第一章・四 「港の夜と小さな依頼」
花火の残光が、
ゆっくり夜空へ溶けていく。
港の熱気は、
むしろさっきより増していた。
運河沿いへ並ぶ魔導灯が、
石畳を青白く照らしている。
海面へ揺れる灯り。
夜風。
潮の匂い。
遠くで鳴る鐘の音。
レグナスの夜は、
歩いているだけで楽しかった。
「腹減った……」
ガイが真顔で呟く。
「さっき串食ってたろ」
「一本だけだぞ」
「ログイン五分だぞお前」
ミコトが呆れた声を出す。
だがガイは気にした様子もなく、
露店の並ぶ通りを見回していた。
「レグナス来るとなんか食いたくなるんだよ」
「まあ分かる」
悠真も少し笑う。
海産料理の匂いが強い。
焼き魚。
蒸し貝。
海老串。
香草焼き。
露店ごとに香りが違い、
歩いているだけで腹が減ってくる。
通りの脇では、
料理系プレイヤー達が簡易調理台を出していた。
鍋から湯気が立ち昇る。
魔導コンロの青い火。
調味料の匂い。
それを囲むプレイヤー達。
「うわ、
あれ絶対うまいやつ」
カナタが立ち止まる。
運河沿いの店だった。
ガラスケースの中へ、
青白く光る魚介料理が並んでいる。
「イベント限定メニューか?」
「っぽいな」
悠真はメニューを見る。
【星海貝の香草蒸し】
【深潮魚の白焼き】
【海月果実酒】
名前まで凝っていた。
「このゲームほんと飯に力入れ過ぎだろ……」
ミコトが苦笑する。
「配信勢も料理動画ばっか上げてるしな」
「分かる。
戦闘動画より再生数高い時ある」
カナタが笑った。
Astral Ringは、
戦闘だけのゲームじゃない。
料理。
観光。
生産。
演奏。
生活。
そういう遊び方をする人間が本当に多い。
だからこそ、
この世界には独特の空気がある。
ただ効率だけを追うMMOとは少し違う。
「そういや、
この前家具職人だけでランキング乗ったやついたよな」
「あー、
《ルフト工房》の人?」
「そうそう」
「家だけで億稼いでるってマジ?」
「らしい」
そんな会話をしながら、
四人は運河沿いを歩く。
石橋の上では、
楽団が演奏していた。
弦楽器。
笛。
打楽器。
周囲ではプレイヤー達が手拍子をしている。
中には踊っている者までいた。
演奏者へ投げ銭を入れる人間もいる。
「こういうの見ると、
ほんとゲームって感じしなくなるよな」
カナタが呟く。
悠真も少し周囲を見る。
昔はもっと、
システム感が強かった気がする。
店員も、
同じ会話ばかりだった。
でも今は違う。
港労働者達が怒鳴り合っている。
酔っ払いが笑っている。
店主が値段交渉している。
子供が走り回っている。
全部が自然だった。
「……なんかさ」
悠真はぼんやり周囲を見る。
「前より、
街が生きてる感じしない?」
一瞬、
三人が周囲を見る。
「……分かる」
ミコトが頷く。
「昔より人っぽいんだよな」
「AI進化とか言われてるしなー」
カナタが軽く笑った。
「運営も制御し切れてないとか、
結構噂あるぞ」
「怖いこと言うなって」
悠真は苦笑した。
だが。
完全に冗談とも思えない。
それくらい、
Astral Ringは変化し続けていた。
昨日まで無かった店。
増えている路地。
知らない料理。
新しい文化。
攻略サイトにも載っていないものが、
最近は本当に多い。
「おっ」
ガイが立ち止まる。
視線の先。
運河沿いの広場では、
水上ランタン流しが始まっていた。
小さな灯りが、
静かな水面へ流されていく。
橙色の光。
青白い波。
ゆっくり揺れる灯り。
「うわ……綺麗」
ミコトが小さく声を漏らす。
周囲でも、
立ち止まって眺めるプレイヤーが多かった。
観光ドローンが空を飛ぶ。
動画配信者らしきプレイヤーが実況している。
『いやー皆さん見てくださいこれ!
レグナスの夜景ほんとやばいっす!』
そんな声まで聞こえてきた。
悠真は少し笑う。
こういう騒がしさも、
嫌いじゃない。
潮風が吹く。
遠くでは大型船の汽笛が鳴っていた。
夜空を見上げる。
巨大飛行船が、
港上空をゆっくり横断している。
船体側面の魔導灯が、
空へ長い光を引いていた。
「……ほんと作り込みおかしいな」
悠真は思わず呟く。
「これ初めて来た初心者とか、
絶対感動するだろ」
「実際してる」
カナタが周囲を見る。
ログイン直後らしいプレイヤー達が、
あちこちで立ち止まり、
景色を見上げていた。
その表情を見ると、
昔の自分達を思い出す。
中学生の頃。
初めてAstral Ringへ入った日。
戦闘より先に、
街を歩き回っていた。
知らない世界を冒険するだけで、
楽しかった。
その時だった。
「すみません……!」
不意に声を掛けられる。
振り返る。
そこには、
若い女性が立っていた。
栗色の髪を後ろで束ね、
港職員らしい制服を着ている。
少し困った顔をしていた。
「冒険者の方ですよね?」
「あ、はい」
カナタが返事する。
「何かありました?」
「その……
少しお願いがあって……」
女性は申し訳なさそうに頭を下げた。
「運搬用の小型船が、
外周水路で止まってしまって」
「モンスターか?」
ガイが聞く。
「はい……
おそらく《シェイドクラブ》です」
「あー」
ミコトが納得した顔をする。
レグナス周辺に出る低ランク水棲モンスター。
初心者でも対処可能だが、
群れると厄介だった。
「討伐依頼?」
「護衛寄りですね」
女性は胸元の書類を抱え直した。
「荷物だけでも回収出来れば……」
悠真は周囲を見る。
イベント広場はかなり混雑している。
高ランク勢は、
多分深層航路イベント側へ行っている。
こういう小依頼は、
逆に人手不足なのかもしれない。
「どうする?」
カナタが聞く。
ガイは既にやる気だった。
「船乗れるなら行きたい」
「理由そこ?」
「レグナスの夜の海好きなんだよ」
真顔で返され、
ミコトが吹き出した。
だが。
悠真も少し分かる。
夜の海は綺麗だ。
中心街とは違う、
静かな景色がある。
「じゃ、
行くか」
「ありがとうございます!」
女性が安心したように笑った。
その笑顔が、
妙に自然だった。
悠真はふと考える。
昔のAstral Ringなら、
ここまで細かい表情をしただろうか。
そんな違和感を胸の隅へ残しながら。
四人は、
港外周水路へ向かって歩き始めた。
人混みを抜ける。
石畳を進む。
少しずつ、
街の喧騒が遠ざかっていく。
代わりに波音が近付いた。
夜風が強い。
潮の匂いも濃くなる。
やがて。
外周桟橋が見えてきた。
数隻の小型船。
静かな水面。
月明かり。
海面へ、
白い光が揺れていた。
「……うわ」
ミコトが思わず立ち止まる。
レグナス中心街ほど派手じゃない。
だが。
静かな夜の海には、
別の美しさがあった。
遠くには巨大灯台。
沖合を進む大型船。
さらにその向こう。
黒い水平線の彼方に、
巨大な影が一瞬だけ見えた気がした。
「……ん?」
悠真は目を細める。
だが。
次の波で、
その影は見えなくなった。
「どうした?」
「いや……
なんでもない」
潮風が吹く。
夜の海は静かだった。
けれど。
その静けさの奥に、
まだ知らない世界が広がっている。
そんな感覚だけが、
妙に胸へ残っていた。




