24話 運命の一球魂を込めて
「よろしくお願いします。」
ヒカリとチハヤは右手をネットの下に出し、握手をした。そしてサーブ権を決めるじゃんけんを行う。
勝った人はサーブ権とレシーブ権のどちらを取るか選ぶことができる。チハヤはすでにヒカリの能力を把握していた。2ゲーム目を無失点で勝利するヒカリにサーブ権を渡すのは危険だとわかっていた。勝負は最初のラリーの時点で始まっている、悠長に打っている余裕はない。チハヤは集中すると同時にかなり緊張していた。
「最初はグー、じゃんけんポイ。」
ヒカリの出した手はパー、対するチハヤはパー。つまりあいこだ。
ヒカリは今日これまでの3試合で、すべてじゃんけんに負けていた。もし1度でも勝っていたなら、ここでも勝てていたのだが、現実はそうもいかない。
ヒカリの能力“ビギニング・オブ・フィナーレ”にはいくつかの制限があり、試合以外の場、つまり対戦する相手にじゃんけんで勝つことでしか、彼女の試合前のじゃんけんで勝つという事象を再発することができない。あらかじめレイジとじゃんけんして勝っていても、試合の場で絶対に勝てるようになるというわけではないということだ。
そしてもう1つ、試合に勝つ、という一括りの事象は再発できない。じゃんけんという小さな事象ならば同じ相手が続こうと毎回相手が変わろうと、1度勝てばずっと勝てるし、相手が大人数でも勝ち続けられる。
しかしスポーツのような長期的な事象をまるごと再発させることはできない。1点取るといった短時間の事象なら可能だが、試合に勝つという事象を繰り返すことはできない。1回戦に勝ったからといって2回戦、3回戦と勝てるようになるわけにはいかないのだ。
つまり、ヒカリがじゃんけんに勝てば先に1点を取れるかどうか、取れないかじゃんけんに負けるかをすれば2点連続で取れるどうかが勝利の鍵となる。
結果、サーブ権はチハヤに渡った。この場だけ見れば2分の1の確率に負けただけなのだが、4試合すべて、つまり4連続で負けるという16分の1の確率を引いてしまっているのは運がないとしか言い様がない。
ひょっとしたらヒカリは能力の代償として単純な運勝負に壊滅的に弱いのではないのだろうかと思えてしまった。少なくとも彼女自身はそう思っていないし明確な根拠も証明するに十分なデータもあるわけではないが、能力に対するランク評価が低いと感じるレイジはそう思えて仕方がなかった。
「頑張れー、チハヤー!」
考えている間に、試合が始まってしまった。
チハヤのサーブ、相手コートの奥まで伸びる高いサーブが放たれた。かなり際どいコースで、線審はシャトルが落下する前のこの段階で、インかアウトかわかっていない。
わかっているのは、そこにギリギリ入るように打ち上げ、実際に狙い通りに飛んでいることを計算し確信しているチハヤだけだ。
ヒカリはシャトルを追いかけるが、打つ体勢には入っていない。そのままラインより奥に飛んでいくかどうかを追いながら確認しているのだ。
見送った結果、シャトルはラインの上に落下し、線審もインと判断したので得点はチハヤのものになった。ヒカリはまだそれほどの技術がついていない。勝つためにはいかに自分のミスを減らし、相手のミスをものにできるかが鍵となる。たとえ運よく取れた1点でも、彼女の勝利に大きく影響するのは事実だ。
そんなヒカリの思考を利用したチハヤは、あえて彼女がアウトと判断するようなギリギリの球を打った。ヒカリの油断を誘うため、勝負に出たのだ。
サーブ権を取られた以上、2点連続で点を取らなければヒカリに勝ち目はない。その2点だけは能力に頼らず、自力で取らなければならなかった。
ヒカリは能力を発動させればどんなに強い相手にも勝てる。それは相手がミスばかりするようになってしまうわけではなく、本来太刀打ちできない相手であっても互角に打ちあったうえで点を一方的に取り続けられるようになるということだ。だから能力を使えば使うほど、レベルの高いラリーをこなす回数が増える。そして素早いフットワークや正確なラケットワークが身についていくため、今の彼女の素の実力はとても初心者のものとは一線を画している。高校内では能力なしで一年生全員に勝ったこともある。能力を使おうとして勝てなかったのは練習試合で全国クラスの上級生と戦ったときだけだ。
どんなに上手い選手でも、ミスをしてしまうことはある。21点を2回取るまで一瞬も気を抜けないプレッシャーを背負わされているのだから尚更だ。今となっては絶対にアウトにならない、ネットにかけない球だけを打っているようでは勝てなくなっていた。レイジの得意とする、相手の裏をかくプレー。それを誰よりも近くで見ていたと豪語する彼女は自身のプレーにも取り入れ、コートに入れることだけを考えた球を逃さず、返しで相手コートに強く刺さるショットを武器をしていた。
レイジでさえも瞬時に裏をかかれて負けるようになった今、ヒカリに勝てる人はいない。
今日までは、そう思っていた。
「11─0。インターバルです。」
ろくに打つことができなかったこの前までは連続で点を取られることは当たり前で、焦りを感じることはなく、勝つことに固執しないヒカリは一方的に失点するくらいで落ち着きを失うこともなかった。
けれども今は違う。
自力で戦える技術もつき、優勝すればペア旅行割引券を獲得できるという価値があるのだから、5点取られた辺りから負けに近づくに連れてだんだんと焦りが出てきていた。
結局ヒカリは1点も取れず、1ゲーム目の折り返しに入った。
ヒカリはペットボトルの蓋を開け、スポーツドリンクを一気に飲む。精神的に疲れているが、冷静さを失い無駄に体力を消耗する動きをしていたために体力的にもかなり疲れていた。
一方でチハヤはあまり動いてないせいか、息を整えるだけで一口しか飲まなかった。4戦目にもかかわらず、まだまだ動けるようなのは単純に凄いとレイジは感じていた。
「まあ能力が使えないんじゃあ、チハヤのほうが圧倒的に有利よね。1点もやらないのは驚いたけど。」
モモカは知っている。チハヤは試合中のすべてのラリーで能力を発揮しているわけではない。格下の相手でも、1ゲーム取られることだってあった。
1試合で、それどころか1ゲームで常に風を読みコースや打ち方を計算し動くのは負担がとても大きい。毎回ネットに当て失速させ、乗り越えさせお互いのコートの境目に落とすこともできる、むしろそのほうが楽なのだが、それはチハヤのポリシーが許さない。極力ネットに当てず戦うのが彼女のスタイルだ。
ゆえに決定力に欠けてしまう彼女が実力のある相手から点を取るのは難しい。だから1ゲームの間のほとんどは実力で戦い、流れを自分のものにするときの切り札として風の流れを読み、失点のリスクを抑えつつ点を取る機会を狙う。
そんなスタイルのチハヤなのだが、今の試合、すべてのラリーで能力を使っている。決してヒカリが取れない球を打ち、速攻でラリーを終えているわけではない。ラリーは互角、スタミナや細かい技術の点でヒカリのミスが出てきてしまう。主導権を握っているのではなく、接戦を制し続けているがゆえの一方的なリード。
5点取ったところから、ヒカリに焦りが表れボロが出始めてしまい、五分五分のラリーでなくチハヤが優位に立つラリーへと変わってしまった。
インターバルの時間は1分。上の階にいるレイジには、ヒカリと話をしにいく時間などなかった。
そして、試合が再開した。
状況は変わらず、むしろより一方的になり始めた。18―0。後3点取られたら1ゲーム目は終了だ。ヒカリはかろうじて戦う気力が残っているが、自力で2点連続で取らなければならないのに1点さえ取れないという絶望的な状況を打開する方法を考えることはできなかった。ただ必死にシャトルを追いかける。返すだけ、コートの端や、相手の位置から遠いところは狙わない、コート内に返すだけ。よってチハヤが動く範囲はより狭くなった。
サーブを打ってからラリーが切れるまでの流れは、チハヤの思い通りの、彼女への負担の少ないものになっていた。
そんなとき、ある変化が現れた。
ヒカリが打ったショットをチハヤは落下点を計算し、打ち返す体制に入った。
「試す価値はありそうね。」
しかしチハヤは直立し、球を見送った。するとシャトルはチハヤのコートのラインの内側に落ちた。レイジに見えたわけではない。線審が、今の球がインだと気づいたからだ。
ようやくヒカリに点が入り、勝利が見えて喜ぶレイジだったが、その光景には驚きを隠せなかった。
その線審はアウト、つまりチハヤの得点だと判断を出した。
「おい! 今のは入ってるだろ!?」
思わずレイジは叫んだ。主審は線審に目を向けるが、線審は目を反らしチハヤを見る。チハヤは何も言わずに落ちたシャトルを拾った。彼女はそのままサーブの位置に移動した。結局今のショットはアウト、つまりチハヤの得点とされ、19点目が入った。
「そうか……そういうことか……」
チハヤの真意を読んだレイジは、彼女がシャトルをスルーしたこと、線審がチハヤの得点と判断したことに合点がいった。
「何何? どういうこと?」
モモカは知っていながら理解していなかった。
「チハヤは試したんだ。」
レイジはモモカに説明する。
「あいつは故意にシャトルを見送った。入るとわかっていたにもかかわらず。なぜだか知っているだろう?」
「ええ。あれはチハヤの奥の手よ。球の落下点を正確に読めるからこそ、どんなに際どくても追いかけて判断する必要がない。だからチハヤが見送った球はアウトになる。そういう先入観を逆手に取った、偽りの得点でしょ?」
チハヤが見送ったのだからその球はアウト。仮に入っていてもそれをインと判断してしまうと他の審判に疑われる。だから自分の目でなく、彼女の判断を信じる。彼女を知る者は皆そうしてしまう。
これを利用することでラリーを短くし体力の消耗を抑えるのがチハヤの狙いだ。
「あれにヒカリが気づいていれば、今のは自分の得点だと言い張ることができただろうが、そんな余裕はないからな。おそらく次のラリー、ヒカリが点を取る。」
レイジの予測通り、ヒカリが1点目を取った。チハヤは次のラリーはヒカリに取らせようと考えていたが、ヒカリがミスをしてしまえばチハヤの点が増えてしまう。チハヤはスピードの遅い、コート中央まで伸びるショットを打った。ネットより上ではなく、下から掬い上げるような球だ。ヒカリがそれを返すと、チハヤはおもいっきりラケットを振る。しかし打った球はネットに刺さり、ヒカリの初得点となった。
チハヤの狙い通り、得点は1─19で、ヒカリに初のサーブ権が渡った。
「それで? チハヤが試したのは何なの?」
「ヒカリに今サーブ権を渡したことさ。ヒカリは1度起こった事象を繰り返すことができる。さっきので言えば、チハヤがサーブ権を持ったラリーでヒカリが点を取ったってことだ。」
けれども今のラリーは本来、ヒカリにサーブ権があった。線審の誤審によってチハヤの点となり、事実上チハヤサーブのラリーでヒカリが点を取ったことになっている。
けれどもそれはあくまで試合に関与する審判たちの判断によって進んだ結果だ。本来であればその前のラリーもヒカリに点が入るので、サーブ権はヒカリのものとなっていた。ヒカリにサーブ権があった状態で、今点を取っていたということになる。
ヒカリの能力は、誤審によって進む未来かそれを抜きにした真実の未来かのどちらかに影響を与えるのか。それを確かめるために、チハヤは彼女に点を渡したのだった。
「えっと……つまりどうなの?」
レイジは今のことを説明したが、モモカは気づけていない。
「要はこの次のラリー、チハヤが取れるかどうかってことだよ。もし後者、真実の未来に沿って事象が繰り返されるのなら、ここから一方的にヒカリが点を取り、21─19で1ゲーム取ったうえで2ゲーム目を21─0で勝って勝利ってことになるんだ。」
今のラリーはサーブ権がヒカリにあったものなのか、チハヤにあったものなのか。これによって、試合の流れは大きく左右される。レイジは今のラリーで起きた事象を繰り返すようにヒカリに叫んで伝えた。
「ヒカリ! 今のラリーにビギニング・オブ・フィナーレを使え! うまくいけばこのまま勝てる!」
ヒカリはレイジの言っていることを理解しきっていなかったが、彼の言葉を信じた。
「わかったわ。私、やってみる!」
チハヤも次のラリーは全力で挑もうとしている。ここが勝負の分かれ目だ。
双方に緊迫した空気が流れるなか、ヒカリはサーブを打ち上げた。チハヤは後ろに下がり、跳躍の準備をする。いきなりスマッシュを打つつもりだ。それもヒカリめがけて。
コースも打ち方も計算済みだ。チハヤは大きく飛び上がり、ラケットを素早く振る。真っ直ぐ飛んでいくシャトルはネットを越え、ヒカリの正面に向かって飛んでいった。




