第一章・四十五 「黒外套」
港倉庫区画の夜風は冷たかった。
海の匂い。
積み上がる荷箱。
揺れる魔導灯。
だが今は、
その全てが妙に張り詰めている。
避難民達の不安が、
空気そのものを重くしていた。
「押すな!!
順番だ!!」
「食料は全員分ある!!」
巡回兵達が必死に叫んでいる。
だが。
混乱は簡単には収まらない。
グランゼル襲撃直後。
しかも結界停止。
街全体が恐怖状態なのだ。
その時だった。
倉庫区画奥側。
暗い路地裏で、
再び赤い光が揺れた。
「……っ」
ユウマの感覚が反応する。
視線。
殺気という程じゃない。
でも。
妙に嫌な感覚。
人混みの熱とは違う。
冷たい。
まるで、
誰かが状況を眺めて楽しんでいるみたいな。
ユウマは一歩前へ出る。
「ユウマ?」
ミナが不安そうに振り向く。
「今、
また居た」
「黒外套か?」
ケイが顔をしかめる。
ユウマは頷く。
「多分……」
その瞬間。
路地奥で、
ガタンッ!! と大きな音が響いた。
「きゃあっ!?」
避難民達が悲鳴を上げる。
木箱が倒れた。
さらに別方向でも。
ドサッ!!
荷袋が崩れる。
空気が一気にざわついた。
「まただ!!」
「何なんだよ!!」
恐怖は連鎖する。
押し合い。
怒声。
混乱。
避難民の一部が走り始める。
リュードが怒鳴った。
「走るなァッ!!」
重い声が港区画へ響く。
一瞬だけ空気が止まる。
さすがに隊長格。
声の圧が違った。
だが。
完全には止まらない。
誰かが叫ぶ。
「魔物が居るんだろ!?」
「街の中に入ったんだ!!」
「嫌だ!!
もう嫌だぁっ!!」
恐怖が人を壊し始めていた。
その時だった。
ユウマの感覚が、
再び路地裏の違和感を捉える。
黒外套。
今度はハッキリ見えた。
倉庫壁際。
顔は見えない。
だが。
そいつは、
わざとこちらを見ていた。
「……!」
次の瞬間。
黒外套が走る。
逃げた。
「待て!!」
ユウマは反射的に追い掛ける。
「ユウマ!?」
ケイの声。
だが、
身体が先に動いていた。
【《瞬脚》】
加速。
石畳を蹴る。
肩が痛む。
でも。
今なら動ける。
港路地は狭かった。
積み上がる木箱。
吊り網。
濡れた石畳。
黒外套は、
人混みを避けるように滑る。
慣れている。
この地形を知っている動きだ。
「っ……!」
ユウマは加速する。
視線。
足運び。
重心。
読める。
その瞬間。
黒外套が振り向いた。
一瞬だけ。
暗いフード奥で、
赤い光が揺れる。
目?
違う。
UIみたいな光だった。
ユウマの背筋へ寒気が走る。
次の瞬間。
黒外套が小瓶を投げた。
「!!」
地面へ叩き付けられる。
バァンッ!!
白煙。
「ぐっ……!?」
視界が潰れる。
煙幕。
鼻へ刺激臭が入り込む。
ユウマは咄嗟に口元を押さえた。
「ゲホッ……!」
まずい。
見失う。
その時。
感覚が、
煙の向こうの気配を拾う。
右。
逃げる。
ユウマは反射的に踏み込む。
【《瞬脚》】
煙を抜ける。
その先。
黒外套が倉庫壁を蹴っていた。
「っ!?」
高い。
人間離れしている。
そのまま屋根へ飛び移る。
ユウマも追おうとする。
だが。
肩へ激痛が走った。
「ぐっ……!!」
傷が開きかける。
【ユウマ HP:34% → 29%】
息が止まりそうになる。
しまった。
無理にアクセルを連続使用した。
回復結晶でHPは戻っても、
怪我自体は残っている。
身体が悲鳴を上げていた。
その隙に。
黒外套は屋根上へ着地する。
そして。
こちらを見下ろした。
風でフードが少し揺れる。
若い。
多分。
ユウマ達とそこまで変わらない。
その時。
フード奥から、
小さく笑い声が聞こえた。
「……新しいロストか」
低い声。
男。
次の瞬間。
黒外套は夜の屋根群へ消える。
「待て!!」
ユウマが叫ぶ。
だが。
もう追えない。
その時。
後ろから足音が迫る。
「ユウマ!!」
ケイ達だった。
ケイが息を切らしている。
「急に走るなって!!」
「見失った……」
ユウマが悔しそうに奥歯を噛む。
セレナも路地へ入って来る。
そして。
屋根上を見た瞬間、
表情が少し変わった。
「……やはり」
「知ってるんですか?」
ユウマが聞く。
セレナはすぐには答えなかった。
夜風が銀髪を揺らす。
そして。
静かな声で呟く。
「港荒らし……
いえ」
青い瞳が、
暗い屋根群を見つめる。
「“渡り鴉”かもしれません」
その名前だけが、
妙に不穏に夜へ溶けていった。




