第二章:死の森の隠者の住処
良く日差しの入る窓辺で、収納を兼ねた長椅子に座りながら、私は小屋の天井からたくさん吊るされた薬草をぼんやりと眺めていた。
家主であるディルデュランは、畑へ行くと言って出て行ってしまったため、私は一人で留守番をすることになった。あれから茸と豆の入ったスープを食べさせられ、お腹はいっぱいになっている。しかし、私があまりにも食べないことに、ディルデュランは驚愕していた。頑張っても、木の椀一杯を食べるのが限界だった。
「これでは痩せているわけですね……」
そう呟きながら、自分の薄い腹にそっと手を当てる。二重に巻かれた組み紐に指が触れると、食事の前の出来事を思い出した。着替えた後、身なりがおかしくないかとディルデュランに尋ねたところ、突然腰に組み紐を巻かれたのである。驚きはしたものの、不快ではなかった。後から「どうして巻いたのですか」と尋ねると、
『腹が冷えそうだった』
とだけ返された。
「……私のことを、本当に拾ってきた山栗鼠くらいにしか思っていないのでしょうね」
遠い目になりながら、ぽつりと呟く。しかし、考えてみれば、山栗鼠程度の扱いをされる方が私も気楽なのかもしれない。何しろ、こんな訳の分からない相手の面倒を見てくれているのだ。贅沢を言ってはいけないだろう。そう思いながら、髪の中に潜り込んでいる光の精を見つける。ため息を吐きつつ、人差し指でそっと突いてみた。
「感触は……ないのですね。不思議です」
指先をすり抜ける光は、チカチカと楽しそうに瞬いている。私は少しだけ微笑むと、天井から視線を部屋の奥へと移した。
卓を挟んだ向こう側には、綺麗に掃除された炊事場と竈がある。その傍には大きな水瓶が置かれ、食器や調理道具の入った戸棚が並んでいた。右側へ視線を向ければ、掃除道具が置かれ、長いローブを掛けるためだろう木の枝のようなものが壁に取り付けられている。そして、その先には外への出入り口があった。
左側には、私が眠っていた小さな寝室への扉。その隣には家財道具の納まった大きな棚がある。さらに上を見れば、寝室の上には小さな屋根裏があるらしく、そこへ上がるための木組みの梯子が壁際に掛けられていた。本当に、こぢんまりとした一人暮らしのための家だった。
手洗いなどは恐らく外にあるのだろう。寝室の変わった弧を描く壁については、まだ謎のままだ。後で聞いてみるのも良いかもしれない。そう思いながら、私は改めて小屋の中をあちこち眺めた。
「名前の分かるものと、分からないものがありますね……」
目が覚めてからというもの、些細なことでさえ、驚くことばかりだった。身の回りのことだけではない。ディルデュランのことも、私はほとんど知らない。少しずつでも覚えていかなければならないのだろう。せめて手仕事なり、何か手伝えることがあればと思う。しかし、物の名前が分かっても、使い方までは分からないということに気づいてしまった。
「お世話になるうえに、色々と教えていただかなくてはいけないなんて……」
情けなさに気持ちが沈む。すると、髪の間から出てきた光の精が一粒、まるで「大丈夫だよ」とでも言うように、柔らかく瞬いた。
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リスの面倒を見ているうちに、時間はあっという間に過ぎていた。
日が高いうちに畑の世話をする予定だったため、ディルデュランは少女に小屋から出ないよう言い聞かせ、外へ出る。そして急ぎ足で、小屋の近くを流れる小川の下流に設けた小さな畑へと向かった。
葉野菜や香草を摘み取り、豆や根菜の手入れをする。森に自生する茸や木の実なども収穫しているが、寒くなれば手に入らなくなる。そのため、必要なものの一部は畑で育てていた。それに加えて、彼は十頭ほどの大型の森山羊とも暮らしている。森山羊からは栄養のある乳を得られ、長く伸びる毛は衣類などに使う素材となった。
ディルデュランの住む場所は、一本の大樹を中心とした、やや開けた土地にある。素朴な丸太小屋は、その大樹の太い幹に寄り掛かるように建てられていた。奥の部屋の壁が弧を描いていたのは幹に沿って建てられているからで、遠くから見れば、まるで大樹の幹から家が突き出しているようにも見える。
大樹の根元には大きな樹洞があり、そこにもいくらか手を加えて、森山羊たちの寝場所として使っており、獣や雨風を避けるには都合が良かった。
彼は木々や光、風や水、そして森に住まう生き物たちと意思を通わせながら生きる、古き森の民である。ここに住み着くまでにも、何度となく大樹と対話を重ね、その許しを得てこの場所を住処としていた。
陽の光が傾き、木々の影が長くなり始める頃。ディルデュランは畑の手入れを終え、収穫した野菜を入れた籠を背負って、小川沿いを上流へと歩いていた。やがて、石を組んで水を堰き止めている場所まで来ると、籠を下ろす。そこは水を溜め、野菜を洗ったり洗濯をしたりするための場所だった。
小川の水量はそれほど多くない。しかし、こうして少し堰き止めておけば、生活に必要な水仕事には十分使える。家の中には水の刻印宝玉も置いているが、土のついた野菜まで家の中で洗えば、どうしても汚れる。そのため、野菜は外で洗う方が都合が良かった。
ディルデュランは、赤い色をした根菜を一つ一つ丁寧に洗いながら考える。リスは食が細い。しかし、一人だった生活に二人目が加わった以上、畑の広さも見直す必要があるだろう。気は進まないが、少し広げるべきかもしれない。彼はそう考えながら、これから必要になるものを一つずつ思い浮かべていく。ディルデュランは、凝り性な性格だった。面倒を見ると決めたからには、中途半端に済ませるつもりはない。できることは何でも覚えさせる。働けるようになれば、家のことも少しは手伝わせる。そのために何を教えるべきか、何を用意するべきか。あれこれと思考を巡らせていた時、彼はふと、一つだけ優先すべきことに思い至った。手にしていた根菜を見ながら、低く呟く。
「……まずは太らせるべきだな」
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あれから私は少しうたた寝をしていたらしい。ディルデュランに起こされるまで、長椅子に座ったままでいた。
「寝ていました……すみません……」
ぼんやりとする頭を軽く振り、立ち上がろうとすると、手で制されて再び座らされる。
「リスの命はまだ不安定だ。体が驚くようなことは控えるといい」
「……はい」
確かに、急に立ち上がったせいか鼓動が強くなり、少し息苦しい。お言葉に甘え、私は背中を長椅子の背もたれへ預けた。
これまでの経緯を詳しく聞く中で、私はディルデュランが行った『命を入れ替えるまじない』によって救われたのだと知った。光の精たちの命と、尽きる寸前だった私の命を入れ替えたのだという。まじないの詳しいやり方までは教えてもらえなかったが、滅多なことでは行わないものだとは説明されている。
「お前は器が弱い。命が馴染むまでは少しかかるだろう。数日は寝て、食べて、光の精が好む陽をよく浴びろ」
だから寝室ではなく、窓辺へ移動させられたのか。私はなるほど、と納得しながら頷いた。
それを見たディルデュランも一つ頷くと、こちらに背を向けて卓の方へ向かう。卓の上には先ほど畑から持ち帰ったらしい物がいくつか並べられていた。
……あれは何だろう。また、私の知らないものがある。
「あの、それは……何ですか?」
知らないものは聞かなければならない。そう思って声を掛けると、ディルデュランは少し驚いたように振り返った。
「……野菜を知らないのか?」
「野菜は知っています。ですが、それは知りません」
私は昼に食べたスープを思い出す。
「あの……昼に食べたスープの中に入っていたようなものが、野菜なのだと思っていました」
私が知っている野菜と呼ばれるものは、今のところ食卓に出されたああいう姿をしたものだけだった。
心底不思議そうに首を傾げる私を見て、ディルデュランはわずかに視線を泳がせた。それから卓の上に置かれたものを手に取り、こちらへ見せる。
「芋と赤人参は知っているか」
「はい。知っています」
彼は、ごつごつとして白っぽい丸いものと、赤く細長いものをそれぞれ手にしていた。赤い方には、先端から細かな毛のようなものが伸びている。
「こっちが芋で、こっちが赤人参だ」
そう言われても、私は首を傾げたまま、じっとそれらを見つめる。どうしよう。まったく見覚えがない。
「……調理されたものしか知らんのか」
心底呆れたような声だった。申し訳なさが先に立つ。
私、本当にどんな生き方をしていたのでしょう……。
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少女に背を向けたまま調理を続けるのをやめ、ディルデュランは卓を回り込み、リスと向かい合う位置に立った。
「芋と人参は、皮を剥いて使う」
そう言いながら、卓の横にある戸棚の上段から薄い木の板を取り出す。それを卓の上へ置き、ナイフと木皿をいくつか並べた。
「これは香草だ。スープの香り付けに使う」
次に、香りの強い緑の葉を手に取る。
「こっちは葉野菜。そのままちぎって食べられる」
リスは一つ一つ、真剣な顔で見ていた。ディルデュランは慣れた手つきで芋と赤人参の皮を剥き、手早く小さく刻んでいく。刻んだ野菜は木皿へ移された。そこで顔を上げると、リスが一生懸命こちらを見つめている。
「……知っている形になりました」
「そうか」
「野菜には……元になる形があるのですね」
「そうだ」
それだけ答えると、ディルデュランは爽やかな香りのする香草も刻み、別の木皿へ入れた。リスには栄養をつけてもらわなければならない。今夜は森山羊の乳と乳酪を使ったスープにする。葉野菜には酸味のある木の実を散らし、菜種油と削った乾酪をかけるつもりだった。
森人であるディルデュランは、肉や卵を食べない。体を保つための栄養は、主に森山羊の乳と豆から得ていた。
根野菜を刻み終えると、ディルデュランは戸棚の下段を開いた。その奥、一番陽の当たらない場所には床へ穴が掘られており、簡易的な保冷庫になっている。リスはその構造に目を丸くしたが、ディルデュランは気にせず中から朝に搾った森山羊の乳が入った素焼きの壺と、乳酪、乾酪を取り出した。
そして今度は竈へ向かう。洗って乾かしてあった鍋を取り出し、竈の上へ置いたところで、リスが何かに気づいたように声を掛けてきた。
「あの……薪がないようですが、火はどうするのでしょうか」
「そうか。人は薪を使うことも多いな」
ディルデュランはリスへ視線を向けた。
「見ているがいい」
竈の傍には、よく見ると三つの大きさの異なるものが置かれている。つるりとした楕円形で、刻印が刻まれた赤みを帯びた半貴石。宝珠だった。
ディルデュランは、その中から一番大きなものを手に取ると、鍋の下にある空間の中央へ置いた。
「これには火の刻印が刻まれている。まじないを唱えることで、火の代わりに使える」
そう説明すると、彼は何やら耳慣れない言葉を唱える。たちまち宝珠が熱を帯び始めた。それを見て、リスは目を丸くする。
「近くで見ても?」
「触らなければな」
そろそろと立ち上がったリスは、ディルデュランの隣へ行き、しゃがみ込んだ。宝珠には触れないよう注意しながら、その上へそっと手をかざす。掌に伝わる熱を感じて、少女は小さく呟いた。
「不思議です」
興味深そうに宝珠を眺め続けている。どうやら、しばらく動く気はないらしい。ディルデュランは構わず調理を再開することにした。
油紙に包まれた乳酪を木匙で一すくい取り、鍋の中へ落とす。じゅわりと乳酪が溶け、なんとも言えない良い香りが辺りに広がった。そこへ刻んだ根野菜を入れ、塩を二つまみ加える。しばらく火を通した後、乳をすべて鍋へ注いだ。沸くまで火にかけ、浮いてきた灰汁を丁寧に取る。その後、大きな火の宝珠を小さなものへ取り替え、鍋に蓋をした。あとはしばらく煮込み、食べる前に味を調えて香草を散らすだけである。
「リス。葉野菜を二人分ちぎれ」
「は、はい!」
鍋を眺めていた少女を卓へ呼び寄せる。疲れないよう丸椅子に座らせ、平籠に入れてあった葉野菜を指差した。
「大人の掌一つ分ほどの木皿に入れろ。食べやすい大きさにちぎればいい」
リスはしばらく考え込んでいた。しかし、やがて恐る恐る葉を手に取り、ちぎり始める。どうやら、ちぎられた葉野菜を食べた記憶はあるらしい。その様子を横目で確認しながら、ディルデュランは乾酪を二人分、ナイフで削った。小さな器へ入れると、乳酪とともに残りを保冷庫へしまう。代わりに、一昨日採集して紙に包んであった木の実を取り出した。
「ちぎり終わりました。これで大丈夫ですか?」
リスが心配そうな顔で声を掛けてくる。
そちらへ目を向けると、二人分にしては少ない葉野菜が木皿に入っていた。少女の分としては、それで良いだろう。ディルデュランはリスの皿を確認して頷くと、自分の皿にはもう少し入れるよう言いつけた。
葉野菜の上へ木の実を散らし、菜種油を回しかける。最後に削った乾酪を乗せれば、それで完成だった。焼いておいたパンを添えても良い。しかし、今夜は根野菜をたっぷり使った乳のスープがある。それだけでも腹は満たされるだろう。
ディルデュランは葉野菜をちぎるのに時間がかかっている少女を待つ間、汚れた卓を片付けることにした。
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お料理を手伝う事ができた……!
私は嬉しい気持ちで葉野菜をちぎる。鮮やかな緑色の葉は、茎の部分はパリッとしているが、葉は柔らかいので簡単にちぎる事ができ、料理の事が何も分からない自分でも問題なくできた。こういう難しくない事からやっていけば、いつかは調理用ナイフを使ったりもできるだろうか。
そう思いながら手際よく作業をしているディルデュランの姿を、こっそりと見る。あんなに嫌そうだったのに、私の面倒を見ると言ってくれるだけでなく、この先も必要な事を私に教えてくれるのだろう。
……やはり、この人は優しい人なのだ。
竈の鍋からは良い匂いがし、刻印宝珠の放つ熱が何とも言えず温かい。何もなくなってしまった私の胸に、これほど染み入るのはなぜなのだろうか。
窓から差し込む陽の光が徐々に赤みを帯び、夕刻が近づいていることを教えてくれる。火を使わないのなら、何で明かりを取るのだろうかと思いつつ、私はディルデュランにもう良いと言われるまで、葉野菜をちぎり続けた。
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陽が落ちて暗くなり始めたころ、料理の支度を終えたディルデュランは、家の外から中が見えそうなほど粗く編んだ四角い籠を小屋の中へと持ってきた。
「それは何でしょうか?」
分からないものは何でも聞いてくるリスの問いに、彼は籠の上蓋を開け、拳半分ほどもある大きな黒い甲虫を取り出してリスに見せてくる。
「光り虫だ」
「………!!!」
リスはその大きさに驚き、仰け反るようにして虫と距離を取ったが、男は「大丈夫だ」と言うと、数匹を薄い木の板で作った底の浅い四角い箱の中へ入れて蓋を閉じ、それを天井の梁に下げていた紐へと括り付けた。箱は底面だけが硝子になっており、虫が出す光を通して部屋をほの明るくする。
「夜になると腹側を一晩中光らせるのを利用している」
光り虫は日中、陽の当たる場所で草を食べながら活動しているが、雄は夜になるとじっと動かず、橙白色に腹を光らせ、雌がその光に誘われて来るのを待つ、という習性があった。
「……光りの精ではだめなのですか」
「光の精は気分屋で、光の強さが安定しない。明かりには向いていない」
少女は男の言葉に、自分の髪に入り込んでいる光の点滅をちらりと見てから、ぎゅっと瞼を閉じて暫し考え込み、
「分かりました」
と言うと、なるべく上を見ないようにして、恐る恐る姿勢をもとに戻す。
「怖がるような虫ではない」
ディルデュランは空になった虫かごを出入り口の側に置くと手を洗い、竈にかけていた鍋の方へ行くと、その蓋を開けて中を覗き込んだ。弱い熱で小一時間ほど煮込んだスープはとろりとしていて、乳酪の香りが部屋いっぱいに広がっている。木匙でかき混ぜれば、やや溶けて角が丸くなった根野菜が美味しそうに煮えているのが見える。一口味見をして塩を少しだけ足すと、竈から平たい匙を使って宝玉を取り出し、熱を止めるまじないを唱えて竈の縁へ置いた。
「リス、木の実を葉野菜の上に乗せろ」
「あ……はっ……はい!」
虫の事は一旦頭から外すことにしたような返事だと思うが、気を取り直して食事の支度を手伝っているリスは嬉しそうで、その姿にディルデュランは気付かぬ内にほんの少しだけ目元を和ませる。そうして葉野菜の上に小さな赤い実が乗せられるのを見届けると、軽く菜種油を回しかけ、仕上げに削っておいた塩気の強い乾酪を指で摘まみ、ぱらりと振りかけた。スープは用意していた木の椀に、一つは半分ほど、もう一つはたっぷりと注ぐ。卓へ運ぶとそれぞれの席の前に置き、刻んでいた香草を少し散らす。最後に水差しに入れた湯冷ましを器に注ぎ入れて、夕食の用意が全て整った。
「食べなさい」
「はい、いただきます」
ディルデュランは昼から気づいていたが、リスは両の掌を重ねるように胸に当てる仕草をしてから食事を始める。その動作は見たことがあるような気がしているが、恐らくそれは百年単位で前の事になるだろう。思い出せれば少女の出自が少しでも分かると思うが……なかなか難しそうだ、と彼は考えながらスープを口に運んだ。香草が爽やかに香り、森山羊の乳は加熱された分濃厚で、よく煮えた根野菜はほくほくとして柔らかく、滋味深い。視線を上げれば、リスが一生懸命食べているのが見え、なんとも複雑な気持ちになる。
人は嫌いで仕方がないのは変わってはいない。保護しなくて良いのだったら、その方が断然良かったが、森に託された以上、抗うのは難しい。ずっと一人で生きてきたのに、急に養い子ができるとは……と思いつつ、男は葉野菜を噛みしめながら、少しだけ眉間に皺を寄せた。
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それからの私はと言うと、ディルデュランに一つずつ家の事を教えてもらい、体への負担の少ない家事をしながら、あとは食べて、寝て、陽に当たるという日々を送る。その間に、私の足に合わせた履物を作ってもらった。
ディルデュランは私の足を紐を使って測りながら、履物に使う森山羊の皮は、何かの折に命を落としたものからしか取れない貴重な素材で、それを樹皮などを使った液に漬け込んでなめし革へと加工すると、色々なものに使える、と話してくれた。そうして数日掛けて手縫いで仕立ててくれた履物は、脛までを覆う長さで、履いて余ったところを折り、足首から脛の上までを紐で縛れば、緩みがなくなってとても歩きやすかった。
「大事な革を使わせてしまい、すみません。ありがとうございます。大事に使います」
何から何までお世話になって申し訳ないと思いつつ、私は感謝の気持ちをなるべく丁寧に彼に伝える。大したことがまだできないので、お世話をしていただいたときに言うのだが、その度に苦いものを食べたような顔をされるので、私、変な事言ってないよね……? と心の中で首をかしげた。
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「良い天気! わあ……なんて気持ちが良いのでしょう」
大げさな……と思いながら、ディルデュランは大樹と森の隙間にできた空を見上げ、背伸びをしている少女を見る。二週間ほどリスには家の中で過ごしてもらっていたが、体の方が落ち着いてきたのと、仕立てていた履物が出来上がったのを機に、少女を本格的に外へ出すことにした。
この森には大きく三つの季節があり、雪が降る『寒季』、気温が高くなる『暖季』、そしてその間の『中季』があった。今は中季の終わりで、あと少しで暖季に移り変わる時期といったところである。周りを見渡せば、草木の柔らかな緑が森を彩り、光や水、風も季節の移り変わりを喜び歌うように、さわさわと音を響かせている。少女の髪に住みついている光の精も瞬き、胡桃色の柔らかな髪を明るくさせていた。
「音が……歌のようです……」
「そうだな」
「はい、沢山の小さな音が重なって聞こえます」
耳を澄ますリスの髪と長衣の裾をすり抜けるように風が通り、森が少女を歓迎しているように優しく揺らした。硝子越しでない陽の光を浴びたリスは、幾分健康的になったように見える。何着か仕立てていた長衣の布の色も良かったのかもしれない。淡い赤は白い肌に温かみを添えていた。
ディルデュランは森山羊の毛で織った布を、趣味と実益を兼ねて様々な草木染にしていたが、自分では着ない色は持て余したり、季節の変わり目に訪れる同族の行商人へ売ったりしていた。これからはリスに合う色は残すようにし、本人に裁縫も教えようと考えながら腕を組む。飲み込みは早くないのだが、憶えたいという意気込みがあるのは好ましい、とは思う。
人と暮らすなんてどうなることかとディルデュランは思っていたが、少女は人が失いつつある清廉な心と、光の精の命をもつせいか、男に邪魔と思われない稀有な存在となっていた。
「今日は小屋の周りを歩く。疲れたらすぐ言え」
ディルデュランは森の空気を楽しんでいるリスに声を掛ける。
「はい」
少女は陽に輝いているようにも見える明るい茶の瞳を彼に向け、心から嬉しそうな顔をする。本当に裏表のない娘だ……と思いながら、組んでいた腕をほどいて左手をリスに差し出す。それに驚いたのか、リスは目を丸くしたが、
「ありがとうございます……」
と言い、おずおずと右手を伸ばすと、ディルデュランの掌に小さな掌を重ねた。
「歩くのに慣れれば必要なくなる」
戸惑いを見せる少女へ淡々と言葉を返し、その手を軽く握って歩き出す。自然の地形を利用したこの土地は平坦ではない。歩き慣れていない者が考えなしに動けば、足を取られるだろう。そう、それだけだ。
「早く歩き慣れますね!」
リスも男の言葉にうんうんと頷いて、左手を胸の前に出して拳を握って見せる。それに「その調子だ」と頷いて、ディルデュランは顔を上げた。
まず小屋から一番離れた畑までゆっくり歩き、折り返しながら、ここにある物を説明しようと考える。外ですることは、まずはそこからだ。教えることは沢山あるが、急いではならない。
まだ話してはいないが、光の精の命を貰ったリスの寿命は長い。人でありながら、人でないものになってしまっているだろう。あの選択が正しいのか分からなかったが、森がそうしろと言い、自分はそれに従った。だからこそ、その責任も果たすべきであるとディルデュランは思う。
考え込む男の目の端に、光の精の瞬きが見える。視線だけで見ると、辺りをきょろきょろと見ているリスの頭のてっぺんしか見えないが、その周りを光の粒が跳ね、ディルデュランの長衣にもぶつかって弾ける。それがまるで「よかったね」と言っているようで、男は小さなため息を一つ落とした。
死の森の隠者と、出がらしとなってしまった聖女は、手を取りながらゆっくりゆっくりと小川の脇の小道を歩く。長閑に草を食んでいた森山羊たちが、二人を見つけると「メエ~」と鳴いた。




