第一章・十三 「レイヴンハウンド」
岩場の向こうから、
黒い影が飛び出した。
「うわっ!?」
短剣使いの男が反射的に後退する。
速い。
異常な速度だった。
四足。
黒い外殻。
濡れた獣毛。
鋭い牙。
波飛沫を撒き散らしながら、
一直線にこちらへ突っ込んでくる。
【レイヴンハウンド】
視界端へ、
青白い文字が一瞬だけ浮かぶ。
だが。
詳細情報は表示されない。
【危険度:???】
その文字だけが、
不安定に点滅していた。
「なんだこれ……!?」
男が叫ぶ。
ユウマは反射的に短剣を抜いた。
海淵系短剣。
青紋様が、
薄暗い海岸で淡く光る。
レイヴンハウンドが地面を蹴った。
砂が爆ぜる。
速い。
普通の初級モンスターじゃない。
ユウマの背筋を、
本能的な危機感が走った。
「下がれ!」
叫びながら踏み込む。
レイヴンハウンドの軌道が見える。
右。
噛み付き。
首狙い。
ユウマは身体を捻った。
牙が頬横を掠める。
風圧。
近い。
「っ!」
同時に短剣を振る。
ガギィン!!
硬い。
甲殻みたいな感触が返ってきた。
「は!?」
ユウマの表情が変わる。
浅い。
斬れない。
レイヴンハウンドが着地する。
その赤黒い目が、
再びこちらを捉えた。
低い唸り声。
獣臭。
潮臭さと混ざり、
生臭い匂いが鼻を刺す。
「なんだよこいつ……!」
男が叫ぶ。
だが。
その声は僅かに震えていた。
ユウマも分かっていた。
おかしい。
今までのAstral Ringと違う。
空気。
圧力。
生物感。
全部が妙にリアルだった。
レイヴンハウンドが再び突っ込んでくる。
「うわっ!?」
男が短剣を振る。
だが浅い。
その瞬間。
レイヴンハウンドの前脚が、
男の脇腹を引き裂いた。
「がっ――!?」
血飛沫。
男が吹き飛ぶ。
砂浜を転がった。
「っ!?」
ユウマの呼吸が止まる。
血。
赤い。
大量。
視界端で、
男のHPゲージが一気に黄色へ変わった。
【HP:72%】
だが。
男は立てない。
「う……ぁ……」
脇腹を押さえている。
指の隙間から、
血が溢れていた。
「え……?」
男自身も混乱していた。
「な……
痛っ……!」
その声が、
妙に生々しい。
今までのゲーム戦闘じゃない。
呼吸。
震え。
苦痛。
本当に傷付いている。
レイヴンハウンドが再び飛ぶ。
「っ!!」
ユウマは反射的に踏み込んだ。
短剣を横へ薙ぐ。
ガギィッ!!
火花。
硬い。
だが今度は浅く斬れた。
黒い液体が飛び散る。
レイヴンハウンドが低く唸った。
【HP:91%】
視界端へ、
敵HPが表示される。
だが。
ゲージ表示も僅かに乱れていた。
「はぁっ……!」
ユウマは距離を取る。
呼吸が早い。
鼓動がうるさい。
こんなの、
今まで感じた事がない。
怖い。
本能がそう叫んでいた。
「おい……
ポーション……!」
男が震える声を出す。
ユウマは反射的に腰ポーチへ手を伸ばした。
回復ポーション。
透明な青液体。
いつものアイテム。
だが。
瓶を掴んだ瞬間、
妙な違和感が走る。
軽い。
冷たい。
本当に物体として存在している。
今更みたいに、
そんな感覚が襲ってきた。
「飲め!」
ユウマが投げる。
男が震える手で受け取る。
栓を抜き、
一気に飲み込んだ。
直後。
淡い青光が傷口を包む。
血が止まり始める。
だが。
完全には治らない。
「はっ……
はっ……」
男は荒く息をしていた。
【HP:84%】
ゲージは緑へ戻り始める。
だが。
男の顔色は悪い。
立ち上がる動きも鈍い。
「……治って、
ない……?」
男自身が呆然と呟いた。
ユウマも息を呑む。
今までなら。
ポーションを飲めば、
ほぼ即回復だった。
だが今は違う。
傷が残っている。
痛みも消えていない。
レイヴンハウンドが低く唸る。
赤黒い目。
獣の殺意。
それを見た瞬間。
ユウマの背筋を、
寒気が走った。
こいつ。
本気で殺しに来ている。
ゲームAIじゃない。
獣として、
こちらを狩ろうとしている。
「逃げるぞ!」
ユウマが叫ぶ。
「は……!?」
「今は無理だ!」
レイヴンハウンドが地面を蹴る。
速い。
だが。
今度は見える。
重心。
踏み込み。
視線。
動きの癖。
ユウマの感覚が、
無意識に敵挙動を読んでいた。
左へ来る。
その瞬間。
ユウマは横へ踏み込んだ。
牙が空を裂く。
同時に。
短剣を振る。
ギィン!!
今度は首横。
浅い。
だが体勢が崩れる。
「今だ!
走れ!!」
男がよろめきながら走り出す。
ユウマも反転した。
砂浜を駆ける。
波音。
荒い呼吸。
背後から聞こえる獣の唸り声。
速い。
追って来る。
「くそっ……!」
肺が苦しい。
脚が重い。
今までのゲーム身体じゃない。
疲労感が妙にリアルだった。
岩場を飛び越える。
その瞬間。
足裏へ鋭い痛みが走った。
「っ!?」
着地を踏み外す。
転倒。
硬い岩へ肩を強打した。
「ぐっ……!」
激痛。
視界端でHPが減る。
【HP:93%】
だが。
痛みは数字以上だった。
肩が熱い。
痺れる。
呼吸が乱れる。
「おい!!」
男が叫ぶ。
その直後。
背後から、
レイヴンハウンドが飛び掛かってきた。




