49話 舞い降りた天使
「ここね……小湊原高校……」
一人の少女は地図を見ながら目的地に相違ないことを確認すると、翼を閉じて地上に降り立った。
校門から生徒が出ていき始める。早いクラスは下校を始めているようだと分かると、門より先には入らず端のほうに寄った。
「さて、どこにいるのかな……部活? それとも教室?」
ここまで来たのはいいものの、勝手に入っていいものかと悩む少女は、ぶつぶつと呟きながら校門の前をうろうろ歩き始めた。
「あのっ、どうかしたの?」
一人の高校生が彼女に尋ねた。これはチャンス。そう考えた彼女は思いついたことを話した。
「実は、会いたい人がいてですね……」
「おい、レイジ! ここにいるのか!?」
図書室内では静かにしてほしいものだ。一人のクラスメイトが急に彼の名を叫びだしたので、鬱陶しく思ったレイジは嫌々として彼の元へ向かった。
「うるせえな。用があるならメッセージ寄越せ。」
「だって、お前アドレス交換してくれなかったじゃん。ってそんな話している場合じゃなくて!」
気になったヒカリは室内の奥、レイジがさっきまでいたテーブル席から顔を覗かせた。
今は放課後。特にすることもないので新しく本を借りようとしてレイジは図書室にやって来て、ヒカリはその付き添いだ。彼女も本を返却するという用事があったのだが、とっくに済ませてレイジが本を借りてここから出るのを待っていたのだ。
「お前に会いたいって言って、すんげー可愛い女の子が来てるのだよ! なあ、どこで知り合ったんだよ! どういう関係……」
今言った可愛い女の子という特徴では、心が読めても誰のことを言っているのかまったく分からない。知り合いの中で挙げるとすればアゲハだろうか。
カリンに呼ばれダンスの演技を見に行ったときの一度だけ会った、ユニットメンバーの長袖高校の一年生。ヒエイも絶賛していたほどで、性格は知らないが容姿だけで一人選ぶのなら迷わずアゲハを挙げるくらいのは評価している。
実際一度しか会ったことはなく、まともに会話したことのないアゲハが来るのは変だと思いつつも愛の告白かと淡い期待を抱きつつ、女の子が待っているという校門に即座に向かった。
レイジは靴を履き替えると両目を瞑った。彼は人の心を読むことで進む先の状況を知ることができる。目を閉じて歩いていき障害物があればぶつかることに周りが気づいて回避できるし、進路が曲がっていってしまっても心の中で思ったことが伝わってくる。
要は目を閉じて歩くとかっこよく見えるだろうという自己解釈によるアピールをしたいだけだ。
さらに踵を少し浮かせ僅かにでも背を高く見せようとし、両手をズボンのポケットに突っ込み精一杯のかっこよさをアピールしつつ、昇降口を出て校門へと歩いていくと、女の子の姿が見えた。
「あっ、来た! おーい、こっちこっち、私だよー。」
違うじゃん。レイジはドスンと踵を落としため息をつくと、何も言わず背を向けて戻っていく。
予想外の塩対応に女の子だけでなく周りにいた生徒までもが唖然とし、そして野次を飛ばし始めた。
「あんな可愛い子に呼ばれておいて無視とか最低だな!」
「かわいそうって思わないのか、この人でなし!」
「うるせえんだよ野次馬どもが! 引っ込んでろカス!」
レイジは怒っていた。ここにいる誰もが、あの少女を可愛いと絶賛していたせいで、レイジの中の期待のハードルが極限まで上がっていたのだ。そんな浮かれた状態でその子に会ってみたところ、彼のテンションは地の底に落ちてしまい思わず周りに八つ当たりしてしまった。
やって来た少女の名前は福俵天使。名前の通り天使であり、ドリームアカデミーに留学してきたときレイジが散々絡まれた相手だ。
レイジが中等部に上がって一ヶ月後に突然やって来た留学生、アツカ。
天界からやって来た天使と名乗り、それを微塵も疑うことなく神のように讃え上げると、彼女はすぐにクラスに馴染んだ。レイジ以外に限るが。
この時点で彼の右目のことは学校中に広まっており、アツカも転入早々レイジには関わらないよう何人もの児童、教師から強く言われていた。そして転入当日は、クラスでは唯一、彼とだけは一度も話さなかった。
それでも誰とも友達になりたがるアツカは、翌日レイジに話しかけにいった。
明るく挨拶したものの、素っ気ない態度を取るレイジ。ようやく口を開いたと思ったら、それは強く彼女を疑ったものだった。
「お前、本当に天使だっていうなら証拠を見せてみろ。」
それを聞いたアツカは得意げに羽を実体化して羽ばたいてみせた。しかしレイジは、それを見ても信じなかった。
「へぇー、よく出来てるな。」
「きゅぅ!?」
立ち上がってレイジが羽を引っ張ると、アツカは奇妙な声を漏らした。
思わずアツカは口を押さえる。レイジはしばらく黙っていたが、不気味な笑みを浮かべると再び羽をさっきより強く引っ張った。
「ほぉーん? ここって弱いんだー。いじめたくなるなー。」
「やん、やめっ……放し、てぇ……」
それでもレイジは手を止めずいじくりまわしていたところで、ぶちギレたクラスメイトは彼の腹を蹴飛ばし、空いていた窓を通して追い出した。
「ごめんねー、大丈夫だった?」
「う、うんっ……でも、あの子は……」
蹴飛ばした女の子、吉川青空澄は窓から下を眺め、花壇に寝そべっているレイジが案の定無事であることを確認すると窓を閉め、気にしなくていいとアツカに言った。
それでも安否が心配なアツカは、教室のドアから出て階段を下っていった。
さっき出した翼は何のためにあるのかと疑問を抱いたまま、アスミは彼女を見送った。
アツカが花壇に着いたときはすでにレイジは起き上がっており、シャベルを振り回して花壇を荒らしていた。そんな彼を止めにいこうとしたが、彼女が近づいたことに気づいたレイジはその手を止めた。
「ちょうど良かった。疲れたから上の教室まで連れてってくれよ。俺一度でいいから空を飛んでみたいんだ。」
そんな夢なら、いくらでも叶えてあげたい。アツカは喜んで羽を広げ、上に挙げたレイジの両手を掴んで飛び上がった。
高さにして三メートルくらい、時間では十秒ほどだったが、空を飛ぶという願いが叶ったレイジは、先ほどまで暴れていたのが嘘のように心が満たされていた。
しかし、一つ問題が残っている。端から見れば土だらけのまま教室に戻ったことも問題だが、レイジは自分のことを見ていなかった。彼が見ていたのは、アツカの足元だけだった。
「ほら、これ使ってろよ。」
彼は上履きを脱いで蹴飛ばし、アツカの足元に寄せた。
すると彼女は、外履きに変えてしまったまま教室に入ってしまったことに気づいた。直後、授業が始まりを表すチャイムが鳴った。今から履き替えにいく時間はない。借りてしまうとレイジが履くものがなくなってしまうが、ここは素直に彼の厚意を受け入れることにした。
授業は終わり、昼休みの時間。初等部から高等部まで、自由に学食へ行くことができる。
レイジはいつも通り一人でカウンター席に着いて食べ始めようとしていた。クラスメイトに注文の仕方を教わり自分のメニューを手に入れたアツカはその姿を見つけ、隣の席へ向かった。
「ここ、座ってもいいかな?」
「人が来るから駄目だ。」
そう言っても、むしろ言う前から席に着いたアツカは、何を言われようと動くつもりがなさそうだ。一緒に食べる予定のある人なんていないのだが、人が来るのは事実だ。彼をいじめにやってくる、高等部の連中がいる。
だからこれは遠慮しろという意味ではなく、危ないから離れていろという意味だ。
食堂でも揉め事は、もはや日常茶飯事。レイジ一人と、同級生ないしは上級生複数による対立。
奴らの手口は毎回変わってくるが、何かする度に彼に倍返しされているため有効な嫌がらせを手探りしている感じだ。変わらないのは、誰一人してレイジの味方につかないのと、決して嫌がらせをやめてこないことだ。
「あっれえ? なんか可愛い子がいるじゃん。」
ほら、言ってるそばからやって来た。そして案の定、アツカに目をつけてきた。
「こいつは関係ない。やるなら俺だけにしろ。さもなくば家を燃やす。」
レイジの言ったことを無視して、男子高校生たちは彼女に突っかかった。
「ねえ、こんな奴といないでこっちおいでよ。好きな物奢ってあげるからさあ。」
「わあい。ありがとー!」
何一つとして疑うことなく、アツカは男たちについていった。痛い目に遭わせるつもりはなさそうだし、彼女がそれでいいと思ってのでレイジはそれ以上関わらず一人で食べ始めた。結局その日の昼休みは誰にも絡まれなかった。
「終わったねー。一緒に帰ろうか。」
数日経って、アツカがレイジの元にやって来て誘ってきた。クラスメイトで一緒に帰ったことがないのは彼だけのようで、何としても一緒に帰るつもりでいる。
正直面倒だし、帰り道に何が起こるか分からないのでどうにかして避けたいレイジは、彼女を怒らせ嫌われようとした。嫌われようとするためには今まで何度もやっているが、一向に好感度が下がらない。誰も見ていないこの場でならいくらでも言えると思い、実行に移した。
「一緒に帰る? つまりお前も下界に住む人間だったってことだな?」
「違うよ! 私は本物の天使! 翼だって何度も見せたでしょ!?」
「後、天使が人間と仲良くしているなんておかしい。独自のキャラクターを作り上げて人気者になろうとしている普通の人間なんだろ?」
それから彼女がどう言い返してこようと、レイジは天使だと認めなかった。
「ならお前は天使じゃなくてペテン師だ。」
「ペテン師?…… 何それ、先生に聞いてみよっ。」
そしてアツカは職員室に向かった。しばらくして、顔を真っ赤にして涙目で帰ってきた。どうやらペテン師と言われたことを自慢して、意味を聞かされて恥ずかしい思いをしたらしい。
「もー! 馬鹿にして、私は本当の天使なんだから!」
結局その日は最終下校時刻まで言い争っていて、それからはことある度にレイジに弄られるようになった。
そして一年後、別の街に引っ越すという理由で転校した。
レイジ一人に特別にお別れの挨拶をしにきたものの、天界に帰らないで別の街に引っ越すとか、やっぱり人間じゃないかと言われまともにお別れの言葉を伝えられず、アツカは遠くへ行ってしまった。
そんな彼女は今、校門を抜けレイジを追って歩いている。引っ越し先がこの島だったことはこの際どうでもいい。誰が敷地内進入の許可を出したというのか。仕方なく走って振りきろうとしたが、すぐに追いつかれてしまった。
腕を掴まれたレイジは強引にでも振り払おうとしたが、抵抗されると困るアツカは羽を実体化し彼の腕を掴んだまま徐々に浮かんでいった。
足が地面から離れ、校舎の二階、三階からどんどん上に上がっているのが分かる。そして持ち上げてからのことは考えていなかったアツカは、突如止まると徐々に降りていった。
いや、降りているのはレイジだけだ。彼女の掴んでいる所が徐々にずれていく。持ち上げているのが限界になり、今にでもレイジを地面に落としそうだ。
なぜ彼女がこの学校に来たのか知りたいが、そもそもなぜ彼女はあれから五年経っても天界に帰らずこの島にいるのかも聞きたい。
「分かった! 話は聞いてやるからゆっくり降ろしてくれ。絶対に落とすなよ! 絶対に……」
落ちた。あのときと違って、下は花壇でなくコンクリートで痛い。とはいえ保健室に行くほどの怪我でもないし人目につきたくないので、帰り道のどこかで話を聞くことにしてアツカと一緒に高校の敷地内から出た。
「んで、何の用があったんだよ。」
「レイジがこの高校にいるって噂聞いて、確かめに来たの。」
生徒会選挙のときのパパラッチ画像か。島の反対側の高校に通うアツカにさえも届く拡散力は馬鹿にならない。けれども本題はそこではない。
「……それだけか? それだけだな?」
「うん、それだけ。」
「ならもう帰れ!」
「嫌!」
なぜなのだろうか。昔遠い街の学校で同じクラスだった生徒が引っ越し先の、それでも電車で一時間はかかるほどかかる場所に住んでいると知っただけでわざわざ会いに来るのはなぜなのだろうか。
純粋過ぎるがゆえに奥底が見えないアツカの心。
しかしその中には、レイジがまったく知らない謎の記憶があった。そして思わず尋ねてしまった。話が長くなると分かっていながら。
「アツカ……お前がこの島に来て、何が起こったんだ?」
彼女が心の奥底に抱える強い記憶、天使と悪魔の第三戦争のことが、レイジはどうしても気になったのだった。




