34話 夜の図書室
読書という習慣は素晴らしいものだ。
人の心の読めるレイジにとっては、自分の読む本以上に他人が読んでいる本の内容や読んでいる人の考えていることを感じ取るのが楽しく思える。
例えばライトノベルを読む男子高校生。これはどこの学級にも一人や二人いるだろう。現にこの学級には三人いる。二人は共通の書籍を好み、古本屋で購入した物を貸し合って読んでいる。残りの一人は自分以外に本を触らせないように、常に新品の、立ち読みもできないようビニールで覆われた本を買い、誰にも知られないようこっそりと読んでいる。律儀に茶色いブックカバーをかけており、表紙やタイトル等を他人に見られないよう徹底している。
彼らは本を読みながら、自身を主人公と重ね合わせて妄想をしている。その妄想の中身が非常に滑稽なもので、心の声も筒抜けになると笑いを堪えるので精一杯になる。
敵を圧倒する無双系の話や多くの女性を侍らせる恋愛系など様々で、けれども現実とはかけ離れるものなのだから一層笑えてしまう。彼らの心の声を突然レイジが叫んだらどんな反応をするだろうか。おそらく恥ずかしいことこの上ないだろうが、レイジは決して行動には移らない。なぜならここで広めてしまうと、心を閉ざしてしまって妄想の域を狭めてしまう可能性があるからだ。周囲から馬鹿にされることで逆に火がつき、学級内でトップの存在になる妄想が始まる可能性もある。けれどもすでにそのような妄想に耽っている小太りな男がいるので、その男の妄想だけでお腹はいっぱいだ。
女子高生だって同じだ。甘酸っぱいが現実的には寒い恋愛小説を読んでは自分もそういう経験をしたいと願っている。自分の恋愛ではなく、小説に出てくる男性同士の行方に焦点を当てて楽しむ人もいて、女性の奥の深さについ唸ってしまうこともある。
レイジは居候の身とはいえお金には困っていない。仕送りはいくらでもあるし、バイトだってたまにではあるがやっている。けれども本は一冊も買ったことがない。よその街からやって来た身である彼にとって、学校の図書室にあるものだけで十分だった。
特に興味を持ったのはミステリー小説だ。そもそも能力者が当たり前のようにいるこの島で、今まで過ごしてきた街で培った常識というものは一切通用しない。ドラマにも言えることだが、登場人物が目の前にいなければ心は読めないので、推理を楽しむことができるのだが、その推理を無駄にするめちゃくちゃな能力者が関わってくるともはや乾いた笑いが出てくる。先がまったく読めず想像の遥か斜め上を突き抜けていく展開は彼の新生活そのものなので、理不尽な展開になろうと怒りをぶつけることはなく、むしろワクワクしてしまうのだ。
「レイジ、帰ろう。」
今日は部活の放課後練習はない。だから授業が終わればもう帰るだけだ。一緒に帰りたいという気持ちは伝わってくるのだが、家が反対方面で乗る電車の時刻も違うのに一緒に帰るのもどうなのかと思ったが、彼女の気持ちを無下にはできない。
いつもなら一緒に帰るのだが、生憎今日は借りた本の返却期限日だ。
「悪い、ちょっと本返しにいかないとだから、今日は先に帰ってくれ。」
返すだけならすぐだ。しかし新しく借りるとなるとまた時間がかかる。借りなければならないわけではないが、今日返すだけだと家に帰って読む本がないのだ。だからたっぷりと時間をかけて本を選び、借りていきたい。そう思っていた。
「そ、そう……じゃあまた明日ね。」
本当は図書室についていきたいが、今日はミライ、セツナと約束をしてある。ヒカリは電車に乗り遅れないようすぐに帰らなければならなかった。
レイジは図書室に着いた。先に本を返却し、まずは続編を探しにいく。そしてまったく別の、一巻完結のミステリー小説を探す。適当にあらすじを見て、気になったのを一冊選んで取る。計三冊を取り、貸出コーナーに向かった。
しかし五人も並んでいる。どうやら機械の調子が悪く、五分ほど待たされているらしい。復旧の目処は立っていないようなので、レイジは空いたテーブルに向かい、これから借りようと取ってきた本を読み始めた。
レイジは誰も座っていないテーブルに、本をまとめてドンと置いて席に座った。早速ページを開こうと一冊手に取った瞬間、隣のテーブルから声が聞こえた。
「本は大切に扱いなさい。」
レイジは後ろを振り返った。顔は見えないが心が読めるのでその正体は分かっている。彼のクラスメイトであり、光を拒み教室での授業を含め常に日傘を差している少女。入学当初からその存在に疑問を抱いていたが、日傘を差す理由は光を浴びないようにする必要があるからだと分かっていたので直接尋ねることはしなかった。他のクラスメイトが聞いている場面を見たこともあるが、彼女は真の理由を話すつもりはないと考えているので、それとなく話を流していた。現にレイジ以外に彼女の目的を知る者ははクラスの中にはいない。
「確か同じクラスの……誰だっけ?」
「自己紹介を覚えてないのね。私の名前は淡路小通。」
目線はレイジのほうに向けず、下を向いたままコミチは話した。コミチは基本的に自分から人に話しかけることはなく、誰かに話しかけられても一言返すだけだ。レイジは今まで彼女を見てきたわけではないが、四月からは誰にも自分から話しかけなかった。今日始めて話しかけたと自覚している彼女の心を読むと、確かにコミチが誰かといるところも話しているところも見たことがないと思い込んだ。
「悪いな。重さに堪えきれなかったから、つい。」
「果たして本当にそう思っているの? そして私がそれを信じると思ってる?」
面倒なことになったと感じるのは事実だが、心を見透かされているのも事実だと気づいているレイジは、言葉を返すことができなかった。
「あなた……私と同じ目をしてるわね。人と目線を合わせることを無意識に拒む、そんな目をしているわ。」
占い師かと突っ込みたいところだが、そうでないことが分かっているだけに言えない。コミチは直感的に、レイジの心の内面を自身に重ね合わせている。他人と関わることにどこか怯えている。そういう心理を持っていることを感じ取っているのだ。
「そんなことはないぜ。俺はお前と違って部活に入っているし、他校にも知り合いはたくさんいるからな。」
レイジがそういう人脈を広げていることは、コミチも分かっていた。分かっていたからこそ、彼女は言い返した。
「部活……それは形だけのものではなくて? あなたは部員として、繋がりを持つことに抵抗がある。そう思ってない?」
確かに最近レイジは、クラスメイトであろうと部員仲間と一緒にいるより一人で過ごす時間のほうが心地よいと感じている。他校の仲間と繋がりを持ったことで、部活が妨げに思え始めてきたからだろうか。
そして何より、刺激がない。魅力のある選手が校内にいるわけではなく、校内に限ればヒカリしか見たいと思わない。以前市民大会で会った他校の生徒、チハヤのほうが見応えはあるし挑戦のしがいがある。能力を持たず、才能と努力だけで強くなった人よりも、凄まじい能力を持ち驚異的な実力を発揮する人のほうが惹かれるものがある。公式戦に出ても、そういった選手と戦うこともないため退屈に感じるようになってしまった。
「……その通りだな。俺は得体の知れないものほど知りたくなってしまうからな。それこそ、今のお前のような。」
「屋内で傘を差しているだけで得体の知れないもの呼ばわりするのね。まあ、その気持ちも分からなくはないけど。」
一向に顔を見せず目を合わせないコミチ。彼女が考えるには、顔を隠せば目線がどこにいっているか相手は分からず、目を合わせていないことに気づかれないというもの。そのためにも常日頃から日傘を差している。しかしレイジにはお見通しだ。心の中も、実際の目線の先も。
「てか、わりと話せるじゃん。お前。」
「お前ではなく名前で呼んでほしいわね。クラスメイトなんだし、知らないわけじゃないでしょ?」
席が近いかそれなりに関わることがない限り、異性のクラスメイトの顔と名前を一致させるのは一般的には難しいと思う。コミチはどちらの条件も満たしていない。レイジだって、今のように直接聞かれたら答えを知る本人の心を読めばたとえ初対面でも名前を答えられるが、答えを知らない人に写真を見せられてその人の名前を当てろと言われると答えられない。
「コミチ、だろ。」
これは心の中を読んだのもあるが、コミチが教室内で日傘を差しているのを疑問に思う生徒もいるわけで、四月の頭はときどき彼女に話しかける人が多かった。彼はそのやりとりを聞き、彼女の名前がコミチであることを知っていた。
「珍しくあの子はいないのね。あなたたちどこでも一緒にいるのに。」
「ヒカリは中学の仲間と集まるって言って帰ったからな。俺は本を返さなきゃいけないのと、新しく借りていきたいのがあるかもしれなかったからな。」
周りは気にかけない癖してレイジのことはよく見ているようだった。会った初日から同じ目の持ち主だと見抜いていたのもあるが、コミチは周りから孤立する一方で周りの情報をすべてシャットアウトしているというわけではない。自分とレイジは他人との交流に抵抗感を持つ者同士であり、ランクが高い者同士でもある。ゆえにレイジ関連の情報は豊富だった。
ついでに言うとコミチは今日までレイジに話しかける機会を窺っていた。放課後は部活がある日はすぐに教室を出てしまうし、そうでない日はヒカリと帰るかクラスの男子たちと教室に残って人狼ゲームを満喫するかのどちらかで、レイジが一人になることはない。家に帰るときに降りる駅は同じなのだが、そこまで突きとめようとはしない彼女は知らないまま、一度も話しかけることができなかったのだった。
ヒカリがいないことを確信したコミチは、そのまま話を続けた。図書室だというのにうるさくて迷惑だと周りには思われているが、貸し出しの手続きに必要なパソコンが復旧すればすぐに出るつもりだったのでレイジは気にかけなかった。
「レイジ、あなたは過去に何か大きな過ちを侵した。違う?」
人の目を見るだけでそこまで読み取れるのは異常だと思ったが、それもコミチが似たような経験をしているからこその推察力だった。
「入学当初から、虚ろで偽りを宿した目をしている。それは単なる人見知りによるものかと思っていたわ。それは彼女もそう。」
レイジが初めてヒカリと交わした会話。それはお互いに本心を隠し、演じることで生まれた一つの繋がり。そのときの両者の目は、生きていなかった。
それはヒカリにとっては最初だけの話だ。今存在しているのは偽りの姿である中二病のヒカリではなく、一人一人との繋がりを零から築きあげた本当のヒカリだ。校内での彼女の過ごし方は、自分を演じたり抑えたりすることなく本音をさらけ出した、違和感やぎこちなさのない姿だ。
けれどもレイジは違う。少なくともクラスの全員には彼の能力を何一つ明かしておらず、過去も明かしていない。
なぜこの島、この学校に来たのか。なぜSランクと評価されたのか。なぜヘキサフリートに戦いを挑まれたのか。あらゆる疑問に対して曖昧な答えを返すだけで、決して本心を打ち明けなかった。彼がイブキの家に居候しているという事実を知っているのもヒカリただひとりで、それも偶然見つかってしまったことが原因である。
「けれどもあなただけは何一つ変わっていない。自分の本心をさらけ出すのが怖い? いいえ、多分あなたはこう思っているのでしょうね。レイジ、あなたは……」
誰にもさらけ出していないのではない。他校の知り合いには素性をいくつか明かしているし、本心を伝えている。なぜなのか。なぜその違いが生まれるのか。その答えはただ一つ。レイジ自身にも、コミチにも分かっていた。
「ランクの低い者に、興味がない……」




