秘密のふかふか農業と、青い星のバラ
「はぁっ! せやぁっ!」
朝の澄んだ空気が広がる公爵家の広い中庭に、元気な掛け声と木剣がぶつかり合う乾いた音が響き渡っています。
私が街で出会い、助けた天才冒険者の少年シリウス君が、レオンハルト公爵様(私の大好きなパパです!)を相手に剣の特訓をしているのです。
「甘い! 敵が魔物であれば、今の隙に喉を噛みちぎられているぞ!」
「くっ……! もう一本、お願いします!」
パパは巨大な木剣を片手で軽々と振り回し、シリウス君の素早い攻撃をすべて跳ね返していきます。
顔に大きな傷があるパパが本気で睨みつけると、まるで本物の人食い熊みたいに恐ろしい迫力です。
でも、パパの剣さばきには、決してシリウス君を怪我させないような、細やかで優しい手加減が込められているのが私にはわかりました。
「キャン! ワフッ!」
私の足元では、もふもふのフェンリルの仔・ルルが、二人の特訓を応援するようにピョンピョンと跳ね回っています。
「ふふっ。シリウス君、すごく頑張ってるね」
私はルルの柔らかな背中を撫でながら、手元のトレイに乗せたピッチャーを見つめました。
中に入っているのは、前世の知識を活かして厨房で作ってきた、特製の『はちみつレモネード』です。
冷たい井戸水に、絞りたてのレモン果汁と、たっぷりのはちみつを混ぜ合わ
せて作りました。
「パパ! シリウス君! 休憩にしませんか? 冷たいお飲み物を作ってきました!」
私が声をかけると、パパの恐ろしい顔が一瞬にしてデレェッと緩み(周りの騎士さんたちがギョッとしていました)、木剣をスッと下ろしました。
「おお、リアナ! わざわざ作ってくれたのか。……よし、小僧、今の打ち込みはなかなか良かったぞ。休憩だ」
「は、はいっ! ありがとうございます、閣下!」
汗だくになったシリウス君に、私はレモネードを注いだグラスを手渡しました。
「お疲れ様! すっごくかっこよかったよ」
「さ、サンキュー、リアナ……。って、これ、すげえ美味い!!」
冷たいレモネードをひとくち飲んだシリウス君は、目を丸くして叫びました。
レモンの爽やかな酸味と、はちみつの優しい甘さが、疲れた体に染み渡っていくようです。
パパもグラスを一気に飲み干し、「美味い。五杯はおかわりできるな」と、とても満足そうに頷いてくれました。
擬似家族とはいえ、こうして大切な人たちと一緒に笑い合える朝のひとときが、私にとっては宝物のように幸せな時間でした。
朝の特訓の後、私たちは馬車に乗って、公爵邸から少し離れた領地の外れへとやってきました。
実は昨日のお買い物の後、パパから「最近、領地の農地で土の魔力が枯れ果ててしまい、作物が育たずに困っている村がある」という話を聞いたのです。
「ここが、その枯れてしまった畑か……」
パパが重いため息をつきました。
目の前に広がっていたのは、水分を失ってひび割れ、カチカチに固まった赤茶色の土の荒れ地でした。
村の人たちが必死に水をやっても、すぐに干からびてしまうそうです。
「リアナ様、お洋服が汚れてしまいますから、あまり近づかないように……」
護衛としてついてきてくれたシリウス君が心配そうに言いますが、私は首を横に振りました。
「ううん。私、ここの土さんたちを元気にしてあげたいの」
私は街で買ってきたたくさんの『種』の袋を抱え、荒れ地の中央へと歩き出しました。
そして、しゃがみ込んで両手を固い土に当てます。
(土さん、すごく苦しそう。魔力が足りなくて、息ができないんだね。……大丈夫、私が元気にしてあげるから!)
私は目を閉じ、体の中に眠る『創造と癒やしの魔法』を呼び覚ましました。
イザベラ様のもとで酷使されていた時は、この力を使うのが辛くてたまりませんでした。
でも今は、誰かを助けるために、そして豊かな命を育むために、全力で魔法を使うことができます。
「――豊かな命よ、目覚めて!」
私の小さな両手から、太陽のように温かくてまばゆい緑色の光が溢れ出し、波紋のように大地へと広がっていきました。
ズズズ……ッ! サラサラサラ……!
すると、まるで魔法の絨毯のように、カチカチだった荒れ地が波打ち始めました。
ひび割れた土が細かく砕け、空気をたっぷり含んだ、真っ黒でふかふかの『最高の土』へと作り変えられて
いくのです!
これは、私の魔法とクラフト(創造)の力を応用した、前代未聞の農業魔法でした。
「な、なんだこれは……!?」
パパとシリウス君、そして見学に来ていた村の人たちが、信じられないものを見るように目をむいて驚いています。
「ワゥ! ワオン!」
ルルも大喜びで、ふかふかになった土の上をゴロゴロと転げ回っています。
「よしっ、土のクラフトは完了! 次は種まきだね!」
私は街で買ってきた、トマトやキュウリ、そしてジャガイモや麦の種を、ふかふかの土にパラパラと撒いていきました。
「種さんたち、大きくなぁれ!」
種を撒き終えた後、私は再び『癒やしの魔法』を大地に注ぎ込みました。
植物の生命力を極限まで高め、成長を助ける魔法です。
すると、信じられない光景が目の前に広がりました。
ポンッ! ポポンッ! ニョキニョキニョキッ!
種を撒いたばかりの土から、可愛らしい緑色の芽が一斉に顔を出し、まるで早送りを見ているかのような凄まじいスピードで成長し始めたのです!
茎が太く伸び、大きな葉っぱが広がり、黄色や白いお花が咲いたかと思うと、あっという間に実を結びました。
「うわぁっ! リアナ、すげえぞ! トマトが……真っ赤なトマトが、リンゴみたいに大きくなってる!」
シリウス君が、自分の顔の半分くらいある巨大でツヤツヤのトマトを両手で抱え上げて叫びました。
「こっちの麦も、黄金色に輝いておる……! しかも、この作物からは、微かだが非常に心地よい『魔力』を感じるぞ」
パパも、信じられないというようにジャガイモや麦を手に取って震えています。
「みんな、食べてみて!」
私が促すと、シリウス君が真っ赤なトマトをガブリと丸かじりしました。
「っ!? ~~~っ!! 美味ええええっ!!」
シリウス君の瞳から、またしても感動の涙がポロポロとこぼれ落ちました
(彼はおいしいものを食べるとすぐに泣いてしまいます)
「なんだこれ! すっごく甘くて、果物みたいだ! それに、食べた瞬間に体の中の疲れが全部吹き飛んで、力が湧いてくる……!」
シリウス君の言う通りでした。私が『創造と癒やしの魔法』で育てたお野菜は、ただ美味しいグルメなだけではありません。
食べた人の体を癒やし、魔力を回復させる特別な『ヒーリング野菜』になっていたのです。
「おおおおっ! 奇跡だ! 聖女様の奇跡じゃああっ!」
村の人たちが、大豊作の畑を見てボロボロと泣きながら、私に向かって手を合わせて拝み始めました。
「ええっ!? 私は聖女様なんかじゃないよぅ!」
私が慌てて手を振ると、パパが優しく私の頭を撫でてくれました。
「リアナ。お前のこの魔法があれば、我がブラウエン公爵領の食糧不足は完全に解決する。……
お前は、我が領地を救ってくれたのだ。本当に、ありがとう」
公爵であるパパから深く感謝され、私は胸がいっぱいになりました。
生産職としての私の力が、こんなにもたくさんの人たちを笑顔にし、領地を豊かにする
領地経営の助けになるなんて。
自分が誰かの役に立てるという喜びが、私の心に残っていた「どうせ私は用済みのゴミなんだ」というトラウマの傷を、また一つ優しく癒やしてくれたのです。
村の人たちとお野菜の収穫(もふもふのルルも、器用に口でカゴをくわえてお手伝いしてくれました)を終えた後、私は畑の隅に、一つだけ特別な種を植えていました。
それは、お野菜ではなく、お花の種です。
「リアナ、それは何の花だ?」
パパが不思議そうに覗き込みました。
「えへへ。これはね、『ブルースターローズ(青い星のバラ)』っていうお花だよ。
孤児院にいた頃、私のお母さんが残してくれたボロボロの絵本に、このお花の絵が描いてあったの。
いつか、自分で育ててみたいなってずっと思ってたんだ」
私の実のお母さんは、私が赤ちゃんの頃に孤児院で亡くなってしまったそうです。
だから、顔も声も覚えていません。唯一の形見が、手書きの綺麗な花の絵が描かれた、古い手帳(絵本)でした。
「私のお母さん、魔法でお花を育てるのが好きだったんだって。だから、お母さんに見せてあげたくて……」
私は少しだけ寂しい気持ちを込めて、土に魔力を注ぎました。
するすると伸びた蔓の先から、夜空のような深い青色をした、星の形に似た美しいバラが咲き
誇りました。
花びらからは、キラキラと銀色の魔力の粒子がこぼれ落ち、あたりに甘くて優しい香りが漂います。
「……っ!!」
その青いバラを見た瞬間、パパの動きがピタリと止まりました。
大きな体がガタガタと震え、琥珀色の瞳が見開かれています。
「パ、パパ……? どうしたの?」
「リアナ……。その花は……その『ブルースターローズ』は、まさか……」
パパの声は、かすれて震えていました。
「この花は、世界中でたった一人……十年前に、賊にさらわれて行方不明になった私の妹、エリシアだけが、魔法で作ることができた……オリジナルの花だ……!」
「……えっ?」
私は目を丸くしました。
パパの妹の、エリシアさん。
その人が作ったお花を、私のお母さんが絵本に残していた?
いえ、それだけではありません。私の『創造と癒やしの魔法』。金色の髪。そして、パパが私を孤児院で一目見た時に、何かを感じ取って引き取ってくれたこと。
「まさか……。リアナ、お前の母親は、金糸のような美しい髪で……いつも、このような子守唄を歌っていなかったか?」
パパは涙声で、静かで優しいメロディをハミングしました。
それは、私が孤児院のベッドで一人で泣いている時、なぜか頭の奥底でいつも鳴り響いていた、温かい子守唄のメロディと全く同じでした。
「っ……! そのお歌……知ってる……! 私、その歌を聞くと、すっごく安心するの……!」
私がポロポロと涙をこぼして頷くと、パパはたまらず膝をつき、私をその大きな腕で力強く、けれど絶対に痛くないように優しく抱きしめました。
「ああ……ああ……っ! 神よ、感謝する……! リアナ、お前は……お前は、私の大切な妹、エリシアの娘だったのだ……! ずっと、ずっと探していた……! 私の、たった一人の姪っ子だったのだ……!」
パパの目から、大粒の涙が滝のように溢れ出し、私の肩を濡らしました。
出生の秘密――それは、あまりにも突然で、衝撃的な真実でした。
私は、ただの捨てられた孤児じゃなかった。
私のお母さんは、パパの大切な妹さんで、パパは私の『本当の家族』だったのです。
「ごめんね……っ、エリシアを守れなくて、お前を一人ぼっちにしてしまって……! 辛かっただろう、寂しかっただろう……! これからは、絶対に私が、パパが、お前を何があっても守り抜く
から……!」
大柄で恐ろしい顔のパパが、子供のように声を上げて泣きながら、何度も何度も謝ってくれます。
その温かい涙と抱擁に、私の心の中にあった最後の不安――「いつか捨てられてしまうかもしれない」という恐怖が、完全に溶けて消え去っていくのがわかりました。
「パパ……、パパぁっ……!」
私もパパの首に両腕を回し、声を上げて泣きました。
イザベラ様に虐げられていた地獄の日々から回帰して、ここでパパと出会えたのは、偶然なんかじゃなかった。
私を愛してくれたお母さんが、天国から引き合わせてくれた奇跡だったので
す。
「うっ、うぅっ……! よかった、本当によかったな、リアナ……!」
隣で見ていたシリウス君も、顔をくしゃくしゃにして大号泣しています。
「クゥン……」
ルルも優しく私の頬の涙を舐めてくれました。
枯れた大地を蘇らせる農業と、魔法のクラフトが生み出した青い星のバラ。
それが、私とパパを繋ぐ本当の絆を教えてくれました。
孤児だった私が『本当の家族』を見つけ、最高の仲間たちと一緒に歩む幸せなスローライフは、ここからさらに温かく、力強く輝き始めるのでした。




