97話 二人ならきっと乗り越えられる
「……そろそろ乗り換えるよ、玲司。」
隣から聞こえた憩の声で、はっと我に帰ったレイジは弾みで体がガクンと揺れた。
「ここっ……嘘、もうこんな所に!?」
レイジは電車のドアの上にある電工掲示板を見て、表示されている次の停車駅が乗り換え駅だということに気づいた。最後に停車した記憶の残っている駅は、そこより八駅前だ。つまり、約三十分もの間意識がなかった、寝ていたということになる。
「何で起こしてくれなかったの!?」
「いや、だってうとうとする間もなく突然寝始めたからさ……」
意図的に眠り始めたのだと思われていた、もしくは粘る気力も残ってなかった。イコイにはそう捉えられていた。彼も実際、レイジがどの程度の深さの眠りに入っているかは分からなかった。ただ本当にぐっすりと寝ているように見えていたらしい。
喋っていないと、眠たくなってしまうものだ。レイジは電車に乗ってからはずっと喋っていたが、考え込み始めてからは無言でいた。だからいつの間にか眠ってしまっていたのだろう。
「ここで降りれば早く着けるけど……もう二駅先でも乗り換えられるよ。もう少し休みたいなら、それでいいよ。」
「いや、座れるかどうかだな。」
乗り換え時間は五分、そして次に乗る電車が駅に到着する前に、この電車は出発してしまう。つまり空き座席の有無を確認してから下車するか否かを決めることはできない。もし座れず席も空かなければ、三十分ほど立ちっぱなしだ。
確実に座りたいのなら、このまま終着駅兼乗り換え先の始発駅まで行こう。そう提案しようとしたイコイだったが、レイジは目を瞑ってしばらくすると外を見て言った。
「ここで降りよう。前から二両目、先頭寄りの席が二つ空いてる。」
そう言われても根拠となりうる物は見えないイコイは、何をもってそう自信ありげに言えたのかが疑問だった。
「未来予知?」
「いや、ちょっと違うけど……そういう見方もあるか。」
他人の心の声が聞こえる。下車と乗車、離席と着席。人の流れが、実際に発生する前から読めるのなら、それは一種の未来予知だ。眠っている人のことは知らない。
しかしこれは、現時点でその電車に乗っている人とホームに立って待っている人を想定した結果に過ぎない。彼ら同様に次の駅で乗り換える人に先に乗られてしまっては、座っていくことができない。ならばどうするか、答えは単純なものだ。
「今から最寄りのドアに移動しよう。最短ルートで、走ればいける。」
「そこまで急がなくても……君がそれでいいなら付いていくけどね。」
イコイはレイジを追って席を立ち、キャリーバッグを引いて後ろへ、そのまた後ろへと車両を跨いでいった。
「まあ、もし席が埋まっちゃっても俺はいいよ。一個でも席空いていたら、自由に動いていいからさ。」
「昨日三時間しか寝てないんだろ? しっかり体休めないと、体調崩すぜ。」
一睡もせずスマホ弄っていた人に言われたくない、なんていう支局当然の返しはせずに、イコイは彼の言葉を受け入れた。
狙いはエスカレーター。向かいのホームにも三分遅れで電車が到着し、さらに線路を挟んだ隣のホーム、ここと乗り換え先のホームの間に位置するホームにも二分遅れで電車が到着する。下手に並ぶのが遅くなってしまうと、その電車から降りて割り込んでくる人たちの影響でさらに時間がかかってしまう。しかし一歩踏み込んでしまえば、後ろにどれだけ人が並ぼうと関係なく上がっていくことができ、隣のホームに電車が到着する前に通路を渡りきることができる。そのエスカレーターに最も近いドアがどこかというのはレイジ自身は把握していない。しかし同様に最速乗り換えを狙う客がいれば、その人の側に立つだけで良い。車両を移動していてもそんな人はなかなか現れないが、駅の構造的にそのポイントは最後尾の車両、つまりまだ先にあることは予測がつく。そしてついに最後尾の車両に到達し、進行方向左側に見えるホーム側のドアの近くで止まった。その直後、電車は停車した。
「まさかとは思うけど、駆け上がるつもりじゃ……」
「いや、狙いの停車位置に新しく並んだ人はいない。歩いて上っても問題ないと思う。」
結局は歩いて昇るのか、とイコイはキャリーバッグの持ち手を収納した。段差を移動するのに、引き摺るときの伸ばした持ち手では余計に力を使ってしまうためだ。その様子を見て、レイジは右手を差し出した。
「俺も持つよ。二人三脚で上っていこう。」
「本気で言ってるのかい? まあ、持ってくれるのはありがたいけど……」
イコイは掴んでいた手を右に寄せ、レイジの右手で握れるくらいのスペースを空けた。
「前に人がいたら、どうするってんだ?」
「あのエスカレーターは人が二人横並びできるくらいの幅はある。追い越すときは、縦に並んでいこう。」
もとよりエスカレーターに辿り着くまで他人に先を譲るつもりはないと言わんばかりに周囲に目を光らせるレイジ。そんな姿を見たイコイは、そこまでして席を取りに行く人にはなりたくないと感じるのだった。
ドアが開くと同時に、二人は飛び出して前の人を追い越してエスカレーターを上り始めた。一本前の電車に乗ってきた人はとうに上り終えているので、前には誰もいない。止まらずにいけるかことを知って勢いづいたイコイは、やる気になってレイジともども駆け上がっていった。
歩いていくという当初の予定はかき消され、二人はエスカレーターを上り終えて通路を渡る際も走っていた。勢いそのままにエスカレーターを駆け下りて、狙いのドアの整列場所に並んだ。
「いやー、つい走っちゃったよ。ごめんごめん。」
「早く乗れる分にはかまわないぜ。おかげで確実に座れるしな。」
数分後、電車が到着し、レイジたちは二つ横並びで空いた席に飛びつくことができた。後から乗ってくる人たちは、次々と吊革を掴んでいく。
「さて、一旦メッセージを確認してみるか。」
レイジはデータ通信をオンに切り換えた。一時間弱通信を切っていたのでバッテリーの消耗は防げたが、その間に届いてきたメッセージが一度に流れ込んでくる。
「見てもいいかい?」
「俺はかまわないぜ。画面明るくするから待ってろ。」
レイジはイコイにも見えるようにスマホを寄せ、そのままメッセージを確認していった。アップロードした写真や文言への反応に限らず、トーク用のアプリの方にも大量にメッセージや画像が寄せられていた。
「すごい量……」
「まあ普段から話しまくっているからな。未読にして溜め込めば、このくらいはいつもいくと思う。」
道理で一晩中スマホを弄っていても仮眠三十分で乗りきっていられるわけだ。イコイは納得する一方で呆れていた。
「見るかどうかは知らんけど、俺からも茂吉に送っておくか。到着まで後三十分くらいだろ?」
「う、うん……でも、今更ながら、レイジは何時に戻るつもり? 君の家って夕食遅いのかい?」
モキチの家のレストランに着くのは四時半。すぐに店を出ても、家に帰るのは七時になってしまう。九時に着くように出ようとしても、二時間もいられないのだ。
「あいつの近くにいけば、いつ休憩に入るかが分かるからそれ次第かな? 店の混み具合によって休める時間帯は違うとか言ってたし。」
「そんな曖昧な予定でよくあの子に言ってこれたね……遅くなったら怒られるんじゃない?」
「まっ、本当にヤバいときはこっそり入るつもりだし、怒られるのは慣れてるからな。」
人の心が読める能力を、駆使してはいるのだがもう少し良い使い道はないのかと、心の中で突っ込むイコイをよそにレイジはモキチにメッセージを送った。
「あれ? スタンプ返ってきたぞ。」
「嘘!? もう休憩なんだ?」
レイジがメッセージを送信した直後、既読が付きさらにスタンプが一つ送信された。確かに今は三時前で、比較的空いている時間帯だとは思われるが、経営者の息子であるモキチが接客中にスマホを見れるだろうか。
こうも距離が離れていると、心の声は聞こえない。メッセージを見てもスタンプを見ても、その心情は見えてこない。今彼が置かれている状況は、レイジにはさっぱり分からなかった。
「これ、着く頃にはまた仕事に戻っているんじゃ……」
「俺としては、あいつに会えればそれでひとまずオッケーなんだけどな。向こうが納得するかどうか。」
直接顔を合わせる機会は少ない。今日みたいなチャンスは無駄にせず、近くにいくことで心を読むことができれば、その後のメッセージでのやりとりもやりやすくなる。もしもモキチが直接話をしたいと考えるのであれば、しばらく待ってでも今日中に済ませることになるが、レイジは気にしなかった。
下車する駅に着くまで通信は切らないでおいたが、そのスタンプ以降、モキチからは何一つ送られてこなかった。レイジからも何も送らなかったというのもあるが、おそらくはトイレに行ってたかたまたま手が空いてたかの何らかの理由でスマホを見られたときにレイジからのメッセージに反応できたのだろう。
レイジとイコイは改札を抜けて、モキチのレストランへと歩いていった。
「いらっしゃいませ……ってイコイか。それに、君が……」
「レイジだ。はじめまして、だな。」
店の入口に立って談義している場合ではないので、知り合いではなく一人の客として、制服姿に手袋をつけたモキチは二人をテーブルに案内する。キャリーバッグは通路に置けないので、レジの後ろに預かってもらった。
「あいつ接客やってたんだな。」
「キッチンも担当しているけどね。できればモキチに作ってもらいたかったけど。」
メニュー表を取り出して、商品の写真を物色する。いたって普通のレストランという感じがしたが、一品だけ、他の店では見ないであろう料理が載っていた。
「……ストロベリーハンバーグってさ……」
「それは見なかったことにしておきな。ネタとして美味しいけど、マジになって食べる物ではない。」
過去に試作品を味見し、完成品にも手をつけたことのある被害者はこう語る。リンゴを角切りにして載せたり、焼いたグレープフルーツをドンと載せたりしたハンバーグがあるという話は聞いたことがある。しかしここに載っているような、苺てんこ盛りのハンバーグなど見たことも聞いたこともなかった。
「まあ……せっかく来たしな……」
「うん……一度くらいはいいよ。お昼に美味しい物たくさん食べてきたし。」
レイジとイコイは頷き合うと、店員を呼んでメニューを注文した。ドリンクバーと海鮮サラダを二つずつ、そしてストロベリーハンバーグ一品。オーダーが通り発注されると、もう引き返すことはできなくなった。ひとまずはドリンクバーへ向かい、各々好みのドリンクを注いでくる。そしてサラダが届き、そのタイミングでは伝票は渡されなかった。つまり、注文したすべての品が届ききっていない。例のハンバーグが来るのは現実となっているということだ。
「ヤバいよ……本当に苺入れて作ってる……」
レイジはキッチンの方から聞こえる心の声で恐怖心に囚われた。料理人の方はとんでもなく楽しそうに具材を切ったり混ぜたりしている。肉にも、ソースにも、たっぷりと苺が混ぜられていく。目の前で作っている様子を見せられているような気分になり、それを今から食べなければならないという事態に進めてしまったことへの後悔が止まない。それでも平常心を取り戻そうと、サラダを眺めつつドリンクを口に運ぶ。冷房はバッチリ聞いているはずだが、とめどなく流れてくる汗をハンカチで拭っていく。
「ストロベリーハンバーグ、頼んだそうだな。」
他の客の案内を終えて手が空いたモキチは、レイジたちのテーブル席へとやってきた。何を隠そう、このメニューを考案したのはモキチである。
「アップルハンバーグもオススメだ。よかったら……」
「場合によっては二度とこの店来なくなるかもしれんぞ。」
否定的なレイジに、モキチは不思議そうな顔をする。モキチ本人、そしてここの店員も皆、そのメニューの出来は評価しているようで、味にも自信を持っている。
レイジは嫌な予感がした。このハンバーグ、一口食べてしまえば病みつきになる人もいるのではないだろうか。もし自分がそのような人間になってしまえば、美味しいと言ってやまなくなるのか。そんな思いが頭を過った。
「お待たせしました。ストロベリーハンバーグでございます。以上でご注文はお揃いでしょうか?」
実物を前にして、口直しに新しく食べ物が欲しくなるかもしれないと思いイコイの顔を見たが、彼はドリンクと今あるサラダだけで十分そうなので、レイジも合わせて頷いた。伝票入れに、一枚の伝票が入れられた。
「じゃあ、いただき……ます。」
二人はナイフとフォークを手に取り、少しずつ切って盛りつけていった。




