43話 幾つもの修羅場を潜り抜け
「お邪魔するわよ。」
昼休み、他クラスの教室に入ってくるなり、いきなりレイジの腕を引っ張り連れ出していくイブキ。既視感のあるレイジは彼女の心を読み取らず、勘違いして抵抗し出した。
「嫌だ放せ! もうあんなの食いたくない!」
あんなの……先週の月曜日、学食のメニューを圧縮しビー玉大のサイズにした物を四日放置し床に落とし汚した物を突然飲まされたレイジは、帰宅後恐ろしい腹痛に襲われた。幸い翌朝には治まっていたが、その晩は生きた心地がしなかったのは当分忘れられない。
「違うわよ。今日はちゃんとした弁当だから。」
そうは言いつつ事実であるとしても、全速力で生徒会室に連れ出されていくのは恐怖を感じる。そういえばイブキは昨晩、二人分の弁当を作ってくれと奥さんに頼んでいたことをふと思い出した。
要は二人で昼休みを過ごしたいから会長権限で利用し、どうせ誰もいないから中身の同じ弁当でも良いという決断だった。
「はい、じゃあこれレイジの分ね。あっ、量はどっちも変わらないし、箸も新品未使用だから気にしなくていいわよ。」
生徒会長に当選して以来、といっても昨日の夜から彼女は心を開いた一方でおかしくなっていた。いや、心を開いたのはいい。むしろ嬉しいことだ。けれども行動がここまで変化するものなのかと思うと夢を見ているのではないかと疑ってしまう。
今まで校内では一切関わらなかったのに、先週の月曜日から毎日昼休みに演説して回っただけなのに、一緒に過ごそうと思い始めたのは同居がバレてふっ切れたからか。確かにバレてしまえば同じ中身の弁当を食べていても不思議ではない。だからといってこんな所まで来る必要はないのだが、教室には居たくないという思いと一人で食べるのは寂しいという思いを両方取った結果だから仕方ない。
「まあいいや。俺も人混みが好きなわけじゃないし、食費も抑えられるしな。いただきます。」
箱の蓋を取ると、美味しそうな白米とおかずが見えた。もちろん作ったのはイブキではないが、なぜだか彼女はあたかも自作の弁当を食べてもらって満足そうな顔をしている。
「あと、こっちは私からのプレゼント。レイジの好物の……好物かは知らないけど……」
そう言ってイブキはポケットに手を突っ込み、見覚えのある円筒状のケースを取り蓋を開けた。
「味噌ラーメンよ。」
「伸びきってんじゃねえか!」
能力で圧縮して麺と具を纏めてビー玉サイズにしたラーメンだったもの。購入したのは昨日の夜中トレーニング帰りで、出来上がってから十二時間経っている。冷めきって、伸びきっているのだ。
「ほら、あーん。」
十五年生きてきて人生初の女子によるあーんがこんな異物にされたくはない。噛んで口を開かないよう抵抗しても、力づくで開けられ放り込まれるのは目に見えている。かといって逃げてもすぐに捕まってしまう。叩き落とそうにも多少の汚れを気に止めないから逆に苦しくなるだけ。となると、残された手は説得しかない。
「その代金九百円は払うからさ、それは頂けないな。」
駄目だ。倍にしようと三倍にしようと、お金の問題ではない。イブキは不機嫌な顔を見せた。
「じ、じゃあ今はそんな食べきれないからさ、後で食べるからそれ今ちょうだい。」
駄目だ。食べてもらえばいいという問題でもない。表情は微塵も変わらない。
「ならせめて弁当を食べさせてくれ。」
惜しい。ぴくりと顔が動き心も揺らいだが、どうしても自分が作った物でなければ駄目のようだ。作ったといってもイブキがやったことはラーメンを潰した際に麺や具が含んでいた水分を絞り尽くしたのと、一晩放置しておき冷ましきっただけの完全なる蛇足だ。
「……あーん。」
万策尽き覚悟を決めたレイジは、口を大きく開けた。イブキは親指と人差し指でつまみ、彼の口の中へ伸ばしていく。
仕返しだ。レイジは口をおもいっきり閉じ、彼女の指を咥えてジュルジュルと音を立てて舐め回した。最初は噛みつこうと思ったが、後が怖いので痛くはさせないように変えたのだ。
「いやあああ! きゃあああ!」
イブキは逃げようとするが、レイジは右肘と手首を掴み指の自由を奪い、見境なく舐め回す。恐怖を感じた彼女は咄嗟に舌を抜くことを思いつき、口に捕まった指を動かし舌の場所を探る。
それだけはまずい。舌を握られる前に口から手を放した。彼の唾液がだらーっと糸を引き、汚ならしく垂れ下がる。
「はぁ、はぁ……あなた、いきなり何を……」
気まずい。ほんの軽い気持ちでやったことなのに、かける言葉が見つからない。今後二度とそんな物を食わせるな、という忠告のつもりでやっただけだ。自分は悪くないはずなのに、レイジは妙に後ろめたい気持ちになった。
「じゃあ……帰るわ……」
「待って!」
レイジは弁当箱を閉めて持ち抱え、生徒会室から出ようとした。黙っていたイブキは口を開き、彼を呼び止めた。
「まだ、食べてないから……」
あんな目に遭いながら、一緒に食べたいと言う。申し訳なく思い、レイジは入口付近の席に着き、再び蓋を開けた。イブキと距離を置いたまま、同じ部屋で昼ご飯を食べ終えた。
「……どこ行ってたの。」
教室に戻ってきたレイジの気配に気づき、背を向けたまま低い声でヒカリが呟く。彼女の机の上には未開封の弁当箱が置いてある。
「まさか、俺を待ってて……」
何も言わず、コクリと頷く。まさか自分はもう食べてきたとは言い出せない。レイジは咄嗟に持っている空の弁当箱を背中に隠した。
「その、悪かったよ……何も言わずに出ちまってさ。」
「最近ずっとイブキさんと一緒だよね……随分楽しそうだった……」
ヒカリは他の教室を覗き、イブキがいないことを知っていた。彼を連れ出したのが誰だったかは見えなかったが、見えないほど速く動けるのもイブキしかいないと分かっていた彼女にとっては、昼休みレイジとイブキは一緒に過ごしているということは容易く推測できていた。
「その、手続きとかが、色々あって忙しかったんだよ。おかげで俺も昼飯食い損ねちまったぜ。」
ならその弁当箱は何? そう言われるのが分かった瞬間、レイジはヒカリに見えないように弁当箱をゴミ箱に放り込んだ。
ゴトンという音がしたが、弁当箱を隠したことに聞いてはいない。背中に隠していた両手を見せ、元からそんな物なかったとしらを切る。
「レイジ、お弁当箱返して。」
なんて最悪なタイミングで来てくれやがった。イブキが彼の教室に来るなり、たった今ゴミ箱に投げた弁当箱について聞いてきた。
持っていることがバレてはいけないのではない。昼ご飯を済ませたことを知られてはまずいのだ。
そしてこのタイミングでイブキが来たことによって、ゴミ箱に投げたことも彼女に知られてしまう。そうなるともう、レイジに逃げ場はない。
レイジはイブキから目を反らす。彼女は教室を見渡し、コミチを見つけるなり情報を聞き出した。
「ミチコー、何か知らない?」
傘を差して周りを見てない彼女が知るはずがない。そうイブキは思うだろうと考えていたが甘かった。同じ目をしている自分を、彼女が見ていないはずがない。
コミチは指差し、イブキは差す先に目を向けた。まさかゴミ箱に入っているとは思う存分まい。中ではなく近くのロッカーを探すだろうと思ったが、彼女は迷いなくゴミ箱の中を覗いた。
ピンチはチャンス。イブキの目線がゴミ箱に向いき彼の姿が消えた瞬間、レイジはこっそり席を立ち前の扉から出ようとした。ヒカリに捕まることもなく扉の一歩前に着いたところまでは良かった。今まさに廊下に出ようとした瞬間、扉に手を突き道を塞ぐ者がいた。イブキだ。レイジが教室内を走っている間にゴミ箱から弁当箱を見つけ出し、廊下を通って追いついていたのだ。
突然現れたことに驚くあまり、レイジは腰が抜けてしまった。尻餅をつき、恐る恐るイブキを見上げる。
なんて背が低いんだ。ここまで目線を落としてもスカートの下が覗けない。もう十センチメートル足が長ければ、中身が見えていたであろうに、これではスカートの裏地しか見えない。
イブキはレイジの腹の上に、汚れた弁当箱を放り投げた。
「責任取って洗って帰りなさい。」
そう言い残し、彼女の教室に戻っていった。元々イブキは、自分で持ってきたのだから自分で持ち帰ろうと親切のつもりで受け取りに来た盧だったが、そうしようとする気持ちはもうなくなっていた。さすがにゴミ箱に突っ込まれた弁当箱を持ち帰ってあげようとは思わなかったようだ。
レイジはズボンに付いた埃を払い落とし、自分の席へ戻っていった。イブキが戻った直後に授業担当の先生が来て、すぐに授業が始まった。彼からしたら授業が始まったおかげでヒカリやイブキから解放されたので良いことだったが、昼ご飯を食べる時間がなくなったヒカリにとってはマイナスなことだ。彼女は悲しそうに弁当箱を鞄にしまい、教科書等を取り出した。
放課後、またイブキから呼び出しがかかった。一つ言っておくと、レイジは生徒会役員ではない。あくまで選挙の推薦者を務めた普通の学生であって、本来はいくら会長に呼ばれたからといって生徒会室に入ってはいけないのだ。
今回は直接教室に来て呼び出しもとい連れ出したのではなく、スマホを通してのメッセージでのやりとりだ。なので見なかったことにして校舎内から出てしまえば、後が怖いが回避することはできる。
直接会ってないので何の用件かは分からないためとりあえず行ってみようと思い帰り支度を終え教室を出ようとしたが、目の前にはまだ問題が残っていた。
「今からでも食べないか? その弁当……」
言ってもヒカリは返事をしない。意地張って無視するならそのまま帰ってくれれば、彼女は放っておいてすぐに生徒会室に行けるので遅れて怒られることもないのだが、所詮はレイジの勝手な我が儘である。
「その……あいつの弁当も美味かったけどさ、やっぱりお前の弁当のほうが俺は好きだからさ……今日は悪いことしちまったけど、許してくれよ。」
弁当を作ったのはイブキではなく奥さんだ。美味しさでいったらヒカリより奥さんのほうが断然上だが、彼女はあの弁当をイブキが作った物だと思っており、そして料理力で言ったらゲテモノを生み出すイブキより普通の料理を作れるヒカリのほうが上なのも事実なので、レイジの発言はあながち間違ってはいない。
「それと……何も言わず出ていって悪かったな、本当に。」
むしろヒカリが怒っているのはこのことだ。いつ戻ってきても一緒に食べれるように待っていながら結局戻ってこなかったうえに自分だけ食べてきていた。それが彼女の心を大きく傷つけたのだ。
両方取ろうとするから、どっち付かずになり二人とも怒らせてしまう。どっちかだけに絞れば、苦労することも減り困らせることも減る。問題はどちらを取るかだ。
命の恩人でありようやく信頼をしてもらえるようになったイブキか。同じクラスで初めての友人であり一途に思いを寄せているヒカリか。
いや、選べない。
そして二人だけでもない。カリンだってコスモだって、放っておくわけにいかない人はたくさんいる。ここで一人に絞っては駄目だ。そう結論を導き出し、今の状況の打開策を考え始めた。
しばらく語りかけていると、ようやくヒカリは口を開いた。
「本当に……心配してたんだからぁ!」
レイジが部活を辞めた。一緒にいる時間を増やすためにも、自分も退部した。それなのに、昼休みも放課後もどこかに出掛けてしまっている。休日も連絡がつかなかった。部活仲間という繋がりが途絶えた瞬間、彼との繋がりがすべてなくなった。
嫌われることはしていないし、選挙で忙しかったのは分かっている。けれどもその影響でこれからまったく一緒にいられなくなる、相手にされなくなると思うと、不安と悲しみで心が砕けそうだった。そして追い討ちをかけるように、今日の昼休みに苦しみを味わわされた。
『あー、もしもしイブキか?』
レイジはヒカリにはっきりと聞こえるように、イブキに電話をかけた。
『今日ちょっと遭いたい人がいるからよ、また今度にしてくれないか?』
別に用はないから行ってもいいと言われたが、それならなぜ呼び出したのだろうか。話したいことがあるなら家で話せばいいのに、と言い返しそうになるも、ひとまず解放されたことに安堵した。
「ってわけだ。最近どこにも行けなかったからな、久々に長い時間出かけようぜ。」
ヒカリの心の苦しみが少しだけ収まった。今日これから、もっと楽しませて、喜ばせてあげなければならない。今日だけは、どんな我が儘みも聞いてあげよう。そう決意し、レイジは彼女の手を引いて走り出した。
さすがに日帰りで、夜中にはそれぞれの家に帰った。
その先に進むのは、二人にはまだ早いことだ。




