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殺された入り婿の二度目の遺言 ~10年前に戻り完璧な美男子となった俺は、未来知識と手料理でクズ妻一族を内側から全て奪い尽くす~  作者: 伊達ジン


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第15話 リーガル・ハッカーの誕生

 シルクのシーツから差し込む眩しい朝の光で、森舞永はゆっくりと目を覚ました。

 シーツ越しに伝わる肌の気怠さと、体の奥底に微かに残る熱の余韻。昨夜の激しく、そして圧倒的な暴力性を持った情事の記憶が蘇り、彼女は無意識のうちにシーツを強く握りしめた。

 これまでの人生で、彼女は常に男を支配する側にいた。自らの美貌と色香、そして弁護士としての知的な話術を駆使し、権力者や大富豪たちを手のひらで転がしてきた。ベッドの上でも主導権を握り、男たちが自分の前にひれ伏す姿を見ることで、強烈な優越感と自己顕示欲を満たしてきたのだ。

 だが、このペントハウスの主である井上健太郎という男は違った。

 彼は彼女の誘惑に一切動じることなく、逆に絶対零度の支配欲と、人間離れした冷酷さをむき出しにして彼女を力でねじ伏せた。恐怖すら覚えるほどの圧倒的な『強者』のオーラ。抗うことを許さない容赦のないリード。

 にもかかわらず、彼女の心を満たしているのは屈辱ではなく、自分よりも遥かに巨大で危険な捕食者に完全に身を委ねたという、初めて味わう絶対的な安心感と、背徳的なまでの快楽だった。

 強固に積み上げてきた悪女としてのプライドは、昨夜のたった一夜で、跡形もなく砕け散ってしまったのだ。


「……いい匂い」


 広いベッドルームのドアの隙間から、強烈に胃袋を刺激する濃厚な香りが漂ってきた。

 肉の焼ける香ばしさと、トマトの酸味、そしてバターと小麦粉が焦げる甘い匂い。

 舞永は急いでバスローブを羽織り、フラフラとする足取りでリビングルームへと向かった。オープンキッチンの奥で、健太郎が静かにコンロの前に立っている。休日の遅い朝を彩る、彼の手料理だ。

 その広い背中を見ただけで、舞永の心臓は甘く締め付けられた。もう、この男がいない世界など考えられない。あの底の浅い神崎家の連中の相手など、一秒たりともしたくない。そんな抗いがたい依存心が、彼女の胸の奥で黒く育ち始めていた。


「……起きたか。随分と深く眠っていたようだな」


 俺はフライパンから目を離さず、背後に現れた彼女に声をかけた。昨日まで被っていた紳士的な『投資家・井上健太郎』の仮面は、もう欠片も残っていない。言葉遣いも、纏う空気も、完全に彼女を支配下においた捕食者のそれだ。


「ええ……。あなたが作ってくれるお料理の匂いで目が覚めるなんて、最高の贅沢ね」

「座って待っていろ。もう少しで焼き上がる」


 今日、俺がこの女の魂を完全に俺の檻に繋ぎ止めるために用意したのは、休日のブランチに相応しい極上の『ラザニア』だ。

 ただオーブンで焼くだけの家庭料理ではない。全ての工程に、一流レストランのシェフすら舌を巻く異様なほどの執念と手間を注ぎ込んでいる。

 味の骨格となるラグーは、昨夜のうちから仕込んでおいた。牛肉と豚肉の粗挽き肉を、表面がカリカリになるまで強火で焼き付けて肉の旨味を閉じ込める。そこへ、玉ねぎ、セロリ、人参を飴色になるまでじっくりと炒めたソフリットを合わせ、赤ワインで鍋底の焦げを削り取るようにデグラッセする。少量のトマトペーストと、深いコクを出すための牛乳を加え、ローリエやクローブといったスパイスと共に、とろ火で何時間も煮詰めた本場ボローニャ風のミートソースだ。


 そして、ラザニアの層を支えるもう一つの主役、ベシャメルソース。

 澄ましバターで小麦粉をダマにならないよう丁寧に炒め、そこへ温めた新鮮な牛乳を数回に分けて少しずつ加えていく。ホイッパーで滑らかになるまで撹拌し、隠し味に削りたてのナツメグと白胡椒を効かせた、絹のように滑らかでクリーミーなホワイトソース。

 パスタ生地も当然、粉から手打ちしたものだ。デュラムセモリナ粉に卵黄だけをたっぷりと練り込み、限界まで薄く伸ばした生地を、沸騰した湯で数十秒だけサッと茹で、氷水で締めて水気を完全に拭き取っておく。


 準備されたパーツを、耐熱の陶器皿に組み立てていく。

 一番下に薄くラグーを敷き、その上にパスタ生地を乗せる。続いてベシャメルソース、ラグー、そして長期熟成されたパルミジャーノ・レッジャーノをたっぷりと削りかける。この層を四回、五回と寸分の狂いもなく均等に積み重ねていく。一番上の層には、水気を切った新鮮な水牛のモッツァレラチーズをちぎって敷き詰め、高温に熱したオーブンへと放り込んだ。


「……オーブンの中で、すごくいい音がしているわ」


 スツールに座った舞永が、うっとりとした表情でオーブンのガラス窓を見つめている。

 二十分後。表面のチーズが黄金色に焦げ、縁からソースがグツグツと煮え滾る音と共に、熱々のラザニアが完成した。

 俺はオーブンから取り出した耐熱皿をダイニングテーブルの中央に置き、鋭利なナイフで四角く切り分けた。断面からは、幾重にも重なった美しい地層のようなパスタと、そこから溢れ出す濃厚なラグーとベシャメルの二色のソースが滝のように流れ出す。


「さあ、冷めないうちに食え」


 俺は切り分けたラザニアを彼女の皿に取り分け、その傍らに用意しておいたワイングラスに、深紅の液体を注いだ。


「朝からワイン?」

「休日の特権だ。イタリア・トスカーナ州の『キャンティ・クラシコ・リゼルヴァ』。サンジョヴェーゼ種のブドウが持つチェリーのような果実味と程よい酸味が、トマトと肉の旨味に完璧に寄り添うはずだ」


 舞永はフォークで熱々のラザニアを切り取り、大きく口を開けて頬張った。


「……ッ、美味しい……!」


 言葉にならない感嘆が、彼女の赤い唇から漏れた。

 何時間も煮込まれたラグーの野性的な肉の旨味と、シルクのように滑らかなベシャメルソースの濃厚な甘み。それが手打ちパスタのもっちりとした食感と絡み合い、口の中で極上のハーモニーを奏でる。表面で香ばしく焦げたモッツァレラチーズの塩気が、さらに食欲を加速させる。

 火傷しそうなほどの熱さを堪えながら飲み込み、すかさずキャンティ・クラシコを口に含む。ワインの持つエレガントな酸味が、口の中に残る濃厚な肉の脂を綺麗に洗い流し、同時にソースの旨味を何倍にも増幅させていく。


「すごい……。こんなに完璧なラザニア、食べたことがない。ソースの層が口の中で一つに溶け合って……それに、このワインとの相性が信じられないくらい素晴らしいわ……」


 舞永の思考は、もはや俺が与える劇薬のような美味なしでは満たされないように作り替えられている。


 俺は自分の皿のラザニアを静かに味わいながら、キャンティ・クラシコのグラスを揺らした。

 精神も、胃袋も、完全に支配した。

 いよいよ、この女の首に繋いだ鎖を引き絞り、神崎家を切り裂くための具体的な行動を起こさせる時だ。


「さて、舞永」


 俺は突然、穏やかなブランチの空気を断ち切るように、冷徹な声色で切り出した。


「美味しい食事の代金として、お前の持つ『法的な権限』をフルに使って、俺のために働いてもらおうか」

「……え?」


 フォークを止めた舞永が、少しだけ酔いの回った瞳で俺を見つめ返した。俺は立ち上がり、書斎から持ってきた分厚い書類の束をテーブルの上に滑らせた。


「神崎麗華が現在推し進めている、湾岸エリアの巨大なリゾート開発プロジェクト。そのメインの事業契約書の草案だ。……この契約書の第七条、権利譲渡の項目に、意図的な『抜け穴』を仕込んでほしい」

「抜け穴……?」

「ああ。一見すると神崎側に有利な条項に見せかけながら、特定の条件を満たした瞬間に、プロジェクトの全権利が『善意の第三者』……つまり、俺の用意したダミーファンドに合法的に移譲されるトラップ条項だ。お前ほどの優秀な弁護士なら、法務部の他の連中に気づかれないよう、絶妙な法的言い回しでカモフラージュできるはずだ」


 俺の要求を聞き、舞永の顔からスッと血の気が引いていくのが分かった。


「さらに、神崎家が保有する関連会社の非公開株式。これを、適当な理由をつけて株主名簿から外し、俺のファンドへの不正譲渡の準備を進めろ。全ては合法の皮を被った、乗っ取りへの布石だ」


 それは単なるライバル企業への情報漏洩やスパイ行為などという生易しいものではない。

 神崎家の顧問弁護士という絶対的な信頼と立場を悪用し、会社に莫大な損害を与える「特別背任」。そして、法的な効力を持つ契約書を意図的に改ざんする「私文書偽造」。

 露見すれば、神崎家から解雇されるだけでなく、間違いなく刑事告訴されて実刑判決を受け、弁護士資格を永遠に剥奪される正真正銘の『犯罪』だ。


「……健太郎、あなた……本気で言っているの?」


 舞永の声が震えていた。俺への心酔と依存で麻痺していた彼女の頭脳が、突きつけられた要求の異常性とリスクの高さに激しい警鐘を鳴らしているのだ。


「一歩間違えれば、私は弁護士資格を失うどころか、刑務所行きよ。神崎の怒りを買えば、社会的に完全に抹殺される。……私だけが泥を被るような危険な橋を、無条件で渡れと言うの?」


 常に安全な場所から権力者を操り、甘い汁を吸ってきた狡猾な悪女。その打算と自己保身の本能が、必死にブレーキをかけようとしている。

 俺は冷たい眼差しのまま、グラスのワインを飲み干した。


「勘違いするな。お前だけを死地に向かわせるわけじゃない。この契約が露見すれば、ダミーファンドの裏にいる俺の素性も割れ、俺自身が神崎グループの巨大な資本と権力から総攻撃を受けることになる。これは、俺とお前が共に血を流し、一蓮托生で神崎を食い潰すための『共犯契約』だ」

「……ッ」

「俺は昨夜、言ったはずだ。お前が俺の檻に入るんだと。お前の法的な知識も、強欲な野心も、全て俺の復讐のために使い潰せ」


 俺はテーブル越しに身を乗り出し、恐怖と葛藤に揺れる彼女の瞳を真っ直ぐに射抜いた。


「もしここで断るなら、お前はただのつまらない女だ。今すぐこの部屋から出て行け。二度と俺の前に姿を現すな。だが、もし俺と共に地獄を歩く覚悟があるなら……あの傲慢な女王を引きずり下ろし、神崎家の巨万の富を解体するという、この世で最も甘美で残酷なショーの特等席を約束しよう」


 突き放すような冷酷さと、悪魔のような甘い誘惑。

 数秒の沈黙が、リビングルームに重くのしかかった。

 舞永の瞳の中で、弁護士としての理性や自己保身が、俺の放つ絶対的な悪の魅力と、これまでにないスリルへの渇望に飲み込まれ、ドロドロに溶けていくのが分かった。

 ただのトカゲの尻尾切りではない。この底知れない力を持つ捕食者と共に、巨大な権力を喰い殺すゲームに参加できる。その圧倒的な背徳感と、彼なしでは生きていけないという依存の毒が、ついに悪女の打算を完全に凌駕した。


「……いいわ。やってあげる」


 舞永は立ち上がり、テーブル越しに俺の首に腕を絡ませてきた。その顔には、自ら破滅の道へと進むことを悦びとするような、妖艶で危険な笑みが浮かんでいた。


「弁護士資格なんて、最初からどうでもよかったのよ。私だけを地獄に行かせるつもりなら断ったけれど……あなたも一緒に泥を被ってくれるなら、これ以上ない最高のゲームね。……あなたのためなら、神崎家を喜んで売ってあげるわ」


 彼女はそう囁くと、自ら俺の唇に熱烈なキスを落とした。

 キャンティ・クラシコの芳醇な香りと、彼女の纏う重い香水の匂い。互いの唇が重なり合った瞬間、彼女の中にあった最後の葛藤は、俺への絶対的な服従へと変貌を遂げた。


 俺は彼女の細い腰を抱き寄せ、その熱狂的なキスに応えながら、心の中の暗闇で冷酷に嘲笑った。

 1周目の世界で、俺の死を鼻で笑いながらもみ消した冷徹な女。その女が今、俺と共に神崎家を滅ぼすため、自ら進んで犯罪者となる道を選んだ。

 盤上の手駒は揃った。いよいよ、あの傲慢な元妻の周囲の外堀を埋め、社会的に孤立させるための次なるフェーズへと、俺は冷酷に歩を進める。

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