第一章・十二 「海鳴り」
落ちる。
感覚だけがあった。
上下も分からない。
視界は黒。
音も消えている。
身体が浮いているのか、
落ちているのかすら曖昧だった。
ただ。
どこまでも深い場所へ、
沈んでいくような感覚だけが続いている。
耳鳴り。
ノイズ。
遠くで誰かの声。
カナタか。
ミコトか。
ガイか。
分からない。
声が歪んでいた。
視界端では、
崩れたUIが断続的に点滅している。
【ERROR】
【ERROR】
【接続――――】
文字が途中で潰れる。
黒い線。
ノイズ。
チャット欄消失。
マップ消失。
フレンド欄消失。
見た事が無い状態だった。
そして。
不意に。
世界へ音が戻る。
――――ザァァァァ……
波音。
潮風。
海。
「っ……!」
ユウマは地面へ叩き付けられるように転がった。
砂。
硬い。
衝撃が全身へ走る。
「いっ……!?」
痛い。
その感覚に、
ユウマは一瞬息を止めた。
今までのAstral Ringにも痛覚設定はあった。
だが。
こんな痛みじゃない。
もっと軽かった。
ゲーム用に調整された感覚だった。
今は違う。
鋭い。
生々しい。
骨へ響くような痛み。
「はっ……
はぁ……」
呼吸が乱れる。
胸が苦しい。
心臓が早い。
全身へ汗が滲んでいた。
波音。
風。
潮の匂い。
全部が異様なほど鮮明だった。
ユウマはゆっくり顔を上げる。
海岸だった。
白い砂浜。
黒い岩場。
打ち寄せる青い波。
空はまだ薄暗い。
夜明け前。
水平線の向こうが、
僅かに蒼白く染まり始めている。
「……なんだよ、
これ」
思わず呟く。
綺麗だった。
息を呑むほど。
現実の海より、
遥かに透明な水。
空気。
風。
世界そのものが、
妙に鮮明だった。
だが。
それ以上に。
感覚がおかしい。
寒い。
潮風が肌へ刺さる。
濡れた服が気持ち悪い。
砂の感触まで分かる。
「……イベント?」
呟きながら、
ユウマは立ち上がった。
膝が少し震えている。
視界端へUIを出そうとする。
反応が遅い。
数秒遅れて、
半透明ウィンドウが表示された。
【NAME:
ユウマ】
そこまでは正常。
だが。
HPバーが不安定に点滅している。
スタミナ表示が乱れている。
ミニマップは真っ黒だった。
【ERROR
MAP DATA LOST】
「は……?」
ユウマの眉が寄る。
こんなエラー、
見た事が無い。
しかも。
ログアウト欄が存在しない。
システムメニューを開いても、
ノイズしか表示されない。
「いや、
なんだよこれ……」
大型イベントだからか?
サーバー障害?
ARIS演出?
頭の中で色々考える。
だが。
答えが出ない。
波音だけが響いていた。
その時。
遠くで声がした。
「おーい!!」
人の声。
ユウマは反射的に顔を上げる。
岩場の向こう。
誰かが走ってくる。
男。
プレイヤー。
二十代前半くらい。
短剣装備。
軽装防具。
「よかった!
他にもいた!」
男が安堵した顔を浮かべた。
「そっちも転送組!?」
「……たぶん」
「マジ焦ったんだけどこれ!
ログアウト消えてるし!」
男は苦笑しながら近付いてくる。
だが。
その笑顔も、
どこか引き攣っていた。
「イベント演出だと思う?」
「いやぁ……
流石にリアル過ぎない?」
男が苦笑する。
「痛覚設定どうなってんだこれ……」
「……分かる」
ユウマも同意した。
風が強い。
髪が揺れる。
寒気がする。
呼吸が苦しい。
全部、
妙にリアルだった。
「他にも人いるかな」
男が海岸を見回す。
「とりあえず合流した方が良くね?
こういう探索型イベント、
人数いた方が絶対有利だし」
その時だった。
遠くで。
何かが鳴いた。
低い音。
獣みたいな。
だが。
ユウマは反射的に表情を変えた。
空気が違う。
気配。
殺気。
岩場の向こう。
何かいる。
「……っ」
ユウマの視線が細くなる。
「え?」
男が振り返る。
次の瞬間。
岩場の向こうから、
黒い影が飛び出した。
「うわっ!?」
速い。
異常な速度。
四足。
黒い外殻。
海水を撒き散らしながら、
一直線に突っ込んでくる。
【レイヴンハウンド】
モンスター名が一瞬だけ表示された。
だが。
表示は途中でノイズに潰れた。
「は!?」
男が慌てて武器を抜く。
ユウマも反射的に短剣へ手を掛けた。
その瞬間。
魔物の目が、
こちらを捉えた。




