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第二章・二十二 「観察する瞳」



 樹海王。


 その名前が出た瞬間。


 広場の空気が変わった。


 旅人達は青ざめている。


 護衛達も武器を握ったまま動けない。


 目の前の巨獣は襲ってこない。


 だが。


 だからこそ怖かった。


 敵意なら分かる。


 殺意なら分かる。


 しかし今の黄金の瞳には、それらとは違う何かがあった。


 観察。


 値踏み。


 そんな印象だった。


 ユウマは唾を飲み込む。


 巨獣は自分達を見ている。


 ただ見ているだけ。


 それなのに全身が警鐘を鳴らしていた。


 戦うな。


 それだけは駄目だ。


 そう本能が訴えている。


 その時だった。


 群れの一体が前へ出る。


 灰色の毛並み。


 鋭い牙。


 先程から周囲を囲んでいた魔物達と同種。


 だが。


 少し大きい。


 群れの中でも上位個体なのだろう。


 その魔物がゆっくりと死骸へ近付く。


 そして。


 頭を下げた。


 樹海王へ向かって。


「……」


 ユウマは目を見開く。


 魔物が。


 頭を下げた。


 まるで上下関係があるように。


「見た?」


 ミナが小声で呟く。


 ユウマも頷く。


 見間違いではない。


 確かに頭を下げた。


 そして樹海王は当然のように死骸へ近付く。


 大きな牙で獲物を引き裂く。


 肉を喰らう。


 すると。


 周囲の群れは待ち始めた。


 誰も先に食べない。


 順番を待っている。


「まるで……」


 ケイが言葉を失う。


 ユウマも同じだった。


 獣ではない。


 社会だった。


 そこには秩序が存在している。


 その光景に圧倒されていた時だった。


 突然。


 旅人の一人が後退した。


 一歩。


 また一歩。


 恐怖で顔が引きつっている。


 気持ちは分かる。


 ユウマも逃げたい。


 だが。


「待っ――」


 アイリスが声を上げる。


 しかし遅かった。


 旅人の足が倒れていた骨を踏む。


 パキッ。


 乾いた音。


 静かな広場に響く。


 その瞬間。


 群れの視線が一斉に動いた。


 旅人へ向く。


 赤い瞳が並ぶ。


 旅人は凍り付いた。


 誰も動かない。


 風も止まったように感じる。


 そして。


 樹海王がゆっくり顔を上げた。


 黄金の瞳。


 旅人を見る。


 その視線だけで男の顔色が真っ白になる。


「す、すまな……」


 声が震える。


 次の瞬間。


 樹海王は視線を外した。


 それだけだった。


 何もしない。


 再び食事へ戻る。


 周囲の群れも興味を失ったように死骸へ向き直る。


 静寂。


 そして。


 全員が同時に理解した。


 見逃された。


 アイリスが小さく息を吐く。


 護衛長も肩の力を抜いた。


 誰も口には出さない。


 だが同じ事を考えていた。


 助かった。


 本当に運が良かった。


 その時だった。


 樹海王の近くで何かが動く。


 ユウマは目を凝らした。


 小さい。


 大人の犬ほど。


 灰色の毛。


 まだ若い個体。


「子供?」


 ミナが呟く。


 樹海王の後ろから二頭の幼獣が姿を見せた。


 じゃれ合う。


 転ぶ。


 立ち上がる。


 普通の動物の子供と変わらない。


 しかし。


 周囲の群れは誰も近付かない。


 明確に守られていた。


「家族……なのか」


 ユウマは思わず呟く。


 その瞬間だった。


 樹海王の黄金の瞳がこちらを見る。


 一瞬だけ。


 本当に一瞬だけ。


 ユウマと視線が合う。


 ドクン。


 心臓が鳴る。


 見透かされた気がした。


 だが。


 樹海王は何もせず。


 再び幼獣達へ視線を向ける。


 ユウマは小さく息を吐いた。


 不思議だった。


 怖い。


 もちろん怖い。


 それでも。


 先程までの恐怖とは少し違う。


 ただの怪物ではない。


 そんな気がした。


 その時。


 アイリスが小声で言う。


「今なら離脱できる」


 ユウマは頷く。


 その通りだった。


 樹海王達は食事中。


 注意が散っている。


 ここを逃せば次はない。


 護衛長も判断した。


 静かに手を動かす。


 後退の合図。


 全員が少しずつ下がる。


 一歩。


 また一歩。


 音を立てないように。


 呼吸さえ抑えながら。


 そして。


 木々が視界を遮った時。


 ようやく全員が息を吐いた。


 誰も喋らない。


 まだ安全ではない。


 それでも。


 ヴェルグ樹海の恐ろしさを。


 そして不思議さを。


 ユウマ達はまた一つ知る事になった。


 だが。


 彼らはまだ知らない。


 この樹海で本当に恐ろしいのは。


 頂点捕食者ではないという事を。

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