どちらを選ぶ?
風呂場の騒動から数時間。
羽衣璃といい雰囲気だったというのに、あの無粋な銀髪女が破廉恥だ破廉恥だと騒ぎ立てて台無しになってしまった。
その後はゲームをしたり、ドラマを見たりリビングでのんびりした後、深夜に差し掛かりかけたところで、就寝することになった。
現在羽衣璃は、キルの隣の布団でグースカと寝ている。尚、例の銀髪は、
「君と羽衣璃が一緒に寝たらどんな破廉恥な間違いが起こるか分かったものじゃない」
と主張し、羽衣璃と同じ部屋で寝ることに難色を示したが、いつもそうしてるんだしいいじゃないですかと羽衣璃は問題にしなかったので、こうなったのである。
羽衣璃は寝付きが良く、滅多なことでは起きない。
羽衣璃の寝顔はなんとも愛らしく、一晩中眺めていても飽きないが(前に実際にやってみたが本当に飽きなかった)、今はやるべき事がある。
念のため、羽衣璃が寝てから一時間ばかり経過したところで、キルは起き上がった。
足音を立てないように羽衣璃の体を隔てた向こう側にある押し入れに向かい、開けた。
押し入れの中で、ディアは『ドラえもん』を読んでいた。
ご丁寧に布団も敷かれているが、光源にあたるものはどこにもない。
つまり、ディアは今までこの暗がりの中、漫画を読み進めていたということになる。
最早、隠すつもりもないのだ。
「何か用かな? 我妻キル」
「話がある、来て」
「いいだろう」
あっさり了承すると、ディアはパタンと本を閉じた。
「ここは……?」
「エリアD。ダンジョン災害で破壊された街の残骸」
半径一キロにわたり、ダンジョンのゲートを囲むようにして存在するその場所は、ダンジョン災害による傷跡そのものだ。
目覚ましい復興がなされ、十年前よりも発展したこの街も、そこだけは時間が止まっているようだった。
「ふぅん。しかし、なんでここだけ……ああそうか。緩衝材、という訳だね」
「……」
答えてやる義理はないが、ディアの見立ては正しい。
今は冒険者達の力で抑えられているが、再びあのゲートからモンスターが街に溢れ出した場合、近くに街があるよりも被害を抑えられる……という計算だ。
つまりこの場所は、この街の最終防衛ラインとも言える。
瓦礫だらけで足場は不安定だが、キルは問題無く進んでいく。
エリアDにはギルドの関係者やデバイス所持者しか立ち入ることはできない。そもそも、態々入ろうと考える物好きはそういない。
中央ギルドの建物やゲートに向かうための通路は整備されているが、それ以外の場所は嘘のように静まりかえっている。
「それで、話とは一体何かな? 夜の散歩にしては、どうもここは適しているとは思えないのだが――」
とん。
「え――?」
ディアは胸元に視線を落とす。刺さっていた。
キルが手にした小刀の刃が、ディアの胸に。瞬間、高圧電流がディアの身体を駆け巡った。
「つっ――」
ディアは身体を僅かに痙攣させ倒れた。
だが、表情を歪めるだけで死んだわけでは無い。
「心臓を刺して電流を流しても死なない……いや、そもそも心臓がない?」
モンスターを刺したときとは、感触が違った。
「何の、つもりだ、君は――!」
その問いに、キルは思わず笑いそうになった。まだ気付かないのか?
「モンスターを殺す……それだけだ。鎧の魔剣」
最初に会ったときから、なんとなく分かっていた。この銀髪の少女が、人間ではないと。
その証拠に、心臓を刺しても血が流れない。
「薄々、感づかれているとは思っていたが……実力行使とは、ね。僕が人間だったらどうするつもりだったんだ?」
「人と人でなしの区別くらいはつく」
「……区別がつくと言うなら、羽衣璃が帰ってくる前に行動を起こすこともできたはずだ」
「その目で確認しておきたかった。おまえが羽衣璃にとってどんな存在なのか……少なくとも、羽衣璃への害意はないことは分かった」
悔しいが、そこは認めざるを得なかった。
食事や皿洗い、ゲームをしている時の何気ない動作や会話から、羽衣璃とこの魔剣は互いを信頼していることが見て取れた。
羽衣璃はお人好しだが、誰に対してもそのような態度を取るわけではない。
「当然さ……分かってくれたのなら、そのまま見逃してくれると助かるんだがね」
「それはできない。おまえは殺す」
「……何故だ? 僕が君に何をした? 食糧の確保のためにモンスターと戦っていただけだ。害意はないし、ダンジョンに迷い込んでいた人間を救助もした。むしろ、謝礼の一つくらい寄越しても足りないくらいじゃあないか?」
「食糧の確保……じゃあ、やっぱり羽衣璃は人間を食べていなかったんだ」
そこだけは、少し安心した。
「おい、僕は羽衣璃が中の人間だとは一言も――」
「羽衣璃が吸血鬼だという事は早い段階で気付いてた。羽衣璃の家に来たのは、確かな証拠が欲しかったから」
「……今後のために、何故気付いたか教えてくれないかな?」
「救助された子供は黒鎧に羊羹をもらっていた……羽衣璃はよくそういうことするから、そこから疑い始めた。身体能力も視力も上がっているのは今日確認した……あと、お弁当の料理が明らかに別物になってた」
「羽衣璃……何がボロを出さないだ出しまくってるじゃあないか!」
ディアは頭を抱えた。
「……仮に。仮に羽衣璃が吸血鬼になったとして、だ。君はどうするつもりだ? モンスターは殺すと言っていたね。吸血鬼は分類上モンスターだ。君は羽衣璃を手にかけるつもりか?」
「羽衣璃は別」
断言した。
「私はモンスターが嫌い。パパとママを殺したから。羽衣璃を脅かすかもしれないから。だから、殺す。けれど、羽衣璃がモンスターになったなら守る。世界を敵に回してでも」
キルは万能とはほど遠い。
どれだけ強くなろうと思っても、まだ足りない。
あれもこれも守ろうとしたら、きっと多くのものを取りこぼす。
だから、たった一つを守り抜く。キルにとってそれは晴瑠野羽衣璃だった。
彼女が人間かモンスターかなんて、些細なものだ。
「じゃあそのついでに、僕も見逃してくれると助かるんだがね」
「おまえは羽衣璃じゃない」
「それはそうだ」
「一億の賞金がかかっているのは羽衣璃じゃなくて鎧の魔剣。おまえを殺せば、ギルドや他の冒険者達は納得して手を引く。装着者の吸血鬼も殺したと言えば納得する」
「つまり、僕が破壊されなければ、羽衣璃はお尋ね者のまま、か」
「そう。正体が露見すれば、羽衣璃はまともな生活はできない。それに、羽衣璃はなんとしてもおまえを守ろうとする。どんな無茶をするか分からない。だから、おまえを殺す」
「なるほど……僕は人の身に余る力を持っている。だが、この世界をどうこうしようって訳じゃない。た主を支えたい。それだけだ。それすらも許されないと言うのか?」
「確かにおまえは、私が想像していたような存在ではないかもしれない……けれど、見逃す事はできない。ギルドも人の脅威になり得る人ならざるモノを放置する程、甘くない」
「僕を作ったのも人だろうに……!」
「関係ない」
「ああそうかい。羽衣璃から君のことを聞いて、話し合いで解決出来るかもと、淡い希望を抱いてついてきた僕が愚かだった……!」
「話は終わり。殺す」
アバターを展開せず、初撃で決着を付けるつもりだったが、相手も魔剣。
そう甘くはないか。
そう思い、デバイスを起動しようとした、その時だった。
「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁ!」
聞き覚えのある声と共に、ディアの陰から腕が飛び出し――
「あ、アレ? うまくいきません……ちょっとディア、助けてください。うまく抜け出せません!」
「「……」」
ビミョーな沈黙の後、痺れが回復したらしいディアは嘆息しながら、少女を陰から引きずり出した。
「助かりました。ディアが普通にやってるから簡単だと思ってましたけど、いざやるとなると難しいものですねぇ」
「……今度やり方を教えるよ。シチュエーション的に、もっとスマートに出て来てほしかったとは思うけどね。」
「ハハハ、善処します」
緊張感の欠片もなく笑っているのは、間違い無く羽衣璃だった。
「羽衣璃……」
「えーっと、その、こんばんわ? とでも言えばいいんですかね……」
「何で、ここに」
「いや、なーんか胸騒ぎがして起きたら、キルもディアもいなくてですね。こりゃ何かあったと思って、陰に潜ってたら殺すとか何とか聞こえてきまして……で、これはどう言う状況なんです?」
「……端的に言うと、僕達の正体がバレた」
「え!? でもなんで」
「例の羊羹だ」
「あれかぁ……次からは他のお菓子にした方が良さそうですね」
「次なんてない。鎧の魔剣は、今ここで殺す」
羽衣璃を前にしても、キルは撤回なんてしない。
「えっとですね、キル。実にはこれには深い深い訳がありましてですね……」
羽衣璃はディアと出会った顛末を語り出した。
羽衣璃がダンジョンに迷い込み、モンスターに殺されたと聞いた時は、立ちくらみが起きそうになったが何とか留まった。
「……とまあ、そう言う訳なんです」
「つまり、鎧の魔剣がいなければ羽衣璃は死んでいた……ということ」
「はい。つまりディアは私の命と食卓の恩人という訳ですね」
「余計なコトは言わなくていいんだ羽衣璃」
「何言ってるんですか、食事は大事ですよ」
「こんな状況でも君と言う奴は……」
気の置けない会話をする二人にムッとなるが、今はそれよりも言うべき事がある。
「鎧の魔剣。おまえが羽衣璃の命を救ってくれたことは感謝する。ありがとう」
深々とキルは頭を下げ、紛れもない感謝を示した。羽衣璃が自分の預かり知らぬ所で死んだ……そのままだったら、キルの心は壊れていただろう。
人の理に反する行いだったとしても、羽衣璃の命を救ったのは他ならぬディアなのだ。
「良かった……これにて一件落着ですね!」
「それは違う。鎧の魔剣は殺す」
「何でそうなるんです!?」
「鎧の魔剣には恩がある……けれど、今その魔剣には賞金が賭けられている。追われている。このままだと羽衣璃に危害が及ぶ。おばさん達にも学校の友達にも及ぶかもしれない」
まるで脅し文句だ……いや、実際にキルは脅迫しているのだ。無二の親友に。
「けど、今なら間に合う。鎧の魔剣だけを殺せば、羽衣璃が追われることはなくなる。食糧が必要になったら、私がなんとかする。モンスターが必要なら何体でも狩る。人間が必要になったら……その時も、なんとか、する」
「キル……」
「だから、私の所に来て。私に羽衣璃を守らせて。私を……選んで」
最後は、最早懇願だった。
その言葉を受けて、羽衣璃は戸惑うようにキルとディアを忙しなく見た。
迷っているのであろう。自分か、鎧の魔剣か。
「……どちらを選ぶのも君の自由だ、羽衣璃。選ばれなくても、僕は恨みはしないさ」
「ディア……」
羽衣璃はディアの目を見つめ、意を決したように頷いた。
「分かりました。僭越ながら……選ばせて、いただきます」
そう言って、歩き出した。キルの所へ。
「羽衣璃……」
安堵と、僅かながらの歓喜がキルを満たした。ディアは、唇を噛みしめ下を向いていた。
羽衣璃は迷いのない足取りで近づくと、とんとジャンプしてキルに抱きつき――
――その牙で、キルの首筋に噛みついた。
「――!? な……っ」
頭が追いつかなかった。噛みつかれ――いや、吸われている? 何を? 血? 誰? 羽衣璃に? なんで?
疑問が渦巻く中、僅かな痛みとぞっとするような陶酔感がキルを襲った。
全身の筋肉が弛緩し、全てを羽衣璃に委ねそうになる。
――これは、マズい……!
崩れ落ちそうになる脚に力を込め、両手で引き剥がそうとした瞬間、羽衣璃は跳躍してキルから距離を取った。
着地した羽衣璃の口元は血に濡れ、瑠璃色だったはずの右眼は紅く染まっていた。




