50話 海の危険生物警報
「そういえば私、この町に来たの二年ぶりなんだよね。」
現在アツカは高校一年生。その二年前ということは、中学二年生のときの話、つまり彼女がドリームアカデミーでの留学を終え街から去ってから一年後の出来事だ。
両親の元を離れて一人暮らしをしていたアツカは、暇さえあれば島からは出ない範囲での遠くの街へ出かけていた。
なるべく天使であることを知られないようにしなければならないため、普段は電車やバス等の公共交通機関を利用する。
しかしこの日は人身事故で運転見合わせが起こり、待ちきれず途中下車した彼女は羽を広げて目的地まで飛んでいってしまい、それを見知らぬ少年に見られてしまった。
この島には能力者が数おれども、あれは能力によるものではない、紛れもない本物の天使だ。そう直感した彼は、本能的に襲撃に向かった。
その少年、名は成東祭。アツカとは正反対の、魔界からやって来た悪魔の一人だ。
彼もまた、隠していた黒と赤が混じり禍々しく染まった翼を広げ、空を飛ぶアツカの背後へ迫っていった。
「食らえ!」
勢いをつけて背中に蹴りを浴びせると、アツカの体は大きく揺れて失墜していった。体制を立て直そうとしたところを追撃し、彼女の体は地に落ちた。
「その黒い翼……あなた、悪魔ね!」
「ご明察。だがそれは、自分を天使だと認めていることにもなるぜ。」
しまった。ここで天使であることをバラさずに誰かに助けを呼べば、切り抜けられたかもしれない。しかし、もう手遅れだ。直感が確信に変わった彼は、さらに攻撃して退治しようと飛びかかっていった。
アツカは必死に逃げ回ったが、飛べるという本来のアドバンテージが活かせない。人に見られれば騒ぎになるし、マツリも飛べるのだがら飛んでいるだけで逃げ切れる保証はない。
そして、マツリが放った拳はアツカの腹を直撃、彼女の体は吹き飛ばされ、海へと沈んでいった。
「はっ、楽勝楽勝。」
海に落として気が済んだマツリは、高笑いしながら歩いて家に帰ろうとしたそのとき、海の中からアツカが飛び出した。
薄い水色をしていた彼女の翼は、その清純な色合いをしていたのが嘘のように真っ黒に染まり、金色の光輪も輝きを失いボロボロになっていた。
「誰なんだ、お前……さっきの奴か?」
「……挨拶がまだだったわね。」
アツカの様子が一瞬で豹変した。まるで彼女も悪魔になったよう。周りの目を気にする素振りもなく、翼を広げて空を舞い、マツリを猛追した。
あまりの豹変っぷりに威圧されたマツリは、空高く、雲の上まで逃げようとした。高く行きすぎて天界に飛び込んでしまえば、天使たちに矢を射たれてあっという間に蜂の巣のように全身穴だらけにされてしまう。
しかし逆に、地上にいる天使も簡単に天界に戻ることができない。飛べる高さに限度があるのだ。
そういった意味では悪魔が天使から逃げる場所としては空が適している。
ここまで来れば、もう追ってこれないだろう。そう思い安堵していたマツリのさらに上空から、彼の頭目掛けてアツカが降ってきた。
彼が気づいたときにはもう遅い。彼女の靴底が脳天を直撃し、風に流されながら地上へ落下していってしまった。
「はぁ、はぁ……一体何だったんだよ、今のは……」
山の中からふらふらしながら舗装された道へ出てきたマツリ。
蹴落とされ木の幹にもたれかかるように落下したマツリを、遥か上空から鋭い視線で探し回るアツカ。
その恐ろしい気配を感じたマツリは、決して音を立てないように彼女が行き過ぎるのを待ち、慎重に進んでいった。
道に出たところで彼は力尽きてしまい、通りかかった人に声をかけてもらうと、自分をしばらく匿ってくれないかと頼んだ。その人は状況がどうなっているのか気にすることもなく、すんなりと彼の言ったことを信じた。
彼はマツリを取り込み、パワーアップした。これが彼の能力‘野性’の目覚めとなった。そしてアツカの前に飛び出すと、暴走を止めに入った。力は彼女を上回り、それでもかろうじて圧しきった彼によって彼女は元通りになった。事態は丸く収まったと言う。
「それがミチルか。」
レイジは言った。
第三戦争。アツカの中ではそのように大規模で恐ろしい出来事のようになってはいるが、実際は天使でも悪魔でもない第三者一人を巻き込んだ、天使一人と悪魔一人の喧嘩としった感じに過ぎない。
別に天使と悪魔が遭ってしまえば非常事態になるというわけでもなく、今は普通の学生と同じように生活している。
「そのミチルは俺と同じ高校にいるけどな。」
「そうなのよ。でも連絡先が分からなかったから、直接来ちゃった。」
「じゃあ気をつけて帰れよ。」
天使と悪魔の戦いというのは、思っていた以上に呆気ない小さなものだった。それだけに、もうアツカと話をする必要もなくなったレイジは、家に帰ろうとした。
「いやー、でもまさか、ここでまた会えるなんてねー。奇跡だよ、きっと。」
「ああ、なんて不都合な奇跡なんだ。そういや中等部上がってからアスミたちも転校していって気楽だったのに、また会う羽目になるなんてな。」
そう。レイジと同じドリームアカデミーに通っていた生徒は、退学者も転校生も多かった。代わりに転入生は減っていったが昔はその反対だった。彼の右目の噂が広まると悪い評判がつき、どんどん学生が減っていってしまったのだ。
幼い頃から気が強く、よく突っかかってきたアスミも、中等部三年生に上がる前にどこかへ転校していってしまった。
「あっ、アスミもこの島に来てるわよ。学校は違うけど……そうだ、今度会いに行く?」
絶対に行くものか。むしろ自分がこの島にいることを知られたくない。そう思ったレイジは、強く首を横に振る。
「じゃあ……ツバサ! ツバサならいいでしょ!?」
茗荷谷翼。今のアツカのクラスメイトにして、かつてのレイジのクラスメイトだ。
比較的良心的で、絵と歌が得意な女の子だ。一度絵に描いた風景を描き直すことで、現実の物も絵の通りに変えることができる不思議な能力を持っており校内でも話題になっていた。
ツバサの能力、本人曰く‘ツバサビジョン’を信用していなかったレイジは一度、二人組になって似顔絵スケッチをしたとき、彼女の悪ふざけでミニスカートを履いたロングヘアーの女の子に性転換させられたことがある。
そして能力が本物であることを信じたと同時に右目を使い、彼女の絵の具と筆を爆発させて絵を台無しにした。
しかしそれで元通りになったのではなく、服を汚されるという被害を浴びせられただけだった。そのことで学校中から笑い者にされたレイジは、一週間登校拒否になった。
そんな彼女でも、レイジにとってはあの学校の生徒の中では比較的良心的なのである。だからといって会いに行こう、そうしようの二つ返事で話を進めるわけにもいかない。
どんな人であっても、過去の自分を知る者に自身の存在を知られるわけにはいかないのだ。
「じゃあ今度の休日な。今日はもう遅いし、帰れ。」
所詮は口約束。当日になって連絡が来ても無視しておけばいいし、別の日に会ってしまったらそのときになって適当に謝ればいい。
はなから守る気のない会う約束を交わしたレイジは、アツカを家まで送っていくのも面倒なのでそのまま真っ直ぐ家に帰った。
家の場所を教えてくれと言われたが、イブキとともに居候していることを知られたくないので無理にでも追い返した。
しかし相手は空を自在に飛べるアツカ。どこから見られていてもおかしくないので、十分に警戒しながら住宅地に入っていった。
「本当にレイジに会ったの、アツカ?」
「ホントのホント。確かここまで一緒に帰ってて……」
休日、そして約束当日。アツカはツバサたちを連れて、レイジの高校からの帰路を辿って歩いていた。三人の中で空を飛べるのは彼女だけなので、今日は電車で来ていた。
「あっ、海が見えるよ! せっかくだし行ってみない?」
二人の付き添いでやって来た女の子、保土ヶ谷風は久しぶりに来たこの町に興奮し、はしゃいでいた。彼女たちの家も海の近くではあるが、この海水浴場は島の中でも有名な観光スポットであり、夏は多くの観光客で賑わっている。
「そうだね。もしかしたらいるかもしれないし、行こっか。」
「後、ここってチハヤの家の近くなんだ。誘ってみよっ。」
クルリの生まれ育った町‘ウィンドタウン’からの知り合いであるチハヤは、アツカやツバサとも面識がある。普段は家が離れているのでなかなか会えないので、彼女を誘うことには皆賛成だった。
「なあ、どうしても俺もいなきゃ駄目なのか?」
「どうせ暇なんでしょ? ならちょっと手伝いなさいよ。それが住まいを提供してもらっている身としての礼儀でしょうが。」
スマホをオフラインにし、遠くの町へ出かけようと思っていたレイジは、朝からイブキに連れ出された。六月に入って、来月の海開きに向けた海岸の清掃、危険生物の駆除を行い始めた関係で、家の手伝いとして駆り出されたのだった。無論拒否権などない。
三月下旬の深夜に海の真ん中にダイブし、海岸まで流れ着いたレイジなら海の生物相手に十分戦えるからというよく分からない根拠を力説され、力になると誓ってしまったのもあり仕方なく彼女の頼みを引き受けた。
しかしやっていることはそんな危険なことではない。空き缶やビニール袋等のゴミ拾いや、看板の汚れを拭き取りくらいだ。クラゲが出るにはまだ早い。危険生物の駆除が唯一のやりがいだと思っていたレイジは、肩透かしを食らいがっかりしていた。
今はもう、砂浜を歩いてはハサミでゴミを拾って袋をいっぱいにするまで歩き続けるという単調な作業しかしていない。
本当なら遠くの町へ行っていたのに。少なくともこの町とその隣町にいてはアツカたちと鉢合わせる可能性が高い。それでもボランティアを選んだのは、さすがにこの時期海には来ないだろうという慢心。そしてスマホをオフラインにしたばっかりに、彼女たちがこの海に向かっていることなど知らないのだった。
「水着持ってくれば良かったねー。」
「さすがにまだ早いわよ。でも、足だけ浸かるくらいなら……」
そう言って海に入ったものの、はしゃぐあまり転倒したり海水をかけ合ったりしてずぶ濡れになった三人。
着替えは持ってきていないうえ歩いてすぐの範囲には洋服店がないので、水着を買って着替え、チハヤに連絡して服を貸してもらえないかと頼むことにした。
クルリが電話をかけるとチハヤは三人分の着替えを持ってきてくれるようで、着くまでの間に水着を買って着替えておくことにした。
三人揃って海の家に入り、水着を選んでいたところ、空いたテーブルで突っ伏している男を見つけた。
男はイヤホンをつけてスマホに落とした曲を聞き、ブツブツと歌詞を呟いている。聞き覚えのある声に顔を確かめにいったアツカは、その男がレイジだと分かった。
「レイジ!? 何やってるの?」
そのアツカの声は、曲に夢中のレイジの耳には届かなかったが、突然近くに人の気配がしたのには気づいた。
「げっ、アツカ……それにツバサも……」
「もー! 返信くれないと思ったら一人で何やってるの?」
アツカは彼の左耳に挿さったイヤホンを抜くと、自分の右耳に挿した。
しかし違和感があったので左耳に挿し替えようとしたが、届かないので顔を近づけた。
「この声、コスモだよね。レイジもファンなんだー! 私もだよ。」
「冷てぇ、お前ビショビショじゃん! 先に着替えて髪も拭いてこい!」
頬と髪が触れ合ったことで濡れたことに気づいたレイジは、アツカに目を向ける。すると顔や頭だけではない。全身びしょ濡れで、服が透けている彼女の姿が彼の目に焼きついた。
「そうそう。私たち、濡れちゃったから水着に着替えようと思って来たんだけど、店員さんいないね。レイジが選んでくれる?」
「はぁ!? 私たちって……」
アツカの隣にはツバサ、そしてもう一人、彼は知らないが二人と同じ高校に通うクルリという名の少女の二人だいる。そして三人ともびしょ濡れだ。彼の目線が彼女たちのほうに行くと、ツバサとクルリは自分の体に目線を落とし下着が透けていることに気づくと、咄嗟に胸元を押さえ少し距離を取った。察していないアツカはツバサに言われるまで気づかず、言われても恥じる様子はなかった。レイジの認識では天使は全裸が普通だし、羞恥心に無頓着なのは合点がいくといったものだ。
「恥ずかしいからこっち見ないでくれる!? 適当に三人分水着取ったら、ここを出て見張ってて!」
濡れたのは自分たちの責任だろうと思ったが、下手に騒ぎを起こしてサボっていることをイブキに知られたくないので素直に従おうと思ったが、彼女たちの心の声、変態だとか最低だとかと罵る心の声が聞こえると、彼も黙っていられなくなった。
「サイズが分からないなー。とりあえず適当に試着させてもらおうかなー。」
「ちょっと! 適当でいいって言ってるでしょ!?」
「駄目よツバサ! 下手に刺激すると何されるか分からないわよ。」
初対面の相手になんて印象を抱いているのだ。気に触ったレイジは露出度の高い物ばかりを取り、テーブルに投げつけた。
「好きなの選んだらレジに来いよ。俺は代理店員だからここを離れるわけにはいかないんですー。」
あまりにも派手な水着と、濡れた服を着続けることによる体の震えに挟まれて、さらにイライラが増す。我慢の限界に達したツバサは、いいから出ていけ、と叫んだ。
余裕振っていたレイジだったが、彼女の声を聞いてイブキが駆けつけてきたことに気づくと急に顔から血の気が引いた。
裏口から抜け出そうとしたときにはもう遅い。彼が動き出すよりも前に、彼女は店に辿り着いてしまった。
「……お客さん、三人。さんさんにん……」
「何やってるのよあなたはあ!」
イブキは手に持っていたスチール缶の蓋と底を強く押し潰すと、手裏剣のごとく彼に向かって投げつけた。額に直撃すると、そのまま床に倒れ込んだ。




