27話 勝利の女神
レイジの準決勝の試合が始まった。相手は中学から6年間地元のクラブに所属し、高校では全国大会にも出場した経験のあるベテランの大学生だ。
ちなみに、全国大会は存在するものの大会の記録は残っていない。それは外部から完全に独立するこの島の掟のようなものだ。誰が勝ち上がり、優勝したのか。それはインターネットで検索しても知ることはできず、実際に大会の場に行った人の記憶しか知る手段はない。当事者だろうと噂に聞いたことであろうと、安易にSNSにアップしようものなら即刻消され、隠滅させられてしまうのだ。
相手の心が読めるレイジは、簡単に相手の情報を知ることができる。彼が見てきた中で、この相手は一番の実力者だと確信を得た。もう1つの準決勝に進んだ2人よりも強く、相当覚悟を決めなければならない。ここが実質決勝戦だという意気込みで、試合に臨んだ。
最初の1球、レイジのサーブに始まった。大きく上がった球に対し、相手は真っ直ぐにスマッシュを打とうとする。それを読んだレイジは、相手の正面に来るようコートの左側に寄り、足を少し曲げ腰を落とし、レシーブの体勢を取った。
しかし読みは相手が上を行った。レイジが左に、つまり正面に動いたのを見て、すぐさま狙いを反対側に変えてきた。それもサイドラインギリギリに。レイジは咄嗟に反対側に詰めるが球の速さに追いつけず、ラケットで触れることもできないまま1点を取られた。
あまりの速さに驚くも、すぐに気持ちを切り替えた。あれに届けば、相手が追いつけないくらい手前に返して点を取れると考えたからだ。
ラリーを続ける中、再び相手がスマッシュの体勢に入った。レイジは再び正面に詰めるが、意識は反対側に向いていた。狙い通り、相手はさっきと同様反対側に打ってきたが、レイジはそれに瞬時に対応し軽くラケットに当て、ネットをギリギリ越えるような返球をした。これには相手はどんなに速く走っても追いつけない。点を取り返した。そう思った。
甘かった。
相手は一気にスピードを上げてシャトルに追いつくと、大きく奥に返した。反応が遅れたレイジはかろうじてシャトルに追いつくも狙いを定めている余裕はなく、力任せに打ち返したがすぐにスマッシュで返され、戻りが間に合わない彼は反応できないまま失点してしまった。
「強い……」
まったく隙のない動きに圧倒されるレイジは、完全に点が入るまで気を抜いてはいけないと自分に言い聞かせた。
「あ、お帰りチハヤ。おめでとう!」
ハルカとともにギャラリー席で待っていたモモカは、チハヤの勝利を褒め称えた。
足を引きずり、肩をヒカリに預けて歩くチハヤは、満面の笑みで迎える彼女を見て微笑んだ。
「ありがとう、モモカ。あなたの応援のおかげよ。」
チハヤは椅子に腰掛けると鞄から湿布を取り出し、痛めた所に貼りつけた。この後にはもう1試合、決勝戦が残っているので、一刻も早く足を治さなければならなかった。
ヒカリはチハヤの横に立ち、会場を見渡した。レイジが呼ばれたコート番号を探すと、彼が試合をしているのが見えた。けれどもここから見るには遠すぎると思ったヒカリは、コートの近くまで行くことをチハヤに伝えた。
「じゃあ私、レイジの試合見てくるね。」
「待って。」
そう言い残し走っていこうとするヒカリをチハヤは止めた。
「私も行くわ。」
それを聞いたヒカリは、怪しいと思いチハヤに尋ねた。
「あなたがどうして他校の生徒を応援するの? 頼まれてもないし知り合いでもないのに。」
「そっ、それは……気になるからよ!」
「ふーん……気になるんだ……レイジのことが。」
2人のやりとりを聞いて、モモカはニヤニヤと笑う。
「べ、別に、彼のことが気になるんじゃないわよ。始めたばかりなのにここまで勝ち上がってることに、興味を持っただけなんだから!」
「あなたはまだ試合が残っているんだから、安静にしてなさい。応援を頼まれたのは私だけなんだから。」
「応援なんて多いに越したことはないわ! 私も行く!」
そう叫ぶとチハヤは勢いよく立ち上がり歩いき出そうとしたが、足に急激に痛みが走り、声にならない悲痛の呻き声を上げて蹲った。ヒカリは彼女を余所にレイジのコートへ向かった。
ヒカリはレイジの戦うコートのすぐそばに着くと、コートを見下ろした。少し遅れて、チハヤとモモカ、そしてハルカがやってきた。結局自力で走ってきたチハヤは、手すりに寄っ掛かったまま硬直しているヒカリを不思議に思い、声を掛けた。
「ヒカリ、今、何点?」
近くで言っても反応がなかったので、心配になったチハヤはコートに目を向ける。
すでに1ゲーム取られ、2ゲーム目に突入していた。点数は17─2。
「あの対戦者……これじゃあ、分が悪いわね……」
チハヤは相手のことを知っていた。
視野が広く、素早い切り替えで相手を読みを崩す超一流プレーヤー。能力はなくランクではFだが、単純にバドミントンにおいて重要なセンスを持ち、実力の高い選手だ。
そして何より、もうすぐ1年になる付き合いだ。
チハヤがこの島に来たのは1年前。彼との出会いは、中学3年生の春だった。チハヤはこの島に来てすぐに、地元の中学生以下が通えるバドミントンクラブに加入した。7年前からバドミントンは始めていた彼女は、中学生の中でもひときわ強く、注目を浴びていた。そして当時コーチとして参加していた高校3年生の彼はすぐに彼女に目をつけると、練習中だろうとプライベートの時間だろうと関係なく、彼女に近づいていった。
ラケットの振り方を教えると言って気安く肌に触ってきたり、アドバイスがあると言って喫茶店等に連れていったりと、激しくつきまとわれた。
好意も行為もエスカレートして、告白もされたがすぐに断った。何度も何度も断った。大学受験が近づいてくると来なくなるかと思いきや、今まで通り毎回やってきては絡んできた。
結局チハヤがクラブを卒業するまで、つまり、高校生になる今年の4月になるまで、毎回付き合わされた。
そんな彼に、会いたくなかった。見つかりたくも、近づきたくもなかったが、レイジの試合から目を放したくないという思いが勝り、その場から離れなかった。
「そんな……何か弱点はないの!?」
もう後がない。このまま何も力になれず負ける姿を見ることしかできないと思えたヒカリは、必死でチハヤに問い詰めた。
「目立った短所では、彼は負けず嫌いな所があるわ。一度リズムが崩されると、そこから一気に脆くなるのだけれど……」
それは実力の拮抗した相手と戦っていたときの話だ。攻めても攻めても点が決まらず、イライラし始めたところで点を取られてしまう。そういうウィークポイントがあるのだが、ここまでリードできる相手に対しては弱点がないも同然だ。
「そのためには、点を取らないと……流れを変えないと、あの勢いは止まらないわ。」
点を取る度に勢いは増す。もっと早くに点を取れていれば、もっと早くこの状況に気づいていれば、間に合ったかもしれない。
そう悔やむチハヤは、自分自身を責めていた。レイジが試合に行く前に一言伝えられなかったこと、足を痛めたせいで試合状況を知るのが遅れたこと。もし伝えることができていれば、試合の結果は変わっていたかもしれない。けれども、もう、無理だ。チハヤは尚も必死でコートを駆けるレイジから目を背け、俯いてしまった。
「レイジ! 頑張れぇ!」
チハヤは隣から聞こえた大きな声、ヒカリのおおざっぱな声援に、つい感情を剥き出しにして当たってしまった。
「頑張れって……今さらどうにかなる問題じゃあ!」
チハヤは思わずヒカリを睨んでしまったが、反対側からモモカに押さえられて、ふと我に帰る。
「ごめんなさい、あなたが悪いわけじゃないわね……」
チハヤが自分自身を責めているように見えたモモカも、チハヤが悪いわけではないと宥めた。
しかし、チハヤは驚愕した。ヒカリの一声で、レイジの動きは劇的に変わった。
レイジはシャトルのコースを読み間違えることなく動いている。彼自身が打つ球も狙いは鋭く、動きを崩すように様々なポイントへ打ち分けている。
そしてついに、レイジのショット、コートを斜めに横切りネットすれすれを越えラインギリギリに落ちるスマッシュが決まり、1点を返した。
「3─20。」
レイジにサーブ権が渡った。チハヤは少しでも力になれればと思い、サーブを打つ前にアドバイスを叫んだ。
「ロングサーブは危険よ! すぐにスマッシュを打ってくるわ!」
レイジにはっきりと聞こえるが、相手にも丸聞こえだ。
すると相手はギャラリー席を、声のしたほうを見上げた。そしてチハヤの顔を見て本人だと確信すると、突然叫び出した。
「おーい、ちーちゃーん。ひっさしぶりだねー! 愛してるよー!」
チハヤは見つかってしまったと驚き顔を見せ、ヒカリとモモカはあんぐりと口を開けた。
レイジは2人の関係を理解した。そして2人が会ってしまったことで、相手は俄然勢いづいた。後1点という本当に後がない状況で流れを変えられたのは相当危ない。レイジは、なんとしてもこのラリーを取らなければならないと、覚悟を決めた。
レイジはチハヤのアドバイスを思い出し、ネットすれすれを越えるショートサーブを打つ体勢を作るが、相手も前寄りに構えてくる。そしてサーブを打った瞬間、前に突っ込み叩き返すつもりだ。
最後の1球、チハヤの前で格好よく決めたいというこだわりが彼にはあった。
レイジは裏をかいて大きくサーブを上げた。相手も瞬時に下がり大きく上げて返す。そしてレイジも高く大きく打ち返した。
「行くぜ! オラァ!」
相手はがむしゃらにスマッシュを打った。けれどもネットに阻まれ、レイジに追加点が入った。
「危な……もし今のが入っていたら……」
モモカは安堵していたが、相手がスマッシュを打つために飛び上がった瞬間にネットにかかることが分かっていたチハヤは、レイジの狙いに気がついた。
その後もレイジは防戦一方。自らスマッシュ等の攻めるショットは打たず、相手を前後左右に動かすこと、そして相手にスマッシュを打たせネットにかけさせることを狙いとしたゲームメイクに撤していた。
チハヤの考察通り、決めたい球で決められないことにイラつき始めた相手は、どんどん動きが単調になっていった。そして多少無理な体勢でもスマッシュを打とうとするようになり、そこでミスをする。この流れが続き、レイジの得点は二桁に突入した。
「レイジが巻き返してる……これなら……」
ヒカリの顔が少し明るくなった。見えてきた勝利への道。けれどもまだ安心はできない。少なくとも同点に追いつくまで、レイジも20点を取るまでには1点も取られてはいけない状況に変わりはないのだから。それでも勝ち筋はあり、何よりレイジが一番頑張っているのを見て、ネガティブでいるわけにはいかなかった。
「15─20。」
得点の要因はワンパターン化してきたが、お互い激しく動いているのも変わらない。経験者のチハヤからすれば、ベテランの大学生相手に互角の運動量を見せるレイジが信じられず、同時に心配だった。
「なぜだ……なぜ決まらないんだあ!」
相手は自棄になって動き回る。動きはさらにでたらめになり、レイジの読みも効かなくなってきた。何も考えてない相手がどこに打ってくるのかなんて、レイジにもわかるはずがない。
それでもレイジが互角に戦えているのは、右目の力を使っているからだ。
相手の願い、スマッシュで決めて、試合に勝ちたいという願いを叶わなくさせる。だからレイジは、打てばネットにかかるようなスマッシュを打つように誘導するラリーを展開する。
ゆえにラリーはそれなりに粘らなければならず、足りない体力を強引に振り絞らなければならず、体への負担がどんどん溜まっていった。
願いを叶わなくさせてしまったからには、無理にでも体を動かさなければならない。それでも無理ならば、より非現実的な展開を生み出すのだが、さらに目に負荷がかかる。それがレイジの能力‘悪夢の瞳’だ。
そのとき突然、レイジの視界がぼやけた。相手が、シャトルが見ずらくなったが、ここでミスをしてはいけない。
レイジは残された視界を頼りに大きく打ち返したが、頭から流れてきた汗が目に入り、その痛みに思わず両目を瞑ってしまった。
暗い。明るいアリーナ内のはずが、何一つ光を感じない。
冷たい。暑くなっていた体が、急に冷えてしまった。
苦しい。乱れていた呼吸が治まらない。
痛い。あまりの痛みに、すぐに目が開かない。
突然暗闇の底に沈んだような感覚に陥ったレイジは、周りから見れば突然動きを止め棒立ちになった奇妙な人だった。自分でもどうなっているのか分からず、周りの心も読めなくなった彼は、何が起こったのか知ることもできなかった。




