47話 夢の街の夢を見た
総重量二十トンはあるであろう大型のトラックが、法定速度を数キロ超えて迫ってくる。減速する気配はない。よそ見している運転手が気づいていないのだから。
しゃがむか、前に出るか、後ろに引くか。
昔はどうやっていただろうか。
迫り来るトラックに、レイジの脳内でフラッシュバックが起こる。
あれは前の街にいたときの……ドリームアカデミー初等部五年生だったときの出来事だ。
「何でも好きなものを頼むといいわ。」
六月、十一歳の誕生日を目前に控えていたときのことだ。母親に言われ、プレゼントに欲しい物を探しに街を一人で歩いていた。
一番欲しいのは視力だ。
生まれつき右目が見えなかったレイジは、包帯や眼帯を着けた生活をしていた。幼稚園に通って数年、包帯をほどかれたり眼帯を引っ張られたりして、嫌がらせを受けていた。
子どもだけではない。この病気のせいで、父親からは失敗作と言われた。
未来を生きる子どもたちが、自分の夢を叶える力をつけていく。そのための教育体制の充実や科学の発展を促し、ドリームタウンとまで呼ばれるようになったこの街の創始者にして大企業、三門グループの現社長、三門信夜の息子であるレイジは、次期社長になる者としてふさわしい人材になれるように、ずっと勉強していた。けれども父親からは、この目のせいで見放されたままだった。
もっと勉強して、頭が良くなって認めてもらわないといけない。幼稚園にいる時間もほとんどは勉強に費やしていたが、そのためには周りの子どもが邪魔であり、絡まれる元凶の右目が邪魔だった。
母親に泣きつき、より目立ちはするがカラーコンタクトのような矯正器具をはめつけてもらった。そして前髪を伸ばし、右目を完全に隠すようにセットした。これで見た目は普通の人だ。髪が鼻や頬に触れてくすぐったいような違和感があったが、直に慣れた。
それ以来は今までのような嫌がらせは受けなくなり、小学校に上がってからも目のことでからかわれなくなった。
髪の下がどうなっているのかと聞かれ、見せたこともあったが、銀色のレンズと金色に光る瞳という見た目は少年心をくすぐった。
馬鹿にされることはなくなり、逆にかっこいいと思われるようになった彼の生活は、片目が盲目のハンディを苦に感じない充実した日々だった。
けれどもやはり、父親からは見向きもされない。
普通の目になりたい。目が見えないままの自分でいたくない。そう思い始めたレイジは、誕生日を機に目を治したいと思った。
病院に学校、交番。当てになりそうな所を必死に訪ねていったが、目を治す方法を知ることはできなかった。
途方に暮れ家に戻ろうとすると、体に水滴がつき始めた。病気の末期症状かと焦ったが、空を見上げると雨の影響だと分かり安堵した。けれども、心は晴れなかった。
「いっそ死ねたらなぁ……」
一番認めてもらえない人に認めてもらえない。レイジにとっては、これは一番つらいことだ。この右目がある限り、自分の存在価値は否定され続ける。そんな自分に堪えきれなかったのだ。
歩道で立ち止まり、空を見上げる。冷たい雨が目に入り、沁みる。開けているのがつらい。それでも空を見上げ続ける彼の瞳に、無数の赤い筋が映った。
流れ星だろうか。そうだとしたら、願いを叶えてほしい。
「俺を……父さんの理想の人に……」
ちょうどそのとき、一筋の光が彼の右目に突き刺さった。
眩しい。何も見えない。痛くはない。でも、何かが起こっている。
そして彼の知らない所では光が地上に降り注ぎ、街灯や瓦を破壊していた。
しばらくして、目の前が暗くなった。光は見えるが、それは店の中や街灯の明かりの影響で、さっきまでのようなとてつもなく眩しい光はなくなっていた。
「何だったんだろ? 今の……」
レイジは確かめようとして右目に手を当てた。感触がない。矯正用のレンズがなくなっている。
今の光で外れてしまったのだろうか。それともその前からなかったのか。
レイジは足元を見て、それらしき物がないか探した。けれども見つからない。夢中で探していると、隣のショーウィンドウに彼の姿が映っているのに気がついた。
前髪をずらし、右目の容態を確認すると、レンズの跡はまったく残っていなかった。
今までレンズを取りつけてからは一度も外したことがない。簡単に取り外せる物ではないので、入浴時も就寝時もずっと装着していた。防水性、耐久性も充実しており、一度も壊したことはない。
高価な物であり、いくら財産があるからとはいえ雑に扱うことは許されず、大事に使っていた矯正器具。これさえあれば、いつか目が治ったときに父さんに認めてもらえる、愛してもらえる。そう思い傷一つつけてこなかったこのレンズが、跡形もなく消えていた。
ショックだ。このことを父さんに話せば何て言われてしまうのだろう。今度こそ完全に見限られてしまうのか。それだけは嫌だ。でも、どうしようもない。
右目を治すための唯一の頼りだったレンズを失い、彼は絶望していた。
もう、生きていけない……
ショーウィンドウに映る自分を見て、涙が流れていることに気づく。そんな彼の後方に、大型トラックが迫ってきていた。
振り返ろうとしたときにはもう遅い。歩道に突っ込んだトラックはレイジを巻き込みガラスを粉砕して店に突っ込んだ。
目が覚めたとき、レイジは病院にいた。幸い一命を取りとめたようで、足の骨折が治るまでは車椅子生活になるらしい。
ぶつかってきたトラックの運転手に事情聴取したところ、撥ねられた原因はあの赤い光の筋らしかった。あれが突然目の前に落ち、ハンドルを奪われ歩道に突っ込んでしまったという。
その運転手が病室を訪ねてきたとき、レイジは彼の心の声が聞こえた。そして思わず尋ねてしまった。
「おじさんも死のうとしてたの?」
医師も母親も、運転手本人も固まった。どういうことかと母親に聞かれると、彼は運転手の心が聞こえたと話した。
「だっておじさん、俺を轢くって分かってから自分も死のうって思ってた。賠償金、ってのを払うのが嫌だったから、自分も一緒に死のうって……」
母親は真実かと問い詰めるが、男は言いがかりはよせ、こいつのでたらめだと言って認めない。
レイジはさらに聞こえていた。この男が、思ってはいたが口にはしていないという心の声が、耳ではなく頭に直接聞こえてきたのだ。結局その男は急ぎ足で出ていってしまい、母親もそれ以上追及してくることもなかった。
それよりもっと重要な話があったからだ。
「レイジ、あなたの右目……」
「うん、ごめんなさい母さん。あの光が降ってきたってのは本当で、俺の右目に飛び込んできたんだ。」
レイジは今の自分の右目がどうなっているのか確かめるために、鏡を見たいと言い出した。母親に借りて顔を映すと、あのときと同じくレンズの形跡のない普通の目をしていた。
「あれっ……見える……見えてるの!?」
左目を押さえて鏡を見ると、彼の顔が鏡に映っているのが見えた。矯正器具のおかげだろうか。今までは見えなかったのが嘘のように、彼の右目はしっかりと目の前の光景を映していた。喜びのあまり体を動かしてしまい、足の痛みで踞ってしまったレイジの体を、母親はさすりながら言い聞かせた。
「きっと毎日頑張っていたからよ。退院したら、お父さんに教えてあげましょう。」
それからは退院を迎える日が楽しみで仕方なかった。足も順調に回復しているし、目が痛みだすこともなかった。後遺症は残ってないようだと思い、安心した。
数週間後、車椅子も不要になり元気に走って父親の元へ向かい、扉を勢いよく開けた。
「父さん聞いて! 俺の右目、治ったんだ! もう見える、装置なんていらないんだ。」
父親は作業の手を止め、レイジの顔を、右目をじっくりと見た。そして言った。
「さすがは私の息子だ。よくやったぞレイジ。」
彼はレイジの頭を撫でた。この瞬間が、今までで一番嬉しかった。
事故に巻き込まれてからは人の心の声が聞こえるようになったのか、道行く人の心の声が次々と浮かんでくる。父親もまた例外ではなく、自分の完治を心から喜んでいる声が聞こえてくると、一層嬉しい気持ちになったのだった。
目が見えるようになってからは、学校に行くのがより楽しみになっていた。退院を心から祝う子もいれば、装置が取れてしまいかっこよくなくなってしまったことを残念がる子もいる。クラスの友達とはより仲を深め、それぞれの夢に向かって進んでいく。
はずだった。
「見ろよ! サイン貰っちまったぜ! スゲーだろ?」
レイジが所属していた初等部のサッカークラブのために、世界で活躍中の選手がやってきていた。その選手の大ファンであり、髪型を真似て坊主頭にしている一人の上級生がサインをねだり、ノートの表紙に書いてもらったことを自慢していた。
「見てろよ。俺はこれから世界一強い選手になって、優勝するんだ。」
実際に試合を見てもらい、プレーを褒めてもらえたことで調子に乗る彼は、将来の姿を妄想していた。
あまりにもうるさいので腹が立ったレイジは、選手の本音を暴露してやろうと思った。
「無理だよ。諦めな。」
「んだとてめえ!」
彼はレイジの胸ぐらを掴んだ。選手の人や先生は止めに入ろうと動いたが、それより先にレイジの口が動いた。
「まずはその短気な性格だね。プレーでも表れていた協調性のなさ。チームで戦うスポーツなんかできやしない。それから……」
そこまで言ったところで、男の子の手が出た。言ってるそばからじゃないか。選手の人だって呆れている。
殴りかかってくるのが読めていたから、事前に飛び退くことができた。人の心が読めるのは便利な理由の一つだ。そして、もう一つある。
「はっきり言うと成長の見込みがないんだってよ。詳しくはそこの兄ちゃんに聞いてみなよハゲ。」
レイジにはよく分かっていないが、どうも重心が右側に寄っていてバランスが悪いらしい。これでは足も速くならないし、キック力もつかない。
けれどもまだ若い小学生に現実を突きつけるのもかわいそうだと思った彼は、本音を隠して男の子を応援していたのだ。
「嘘だ……俺が上手くなれないはずがねえ! でたらめ言うなよ!」
でたらめかどうかは次の試合が物語っていた。今までずっとスタメンだった彼は、レイジに代わってベンチ入りになった。四年生になりクラブ活動で初めてサッカーを始め、試合に出たこともなかったレイジだったが、その活躍はめざましいものだった。
相手の心を読んで一瞬で抜き去り、シュートも決める。逆に相手のパス先を読み、味方に指示を出して食い止める。彼の評価はうなぎ登りだ。その一方で、六年生であるその男の子は二度とスタメンに入ることはなかった。
数週間経って、男の子は練習が終わるとレイジに話しかけた。
「確かに今はお前のほうが上手い。それは認めてやる。けど、いつかお前から、レギュラーの座を取り返してやるからな! そしてお前が中等部に上がった後は、もう絶対に渡さねえ!」
卒業まで後少しだというのに。そんなにレギュラーになりたければ、ならせてやるよ。そう言わんばかりに、レイジは冷たくあしらった。
「ああ。明日からお前がレギュラーだぞ。俺もう、サッカークラブ辞めるから。」
背番号十番のユニフォームを脱ぎ捨てると、そのままシャワー室へ向かおうとした。
「なんだよ……そう簡単に、辞めるとか言い出すんじゃねえよ……」
無残に置いていかれたユニフォームを手に取った男の子の瞳から涙が零れた。
「俺もうサッカーは飽きちゃったしな……つか六年間続けててそのザマじゃあ、中等部のレギュラーにすら入れねえと思うぜ。卒業を機に辞めて他の道探すのが正解だと思うけど。」
それからその男の子は、学校に来なくなった。噂では家に引き籠ってゲーム三昧だとか。せっかく卒業まではレギュラーでいさせてあげようという心遣いが水の泡だと思ったレイジは、できる限り早く、多くの人に忠告していかなければならない、人の心の読む力を、積極的に人助けに活かしていかなければならないと決意した。
けれども彼ができたことは道を変えることではなく潰すことだけだった。自分の夢を叶えるために入った学校で、その夢を諦めてしまう。噂が広まり、レイジは疫病神のように扱われ始めた。
机の落書きや道具を隠されるなどの嫌がらせや、殴る蹴る、焼かれるなどの暴力に追われる毎日になった。
なぜだ。俺は皆のためを思って言っているのに、逆恨みされなければならないのだ。そのうち彼の心は怒りに染まり、いじめの手段を逆手に取って彼らを苦しめるようになった。
指が焼けついてしまったピアニスト志望の子、水恐怖症になった水泳クラブの子。さらにハイペースで夢を絶たれる学生、児童が増え、彼の噂は街中に広まった。彼が幼少の頃に右目に病気を抱えていたことも知れ渡り、とんでもない噂になってしまった。
夢を奪う、悪夢の瞳を持った少年。右目で見られた者は、その夢を奪われ二度と叶わなくなると。
それからは何度も命を狙われた。右目の力が本当か確かめるべく彼らの目を見ると、弾丸はすべて外れ、まれに暴発し怪我する人もいた。
あのときのような大怪我を負うこともあったが、死ぬことはなかった。
街から追放されかけることもあったが、そんな望みも叶うことなくレイジは街に残り続けた。
彼は悩んだ。ここまで人生を変えたものは何だ? 右目か、右目が治ったからか? 治ったのか? 見えるようになった原因は何だ?
初等部四年生の、あの事故の日だ。トラックか、あのトラックだ。
いや、違う。その前の赤い光だ。あれが右目に入ったせいだ。
「そうだ……あれが……」
「……レイジ!? しっかりして、レイジ!」
彼はふと目を覚ました。頭が酷く痛む。正面にはイブキの顔。近くからはヒカリの声もする。
横にチラりと目を向けると、コンクリートがある。
そうだ。確かあのときトラックが迫ってきて……
「ギリギリ間に合ってよかったわ。轢かれずに済んだだけ、マシと思いなさい。」
どうやら咄嗟にイブキが助けてくれたらしい。助けてくれたといっても、トラック本体にぶつけられずに済んだだけであって体が無事なわけではない。
「……どうして俺は塀にめり込んでいるのか聞かせてもらいたいのだが。」
「道に飛び出した原因をよく思い出しなさい。まったく、そこまで馬鹿にすることないじゃない……」
イブキに突き飛ばされ、歩道をも越えて塀に突っ込んでいたレイジは、なんとかして抜け出すと耳元を叩き、中に入ったコンクリートの欠片を弾き出した。
助かったとはいえ、嫌なことを思い出してしまった。せっかくの校外学習だし、忘れていようと思った矢先のことだった。
「ってか今何時だ?」
「十二時五十分よ。」
まずい。思っていた以上に長い間気を失っていたみたいだ。待っていてくれた三人に礼を言うと、一刻も早くバスに戻るためにすぐさま走り出した。




