第一章・二十九 「海甲獣」
グランゼルが咆哮した。
腹の奥まで震えるような重低音。
港町セイルの空気が揺れる。
ユウマは子供を抱えたまま、
石畳の上で息を呑んだ。
【海甲獣グランゼル HP:100%】
近い。
巨大過ぎる。
昨日戦ったレイヴンハウンドとは、
存在感そのものが違った。
青黒い外殻。
濡れた甲殻から潮水が滴っている。
複数の赤い目。
鋭い牙。
前脚だけで、
ユウマの身体くらいありそうだった。
「っ……」
怖い。
本能が逃げろと叫んでいる。
だが。
腕の中では、
助けた子供が震えていた。
「お、お兄ちゃん……」
「走れるか?」
子供が涙目で頷く。
ユウマは歯を食い縛った。
「なら逃げろ!!
向こうだ!!」
中央通りを指差す。
子供は何度も頷きながら、
泣きそうな顔で走り出した。
その瞬間。
グランゼルが地面を踏み砕く。
轟音。
巨体が突進して来た。
「っ!!」
速い。
見た目より遥かに。
ユウマは咄嗟に横へ飛ぶ。
直後。
さっきまで居た場所へ、
巨大な前脚が叩き込まれた。
石畳が爆発したみたいに砕け散る。
破片が肩へ直撃した。
「ぐっ!!」
【ユウマ HP:31%】
痛い。
だが。
止まれば死ぬ。
グランゼルが唸る。
その赤い目が、
完全にユウマを捉えていた。
逃げ遅れた獲物。
そう認識された。
ユウマの喉が乾く。
どうする。
正面からは無理だ。
硬い。
重い。
昨日みたいな相手じゃない。
その時。
「伏せろ!!」
リュードの怒声。
次の瞬間。
銀閃が走った。
ガギィィィン!!
リュードの長剣が、
グランゼルの前脚へ叩き込まれる。
火花。
重い衝突音。
だが。
浅い。
外殻が硬過ぎる。
「ちっ……!」
リュードが後退する。
グランゼルが怒り狂ったように咆哮した。
直後。
横薙ぎ。
巨大な前脚がリュードを襲う。
「っ!!」
リュードは剣で受ける。
だが。
吹き飛ばされた。
「隊長!!」
兵士達が叫ぶ。
リュードが石畳を滑る。
鎧が軋む音。
重い。
あれを正面で受けるのは危険だ。
ユウマの感覚が即座に理解する。
その瞬間。
空気が凍った。
「《氷槍》」
セレナだった。
青白い魔法陣が展開される。
直後。
複数の氷槍が空中生成された。
鋭い氷。
透明な槍。
それが一斉にグランゼルへ放たれる。
ガガガガガッ!!
轟音。
氷槍が外殻へ突き刺さる。
【海甲獣グランゼル HP:91%】
だが。
浅い。
完全には貫けていない。
「硬っ……!?」
ケイが顔を引き攣らせる。
セレナの魔法でこれ。
普通じゃない。
グランゼルが咆哮する。
その瞬間。
身体側面の外殻が開いた。
「っ!?」
ユウマの目が見開かれる。
中から泡立った液体が噴き出した。
「避けろ!!」
リュードが叫ぶ。
次の瞬間。
液体が石畳へ降り注いだ。
ジュゥゥゥゥッ!!
白煙。
石が溶ける。
腐食。
「うそだろ……!」
ケイが青ざめる。
ユウマも息を呑む。
酸だ。
まともに食らえば終わる。
グランゼルが再び突進姿勢へ入る。
その巨体が、
一直線にセレナへ向いた。
「……っ」
セレナが杖を構える。
だが。
昨日の負傷が残っている。
動きが僅かに鈍い。
ユウマの感覚が反応した。
まずい。
あのタイミング。
避け切れない。
その瞬間。
ユウマの身体が反射的に動いていた。
「ユウマ!?」
ケイの叫び。
ユウマは石畳を蹴る。
怖い。
正直、
今すぐ逃げたい。
でも。
目の前で誰かが死ぬのは嫌だった。
【スキル補助起動】
【《瞬脚》】
身体が軽くなる。
加速。
一気に距離を詰める。
グランゼルの巨体が迫る。
重圧。
恐怖。
なのに。
ユウマの感覚は、
逆に鋭くなっていた。
見る。
脚運び。
重心。
前脚。
外殻。
全部。
その瞬間だった。
ユウマの視線が、
グランゼルの右前脚付近で止まる。
外殻の継ぎ目。
そこだけ。
少し柔らかい。
「……そこか」
直感だった。
ユウマは滑り込む。
巨体の懐。
ギリギリ。
グランゼルの爪が頭上を通過する。
風圧で髪が乱れた。
そのまま。
【スキル補助起動】
【《空閃》】
世界が静かになる。
最短軌道。
最適角度。
ユウマは右手の短剣を、
外殻の隙間へ叩き込んだ。
ガギィッ!!
【海甲獣グランゼル HP:86%】
硬い。
だが。
通った。
グランゼルが咆哮する。
その巨体が揺れた。
「効いた!?」
ミナが叫ぶ。
だが次の瞬間。
グランゼルの尾が横薙ぎに振られた。
「っ!!」
避け切れない。
ユウマは咄嗟に腕を庇った。
轟音。
身体が吹き飛ぶ。
「がぁっ!!」
石畳を転がる。
【ユウマ HP:22%】
肺から空気が抜けた。
視界が揺れる。
痛い。
重い。
でも。
今ので分かった。
あの外殻。
完全無敵じゃない。
狙える場所がある。
グランゼルが再びユウマへ向き直る。
重い前脚。
砕けた石畳。
赤い目。
殺意。
その時だった。
横から誰かが飛び込んだ。
「うおおおおおっ!!」
ケイだった。
短剣を握り、
叫びながらグランゼルの側面へ突っ込む。
「こっち向け化け物ォ!!」
ガギィィッ!!
短剣が外殻へ弾かれる。
「硬っっ!!」
ケイが叫ぶ。
だが。
グランゼルの視線が僅かに逸れた。
その瞬間。
セレナの魔法陣が展開される。
「《氷鎖》」
青白い鎖が地面から伸びた。
グランゼルの脚へ絡み付く。
ギギギギギッ!!
氷が軋む。
グランゼルが暴れた。
だが。
一瞬。
本当に一瞬だけ、
動きが止まる。
「ユウマ!!」
リュードの声。
「今なら入れる!!」
ユウマは息を呑んだ。
立て。
まだ動ける。
ここで止まれば、
誰かが死ぬ。
ユウマは短剣を握り締める。
そして。
再び石畳を蹴った。




