第三章:旅の鳥の訪れ
生い茂る木々の隙間を縫って差し込む薄い朝日の中、今日の分の森山羊の乳を搾りに行っていたリスが、素焼きの壺を抱えて丸太小屋の中へ入って来た。
「ディルデュランさん、森山羊たちを放してきました」
そう言いながら扉を閉め、ディルデュランの元へ歩いていく。
背中まである胡桃色の柔らかな髪は、幅広の組み紐を首の後ろから額の上あたりへ巻いて結び、邪魔にならないよう軽く纏められてはいるが、後ろに流した髪の中には相変わらず白い瞬き……光の精が住みついているのが見える。髪が落ちないように編み込みにでもすれば良いとディルデュランは提案したことがあるが、リスの髪の間を気に入っている光の精たちの抗議にあい、下ろしたままだ。
あれから少女はよく食べ、よく寝て、外で陽に当たり動くようになったら驚くほど健康的になり、肌は白いままであったが血色が良くなったため、虚弱そうな見た目ではなくなりつつある。そんな姿に男は少し頬を緩め、リスへ声を掛けた。
「子山羊たちに変わりないか」
「はい、元気にお乳を飲んでました。とっても可愛いです」
季節の変わり目になると森山羊は子を産む。ディルデュランと暮らす森山羊たちは、大樹の樹洞を利用した寝場所があるおかげで夜は安全に過ごすことができており、獣に狙われやすい小さな命は、今のところすくすくと育っている。リスは警戒心の強い森山羊からも嫌がられず、わりと早めに乳搾りの仕方を覚えることができた。
男は少女から壺を受け取り、竈の隅に置いた足つきの小鍋に乳を移すと、その下に置いた小さい刻印宝珠で乳を温める。残りは壺の口を油紙と紐できっちりと蓋をして、保冷庫へとしまった。
中季が終わり、日々暖かくなってきているとはいえ、アレンデの北部にあるこの地では朝晩はまだ肌寒く、リスは鼻の頭と手先がほんのりと赤くなっている。だいぶ健康的になってきたとはいえ、冷え切ったら風邪をひくかもしれないと男は思い、丸椅子を動かして少女を竈の側に座らせる。そして朝食用に、時間のかからない香草入りの平たいパンを作る準備に取り掛かった。
酵母を使わないそのパンは、大きな鉢に小麦の粉と塩、水、溶かした乳酪を入れ、粉気がなくなるまで混ぜて捏ねたら軽く纏め、濡れた布巾をかぶせて暖かい所で少し休ませる。
その後、用意していた薄い木板に粉をふったら、そこへ生地を落とし、もう一度軽く練る。そうして出来上がった生地を、平たく手で丸く伸ばしたら油を引いた平鍋に敷き、何か所か指で生地に窪みをつけて表面に乳酪を塗る。
最後に甘くほろ苦い香りのする細長い葉の香草を散らして鍋に蓋をしたら、竈に大きな刻印宝珠を、鍋蓋の上には中くらいのものを置く。上下から熱が入るため、パンはあっという間に香ばしく焼き上がった。
リスは体が温まると椅子から立ち上がり、パンを焼いている間に片付けられた卓の上へ、戸棚から食事に必要な食器を出して並べる。
リスは力仕事以外の細々とした家事をどんどん覚えているが、なぜか刻印宝珠の取り扱いが得意ではない。以前、水の刻印宝珠を掌に乗せたら、体をこわばらせて動けなくなってしまったことがあった。本人曰く、見ている分には大丈夫なのだが、触れると恐怖に駆られるようで、それ以来、触れさせないようにはしている。
何か刻印宝珠について嫌な思いをしていたのだろうか。それとも、刻印宝珠の使い方を教える際に、まじない言葉を使って自らの命を少し流す必要がある、と説明したからだろうか……。
この話をした時、リスの表情が無くなり、顔色を悪くしていた。長命の森人にとって、わずかに命を使うことなど大したことではなかったが……そう言っても、人であったリスには受け入れにくいことだったのかもしれない。
そう考えながらディルデュランは、平鍋に入ったパンを自分とリスの分とに切り分けると、温めた乳を小さな器に注ぎ、それに樹液を煮詰めて作った糖蜜を小匙で入れてかき混ぜた。
「食べなさい」
「はい、いただきます」
このやり取りも何度目だろう。
朝から美味しそうに食事をするリスの姿を見るのが当たり前になりつつあるのに、男はなんだかな……と視線を泳がせたのだった。
/*/
焼きたてのパン、おいしいです……!
私は香ばしくふかふかしたパンを頬張りつつ、竈の上に置かれた刻印宝珠をちらりと見る。あれが使えるようになれば、やれることが増えるのに、と思うのだけど、手に取るとなぜか恐ろしくて体が震えた。きっと失われた記憶に関わることがあるのだろうと思うのだけど、恐ろしいばかりで何も思い出せない。
刻印宝珠は、命を流すまじない言葉を使うことで、刻印通りに熱を発したり、水を溜めたりできる。それは森と共存し、傷めることを避けてきた森人の知恵の結晶で、遠い昔から利用されてきたものだという。
「人が大きなものを使ったのなら早々に命を失いかねないが、寿命が長い森人にとっては、この程度の大きさのものを使っても大したこともない」
と説明されたけれど、それでも恐ろしさは消えなかった。そんな風に怖がる私を落ち着かせようと思ったのか、ディルデュランは困ったように視線を彷徨わせながら、
「リスは……光の精たちとの命の交換で、寿命が相当延びた。これくらい使っても問題は起こらない」
と突然告げてきたのには、とても驚いたのだけど……あの時は色々と理解が追いつかなかったので、
「今はどうしたら良いか分かりません」
と返事をして、それ以降、刻印宝珠には触れないようにしてきたし、彼もその件には気を使ってくれているようだった。
寿命が延びていることは、混乱しつつもなんとか飲み込んだけど、どうして刻印宝珠が怖ろしいんだろう……。それを知りたいような、知りたくないような……。
私はパンを飲み込むと、もやもやした気持ちをどうにかしたくて、温かくて甘い乳の入った器を手に取り、そっと口を付けた。
/*/
食事を終えた二人は小屋を出る。午前中にやってしまわないといけない事が沢山あった。
基本自給自足で暮らしていたディルデュランの朝は早い。夜も明けきらないうちに身支度を整えたら湯を沸かし、一杯のお湯を飲む。そうしたら樹洞で夜を過ごした森山羊の所へ行って、母山羊から乳を分けてもらい、入り口に取り付けた獣よけの扉を開けて森山羊たちを放す。
その後、一旦小屋に戻って朝食を取り、小屋の中を掃除する。陽が差し込んでくる時間になったら、樹洞の中の森山羊の糞を集めて畑の近くへ運び、腐葉土にするための穴へ埋める。
週に一度の採集の日以外は、そのまま畑の作物の収穫や世話を、陽がてっぺんに来るまで行う。今収穫できるものは、寒越しした根野菜の残りと、種を撒いてすぐに生えてくる葉野菜が主であるが、これからは暖季に収穫が長く続く野菜たちの作付け時期で、慌ただしい。
リスはひよこのようにディルデュランの後について行きながら、葉野菜の収穫や種まきなど、簡単な作業を頑張っている。力仕事が多いため大した事はできていないのだが、何もできないとしおしおと枯れた葉のように落ち込んでしまうので、なるべく手伝わせるようにしていた。
その後は畑仕事で汚れた服を脱いで、小川を堰き止めていた所で体を綺麗にしながら洗濯……するのが日課だったのだが……。
普段ディルデュランは皮ベルトにつけていた小袋から、『洗い豆』という大きな豆のさやを割ったものをいくつか取り出し、それから服を脱ぐ。それはマメの一種である落葉高木の実で、さやを水につけて揉むとぬめりと泡が出る。それを使えば洗濯するだけでなく体も洗え、煮出し汁は洗髪や拭き掃除にも使えた。
手でよく揉んで泡立て、自分の下着と長衣、そしてついでに体も洗う。洗濯を初めて教えた時、服を脱ぎだしたディルデュランに驚いたリスから、
「それはいけないような気がします!」
と叫ばれたので、少女には小屋の中の水瓶の水を使って身を清め、服を着替えてもらい、その間にディルデュランは野菜を洗ったり、小屋の周りに生える野草を採ったりして時間をつぶし、リスが身支度を終え、洗うものを持ってきたら小屋へ戻ってもらい、洗濯を始める。今はそれで落ち着いていた。
そうしてディルデュランは洗濯と着替えを終えると、小屋の軒下に張った紐へ洗い終わった衣類を干しながら、リスに布を絞らせたらさっぱり水気が切れなかったな……と思い出す。
洗濯は結構な力仕事で、特に最後に水気を絞る時が一番力がいるので、洗濯は無理だなと判断して、今まで通り男が受け持つことになった。
窓から小屋の中を覗けば、昼の支度を終えたリスが服の袖をまくり、自身の腕をなぜか難しい顔をして見ている。
「何をしているのだ……」
あれでも一応、複雑な年頃の少女ではあるのだと頭では分かっていても、リスの幼さを残す行動や見た目を見ていると、つい忘れがちになるディルデュランであった。
/*/
「ええと……お昼の準備をしないとですね」
戸棚を開けて、朝に焼いたパンの残りと、糖蜜や果実を煮詰めたものが入った壺や小匙、楕円の橙色をした果物、枇杷が入った籠を出す。
お昼は作業の合間に食べるので、簡単な物や夕食の残りのスープを食べることが多い。火にかける以外は私にもできたので、ディルデュランが洗濯を終えるまでに、それらを用意する事ができた。
じゃぶじゃぶと洗濯をする音が外から聞こえる。初めに洗濯の事を教えてもらった時、彼が服を脱ぎだしたのには驚いてしまったのだけど、しっかりとした体をしていて羨ましいと思うと同時に、これはじっと見てはいけませんね!? という感情が生まれてしまった。
自分自身の事はさっぱり分からないのに、異性の裸を凝視するのはよろしくない、というのが分かるのも謎である。
「あんな風に体が大きくて力強かったらよかったのに……」
私はため息をこぼす。
一日分の森山羊の乳を入れた、さほど大きくない壺だって両手で抱えなくてはいけなくて、ディルデュランのように片手で軽々と持つことができない。長い手足に器用で大きな手。若いという見た目ではないけれど、森と共に生きてきた彼の体は強靭でしなやかで、灰色の瞳と真っ白な髪は日に当たると綺麗に見えた。
私は長袖の下着の袖をまくり、腕を曲げる。なんという貧相な腕!
どうやったらあんな風に腕が太くなるのだろう。私は眉間に皺を寄せて、力こぶのない二の腕を見つめた。
/*/
午後に入り、昼食を終えた二人は、明るいうちにできる手仕事を始める。今の季節は、暖季の初めに採取した薬草を選別し、干したものを細かく砕いて様々な薬草茶を作ったりするので忙しい。
「今作っているのは、何に効くのですか?」
干した薬草の茎から葉だけを取る作業をしていたリスがディルデュランへと問うと、卓の上の平籠に積んである、先細りで枝分かれの多い葉を男は一枚摘み、指先でくるくる回す。
「これは『蓬』、血の巡りを良くして、寒季越しで出る体のだるさを取る。煮出して飲むか、タライに湯を張ってこれを入れ、浸かっても良い」
「この、とげとげがあって小さい葉がいっぱいついているのは?」
「『棘草』。体の突然の痒みや鼻水などを和らげる。血の巡りが悪い時にも効く」
薬草は時期によって採れるものが違い、ディルデュランは森に入るたびに背負い籠いっぱいにして帰って来ては、せっせと薬草茶を作っていた。種別ごとに布袋に小分けにして、薬草庫にしまっている。
「こんなに沢山作って、どうするのでしょうか」
リスが不思議に思って問うと、ディルデュランはそれには片眉を少し上げ、
「そろそろ行商人が来る」
とだけ言い、後は黙々と作業を続ける。
「行商人さんですか……」
彼の言う行商人とは、ヒールニールを商売をしながら渡り歩いている変わり者の森人で、寒くない時期に二、三回訪れては、ディルデュランがこつこつと作った薬草茶、草木染めの布や角鹿の角を彫った飾りボタンなどを、森では作ることが難しい小麦の粉や塩、鍋などの鋳物や硝子、陶器などと交換しにやってくる。
人は短命であるゆえか、貪欲に多くのものを生み出している。たった半年の間にも新しい商品が彼の元へ届くことについて、男は感心していた。それでも、ここに居着く前に住んでいた故郷の森を、人がどんどん開拓し、森人の住む地を奪っていったことは許していない。新商品だと言って出されるものを手に取るたびに、複雑な思いを抱いている。だが、行商人にも生活というものがある。頼まれれば、必要最低限のものは仕入れざるを得なかった。そして、その行商人が間もなくやって来る。
ディルデュランは表情には出さなかったが、リスに毎日教えながら作業をしていると、いつもの何倍か時間がかかり、すでに終わっているはずの色々なことが滞っていることに、少々焦っていた。それに、自分独り分だけ用意すれば良かったのに、これからは二人分の買い付けが必要で、行商人に渡す物も分量を増やさなければならなかったのだ。
「仕方ない、あれを出すか」
「?」
手を止めた男は立ち上がり、棚の所へ行く。リスが不思議そうな顔をしていたが構わず、一番上の段へ手を伸ばし、小さな木箱を取り出した。箱を開けると、美しい縞模様が入った半透明の石がいくつか顔を出す。森の山の方の川辺で見つかる半貴石の瑪瑙で、それらはディルデュランが散策をした時に見つけたものである。山岳地帯で採れる貴石には劣るが、庶民の間ではこれを磨いて形を整えた物を装飾に使うため、売ることができた。
「これだけあれば足りるか……」
「どうしましたか?」
独りでないと色々なことが変わるものだな、と考えながら、ディルデュランは自分の椅子に戻り、心配そうに見てくるリスへと返事を返す。
「いや、何でもない。作業を続けよう」
首をかしげられたが、黙って薬草を手に取り、薬草茶を作る作業に没頭する。本当に大変だ。畑も広げなくてはいけないし、採集も二人分、気を使うのも二人分。それでも、少女がただ養われるのではなく、やれることはやりたいと言ってくれるのは悪くない。そう思うのだった。
/*/
ディルデュランの丸太小屋に沢山吊るされている薬草は、全て薬草茶にするものだと聞いて驚いた。
よく聞けば、丸太小屋より少し離れた開けた場所にもいくつか小屋があって、薬草庫や草木染め小屋、機織り小屋なんかがあるらしい。私はまだ森の中に入ることは許されていないから見に行けていないけれど、森を切り拓くことを避けているから、もともと空いている所を見つけて建てているそうだ。
その薬草庫からも沢山の乾燥した薬草をディルデュランが持ってきたものだから、とにかく二人で黙々と薬草茶を作っていた。合間合間に名前や薬草の効能を聞いたりはしているけれど、言葉の少ないディルデュランだから、作業の中盤に入るころには問いかけにも返事がなくなった。これは……もしかして、急いでいるのでは……と、私でも分かってしまう。
そろそろ行商人さんという方が来ると言っていたし、のんびりやっている場合ではなかった。手を……手を早く動かさなくてはと思うが、焦ってしまい、動きが雑になってしまう。そうしていたら、乾いた蓬の葉を取っている時に、右手の指を切ってしまった。
「いっつ……」
鋭い痛みとともに、皮膚の上に赤い線が走り、そこから血がぷっくりと浮かんでくる。
「切ったのか」
ディルデュランは立ち上がると私を水瓶の所へ連れて行き、傷口を水で洗う。そして、干したばかりの新鮮な蓬を取ると、それをすり潰したものを布につけて私の指に巻き、その手で傷口を押さえるようにしてくれた。
「このまま待てば血は止まる。生の蓬には化膿止めになるから覚えろ」
「はい……ディルデュランさん、ごめんなさい。私、急ぐあまり薬草を雑に扱ってしまいました」
私は申し訳なくて謝る。まだ薬草の扱いが下手なくせに急ごうとするから、こういうことになるのだ。なるべく迷惑をかけたくないのに、手を焼かせてばかりで、心がしなびてしまいそうになる。
「慣れぬことをしているのだ。気にするな」
指を押さえてくれている手が温かい。その温かさがありがたくて、私は左の手をそっと彼の手に重ねた。そうすることで、ディルデュランの手が一瞬こわばった気がしたが、お礼の言葉を言わなければと思い、顔を上げた瞬間――。
小屋の扉が、バーンと音を立てて開いた。
「ちわーーーっす! 毎度どうもーーーーーー!」
あまりに声が大きく、突然だったので、私は飛び上がりそうになったけれど、ディルデュランが指を押さえていたので、肩がビクッとなるだけで済んだ。何事?
「あっ……お邪魔したーーー!」
そしてそちらを見る間もなく、また大声と共に扉がバターンと閉まったので、私はディルデュランにどうしたら良いのか視線を送ってしまった。
「……傷口を押さえてろ」
「は、はい」
彼は私の手を放して小屋の外に出て行くと、扉を開け、何やら突然の客人と話をしだす。もしかして……今のが話に聞いていた行商人さんなのでしょうか?
ここに来てから大きな音を聞いていなかったので、とてもびっくりしました。変わり者と話に聞いていたけど、本当にそうなのかしら……。私は指の痛みを忘れ、開かれたままの出入り口から、そっと外を覗き込んだ。
/*/
「息災だったか、マーシュマロウ」
ディルデュランは、客人が毎度壊しそうな勢いで扉を開けて来ることには顔をしかめるが、約半年ぶりに顔を見せた同胞が息災であることには、労いの声を掛ける。
森に人が入れば分かるようにしていたが、同族である彼のことはまじないにかからないようにしていたので、近くに来ているのに気付かず、このようになった。とはいえ、人の住むところからここまで獣道しかない場所を、馬と驢馬二頭に荷を積んで来てくれることはありがたいと思っていた。
「元気元気、いつでも俺は旅の鳥よ、ディルデュラン」
鍔のある帽子をかぶった行商人の男は、笑顔でディルデュランの肩を叩く。旅ですり切れた外套と、油で防水された革の履物を身に着けているけれども、中の方は案外身ぎれいで、いつも中央で流行っている服を着ている。
「商売をするには身なりをちゃんとしないとさ」
そうおどけてディルデュランの古臭い身なりをからかったりしたが、マーシュマロウは長年人と売り買いに携わっているだけに世の中のことに敏く、ディルデュランのように浮世離れをしてはいなかった。その客人が、扉の開いたままの小屋の入口をちらちらと見ては、にんまりと笑む。
「そんな事よりさ……いやほんと……良い雰囲気の所お邪魔してすみませんねえ」
「?」
「でもさあ……可愛いけど若すぎない? 倫理的に大丈夫?」
「何を言っている」
「何って……その子……嫁さ」
「違う」
マーシュマロウは、小屋の入口からこっそりこちらを覗いている少女を指差し、「うそ~ん」という顔をした。しかし、ディルデュランにすごい速さで顎を掴まれ、握力のままに力を込められたので、両手を上げて降参した。
「リス、こちらへ」
「は、はい!」
男は手を顎から離し、こちらを心配そうに見ていた少女に声を掛けて呼び寄せる。
「後で詳しく話すが、私の養い子になった……リスだ」
そうして、下手な誤解は無用とばかりに鋭い視線を送るのに、マーシュマロウは「え~」と思いながら、ちんまりとディルデュランの隣に並んだ少女を見た。
「初めまして。養われております、リスと申します」
山栗鼠のような見た目の少女が、胸に両掌を当てて頭を下げる丁寧な挨拶をするのに、おや、とマーシュマロウは目を見張る。少女が行ったそれは、国教の司祭や敬虔な信徒などがする挨拶の形で、一般的なものではなかったからだ。
「先ほどは私が手を切ってしまいまして、ディルデュランさんは血止めをしてくださっていたのです。誤解を招いてすみません」
「リスが謝る事ではないが、そういう事だ」
「アッハイ」
手を布で押さえ、すまなそうにしているリスに、男が優しい目をしているのに気づいたマーシュマロウは、また「え~」と思いながら、かぶっていた帽子を左手で頭から外して胸に当て、少女の丁寧な挨拶に、彼も丁寧な挨拶で応えることにしたのだった。
「俺の名は旅の鳥・マーシュマロウ、森人であり気ままな旅の行商人さ。よろしくね、リスちゃん!」
/*/
ディルデュランと同じ森人だというマーシュマロウは、とても明るい口調と、くるくると変わる表情が忙しく、賑やかな方で、国のあちこちを回りながら商売をしているそう。見た目は同族ということでディルデュランと似ているけど、やや若い。白髪でグレーの瞳に彫りの深い顔立ちなのは一緒なのに、たれ目がちな瞳は鋭くなく柔和で、そして旅をしているだけあって、彼よりも日焼けをしていた。
小屋の中に戻った私たちは、卓の上が薬草でいっぱいだったので、ディルデュランが丸椅子、私とマーシュマロウは窓辺に置いた長椅子に腰掛けることにする。そして、残った丸椅子を卓の代わりにして、ディルデュランが疲労に効くという薬草茶を淹れた器をそこへ置いた。
「すまんな、準備が終わってなくて」
「いやいや、ありがとさん。数日かかるなら作業小屋貸してよ」
「ああ、それでよければ」
マーシュマロウは薬草茶を取ると、一口すすり、
「効く~」
と言いながら笑い、私を見てきた。
「あのっ……私も手伝っていたのですが、手が遅くて、遅れてすみません!」
「あー、いいよいいよ。この量見れば二人分だもんね。量が増えれば時間もかか――」
またもマーシュマロウがディルデュランに顎を掴まれ、黙らせられていたけれど、それを聞いて私は「はっ……」としてしまう。つまり……私を養うために、いつもより多い薬草茶をディルデュランは作っていた、ということでは……。
「そうですよね……一人増えたら、一人分何かも多く必要ですよね。行商人さんから色々買い付けると話は聞いていましたが、失念していました。ディルデュランさん、お手数をおかけしてすみません」
私がしょんぼりしおしおになると、彼は困ったような目をして、こちらへどう声を掛けたら良いのか戸惑っているみたいです。ですが、しっかりと顎を掴んだ手は緩めていませんでした。
「ひゃに、ひゃんなの、わひゃんないからおひへて」
事情が分からないマーシュマロウが彼の腕に手をかけ、私がなんでここにいるのかの説明を求めると、ディルデュランは手を放し、一つ息を吐くと、仕方なそうに口を開いたのだった。




