百合と言えばお風呂ですよね
「ふぅう~」
夕食の後、湯船に浸かった羽衣璃は実に気の抜けた声を発した。
「キル、重くないですか?」
「大丈夫。問題無い。もっと重くてもいい」
「それは私が大丈夫じゃないですね……」
そう、現在、羽衣璃とキルは一緒にお風呂に入っているのである。
誘ったのはキルだ。
ディアは難色を示したが、羽衣璃は特に断る理由もなかったため、一緒に入ることになった。
ちなみに入る直前、羽衣璃とディアの間でこんな会話があった。
「君は冬眠前の熊の前で全身に蜂蜜を塗りたくり裸踊りをしてる人間を見たらどう思う?」
「誰だか知りませんがおバカさんですねぇ。パクッと食べられちゃうじゃないですか。私が熊だったらそうしますよ」
「ああ、まったくそうだね」
ディアは羽衣璃をじっと見てそう言っていたが、アレは結局どう言う意味だったのだろう。
ちなみに二人が一緒に風呂に入るときは、向かい合わせや背中合わせではなく、キルが先に入り、その上から羽衣璃が浸かるという格好になる。
成長期に入り、キルと羽衣璃の身長差が大きくなったことでこのような入り方になった。
これなら二人とも脚を伸ばせるという寸法だ。もっとも、後頭部と肩にかけてやわやわな感触がありそこだけはなるべく意識しないようにしていた。
そもそもキルはこんなにいい匂いをしていただろうか。
いやまあ、キルの匂いは元々嫌いではなかったが、それが濃くなっているような気――
「……って何考えてるんですか!?」
「羽衣璃?」
「あ、いや、なんでもないです! そ、それよりもえーっと……カレー! 美味しかったですね!」
我ながら強引な話の変え方だったが、キルは特に気にした様子はなさそうだった。
「それは……まあ、うん。味はよかった」
「素直じゃないですねキルは」
夕食では、なんだかんだキルもお代わりしていた。
「羽衣璃は警戒心が足りない」
「あ、それディアにも言われました。そんなに無防備に見えますかね、私って」
「見える」
「見えるんですか……」
「得体の知れない人間を家に住まわせている時点でそう。そもそも、ディアが何者かもよく分かってないんでしょ」
「ディアが何者か、ですか?」
キルに言ったデマカセはさておくとして、実際羽衣璃がディアについて知っていることは限り無く少ない。
知っている情報は断片的だが、鼻歌交じりに料理を作っているのは、本来の在り方からすればイレギュラーなものであることは確かだ。
「正直、私もよく分からないです。けど、優しい人だと思います。初めて出会った時も、危ない目に合いそうになった私を助けてくれましたし。口うるさかったり怒ることもあるけど、それも私のために言ってるんだろうなーって分かりますから。そう言う、頼りになる相棒なんです、ディアは」
まあ、ディアは羽衣璃のことを「主」と呼んでいるが、ゆくゆくは「相棒」と言ってもらえるようになることが小さな目標だ。
「最近楽しそうだったのも、ディアの影響?」
「え? そんな風でした私」
「うん。羽衣璃、前より活き活きしてる」
端からはそう見られていたらしい。羽衣璃は吸血鬼になった。
本来それは悲劇の幕開けの筈だが、意外にも羽衣璃の見の周りに起こった変化はプラスがマイナスを上回っている。
「そうですねえ……ディアが来てくれてから、前よりも楽しくなったように思います」
前までの生活が嫌だったとか、そう言う話ではない。
が、以前の生活に戻れるかと言われればきっと戻れないだろう。
「そう……」
キルは羽衣璃の体に腕を回し、包み込むように抱きしめた。
匂いも感触も、それだけ鮮烈に――お客様! あーいけませんお客様!
「覚えてる? あの日のこと」
その言葉に、沸騰寸前の羽衣璃の頭は一瞬で冷静になった。
「勿論です。て言うか、あんなの忘れられませんよ」
キルのいう『あの日』は、一つしかない――ダンジョン災害だ。
あの日、羽衣璃とキルの家族は、ショッピングセンターにいた。
羽衣璃の両親は所用があったので、その日は我妻家に預けられていたのだ。
それ自体は特に珍しいことはなかったが、イレギュラーは起きた。
そのゲートが開いた場所は、ショッピングセンター一階の百円ショップだったと言う。
そこから次々と姿を現したモンスター達によって、家族連れで賑わう商業施設は地獄と化した。
キルの両親も、二人の目の前で死んだ。
あの時羽衣璃は、キルの家族だったモノを貪るモンスターを背に、泣き叫ぶキルの手を掴んで逃げ出した。
血の悲鳴が飛び交う中を駆け抜け、既にモンスターが暴れ崩壊した玩具屋の中に隠れた。
「……どれくらい隠れてましたっけ? すっごく長く感じましたよね」
「うん……あの時羽衣璃は、泣いている私にお菓子をくれた」
「え、そんなことありましたっけ?」
「私にとっては大切な記憶、だから」
キルに言われても、まるで思い出せない。
きっと、泣いているキルを放っておけなかったとか、そんなことだったんだろう。
「ハハハ、私成長してねー……」
「羽衣璃?」
「あーいや、こっちの話です」
困ったときはお菓子を渡す。
十年前も今も、やっていることがまるで変わらない。もっと他にカッコよく決められればいいのだが、どうもその手のセンスとは無縁のようだ。
「私が覚えてるのは、モンスターに見つかったときですかね」
「覚えてる。羽衣璃、モンスターと戦おうとしてた」
「ありゃヤケクソって奴ですよ。玩具のベルト巻いて武器持って、変身音やら鳴らして――勝てる訳ないのに何やってたんだか」
「それでも、羽衣璃は立ち向かっていた。私は震えて、何も出来なかったのに」
「あんな状態じゃ、無理ないですよ」
両親を失ったばかりの五歳の少女相手に怪物に立ち迎えなど、拷問に等しい。
今も羽衣璃達が生きているのは、奇跡が起こって玩具のベルトでヒーローに変身したとかではなく、奇跡的なタイミングで駆け付けた冒険者(まだそう呼ばれてはいなかったが)が蜘蛛型モンスターを瞬殺し、彼女に救助されたからだ。
二人を助けてくれた少女の姿は鮮烈で、まさしくヒーローだった。お菓子云々の記憶がすっぽり抜け落ちていたとしても無理はない。
「けど、私は嫌だった。自分が何もできないでいるのが……一番、嫌」
羽衣璃を抱く腕に、力が籠もった。
「だから強くなろうと思って、鍛えて、冒険者になった。いつ似たようなことが起きても羽衣璃を守れるようにって……でも、時々怖くなる」
キルは、震えていた。
「羽衣璃が遠い場所に行っちゃうんじゃないかとか、もしものことがあって守り切れなかったらどうしようとか……それが、怖いの。大切なものがまた、手からこぼれ落ちるのが」
考えすぎだと笑い飛ばすのは容易い。
だが、現に羽衣璃は、キルの知らぬ所で死にかけた。
いや、人間としての羽衣璃は、ダンジョンの中で死んだのだ。
目の前でキルが震えている。
羽衣璃が動く理由は、それだけで充分すぎるのだ。
もう吸血鬼とか、正体とかそう言うのはもう関係無い。
「大丈夫ですよ、キル」
体をキルの方に向け、その手を握る。
「ずっと側にいる、なんて約束はできません。けれど、どんなにボロボロになろうが、零れ落ちようが、地獄に墜ちようが絶対にキルの所に帰ってきます。それだけは、絶対です」
真っ直ぐ目を見て、羽衣璃は言った。
その言葉に後ろ暗いところなど何も無い。
ただ、キルの恐れを取り除いてあげたい。
その一心だった。
「羽衣璃……」
キルもまた、羽衣璃を見つめていた。
「……約束、してくれる?」
「勿論です。私が約束を破ったことがありましたか?」
「割と」
「あれ!?」
「よく待ち時間に遅れてくる」
「ぐぬぅ……」
確かにそうだった。
精一杯カッコ付けてこの始末である。なんとも自分が情けない。
「でも、分かった。ありがとう、羽衣璃」
「どういたしまして……で、いいんですかね? この状況」
「多分」
示し合わせたように、二人は笑った。
既に、キルの震えはもう止まっていた。
よかったよかった一安心……というところで、羽衣璃はふと気付いた。
「……ん?」
羽衣璃はキルと向かい合うように座っている……のだが、身長差や体勢諸々の条件が重なったことで、羽衣璃がキルに馬乗りになっているようになる。
さらに両手を繋ぎ、見つめ合っているというこの状況。
もしかしなくても、端からみたらこれはとても際どい……言ってしまえばドエロい体勢なのではないだろうか。
――ギャー!
羽衣璃の頬が赤く染まった。
エマージェンシーエマージェンシー。
羽衣璃の脳が警報を発する。
どうする!? どう動けばいい!?
しかし羽衣璃の脳内マニュアルには『幼馴染と一緒にお風呂に入っていたら、どエロい体勢になって互いを見つめ合っている時の対処法』など何処にも乗っていない。
よって羽衣璃の頭はホットなのに体はフリーズしてしまった。うまい。
――いやうまくねーよ! どうすんですかこの状況!?
しかも意識してしまった瞬間、肌と肌が触れ合っている感触がこの上なく生々しいものに感じられるのだからたまらない。
目を逸らそうとしても、それはそれで変な感じになってしまうと思った結果、羽衣璃はそのままキルの目をじっと見続けることになってしまった。
なんたる迂闊! しかし過去は変えられないのである。過去より現在、羽衣璃は現在に立ち向かわねばならないのだ。
「羽衣璃……」
おずおずと、キルが口を開いた。彼女の顔が赤いような気がする。
――ハッ、そうだ。キルも気づいてくれたんですねこの状況に! お願いです! なんとかそれっぽく誤魔化してください!
「……分かった」
キルは目を閉じた。
――それ何ィィィ!? 何が分かったんですか!? こっちはまったく分からないんですが!?
キルが手に力をこめたせいで脱出も困難。
さらにキルは瞼を下ろして何かを待っている。だが、何を待っているというのか。心なしか、キルが唇を突き出しているようにも見える。
――え、いやマジで何ですかこの状況。私にどーしろって言うんですかコレ!?
羽衣璃は困惑した。
羽衣璃は恋愛がわからぬ。
羽衣璃は、オタクな吸血鬼である。
特撮と二次元とダンジョン動画を愛し、幼馴染と遊んで暮らしてきた。
案の定、その手の心の機微は人一倍に鈍感であった。
キャパオーバーにより頭がショートしかけたその時だった。
「おっほん。邪魔をさせてもらうよ羽衣璃。やはりこう言う機会なのだし僕も一緒に入るのが、関係構築上の観点から見て有効と判断したのでね。決して、いや決して仲間はずれみたいだから嫌ということ、では……」
がらりと風呂場に入ってきたディアは、ビシリとフリーズした。
「あ、ディア。いいところに――」
ボボボンっ、とディアの顔が赤くなり、
「破廉恥なぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――!」
ディアの絶叫が、家中に響き渡った。




