限界を超えた先に
アリア必殺の一撃を受けたビルは、瓦礫の山と化していた。
その余波は周囲にも及び、見渡す限り似たような光景が広がっている。
「ま、さすがに死んだでしょ」
その声には、いささか疲れが混じっていた。
顎による力の解放は、吸血鬼の身でも消耗する。
まさしく切り札であり、おいそれと使えるものでは無い。
吸血鬼の力は強大であっても有限だ。
何も考えずに戦うと消耗を強いられる――かつてのアリアはその消耗の隙を突いて、吸血鬼を倒すことが多かった。
鎧の胴は逆袈裟に切り上げられた事でザックリと避けていた。
ダメージは中の肉体にまで及んでいる。
「鎧の傷って修復に時間かかるのよね……まあ、キルも死んだし問題無いか……え?」
小さな衝撃に、アリアは目線を落とす。
鎧の傷の間をすり抜けるように体に刺さっているのは――キルの小刀だった。
急所を外れている――だが、決して無視して言いものではない。
「ヤバっ……」
アリアは慌てて引き抜こうとした瞬間、超高圧電流がアリアの体を駆け巡る――!
「~~~~~~!」
思考がスパークし、肉体が思うように動かない。
何故だ? どこから投げられた?
いや、そもそも顎解放の直撃。
ましてやブラッドムーンの一撃を耐えられる筈がない――!
疑問が渦巻くが、一つだけ確かなことがある。超高圧電流によって硬直したアリアは今、致命的な隙を晒している……!
瓦礫の山が爆発した。姿を現したのは――我妻キル。
既にアバターの至るところに光の亀裂が入っている。
まさか耐えきっていたのか――いや、違う。
「アバターの再々変身……!?」
最早正気の沙汰ではない。
ここまでくればオリジナルのアバターデータはおろか肉体も無事では済むまい。
「そこまでして勝ちたいの……!?」
「勝つんじゃない……殺すんだ! おまえを――!」
キルの瞳に、殺意が灯る! 瓦礫を踏み砕き、アリアに肉薄。
「オーバードライブ――!」
抜き放たれた必殺の一撃――否、一撃では終わらぬ。返す刀で二、再び別の方向へ返し三。四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、十三、十四、十五、十六――!
キルが繰り出すは、必殺の連撃!
「があああああああああ!?」
鎧が、身が、削れていく。
ブラッドムーンで凌ごうとするが、右腕ごと切り飛ばされた。
マズい。
このままでは、死ぬ。心臓を守らねば――が、既に鎧がズタズタになり、アリアの胸部が露わになっていた。
吸血の心臓は人間よりも遥かに頑丈だ。
さらに心臓を守る障壁も展開している。
だが、オーバードライブの一撃には耐えきれるかは未知数だ。そう思わせる気迫が、今のキルにはあった。
「これで、決める――!」
――十七。
渾身の突きを心臓目掛け繰り出す――瞬間、砕けた。
キルの刀が、アバターが、デバイスが砕け、肉体は糸の切れた人形の如く崩れ落ちた。
「……そうなる、か」
アリアは嘆息した。そうしたのは、安堵とは少し違う気がした。
再変身でさえ、アバターに少なくない負荷をかけるのだ。
再々変身、さらにオーバードライブも使うとなればどうなるか……その答えが、これだ。
キルの口から、嘘みたいな量の血が流れ出す。この様子では筋肉も内臓もズタズタであろう。
「やっぱり人間じゃここまでなのね。まあ、頑張った方だと思うわ」
自分でも驚くほど落ち着いた声音で言い、アリアは背を向けた。
手を下すまでもない。
モンスターが蔓延るこのダンジョンの中だ。
アバターの負荷なりモンスターに襲われるなりして死ぬだろう。
アリアもアリアで受けたダメージは多い。
鎧は最早鎧の役割を果たしておらず、アリアの体の殆どが露出してしまっている。
生身の傷も多く、深い。
オーバードライブやアバターシステムの特性なのかは不明だが、傷の治りがかなり遅い。
しばらくは回復に努めた方が良さそうだ。
背後で眷族の鳴き声がした。
偶然ではなく、アリアが呼んだのだ。
「放っておこうと思ったけど――やっぱり悔しいから、無様に死んで」
吸血鬼は気まぐれなのだ。
眷族には手足の先からゆっくりに食べるように命じてある。
徐々に食われていく恐怖の叫びを聞きながらこの場を去る。
あえて見ないというのも趣があっていい。そろそろ悲鳴が聞こえてくる頃合いだ――
どすり。
聞こえてくる小さな呻き声に、アリアは大きく溜息を付いた。
「……そこはさぁ、死んどきなさいよ。人間なんだし」
振り向くと、小刀で眷族の心臓を一突きにしたキルの姿があった。
キルは小型を引き抜き、アリアに向かって覚束ない足取りで進んだ。
「羽衣、璃……」
体のいたる所から血を流しながら、呻くようにキルは言った。
「羽衣璃、羽衣璃、羽衣璃……! 待ってて、今、助け――」
だが既に限界だったか、つんのめるようにしてキルは倒れた。アリアは一歩後退した。
「……は?」
後退、だと? 自分は恐れたというのか、あの人間を。
「嘘でしょ? あんなちっぽけな人間風情に、ビビったって言うの?」
屈辱と、恐れを抱いた自分への失望――そして何より、イライラする。
そう、イライラするのだ。
ボロボロになっても、まだ立ち上がろうと足掻くキルの姿が。
それはかつて自分が捨てた弱さで、背を向けた強さだった。
「やっぱり殺すか……自分の手で」
ブラッドムーンではなく、自分の手で直接だ。
あの鬱陶しい命を摘み取ってやろうと考えたその時だった。
腰に巻き付いていた魔剣がひとりでに外れ、人のカタチを成し、キルの隣に降り立ったのである。
魔剣――ディアは荒い息を吐き、目を赤く腫らしていた。
「鎧の、魔剣……?」
近くにいるとキルの声も届いていない様子で、ディアはアリアを見た。
「……アリア。一度だけ言う。このダンジョンを今すぐ閉じるんだ。世界への侵食を止めろ」
「嫌」
何故自分から離れたのかは不明だがアリアはイエスと言うつもりはさらさら無かった。
「て言うか無理。今の私はダンジョンに逆らえないもの。この世界に侵攻するための兵器が今の私なの」
「そうか……だったら話は単純だ。君を殺す」
一瞬、ディアが何を言っているのか分からなかった。
「殺す……? ディアが? 私を?」
「ああ、そうだ。これを決意するのに随分無様を晒したがね」
「訳わからないわ、なんでアリアが私を殺すの? ……まさか、私のこと嫌いになった?」
「そうだったら、心が楽だったんだけどね……我ながら呆れるよ。かつての望みを捨て、羽衣璃を喰って人を沢山殺して……変わり果てた君の姿を見ても、僕は君を嫌いになることはできなかった。今でも、君を愛しているとも」
「ディアの『愛してる』って私の欲しい愛してるってのと違うのよねぇ……て言うか、それなら益々理由なんてないじゃない。相変わらず分からないことばっかり言うんだから」
「単純な話さ。愛しているから、君を殺すんだ。かつての君の望みを叶えるためにね」
「望み? なんだったかしら、それ。ディアとイチャイチャしたいとかだっけ?」
冗談ではなく、本当に思い出せなかった。
「僕達の世界にいる吸血鬼を全て殺す――それが君の望みだった。そのために君は僕と契約を交わしたのだからね。そして僕達の世界が滅んだ今、君があの世界最後の吸血鬼だ。契約を交わした日、君は命を絶った。それで君の望みは達せられた……その筈なのに、君は迷宮の力で復活した。どうしようもなく歪んだ状態でね。だからこそ、片をつける。今の君にとってはどうでもいいと思うことでも、あの時交わした契約は、約束は変わらないし、変えてはならない。かつての君の望みを僕が叶える……!」
そう言って、やがてディアは小さく嘆息した。
「……と、格好良く決められれば良かったんだけどね」
「なんじゃそりゃ!?」
「結局それも建前でしかないってことさ。まああながち嘘という訳でもないけどね……だが、君を殺す理由には足りなかった。僕の本音は、願いはもっと単純なものだった」
「それを早く聞かせて。相変わらず回りくどいんだから」
「好きな人ができたんだ」
「……あ゛!?」
おい、待て。なんだ、それは。
「僕は彼女を支えたいと思う。彼女の隣で一緒に歩みたいと思う。それが僕の望み。僕の願いだ」
なんてことはない、多くの災禍を振りまいた魔剣にしては、あまりにもちっぽけな願いだった。
そしてアリアにとっては、到底受け入れがたいものだった。
ディアの言う『彼女』とは、アリアを指していないことは明白だったから。
「アリアも、僕達と一緒に歩めるのならばそれが一番良かった……だが、それは無理だろう?」
「……当たり前よ。私が欲しいのはディアだけなのに! この浮気者!」
踏みしめた地面が、亀裂を生じさせた。
「だろうね。君の心も、在り方も、一緒に歩むにはどうしようもなくズレてしまった……アリア、今の君は僕の願いを阻む者。僕の……敵だ。だから、殺す」
飄々としているようで、その声は絞り出したかのようだ。
だからこそ、彼女が本気であることをアリアは理解した。
「なるほど……でも、それは認めないわ。ディアは私のだから。私を殺すのはいいけれど、私の側から離れるなんて絶対に許さない。それに殺すって言ったって、ディアにはそんな力ないでしょう? 私がダンジョンに逆らえないように、契約に縛られたディアは私には逆らえない。ほら、戻ってきて」
逆らいがたい強制力を持った主の言葉。だがディアは、微動だにしない。
「……どういうこと? 契約は破棄されてない。なのにどうして?」
「忘れたのかい? 僕が契約しているのは君だけじゃないんだよ」
「なにを――ぐっ……!?」
激痛が体内に発生し、アリアは吐血した。
反射的に全リソースを心臓の防御に回す。
「ふぅ。時間稼ぎはこんなところかな……我妻キルにはもう少し頑張って貰いたかったが、贅沢は言えないか」
何だ、自分の体内で何が起こっている……!?
「君は昔から、一つのことに集中すると他がまるで疎かになるな。吸血鬼になっても、その悪癖は変わらなかったと見える――!」
腕が、アリアの胸を突き破った。
それだけにとどまらず、アリアとは違う肉体が、アリアの体を突き破り、飛び出す。
その肉体は血にまみれていたが、着地する頃には消え、一糸まとわぬ裸体を歪んだ空の下にさらしていた。
「えっと……ひとまず、脱出成功ってことでいいですかね?」
晴瑠野羽衣璃は、そう目を瞬かせた。




