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第二章・二十三 「金色の瞳」



 樹海王の縄張りから離れてからも。


 誰もすぐには喋らなかった。


 足音だけが続く。


 落ち葉を踏む音。


 荷馬車の車輪が軋む音。


 馬の鼻息。


 それだけだった。


 先程まで目の前にいた存在があまりにも強烈だったのだ。


 戦っていない。


 傷も負っていない。


 それなのに。


 全員の精神は大きく消耗していた。


 やがて。


 小さな沢へ辿り着く。


 アイリスが周囲を確認する。


 護衛長も森を見回す。


 しばらくして。


「ここで少し休む」


 そう告げた。


 ようやく全員が息を吐く。


 旅人達は岩へ腰を下ろす。


 護衛達も武器を手放さないまま休息を取る。


 ユウマは沢の水で顔を洗った。


 冷たい。


 少しだけ頭が冴える。


 その時だった。


「結局……」


 ミナが呟く。


「他の人達はどうなったんだろう」


 空気が重くなる。


 誰もが考えていた事だった。


 樹海王の縄張りへ辿り着く前。


 群れの狩りから逃げる途中で。


 隊列は崩れていた。


 護衛。


 旅人。


 商人。


 全員が無事とは思えない。


「助けに戻れないの?」


 ミナが小さく言う。


 優しいからこそ出る言葉だった。


 護衛長が視線を落とす。


 答えに詰まる。


 その代わり。


 アイリスが静かに口を開いた。


「無理よ」


 即答だった。


 冷たい訳ではない。


 現実だった。


「でも……」


「戻ったらどうなると思う?」


 ミナは言葉を失う。


 アイリスは続ける。


「樹海王」


「群れ」


「正体不明の大型個体」


「縄張り争い」


「どれか一つでも遭遇したら終わる」


 反論できない。


 ユウマも分かっていた。


 助けたい。


 本当に助けたい。


 だが。


 今の自分達では無理だ。


 それは嫌になるほど理解していた。


 グラヴォルフ。


 セイル防衛戦。


 巨大魔物。


 色々な戦いを経験した。


 それでも。


 ヴェルグ樹海では通用しない。


 まだ弱い。


 その現実だけが残った。


 しばらく沈黙が続く。


 その時。


 ケイがぽつりと言った。


「樹海王ってよ」


 全員が顔を向ける。


「あれ本当に王なのか?」


 その疑問は自然だった。


 樹海王。


 そう呼ばれている。


 だが誰が決めたのか。


 ユウマも気になっていた。


 すると。


 荷馬車に乗っていた生存者の女性が苦笑する。


「違うと思う」


「え?」


 ケイが目を丸くする。


 女性は頷いた。


「樹海王って呼ばれてるだけ」


「本当の名前じゃない」


 興味を引かれる話だった。


 周囲の旅人達も耳を傾ける。


「昔から言い伝えがあるの」


 女性はゆっくり話し始めた。


「ヴェルグ樹海には金色の瞳を持つ巨大な獣がいる」


「何十年も前から」


「ずっと」


 沢の水音だけが響く。


 誰も口を挟まない。


「遭遇した人は少ない」


「でも生きて帰った人が何人かいた」


「その全員が同じ事を言った」


 一拍。


 そして。


「金色の瞳だったって」


 ユウマは先程の光景を思い出す。


 黄金色の瞳。


 確かに印象的だった。


 忘れようがない。


「だから樹海王?」


 ミナが尋ねる。


「そう」


 女性は頷いた。


「誰かがそう呼び始めた」


「いつの間にか広まった」


 単純な話だった。


 だが。


 それだけ長く目撃され続けているという事でもある。


「じゃあヴェルグ最強なのか?」


 ケイが聞く。


 女性は少し考えた後。


 首を横に振った。


「分からない」


「え?」


「だって誰も知らないもの」


 その答えは妙に説得力があった。


「もっと強い魔物がいるかもしれない」


「深い場所には別の主がいるかもしれない」


「そもそも樹海王自身の本当の強さも分からない」


 誰も反論できない。


 人間が勝手に付けた呼び名。


 それだけなのだ。


 ヴェルグ樹海は広い。


 あまりにも広い。


 まだ入口付近しか歩いていないユウマ達には想像もできないほど。


 その時だった。


 アイリスが立ち上がる。


 周囲を見回す。


 そして。


「移動するわよ」


 空気が引き締まる。


 休憩は終わり。


 再び樹海へ入る。


 ラグナフェルはまだ遠い。


 友人達の情報もない。


 危険は増えるばかり。


 それでも。


 進まなければならない。


 ユウマは立ち上がる。


 短剣の柄へ触れる。


 力が欲しい。


 そう思った。


 誰かを助けられる力。


 仲間を守れる力。


 そして。


 この樹海で生き抜く力。


 ヴェルグ樹海は。


 まだ何も教えてくれていなかった。

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