48話 遠いようで離れてないんだ
「おい、レイジ。お前だけ遅刻だぞ。」
「わ……分かってるから、早くバス乗せろ。」
イブキが突き飛ばしてくれたおかげで危機一髪トラックとの衝突を回避したものの、勢いあまって塀にめり込んでしまいしばらく気を失っていたので、大幅なタイムロスをしてしまった。
イブキたちは目覚めるのを待っていてくれたようで、一緒に走って戻ろうといち早く動いたものの、次々と追い抜かされ三人の姿が見えなくなってしまった。
イブキたちは急ぐことに夢中でレイジを置いていっていることに気づいていない。呼べば気づいてくれるが、遅れそうになっている原因はレイジ自身にあることと、目が覚めるまで待ってくれていたことを考えると、これ以上足を引っ張るわけにはいかないと思った。
頭を打っていたのもあるが、それにしてもなんて足が速いんだ。イブキはともかく、高校から運動部に所属したヒカリと帰宅部のコミチに大差をつけられているのはおかしいとしか思えない。確かにレイジ自身、足の速さに自信があるわけでもない。
小学生時代のサッカークラブも、実践には強いが基礎となる走力が弱く、持久力はあってもろくに速度が出なかったが、それでもインドア系の人に遅れをとるほどでもなかった。
この島の住人が、能力を持った人がおかしい。決して自分の足が遅すぎるわけではないと言い聞かせながら、レイジは走っていった。
ギリギリのところで間に合ったヒカリとコミチは問題なくバスに乗れていた。別のバスに乗っているイブキは心配することもないだろう。
彼女たちから十分ほど遅れて着いたときには、集合時間を過ぎてしまっていたのだ。そして案の定、何の連絡も寄越さずバスの出発を遅らせたことで担任の先生に叱られたのだった。
「大丈夫だった? ごめんね、後ろ見ないで行っちゃって……」
「いや、ヒカリは悪くない。すべて、はぁ、俺の責任だから……」
全力で走ってきたため一刻も早く息を整えるべく席に着いたレイジは、そのまま項垂れていた。鞄の中に入っているペットボトルを取り出そうとしたが、頭がくらくらして手元が狂い、なかなか見つけられなかった。
そうこうしている間に、バスが出発した。車内の揺れにバランスを崩したレイジは、上体を前に倒したまま傾いてしまい、ヒカリの上に倒れてしまった。
「うぇえ!? ちょっ、どうしたのレイジ!?」
「あ……なんかこれ、落ち着く……」
膝枕をしている感じで、レイジの頭はヒカリの腿の上に乗っていた。
「悪いヒカリ、しばらく、このままで……」
疲れきったレイジは、そこから起き上がらなかった。当のヒカリはあたふたしている。
膝枕なんて、よそのカップルがやっているのを見たことがあっても恥ずかしくて膝に乗りたいとか乗せたいとか思うことはなかった。まったく意識していなかったタイミングで、レイジに膝枕をしているという事実に、どう対応すれば良いのか分からず思考がオーバーヒートしていた。
どうすればいいのかな。頭撫でてあげるとか? 耳掃除……は動いていて危ないし、他には……
うう……今レイジどんな顔してるんだろ? 私だけなのかなあ、こんなに恥ずかしいのは……
そこまでドキドキされると、心の声が伝わってくるこっちまで恥ずかしくなる。レイジの顔も熱くなってきたところで、ヒカリに彼の顔を覗き込まれてしまった。
「うひゃぁ!」
「ひぃゃ!」
二人は同時に変な声を漏らした。その声はバス中に響き渡り、クラスメイトの視線が一斉に向かってきた。
レイジは寝そべったまま声を上げたので、ヒカリに膝枕をしてもらっている姿は、クラス全員に見られてしまった。恥ずかしいなんてものじゃない。いっそこのまま崖に転落して、彼らの記憶をなくしてしまってほしいくらいだ。
すぐにでも起き上がりたかったが、一度見られてしまってはどれだけ見られても変わらない、だからできるだけ長くしてあげたいというヒカリの心の声が聞こえると、一度上げた頭を腿の上に下ろした。
そろそろ体勢がキツくなってきたレイジは、靴を脱いで寝返りを打とうとした。まずはシートベルトを外す。間違ってヒカリのお尻を触ってしまうといけないので、頼んで外してもらった。次に靴だが、手が届かないので爪先で踵を踏むようにして脱ごうとすると、そのときの微弱な振動がヒカリの腹部を刺激したらしい。
「ちょっ、何しているの!? くすぐったいから!」
「ちょっと我慢しててくれ……よいしょ、もう大丈夫だ。」
そう言ってレイジは顔の向きを体ごと半回転させた。潰れていた右耳が解放される。左耳を下にすると視界が狭くなったのに加えて足を床につけられない分バランスが取りずらくなったので、しっかりと寄っ掛からなければならないのだ。
今どういう状況なのかというと、ヒカリのお腹に顔を埋めて膝枕をしてもらっているという状況だ。気を抜くと転がって足元に転落してしまうので、しっかりと顔を埋めていた。
「そっ……それは無理ぃ!」
ヒカリはおもいっきりレイジの体を転がした。一回転してドスンと床に転落した彼は、一瞬に何が起こったのか分からず混乱していた。
「何だ!? 虫か?」
うつ伏せで倒れたレイジは顔を起こそうとしたとき、ヒカリの足元が見えた。足を見られていることに気づいた彼女はスカートの中を見られると思い咄嗟に彼の顔を踏みつけた。
丈が長いのに、ここから見えるはずがないのにと思いつつ、理不尽だと嘆いた。
バスが転落して、クラスメイトの記憶をなくしてくれることを祈っていた。しかしルートは急な変更が発生することもなかったのでそんな崖道を通ることなどなく、次の見学場所を目前に控えていた。
「それにしても本当に足遅いんだね、レイジは。」
「真っ向から言われるとショックだな。つかお前らが速すぎの間違いじゃねえか?」
確かにイブキの速さは異常だが、ヒカリからしたら自分は普通と言う。むしろイブキが速すぎるせいで、自分たちの足が速いと実感していなかったとか。彼女は吹奏楽部ではあるが、能力を使わずとも下手な運動部の人より確実に速い。仮に陸上部だったらすべての記録を過去の物にする、とんでもないバランスブレイカーだ。
学年全体での見学も終わり、いよいよ問題の二度目の自由行動だ。時間は三時から五時までの二時間で、バスに戻ることができるようになるのは四時半から。そしてイブキが絶対に会いたくないと言うトシヤの高校の下校時刻は四時。
つまり、四時から四時半の間は注意しなければならない。
午後の自由時間はクラスも班も関係ないが、午前からルールを破っていたレイジたちには関係のない話。時間が始まると瞬時にイブキは彼の隣にやってきた。
「またあの店行くのか?」
「当たり前じゃない。何のための自由時間よ。」
ヒカリとコミチが昼食を済ませたあの喫茶店だ。確かに島の中では一軒しかない店であり、なかなか来れる場所でもないのでこのまま帰るのがもったいないというのは分かる。
けれども最速でバスに戻るのなら往復の時間を極限まで詰めても長く見積もって一時間しかいられないのに、満足して帰れるかとなるとそうもいかないだろう。ただ食べるだけならまだいい。注文するメニューを決めきれていないイブキが一品頼むのに十分はかかるだろうし、分け合わせるからと言って他の人にも頼ませて多くのメニューを少しずつ食べることになる可能性がないと言い切れない。むしろ高い。
なかなか来れないとはいうものの、休日を一日見つけてゆっくり過ごせばいいだけの話なので、今日は諦めるのがいいと言いたいところだ。
「あの店ってトシヤの高校から二十分もあれば行けるじゃん。あの場所限定ならそれこそ鉢合わせてもおかしくないだろうに。」
「学校帰りに喫茶店行くなんてどこのヤンキーよ。」
そのヤンキーが恐れ戦くくらいおっかない力を持ったどこかの生徒会長は授業中にノリノリで行こうとしてるがな。
「しょうがないな……行くぞヒカリ。」
どうにも説得できないと諦め、修羅場になるのが免れないと読めたレイジはイブキと別行動しようとして店と反対方向に歩き出した。
「ちょっと! どこ行こうとしてるのよー!」
それはこっちのセリフだと心の中で言い返したレイジは、歩きながら言葉を返した。
「四時にそっち行くから、それまで適当に食ってろ。」
そう。問題は四時から、トシヤが下校してからだ。だからホームルームが終わる四時まで、ひいては最速で店に着く四時十五分までにイブキと合流すれば問題ない。念を入れて四時に合流すれば、多少早く下校したとしても対応できる。意地でも喫茶店に行きたいというイブキの願いと、他の……イブキと別の所に行きたいというヒカリの願いの両方を叶えるためにはそれがベストだった。
それで納得したイブキは、一目散に店へ向かって走り出した。高速道路を走る乗用車に匹敵するスピードで歩道を走る者がいるという光景は恐怖だ。バイクでさえも吹き飛ばされるだろうし、何か問題を起こして捕まらないかと、今更ながらレイジは心配になってきた。
気を聞かせてくれたコミチは、最初はイブキと一緒に喫茶店にいるようだった。当の彼女には置いてきぼりにされているが、特に急いでいる様子もなかった。そしてレイジと入れ替わりで店を出て、四時半少し前にバスに戻る計画を立てていた。
残ったのはレイジとヒカリの二人だけだ。二人きりにしてくれたのは気遣ってくれたからだろうか。コミチはそうだとしても、イブキは絶対に違う。どこまでも自分の我が儘に動いた結果に過ぎない。何はともあれ、ヒカリが当初から願っていた二人だけの時間ができたことは、彼女も内心喜んでいる。
「よ、ようやくだね……最初はどこに行こうか……」
最初はとは言うが一ヶ所しか回れる自信はなかった。無理にでも急いで走って時間を節約するイブキと違って、一緒にいられる時間そのものを宝物のように考えるヒカリにとっては移動中走るなどもっての他。バタバタと動き回るのも、彼女の望みではない。
「悪いな、一時間しか付き合えなくて……」
レイジはスマホを開き、ここから施設へ移動するための時間を測った。イブキに付き合わされないことを前提に組んでいた当初のルートでは、先に別の場所に行ってそこから移動するので直接の時間は計算していなかったのだ。
「時間は充分あるな。ここの水彩画見に行こうぜ。電車代は俺が出すからさ。ちょっと遠いけど、イブキの所にはすぐ行けるから長めに居られるだろうから。」
別に水彩画に興味があるわけではないというのは知っているし、イブキに合わせて近場で済ませようとしているのも見抜かれている。けれどもヒカリは、それで満足のようだった。一つ不満があるとすれば、イブキの名を出してしまったことくらいだ。
「じゃあなヒカリ。また帰りのバスの中で会おう。」
時刻は三時五十分。約束した時間が迫ってきた。お土産は何もない。強いて言えば一緒に撮った写真くらいか。
このガーデンを出てからすぐにバスに戻るには早すぎてしまう。心苦しいが、ヒカリには一人で時間を潰してもらう他ない。レイジは自分に言い聞かせ、イブキの待つ喫茶店へ向かった。
しばらく歩いて喫茶店が見えた頃、コミチが店から出てきた。このままバスに戻り、けれども入れはしないので入口で待機するつもりだ。
「おっ、コミチ。イブキはまだちゃんといるか?」
傘が邪魔で顔が見えないが、頷いているのは分かった。
「今ヒカリをガーデンに置いてきちまってさ、ちょっち相手してやってくれないか。」
「そう……あなたがヒカリではなくあの子を選んだって伝えてきてあげるわ。」
半分は事実だが、本当に傷ついてしまうから冗談でもやめてほしい。やっぱり逢わなくていいと言うと、不満そうに歩いていった。
喫茶店に入ると、物凄い数の皿が重なっている。いくら使ったのか、そもそもいくら持ってきたのかも見当がつかないその積み重なり具合は、女子高生一人の仕業とは誰もが信じられないであろうものだった。
今まで我慢してきた反動だろうか。デザートデビューを果たした彼女は、大食い選手権で勝負したとしたら健闘したと言っても過言ではないほどの数のデザートに手をつけていた。
「あっ、遅いわよレイジ。」
ここまで積み重なっては、もし昔馴染みが店に入ってきたとき目立ってしまうに違いない。コミチがいたとはいえどうせ一人で食べたのだから、今すぐ出ることにしても文句は言われまい。そう思って彼女を席から引きずり出し、手早く会計を済ませ店を出た。案の定イブキの手持ちでは足りない。帰りに何が起こるか分からないので、念には念を入れて半分はレイジが支払った。
店を出て現在四時。最も無難なのは今すぐバスに戻ること。しかし腐っても二年の間過ごしていた街に久々にやってきたイブキは、風景を見て懐かしんでいた。
やっぱりな。
「公園、行ってみようぜ。」
方向で言うとトシヤたちの学校。川の両岸に広がる街一番の広大さを誇る公園。そこに行きたそうにしていたので、あくまでレイジが行きたいということにして彼女の足を促した。
図書館やグラウンド、夜にはライトアップされる噴水のある大きな公園。アスレチックや広い草原等は、小学生が大勢で遊ぶには持ってこいの場所だ。
今、イブキの頭の中には、仲間たちと駆け回った記憶が蘇っている。
鬼ごっこをやっていた。当時はそこまで足が速くなかったイブキは、とにかく遠くに行って隠れようとしていた。夢中で走った結果、一人だけいつの間にか川の向こうへ行ってしまった。
ずっと待っていても誰も見つけてくれず、イブキを探し回る声がすると聞こえたほうへ向かった。すると前方には川があった。皆は川の向こう、自分だけ一人ぼっちだ。向こう岸にいる仲間たちの元へ戻れないことに大泣きしたこともあった。
今の彼女からは想像もつかない。一度道路へ出れば戻れるのだが、そこまで頭が回らなかったようだ。それはイブキだけではなく、その瞬間に立ち会っていたトシヤたちも同じだった。
そんな彼女を真っ先に助け出したのは、トシヤだった。川に飛び込んで向こう岸に着くと、水に入るのが怖い言って動かない彼女を肩車して、足をバタバタさせながら戻った。相当しんどかったらしく、彼の呼吸は酷く乱れていた。
しかし怒ることもなくただ一言、無事で良かったと言うだけだった。
そして今二人がいるのがその川の前だ。そしてあのとき、向こう岸にはトシヤたちがいた。
「ふっ、何でここに来ちゃったんだろうね……」
本人は認めたがらないので口には出さないが、未練があるのだろう。
しばらく立っていると、川の向こうに人影が見えた。トレードマークの真っ赤なマント、威圧感のある歩き方。前に一度だけ会い、レイジが宣戦布告した男。
トシヤだ。
トシヤもイブキも、言葉に出せないほど驚いている。彼からすれば、校外学習とは知らないため遠い高校に通う彼女がこの時間にいるのはおかしいし、彼女からしてもなぜ学校帰りに家と反対方向に進んでここに来たのかも疑問でならなかった。
「……私、帰る!」
さすがに両者とも川を越え、殴り合いを始めるなんてことはなかった。けれども思いもよらないタイミングで鉢合わせたことで二人とも機嫌を悪くしていた。トシヤは事の真相に気づいてはいたが、それを口に出すことはなかった。
イブキが川岸から去っていった後も、トシヤはそこに残っていた。理由はただ一つ。レイジが彼の目を見ると、口を開いた。
「以前お前が言っていた勝負とやら、受けてやる。」
そしてマントを翻し、背を向けて歩き出しながら言った。
「ただし、俺が勝ったら二度と俺たちのことに関わるな。」
負けるつもりなど毛頭ない。レイジは最後に言い放った。
「最強を甘く見るなよ、最弱。」
勝負は今から一ヶ月後。約束をしたレイジは川に背を向け、バスへと戻っていった。




