15話 幻の存在
時刻は午前11時。レイジは教室に着き、授業担当の先生の元へ向かった。
「おはようございます! 無事退院しました。遅刻ですが許してください。」
退院は昨日の夕方だ。レイジは徹夜でゲームしていて寝坊したのをごまかそうとし、嘘をついた。拳銃で撃たれておいて1晩で退院するなんて思わないだろうし、無理に学校に行く必要もなかったのだが、もしサボったらチクるとイブキに言われ、行かざるを得なくなった。
そんなことを知らない先生はレイジを疑いも叱ろうともせず、レイジを席に着かせた。嘘がバレず余裕の笑みで席に着くレイジ。ケガなどしていないワタルたちはどう言い訳しても叱られるに決まっているし、そうなれば叱られなかったレイジは勝ち組。周りに今やっている場所を聞きながら教科書を開くレイジを、ヒカリは仏頂面で眺めていた。
「おう、何だよその顔は。てか前向けよ。授業中。」
ヒカリは前を向こうともせずレイジを見つめる。
「退院は昨日じゃなかったの?」
「急に調子が悪くなったんだよ。だからいい加減前を向けって、授業中だぞ。」
ヒカリはその日それっきり一言もレイジに話しかけず、レイジが話しかけても無愛想な返しをするだけだった。昨日のことを根に持っているようだ。
「なあ、やっぱり水族館行こうぜ。」
「カナデと行ってきたら〜。あの子動物とか好きだし。」
「そ、そんなこと言うなよ。何でも奢ってやるからさ……ほら、このデザートとかどうだ。うまいって評判だぜ。」
「しつこいったら! ついてこないでよ!」
ヒカリは走っていってしまった。昨日の夕方、病室での失言は相当怒らせてしまったらしい。
「んだよあいつ。いいだろ別に、他人に告白しようとするくらい。お前と付き合ってるわけでもないのにさ。」
レイジは席に戻りスマホをいじり始めた。ヒカリは休み時間の度に教室から出ていき、次の授業が始まるまで戻ってこなかった。そのわりに昼休みはいつも通りクラスの女子たちと食べていて、割り込んでまで謝りにいこうとは思わなかった。
5時間目の後の休み時間は出ていったヒカリを追いかけにいかず、自分の席にずっと座っていた。6時間目の後も出ていったが、さっきレイジは自分を追いかけにこなかったのが悲しかったようだ。
次あたりで意地を張るのはやめそうだと思えたので、またしてもレイジは教室を出なかった。ヒカリは教室の前の廊下の辺りをうろつきつつ、後ろのドアからチラチラと中を覗き、レイジが動き出すのを待っていた。結局レイジは席を離れることも廊下に目を向けることもなく、授業開始のチャイムが鳴り出すとヒカリはトボトボと席に戻ってきた。
部活も別々に、というよりレイジは先に行った。そろそろ許してあげようと思っていたヒカリは、言い出すタイミングを慎重に伺っていた。それを知っていたレイジはヒカリを待たずそそくさと行ってしまった。ヒカリは咄嗟に手を伸ばして呼び止めようとするもうまく言葉が出ず、レイジは気づかないふりをして体育館に向かった。
2人は部活中も一切話をしなかった。元々男女分かれて練習をしているので、ヒカリは練習後に話そうと思い、言葉を考えていた。そのため練習に身が入らず、週末の練習試合に向け気合いの入っている上級生から何度も叱られていた。
部活が終わり、ヒカリはようやく話す決意ができた。
「あ、あのねレイジ。今日このあと……」
「悪い。今日これから長袖高校に行くんだ。じゃあな、また明日。」
この電車を逃すと、カリンとの約束の時間に間に合わない。時間を守る必要があるのかと言われるとそうでもないが、今ヒカリと話すと長くなるのがわかっていたので、一気に突き離した。ヒカリは俯いたまま、そこに立ち尽くしていた。
「大丈夫? ヒカリ……」
「嫌われた……レイジに、きらわれた……」
ヒカリの目から溢れる涙は、レイジの心を強く締めつけた。
レイジは電車に乗り、カリンの高校に向かった。電車内や駅にはたくさんの学生がいたが、やはりヘキサフリートに並ぶ実力を持っている人はいなかった。
電車を降り、改札を抜けた先に見えたのは5人の学生。1人はカリン、他の女子3人は以前カリンのスマホで見た長袖劇団のメンバー。あと1人男子がいるが、レイジの知らない人だった。
長袖劇団。それはカリンたち4人のダンスユニット。全員が札を用いる術を使え、パフォーマンスに取り入れて踊る。カリンの使う燃えない炎は、この演出として活かすことができる。そのパフォーマンスを見せるためにカリンはメンバーを集め、レイジを呼んだのだった。だがレイジは、一緒にいた男子が気になった。
奇妙なことに、レイジは彼の心が読めない。他の4人の心は読めている。しかしこの男子にはまるで心がないかのように、何一つ感じられなかった。
「ようやく来たわね、レイジ。さあ、見せてあげるわ。私の演技。」
「私たちの」ではなく「私の」と言ったことに気づいたピンク髪の縦ロールの少女、このユニットのリーダーである武蔵浦春桜はカリンを見てニヤニヤしている。
どうもカリンはレイジに会った日からいつも毎日のように彼のことを話しているそうだった。
「はじめまして。俺は浜金谷飛影。Aランクだ。相棒のトムと共にこの街を駆け巡る、幻のヒーローだ。」
何を言っているのだろうか。心が読めないうえに言葉が理解できない。トムというのは愛用のバイクのことで、それに乗ってあちこち走っている遊び人。それだけとしか思えない。ヒエイの本心ではないが、レイジは1つの答えを出した。
「ああ、いもしない悪の組織に立ち向かう正義のヒーローってことか。そりゃ幻のわけだ。」
「そうか……お前には見えないか。なら今の話は忘れてくれ。一般人を巻き込むわけにはいかないからな。」
会ったばかりのヒカリと同じ匂いがする。中二病が高ランクと診断されるとこんな感じになるのだろうか。
「いつまで話逸らしてるのよ! 早く移動するから付いてきて。」
カリンが急かしてくる。6人は広い公園に向かった。
「誰もいないわね……じゃあ始めるからそこで見てなさい。」
レイジとヒエイはベンチに座り、ダンスの準備ができるのを待った。
「ところでお前はあの4人の誰が好みだ?」
ヒエイはレイジに聞いた。ヒエイはユニットのメンバーではなく、ちょっとした縁で交流を始めたようだった。以前カリンのスマホをいじったときにこのユニットのチャットがあったが、そこに彼は入っていなかったのでそれほど強い結びつきはないのだろう。
「カリン以外は1度だけ写真で見たくらいだしな。ビジュアルだけで判断することになるとアゲハだな。今どきのギャルって感じがすげー出てる。」
「へぇ〜。お前、レイジって言ったっけ。なかなか良い感性してるじゃん。俺1回お金出してあの子にマッサージしてほしいって思うんだよね。それから……」
心の内こそ読めないが、言葉だけで想像するには十分だ。なんて卑猥な絵面を想像しているんだ。レイジは心の中でツッコミを入れたが、たまにしか集まらないとはいえ女子4人の中に1人放り込まれたヒエイは無限に欲望が溢れ、その中の1つにそのことがあったのだと思うと仕方のないことかもしれないと思うのだった。
「お、準備できたみたいだぜ。よく見てろよ、アゲハの絶対領域。」
「ああ、確かにあれはやばい。立ってるだけでもやばいのに、あれが踊りだすのか……」
先ほどまでの制服姿とはまた別の魅力に溢れている。
「それじゃあ始めるわよ。長袖劇団:一の舞、ミュージックスタート!」
リーダーのサクラの合図で曲が流れ出す。再生して曲が流れるまでに数秒無音が続き、その間にサクラは所定位置に着くように調整しているようだ。
4人はそれぞれ札を持ち、踊りながら術を唱える。炎が、桜が、雪が、そして蝶が舞い上がる。踊り自体も完璧だが、それらの術が交じわり生み出す輝きは一瞬たりとも目の離せない美しいものだった。演技の時間はおよそ4分だったのだが、気付いたときには既に終わっていた。それくらい見入ってしまっていたのだった。最後に礼をした4人に、レイジは思わず拍手を送る。
「で、どうだった? 私の演技は!」
「いや、本当恐れ入ったよ。1人だと何もできないけど、仲間がいるとここまで魅力的になるとは。」
「み、魅力的って……そ、そうよ! これで私のこと認めてくれたかしら!?」
馬鹿にしたことはスルーされ、カリンは顔を赤らめて言う。ああ、と答えると満足したように笑い出し、3人に自慢しにいった。
「聞いた? レイジがついに私を認めてくれたのよ! あれだけ私に屈辱を与えたレイジを、認めさせたのよ!」
3人は笑顔で迎えているが、かなり気疲れしていた。日曜日にレイジに勝負を仕掛け返り討ちにされて以来、ずっとレイジへリベンジすると言っていて、そのために月火木の3日間、ひたすら練習に付き合わされていた。もう既にマスターしてある演技で、それを大きく変更するわけでもなかったので、カリンが満足するまでずっと繰り返していたのだ。そうわかっていたから、レイジはカリンを煽るようなことは言わないであげた。
「ヒエイも付き合ってくれてありがとう。私からご褒美あげちゃうから何でも言って。」
サクラはヒエイに言った。レイジは反射的に言ってしまった。
「ヒエイはアゲハにベッドの上でマッサージしてほしいってさ。お金は払いたいって。」
「えっ……私じゃ駄目なの……」
「具体的にはニーソで踏んでもら……」「違う違う違う! 誤解だから! てめえ何でたらめなことを!」
ヒエイはレイジの胸ぐらを掴む。サクラはショックを受けていて、アゲハは気持ち悪そうにこちらを見つめてくる。
「そうそうそんな感じ、その目つきで踏んでくれるとなお良いって。」
今のはレイジの完全なでまかせだが、想像したのかヒエイは満更でもなさそうだったので余計に引かれていた。
「んじゃ、そろそろお暇しますか。駅はこっちであってるよな?」
「あ、俺も行くよ。バイク取りにいかないと。」
「ちょっと、か弱い女の子を置いていく気?」
「か弱いフユキは飛んでいけよ。雪に埋もれて身を隠すのもありかもな。」
初めて喋った水色の髪の女子は広小路冬雪。サクラと色違いの衣装を着て演技していた、同じく縦ロールの少女。ついでにアゲハのフルネームは北参道天羽。ヒエイ含めて、字を書くのが面倒な苗字をした人ばかりだ。
結局全員で駅に行くことになり、そんな話をしながら歩いていった。
「そういやヒエイ、お前にはなんで心がないんだ?」
ヒエイはきょとんとしている。
感情がない。それはレイジ自身も、自分を感情のない人間だと思っていたが、誰かを嫌いになったこともあれば好きになったこともある。どうとも思っていなかったドリームアカデミーの日々も、痩せ我慢をしていただけで本当は辛かった。人の心は読めても、自分の心は読めない。もし自分がもう1人いて心を読み取ってもらえることができたなら、本心を打ち明けることが、未来を変えることができたのかもしれない。
自分の心でさえうっすらとわかるのに、何一つ読めないヒエイが不気味で仕方がなかった。
「ああ、俺に能力は効かないぜ。お前が人の心を読むことができる人間だとしたら、それが効かない俺の心は何もわからないってことだ。」
ヒエイの能力は幻。どんなに強力な能力であろうと彼には一切干渉できない力、そして彼の手によって何らかのエネルギーを受けているものはあらゆる能力の影響を受けない力を持っている。
ヒエイがレイジに触れている間はレイジは人の心が読めず、ヒエイが触れている間はその人の心が読めないことを実証することで、レイジはその事実を認めた。
「へぇ、すげえ力。ヒエイはランク……Aなのか。」
カリンたちはヒエイのランクを知っているので、彼女らの心を読むことで直接彼に聞く前に知ることができた。
「不思議だよな。まあ弱点を考えれば妥当っちゃ妥当だけど。」
ヒエイの能力はレイジのと違って永続的なものだ。レイジの読心術も永続的なものではあるが、悪夢の瞳は断続的なものだ。使いたいときに使えるものが一般的な能力であるのだが、彼の能力は珍しく常時発揮されている。
「もっとも……」
ヒエイは何かを思って呟いたようだ。彼が何を考えているのかはわからないが、他の4人、特にカリンが考えていることと同じことだろう。レイジにはそう感じられた。
「俺以上に素性の知れない、この世のものとは思えない脅威的な力を持った奴がいるらしいがな。」
ヒエイは以前、その者の通う高校、開明教育学園を訪ねたことがあった。けれども1度として会うことは叶わなかった。ほとんど満タンのガソリンが尽きかけ追跡を断念せざるを得なくなるまで走って逃げられてしまう。幻影を見せて誘い込もうとしても、一瞬で幻影と見抜かれ本物がどこにいるのかも気づかれてしまう。まさに八方塞がり、打つ手なしの状態だったという。
「レイジ、お前も高ランクなら、いつかは会うかもしれない。教えておくぜ。奴の名は……」
ハルカ。神田玄。言葉として聞いたことはなくとも、心の声を通して聞いたことのある名を持つ彼女との接触は、レイジが想像しているよりもずっと早いものとなった。




