辞にも花の形に似ているとは言い難いが、色の配分や位置関係は完璧だった。
「そんなものかかなくても、せんせいにいってあたらしいのうえてもらおうぜ。おれがたのんできてやるよ。」
レイジが席を立とうとした瞬間、突然ツバサは叫んだ。
「だめ! そしたらこのおはな、すてられちゃうもん!」
枯れているんだし、捨ててしまえばいいじゃないか。そう言い返そうと振り向くと、スケッチブックを両手で抱えて涙目になったツバサが映った。
彼女の表情を見て何も言い返せないでいた彼の元に、アスミとヨウコが駆けつけてきた。
「ちょっとレイジ! なになかせているのよ! あやまりなさいよ!」
ツバサがレイジのそばで泣いているところだけを見たアスミは、彼が泣かしたと早とちりしきつい言葉を浴びせてきた。ヨウコはツバサを慰めに行っている。
「おれわるくねーし! あいつがかってにないたんだ!」
それからレイジとアスミの言い合いが始まり、担任の先生がやって来てようやく話は解決した。
しかし新しく買うことはできても枯れた花は戻せないと言われ、ツバサはしばらくの間落ち込んでいた。
それから三年後、四年生に進級して数ヶ月。トラックに轢かれたレイジが退院して学園に戻ってきてしばらくしてから再び同じようなことが起こった。
雨の日の休み時間に教室を走り回っていた男児が花瓶にぶつかり、落下させてしまったのである。
二つの花瓶は粉々に砕け散り、片方の花瓶によって一本の茎が折れてしまった。幸い怪我人は出なかったが、折れた花も元通りにならない。
「ちょっと! 教室内で暴れないでよ! すぐに片しなさい。」
相変わらず強気なアスミは、物怖じせず男児たちに注意したが、素直に過ちを認められないお年頃なのか、そこに花瓶を置いたのは先生だ、先生に片させればいいと言ってきかなかった。
「お花……折れちゃった……」
ツバサはスケッチブックを取り出し、進級したての頃に描いた花の絵のページを開いた。一見ほとんど変わらないが、彼女の中では四月と今では温度、湿度が違うためか花の色がはっきりと違って見えているようだった。
毎月その些細な色の違いを絵にしていくのを楽しみにしていたツバサは、まだ花として生きているとはいえ折れてしまったことがショックだった。
そんな彼女の心を読めるようになったレイジは、三年前に言ったようなことは思っても口に出さなかった。
言わないだけで何もできないというわけでもない。今の彼には、見た人の願いを叶わなくさせる力がある。
折れた花を直すためには、花をぼろぼろにしたい、捨ててしまいたいと思う人の目を見ればいい。
そこで彼は考えた。
ここにいる人にどうやってそう思わせればいいのかを。
「そうだ。おいレイジ、これ早く片づけろよ。」
「そうだそうだ。お前が壊したって先生に言ってやろー。」
男児たちは教室から出ていき担任の先生に言いつけに行こうとした。
「好きにしろ。ただし、翌朝のあの花の姿を見てみろ。」
不気味に思った男児たちは花を見に一度戻ってきた。
レイジは床に散った花の茎をセロハンテープで補強した。一応応急措置としてできるのはこれくらいで、直るかどうかは運次第。しかし直ってほしくないと願わせそれを叶わなくさせれば確実に運は味方する。
「これが三日後のお前たちの姿だ。茎が曲がっているってことは……分かるよな? それが嫌なら、明日俺が教室に来るまでに直せ。もしこのままなら……」
茎は大きくひしゃげている。一日経とうが何日経とうが直しようのない花を見て、彼らの背筋が凍りつく。
レイジの言っていることははったりなどではないことを知っている彼らは、あの花を翌朝レイジが見つける前に処分しなければならないと考えていた。
あの花を隠す。いや、どんな手を使ってでもバラバラにして、跡形もなく消す。見つからなければ花がどうなっているかも分からないからどんな目にも遭わされない。
彼らがそう考えていると確信したレイジはツバサに囁いた。大丈夫、明日にはきっと直っているから心配するなと。
右目の噂が広まってからツバサからは距離を置かれるようになり彼のことを信じられないようだったが、絶対に花は直せる。どんなことが起こって直るのかは分からないが、あの花を壊したいという彼らの願いを叶わなくさせたのだから、直るのは確実だ。
彼らは放課後にこっそり花を取りに行こうとしたが、教室にはずっとレイジが残っていて触ることができない。
そこで今夜学園に忍び込み、花の回収に向かったのだった。
そんな彼らの目を、レイジの右目は捉えていた。
「来たはいいけどどこから入るんだ?」
「おっ、ここの鍵空いてるぜ。」
その日の夜、レイジが鍵を開けておいた窓に気づいた男児たちは教室に忍び込み、花を取ろうとしたそのときだった。
偶然学園を狙ってきた泥棒が侵入してきた。
咄嗟に男児たちは逃げるものの、大人相手からは逃げ切れずあっという間に捕まってしまった。
翌朝、テープを剥がすと奇跡的に茎は直っており真っ直ぐに伸びていた。
ツバサは喜んだ。そしてレイジに、感謝を込めて絵を描いた。
一方で深夜に学園に忍び込んだ男児たちはしばらく欠席が続いた。
例の泥棒が捕まった後になって、変わり果てた姿で見つかったという。
そのことも元凶はレイジだという噂が広まった。確かに花を壊させにいくような思考へ誘導したのは事実だが、狙いは花を守ることだ。花さえ守れたのなら、何がどうなろうとかまわない。
だからこの結末に、何も後ろめたく思わなかった。
わりと最初の頃からそうだ。右目の能力によって周りがどんな被害に遭おうと気にも止めない。
一番最初に自分の能力が人の願いを叶わなくさせることだと気づいたときは父親に打ち明けたが、彼はむしろ喜んでいることが心を読んで分かった。
「そうだレイジ。お前が正しい。より価値があると思った者に味方しろ。無価値な連中は迷わず始末するんだ。」
誰よりも信頼している父親の言葉を強く心に刻んだレイジは、その教えを忠実に守り学園生活を送っていった。
そしてさらに三年経って中等部に上がり、アツカと出会った。




