第一章・七 「港街の夜」
運搬船がゆっくりと岸へ近付いていく。
水路を渡る夜風は少し冷たく、
戦闘後の熱をゆっくり奪っていった。
遠くでは、
まだ祭りの音が聞こえている。
太鼓。
笛。
笑い声。
港街レグナスの夜は、
昼より騒がしい時がある。
「いやー、
久々にちょっと焦ったな」
カナタが肩を回した。
「最後のやつ、
普通に重かった」
「水場補正だろ」
ガイが変異種の魔晶石を持ち上げる。
黒紫色の結晶が、
月明かりを鈍く反射した。
「これ結構高いぞたぶん」
「船壊される寸前だったけどね」
ミコトが呆れたように息を吐く。
だが、
表情は少し笑っていた。
さっきまでの緊張感が、
戦闘終了と共にゆっくり解け始めている。
ユウマは船縁へ寄り、
静かな海面を見た。
黒い水。
揺れる街灯。
波紋。
潮の匂い。
さっきの《空閃》の感覚が、
まだ少しだけ残っていた。
妙に自然だった。
スキル補助というより、
身体が勝手に最適な動きを選んだ感覚。
まるで。
この世界側が、
動きを“合わせてきた”みたいな。
「ユウマ?」
ミコトが横へ来る。
「ぼーっとしてる」
「ああ、
ちょっと考え事」
「珍しいね」
「そう?」
「いつも考えてそうだけど、
今はなんか違う」
ミコトはそう言って、
船縁へ頬杖をついた。
淡い茶髪が夜風に揺れる。
現実側の顔をベースに微調整されたアバター。
Astral Ringでは、
完全な別人顔へ変更することは出来ない。
だからこそ、
どこか“本人感”が残る。
ミコトも、
現実の面影をかなり残していた。
「でもさ」
ミコトが海を見ながら言う。
「やっぱこのゲーム、
景色すごいよね」
ユウマも視線を上げた。
レグナスの夜景。
巨大な港湾橋。
水路沿いに並ぶ魔導灯。
石造りの建物。
海上を滑る輸送船。
遠くを飛ぶ光翼艇。
そして。
海面へ反射する無数の灯り。
サービス開始から二十年以上。
アップデートを繰り返したAstral Ringは、
単なるゲームの景色とは思えないほど作り込まれていた。
いや。
“作り込まれた”という表現すら、
少し違う気がする。
街が生きている。
そう感じる瞬間がある。
住民達の会話。
生活音。
視線。
歩き方。
感情。
その全部が、
妙に自然なのだ。
「観光勢が消えない理由分かるわ」
カナタが苦笑する。
「戦闘しなくても楽しいからなここ」
「お前はもっと戦闘しろ」
「嫌です」
即答だった。
ガイが笑う。
「お前ほんと生産職向いてるよな」
「実際そっちのが稼げるし」
そんな雑談をしているうちに、
運搬船が岸へ接岸した。
ロープ固定。
木材の軋み。
船員達が慣れた動きで荷物を運び始める。
「お疲れさん」
髭面の船員が笑った。
「助かったよ兄ちゃん達」
「変異種出るとか聞いてないんだけど」
カナタが文句を言う。
「最近たまにいるんだよ。
水路側の魔素濃度上がってるらしくてな」
「また環境変化?」
「らしい」
船員は肩を竦めた。
Astral Ringでは珍しくない。
ある日突然、
モンスター生態や地形が変化する。
長年続くゲームなのに、
未だに“未知”が増え続けている。
「その短剣、
拾ったのか?」
髭面の船員が、
ユウマの持つ短剣を見る。
「ああ、
変異種の中から」
ユウマが答えると、
船員は少し眉を上げた。
「へぇ。
魔素侵食品っぽいな」
「やっぱそう見える?」
ミコトが興味深そうに覗き込む。
魔素侵食。
Astral Ringでは珍しくない現象だ。
高濃度魔素環境や、
魔物内部へ長期間取り込まれていた装備は、
稀に性能変質を起こす。
属性変化。
高耐久化。
特殊効果。
逆に呪い染みたデメリットが付く場合もある。
特に深層産の侵食装備は、
上位プレイヤー達の間でも人気が高かった。
「見た感じ、
海系属性寄りかもな」
ガイが短剣を見ながら言う。
「塩蝕痕あるし」
「でも刃綺麗だよね」
ミコトが細剣の柄で軽く突く。
「自己修復系とか?」
「そこまで行くと当たり装備だろ」
カナタが笑った。
「売る?」
「どうだろ」
ユウマは短剣を見る。
濡れた刀身。
薄い青紋様。
妙に静かな魔素反応。
変な感じだった。
強い魔力ではない。
だが、
妙に存在感がある。
「とりあえず鑑定か」
ガイが言う。
「鍛冶通りの婆さんなら、
こういうの詳しいぞ」
「またあの人?」
ミコトが苦笑する。
「絶対値段ふっかけてくるじゃん」
「でも鑑定だけはマジ」
「それは分かる」
船員が笑った。
「嬢ちゃん達、
結構やり込んでるな?」
「まあそこそこ」
カナタが肩を竦める。
「サービス初期からいる古参です」
「うわ、
年寄り発言」
「うるせぇ」
そんな軽口を叩きながら、
四人は船を降りた。
石畳。
潮風。
夜のレグナス。
水路沿いには露店が並び、
焼き魚の匂いが漂っている。
酒場からは笑い声。
演奏。
プレイヤー達の雑談。
観光勢らしい集団が、
橋の上で景色を撮影していた。
「うわ、
まだ人多いな」
カナタが周囲を見回す。
「今日イベント前夜だからな」
ガイが答えた。
「あー、
緊急イベントか」
ミコトが思い出したように言う。
その言葉に、
ユウマは少しだけ視線を上げた。
明日開催予定の大型イベント。
運営告知では、
【大規模海域連動イベント】
としか書かれていない。
詳細不明。
だが、
報酬欄だけ異常だった。
限定装備。
特殊称号。
未知エリア解放。
さらに。
【???】
未公開報酬欄まで存在していた。
「絶対なんかあるよな今回」
カナタが言う。
「運営、
最近妙に意味深だし」
「でもこういう時のARISって、
大体面白いんだよね」
ミコトが笑った。
ARIS。
Astral Ring統合管理AI。
Autonomous Recursive Intelligence System。
長年アップデートと世界管理を続ける、
Astral Ringの中枢AI。
プレイヤー達の間では、
半分冗談みたいに“運営神”扱いされていた。
だが。
ユウマは、
ふと違和感を覚える。
港の雑踏。
笑い声。
夜風。
祭りの音。
全部いつも通りなのに。
何かが、
ほんの少しだけ静かだった。
言葉に出来ないくらい小さな違和感。
水面の揺れを見る時みたいな、
感覚。
「……?」
ユウマが足を止める。
「どうした?」
カナタが振り返った。
「いや」
ユウマは小さく首を振る。
「なんでもない」
そう答えながらも。
胸の奥には、
妙な引っ掛かりだけが残っていた。
レグナスの夜は、
まだ賑やかだった。
けれど。
その喧騒の奥で、
何かが静かに動き始めている気がした。




