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功績も婚約者も妹に奪われた伯爵令嬢は、記憶を失った先で冷酷皇太子に溺愛される  作者: EMo


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第7話 その案を考えたのは彼女だ


 臨時文書係として最初に与えられたのは、北部にある三つの村から届いた要望書だった。


 一つ目のローデ村では、早霜によって小麦の収穫量が減り、冬を越すための穀物が足りない。


 二つ目のハーゲン村には豆や芋の備蓄があるが、夏の大雨で橋が壊れ、ほかの村へ運び出せない。


 三つ目のベルク村は塩の支給を求めている一方、秋の伐採を終えたため、荷馬車と馬に余裕がある。


 三つすべての要望に、帝国の備蓄だけで応えることはできない。


 少なくとも、同じ時期には。


「一刻ですよ」


 窓辺の小卓へ書類を並べる私に、ミラ様が砂時計を置いた。


「砂が落ちきったら、途中でも筆を置いてください」


「承知しています」


「昨日も同じ返事を聞きました」


「昨日は仕事をしていません」


「仕事を始める前から、寝台の中で考えていたでしょう」


 図星だった。


 ミラ様は私の顔を見て、小さくため息をついた。


「考えるなとまでは言いません。ただし、熱が戻ったら契約は一時中止です」


 そこまで言うと、部屋を出ていった。


 私は要望書へ視線を戻した。


 ローデ村には食料が必要だ。


 ハーゲン村には運ぶ手段がない。


 ベルク村には荷馬車がある。


 それぞれの村だけを見れば、帝国に助けを求めるほかない。けれど三つを一緒に見れば、不足しているものを補い合える。


 私は地図を広げた。


 ハーゲン村とローデ村をつなぐ橋は壊れている。だが、ベルク村から森を回る道なら通れると、添えられた報告書に書かれていた。


 ベルク村の荷馬車でハーゲン村の豆と芋をローデ村へ運び、その帰りに帝国から支給する塩をベルク村へ届ける。


 ローデ村には不足分の小麦だけを帝国の備蓄から送る。


 ただし、ハーゲン村の備蓄を一方的に取り上げてはならない。提供した分は帝国が買い取り、荷馬車を出すベルク村にも運搬費を支払う。


 そう書き添えたところで、砂時計の最後の粒が落ちた。


 もう少し整えたい。


 けれど、昨日交わした契約には、作業時間を超えないことも記されている。


 私は迷った末に筆を置いた。


 文書の最後には、作成者の名を書く欄があった。


 エレン。


 そう署名してから、乾くまでしばらく文字を見つめた。


     ◇


 翌日、私は離宮の会議室へ呼ばれた。


 文書を提出するだけだと思っていたため、室内に十人近い役人と軍人がいるのを見て足が止まった。


 長い卓の正面にはレオンハルト殿下が座り、その右側にオスカー様が控えている。


「入れ」


 殿下の声に促され、私は一礼して室内へ入った。


 集まった者たちの視線が、固定された左腕へ向けられる。


 次に顔と衣服を確かめ、最後に値踏みするような目へ変わった。


 無理もない。


 敵国の馬車から救出され、身元も分からない女が、突然会議へ連れてこられたのだから。


「その女が、例の記憶を失った者ですか」


 恰幅のよい男が尋ねた。


 北部の物資管理を担当する官吏だと、紹介された人物だった。


「臨時文書係のエレンだ」


 殿下が答えた。


「文書係を会議に同席させる必要があるのでしょうか」


「提出した案について、本人に説明させる」


 それ以上の異論を許さない声だった。


 殿下が私へ視線を向ける。


「エレン。説明しろ」


「はい」


 緊張で指先が冷たくなった。


 私は三つの村から届いた要望と、それぞれが持つ物資について順に話した。


「帝国の備蓄だけですべてを補うのではなく、ベルク村の荷馬車で、ハーゲン村の豆と芋をローデ村へ運ぶ方法を提案いたします」


「待ちなさい」


 先ほどの官吏が言葉を遮った。


「ハーゲン村とローデ村を結ぶ橋は壊れている。要望書を読んでいないのですか」


「読んでおります。ですから、ベルク村から森を回る道を使います」


「冬前の道を、荷馬車が通れる保証はない」


「三日前に巡回した兵士の報告では、倒木を二本除けば通行できるとあります。ベルク村では伐採を終えているため、道を知る者と道具も確保できます」


 官吏の顔が険しくなった。


「それでも、村の備蓄を別の村へ渡せと命じれば、反発が起こる」


「命じるのではありません」


「何?」


「ハーゲン村が提供する豆と芋は、帝国が適正な価格で買い取ります。ベルク村にも、荷馬車と人員に応じた運搬費を支払います」


「結局、費用がかかるではないか」


「すべてを帝都から運ぶより少なく済みます。それに、雪が降る前に届けられます」


「その計算に間違いがないと、どうして言い切れる」


 答えようとしたとき、殿下の声が響いた。


「最後まで話させろ」


 会議室が静まり返った。


 殿下は官吏ではなく、私を見ていた。


「続けろ、エレン」


「はい」


 私は用意していた紙を広げた。


 三つの村へ別々に物資を運んだ場合と、村同士を結んだ場合。それぞれに必要となる荷馬車の数と日数を記してある。


「こちらが個別に運ぶ場合です。すべて帝国の備蓄庫から出せば、荷馬車が十六台必要になります」


「お前の案では」


「九台です。雪が降ると予想される日の、四日前には運び終えられます」


 殿下がオスカー様へ目を向けた。


「巡回報告と照合しろ」


「すでに確認しました。道の状態も、各村の備蓄量も一致しています」


「村へ意思を確認する必要はあるな」


「はい。ハーゲン村が備蓄を手放せない場合に備え、別の案も作成しております」


 二枚目の紙を差し出した。


 殿下は受け取り、短く目を通した。


「使える」


 その一言に、胸の奥がほどけた。


 けれど、先ほどの官吏は納得していないようだった。


「しかし殿下、敵国人の考えた案をそのまま採用するのは危険です。まずは我々の名で各村へ調査を――」


「調査は必要だ」


 殿下は遮った。


「だが、案を作った者の出身とは関係ない。誤りがあれば退け、使えるなら採用する」


「では、殿下のご提案として、私から各村へ――」


「違う」


 冷たい声が落ちた。


 官吏の言葉が止まる。


「この案を考えたのは彼女だ」


 誰も口を開かなかった。


「文書にも、作成者としてエレンの名がある。私の名へ書き換える必要はない」


「ですが、殿下のご承認を得た案です」


「承認した者と、案を作った者は別だ。昨日もそう言ったはずだ」


 殿下は私の文書を卓上に置いた。


「各村への照会は、この文書を添えて行え。質問があれば、エレンへ戻せ」


「この者へ、直接ですか」


「内容を最も理解している者へ聞く。それ以外に誰がいる」


 官吏は反論できず、頭を下げた。


「承知しました」


 会議はその後も続いた。


 私は何度か質問を受け、そのたびに文書を見直して答えた。


 分からないことには、分からないと伝えた。確認が必要な箇所には、その場で印をつけた。


 以前の私が、どのように仕事をしていたのかは思い出せない。


 けれど、ここでは答えを急かされることも、誰かの名に合わせて言葉を変えることもなかった。


 会議が終わり、人々が退室していく。


 私も席を立とうとすると、殿下に呼び止められた。


「エレン」


「はい」


「顔色が悪い」


「緊張しただけです。問題ありません」


「その言葉は信用しない」


 また言われた。


「女官長を呼ぶ。部屋まで送らせる」


「一人で戻れます」


「会議中、三度胸を押さえていた」


 見られていたことに驚いた。


「痛かったわけではありません」


「では、何だ」


 答えようとしたが、言葉が見つからなかった。


 会議の途中から、胸の奥が何度も苦しくなった。


 けれどそれは、傷の痛みとは違う。


「殿下が、私の名を……」


 そこまで口にすると、目の奥が熱くなった。


 泣くようなことではない。


 そう思うのに、視界がにじんでいく。


「私が作った案だと、皆様の前でおっしゃったので」


「事実を言っただけだ」


「はい」


「泣くほどのことか」


「分かりません」


 自分でも理由を説明できなかった。


「でも、初めて自分の仕事を自分のものだと言っていただいたような気がするのです」


 殿下は何も言わなかった。


 氷のような青い目が、私をじっと見ている。


 やがて、卓上から私の文書を取り上げた。


「この案が採用されれば、記録にはエレンの名を残す」


「よろしいのですか」


「二度言わせるな」


 わずかに眉を寄せてから、殿下は視線をそらした。


「次も同じだ。使える案なら採用する。誰が作ったのかも変えない」


「ありがとうございます」


「礼は、結果が出てからにしろ」


 相変わらず冷たい言い方だった。


 それでも、その声を怖いとは思わなかった。


 扉が激しく叩かれたのは、そのときだった。


「殿下、国境警備隊から急ぎの報告です」


「入れ」


 入ってきた兵士が、殿下の前で片膝をつく。


「巡回中の部隊が、村の物資を強制的に徴収しました。抵抗した村人に負傷者が出ています」


 先ほどまでとは違う冷気が、殿下の周囲に満ちた。


「指揮官は」


「すでに拘束しております」


「明朝、裁定を行う。関係者を全員連れてこい」


「承知しました」


 殿下の横顔から、わずかに見えていた柔らかさは消えていた。


 そこにいるのは、敵にも味方にも容赦しないと恐れられる、冷酷皇太子だった。

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