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第一章・六 「夜水の魔物」



 甲殻が月明かりを反射していた。


 黒く濡れた外殻。


 水面へ広がる波紋。


 船の縁へ打ち寄せる小さな波。


 その暗がりの中で、

 シェイドクラブ達が一斉に鋏を鳴らした。


 カチカチカチ――。


 湿った嫌な音だった。


 夜の水辺というだけで、

 低ランクの魔物でも妙に不気味に見える。


「数、多いな……」


 カナタが片手剣を抜く。


 青白い光が刀身を走った。


 スキル待機状態。


 けれどユウマは、

 まだ剣を抜かなかった。


 先に見る。


 敵の位置。


 水面の揺れ。


 船の傾き。


 跳躍方向。


 護岸の影。


 シェイドクラブは弱い。


 低ランク水棲モンスター。


 初心者でも倒せる相手だ。


 だが、

 水場では油断出来ない。


 足場が悪い。


 視界が悪い。


 水中から来る。


 そして何より、

 こちらは小型船の上にいる。


「右に二体、

 潜ってる」


 ユウマが低く言った。


「見えてるのか?」


 カナタが目を細める。


 護岸沿いの暗がり。


 普通に見れば、

 黒い水面が揺れているだけだ。


 だが。


 波紋が違う。


 水の流れに逆らうように、

 細く歪んでいる場所があった。


「波が変」


「……いた」


 ミコトも細剣を抜いた。


 青を基調にした軽装防具が、

 月明かりを薄く反射する。


 その瞬間。


 水面が爆ぜた。


「来る!」


 一体目。


 シェイドクラブが低く跳ぶ。


 黒い甲殻。


 赤い複眼。


 濡れた鋏。


 カナタが正面へ踏み込んだ。


 船板が小さく軋む。


 片手剣が青白く発光した。


 カナタのスキル発動。


 スキル《斬牙(ファング)》。


 踏み込み加速。


 腰を沈めた横薙ぎ。


 青白い剣閃が夜気を裂いた。


 ガキィン!!


 硬質な衝撃音が水路へ響く。


 カナタの斬撃が、

 シェイドクラブの側面甲殻を叩き切った。


 衝撃で吹き飛ばされた魔物が、

 水面へ激突する。


 水飛沫が跳ねた。


「うおっ、

 硬っ!?」


 カナタが顔をしかめる。


「甲殻あるからな!」


 ガイが叫んだ。


 その直後。


 別方向。


 水中から二体が同時に飛び出す。


 低い軌道。


 船縁狙い。


「ミコト!」


「分かってる!」


 ミコトが船上を滑るように横移動した。


 細剣が銀線のように閃く。


 速い。


 無駄がない。


 細く鋭い刺突が、

 シェイドクラブの脚関節を正確に貫いた。


 片方の個体が体勢を崩す。


 そこへガイが前へ出た。


「どけぇッ!!」


 大剣が振り下ろされる。


 重量任せ。


 けれど雑ではない。


 大きな刃が、

 甲殻の上から押し潰すように叩き込まれた。


 鈍い衝撃。


 船が揺れる。


 シェイドクラブが甲板へ叩き付けられ、

 黒い粒子を散らした。


「雑すぎ!」


 ミコトが叫ぶ。


「倒れりゃいいんだよ!」


 ガイは笑った。


 その間にも、

 別個体が船縁へ這い上がってきていた。


 赤い複眼。


 濡れた鋏。


 ギチギチと鳴る脚。


 ユウマは半歩だけ後ろへ下がる。


 鋏が空を切った。


 遅い。


 だが。


「……っ」


 ユウマは即座に横へ踏み込んだ。


 直後。


 水中から別個体が飛び出す。


 二段連携。


「マジか!?」


 カナタが叫んだ。


 普通のシェイドクラブは、

 ここまで動きを合わせない。


 偶然ではない。


 水中でタイミングを合わせていた。


「ユウマ!」


「大丈夫!」


 ユウマは片手剣を抜いた。


 《蒼刃アステル》。


 淡い蒼光が刀身を走る。


 飛び掛かってくるシェイドクラブ。


 ユウマは正面から迎え撃たない。


 半歩だけ角度をずらす。


 敵の鋏が届かない位置。


 水飛沫。


 重心。


 甲殻の傾き。


 全部を一瞬で見る。


 そして。


「そこ」


 最小動作。


 蒼い斬線が夜を走った。


 ガキンッ!!


 剣先が、

 脚部関節の隙間へ正確に滑り込む。


 シェイドクラブの体勢が崩れた。


 そのまま船縁から落下。


 水面へ沈む。


「うっま……」


 カナタが思わず呟いた。


「今の何?」


 ミコトも目を瞬かせる。


「関節狙った?」


「たぶん、

 あそこが一番崩れると思った」


「それを普通に言うのが怖いんだけど」


 ユウマは短く息を吐いた。


 派手なスキルではない。


 ただ敵の動きを読み、

 一番崩れる場所へ剣を置いただけ。


 それがユウマの戦い方だった。


 その時。


 視界端へ小さく通知が浮かぶ。


【リンクビュー接続:安定】


 共有状態。


 どうやらカナタ達が、

 戦闘補助共有を開いているらしい。


「お前の視点、

 ほんと酔うんだけど」


 カナタが苦笑する。


「避け方おかしいんだよ」


「感覚でやってるだけ」


「それが怖ぇって」


 だが。


 そこで終わらなかった。


 運搬船の奥。


 灯りの届かない暗がり。


 そこから、

 さらに赤い光が浮かび上がる。


「……まだいる」


 ガイが低く言った。


 ギチギチギチ――。


 さっきより重い音。


 次の瞬間。


 運搬船の側面が大きく揺れた。


 バキッ!!


 木材が軋む。


 巨大な鋏が、

 船縁へ食い込んでいた。


「デカっ……!」


 ミコトが顔を強張らせる。


 通常個体より、

 一回り大きい。


 黒紫色の甲殻。


 赤黒い複眼。


 濃い魔素光。


 濡れた外殻が月光を受け、

 鈍く光っていた。


「変異種か……!」


 カナタが剣を握り直す。


 シェイドクラブ・ハイタイプ。


 低確率で混ざる上位個体。


 強敵というほどではない。


 だが。


 水場では厄介だ。


 特に鋏の威力が重い。


「船壊されると面倒だぞ」


 ガイが舌打ちした。


 その瞬間。


 変異種が動いた。


 速い。


 巨体とは思えない速度だった。


「っ!」


 ユウマが叫ぶ。


「カナタ下がれ!」


 鋏が横薙ぎに振り抜かれる。


 カナタが咄嗟に剣で受けた。


 ガギィン!!


 衝撃。


「ぐっ!?」


 カナタの体が押し込まれる。


 船が大きく揺れた。


 甲板が軋む。


 水面が激しく波立つ。


「うおっ!?」


 ミコトがバランスを崩しかけた。


 重い。


 今までの個体と違う。


 カナタの靴が船板を滑る。


「マジで重っ……!」


 変異種が鋏を押し込む。


 ギリギリと火花が散った。


 ユウマはその動きを見る。


 鋏の軌道。


 重心。


 脚の踏み込み。


 水飛沫。


 この個体。


 片側へ僅かに重心が偏っている。


 左後脚。


 動きが遅い。


「ガイ!

 左脚!」


「おう!」


 ガイが踏み込んだ。


 大剣が唸りを上げる。


 横薙ぎ。


 変異種の左脚へ直撃。


 ガギンッ!!


 だが、

 硬い。


「チッ、

 硬ぇ!」


 それでも。


 僅かに体勢が崩れた。


「今!」


 ユウマが前へ出る。


 船が揺れる。


 足元は不安定。


 けれど、

 恐れない。


 踏み込み。


 視線誘導。


 変異種の複眼が、

 一瞬だけユウマを追う。


 その瞬間。


 カナタが鋏を弾いた。


 重心が流れる。


 ユウマは半歩だけ滑るように横へ入った。


 そこが死角。


 甲殻の継ぎ目。


「――はぁッ!」


 蒼刃アステルが閃く。


 ガキィッ!!


 硬い。


 だが。


 刃先が僅かに食い込む。


 変異種が唸った。


「効いてる!」


 ミコトが叫ぶ。


 細剣が連続で走る。


 突き。


 突き。


 突き。


 脚関節を削るような連撃。


 変異種が苛立ったように暴れた。


 水飛沫。


 揺れる船。


 夜の海風。


 その中で。


 ユウマだけは静かだった。


 見る。


 呼吸。


 鋏。


 視線。


 揺れ。


 タイミング。


 そして。


 一瞬だけ、

 変異種の動きが止まる。


 そこへユウマが踏み込んだ。


 空気が変わる。


 踏み込み。


 角度。


 視線。


 最短軌道。


 刀身へスキル補助光が走る。


 ユウマのスキル発動。


 スキル《空閃(フェイズ)》。


 蒼い斬光。


 一瞬。


 本当に一瞬だけ。


 ユウマの姿が消えたように見えた。


 斜め下。


 甲殻の隙間。


 蒼刃アステルが深く突き刺さる。


 次の瞬間。


 黒紫色の魔素光が大きく揺れた。


 変異種が絶叫する。


 巨大な体が傾いた。


「うおお!?」


 カナタが驚く。


「今の何だ!?」


 だが。


 ユウマは答えない。


 今の感覚。


 妙だった。


 スキル補助が、

 いつもより自然だった。


 まるで最初から、

 自分の動きとして存在していたみたいに。


「ユウマ!」


 ミコトの声で、

 ユウマは我に返った。


 変異種がまだ動いている。


「まだ終わってない!」


 ガイが叫ぶ。


 変異種が最後の抵抗みたいに鋏を振り上げる。


 だが。


 そこへ、

 カナタが踏み込んだ。


 カナタの片手剣が青白く発光する。


 カナタのスキル発動。


 スキル《断波(ブレイク)》。


 衝撃斬。


 横薙ぎに放たれた斬撃が、

 変異種の甲殻へ直撃した。


 ガギィン!!


 すでに傷付いていた部分へ、

 衝撃が集中する。


 黒紫色の甲殻へ、

 大きな亀裂が走った。


「今だガイ!!」


「おうッ!!」


 ガイが大剣を振り上げる。


 巨大な刀身が、

 夜気を唸らせた。


 そして。


 上段から、

 全力で叩き落とす。


「らぁぁッ!!」


 轟音。


 大剣が、

 砕けかけた甲殻へ直撃した。


 衝撃で船が激しく揺れる。


 水飛沫が舞う。


 変異種の巨体が、

 甲板へ叩き潰された。


 ミシミシと船板が軋む。


 次の瞬間。


 変異種の身体から、

 黒い粒子が噴き出した。


 魔素崩壊。


 甲殻の一部が粒子化し、

 夜風へ溶けていく。


 だが。


 全ては消えない。


 砕けた外殻。


 巨大な鋏。


 紫黒色の魔晶石。


 そして。


 甲殻の隙間から、

 鈍い銀色が覗いていた。


「……ん?」


 ガイが眉を動かす。


 崩れた外殻を大剣で押し退ける。


 すると。


 中から一本の短剣が転がり落ちた。


 カラン――。


 濡れた刀身。


 黒い革巻きの柄。


 海水に長く浸かっていたような傷。


 だが。


 刃だけは妙に綺麗だった。


「武器?」


 ミコトが目を丸くする。


「飲み込んでたのか?」


 カナタがしゃがみ込んだ。


 ユウマも短剣を見る。


 刀身には、

 薄く青い紋様が浮かんでいた。


 魔素侵食。


 長期間、

 高濃度魔素環境に存在した装備特有の変質痕。


「……レア品っぽいな」


 ガイが笑う。


「当たり個体か」


 Astral Ringでは、

 稀にこういう事がある。


 魔物の体内。


 巣。


 沈没船。


 遺跡。


 そこから武器や防具、

 装飾品が発見される場合があった。


 過去に飲み込まれた冒険者の遺品。


 沈んだ船の積荷。


 未帰還者の装備。


 あるいは、

 魔素によって変質した古代装備。


 そうした“拾い物”が、

 時に高額で取引される。


「これ売れば、

 今日かなり美味い飯行けるぞ」


「結局そこなんだ」


 ミコトが呆れた。


 だが、

 少し楽しそうでもあった。


 夜風が吹く。


 遠くでは、

 まだ祭りの音が聞こえている。


 太鼓。


 笛。


 歓声。


 花火の余韻。


 潮の匂いと、

 魔素の残滓が夜の水路を漂っていた。


 ユウマは短剣を見つめる。


 この世界には、

 こういう偶然がある。


 誰かが失ったもの。


 どこかへ沈んだもの。


 忘れられた装備。


 それがまた、

 別の誰かの手へ渡っていく。


 ただのゲーム。


 そう呼ぶには、

 妙に生々しい世界だった。そ

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