初めてのお出かけと、傷ついた銀狼の少年
私がレオンハルト公爵様のお屋敷に引き取られてから、早くも一週間が経ちました。
最初はビクビクと怯えてばかりだった私も、ふかふかのベッドや、美味しいご飯、そして優しくて温かい使用人の方々のおかげで、少しずつですが笑顔を取り戻し始めていました。
それに、私の新しい家族になった伝説の魔獣のルルも、毎日私の後ろをトコトコとついて回るくらい懐いてくれています。
「クゥン、クゥン!」
「あはは、ルル、くすぐったいよ」
今日も朝から、私の足元でルルが尻尾を振って甘えていました。
そんなある日のこと。
「リアナ。今日、街へ出かけないか」
朝食の席で、レオンハルト公爵様(私は心の中でこっそり『パパ』と呼んでいます)が、真顔でそう切り出しました。
「街、ですか?」
「ああ。ルルの首輪や専用のベッドも買わねばならんし、お前が庭で育てたいと言っていた花の
『種』も買いに行こう。お前の服も、もっと必要だからな」
パパは相変わらず顔に大きな傷があって、熊のように恐ろしい表情をしていますが、その言葉の端々には私への深い愛情(と、すさまじい過保護っぷり)がにじみ出ていました。
「お出かけ……!」
私の目はパァッと輝きました。
イザベラ様の地下室に閉じ込められていた時は、外の空気なんて吸わせてもらえませんでした。
前世の日本の記憶を含めても、誰かと一緒に『お買い物』に行くなんて、本当に久しぶりだったのです。
「あのっ、公爵様! 私、お外で食べるためのお弁当を作ってもいいですか!?」
「お弁当……? ああ、弁当か。構わないが、料理長に作らせればいいぞ」
「いえ、私が作りたいんです!」
私はパパにお願いをして、お屋敷の広い厨房をお借りすることになりました。
「リアナお嬢様がお料理を!? 火傷でもされたら、旦那様に私が首をはねられてしまいます!」
恰幅の良い料理長さんは最初、真っ青になって止めてきましたが、私が前世の記憶を頼りに手際よく食材を切り始めると、目を丸くして驚いていました。
(せっかくのお出かけだもん。楽しくて、美味しくて、元気が出るお弁当にしたいな!)
私が作るのは、日本のピクニックの定番メニューです。
ふかふかの白いパンには、カリカリに焼いたベーコンと新鮮なレタス、そして厨房特製のマヨネーズをたっぷり挟んだ『BLTサンド』。
そしてメインは、鶏肉に特製のお醤油ダレ(この世界にも似た調味料がありました)とニンニク、生姜を揉み込んで、油でカラッと揚げた『唐揚げ』です!
ジュワァァァッ! と食欲をそそる良い音と匂いが厨房いっぱいに広がります。
「お、お嬢様……! その鳥肉の調理法は一体……!? 匂いだけでお腹が空いて倒れそうです!」
料理長さんがメモ帳を片手に興奮しています。
「これは『カラアゲ』っていうの。外はサクサクで、中はジューシーですっごく美味しいんだよ」
私は料理の知識をフル活用して、彩り豊かなお弁当を大きなバスケットに詰め込みました。
(パパとルルと一緒に食べるの、楽しみだな!)
お屋敷の馬車に揺られて、私たちは公爵領の中心地である大きな街へとやってきました。
石畳の道にはたくさんのお店が立ち並び、美味しそうな屋台の匂いや、人々の明るい笑い声で溢れています。
「わぁ……すごい活気!」
私は馬車の窓から身を乗り出して、目をキラキラさせて外を見つめました。
パパは私の隣で、ルルを膝の上に乗せながら(パパの大きな手で撫でられると、ルルはすごく小さく見えます)、少しだけ困ったような顔をしていました。
「リアナ、人混みは危ない。絶対に私の側を離れるなよ」
馬車を降りると、パパは私の小さな手を、ごつごつとした大きな手でしっかりと握ってくれました。
その手の温かさに、私の心はぽかぽかと安心感で満たされます。
しかし、街の人たちの反応は違いました。
「ひっ! 『血塗れの熊』公爵だ……!」
「目を合わせるな! 斬り捨てられるぞ!」
身長が二メートル近くあり、顔に大きな傷があるパパが歩き出すと、まるでモーセの十戒のように、サーッと人波が割れて道ができたのです。
(うう……みんな、パパの本当の優しさを知らないから、怖がってるんだ……)
私は少し悲しくなりました。
パパは、私が転ばないように歩幅を小さく合わせてくれたり、日差しが眩しくないように自分の大きな体で影を作ってくれたりしているのに。
でも、パパ本人は周りの目など全く気にしていない様子で、次々とお花屋さんや仕立て屋さんを回り、私が「これ、いいな」と少しでも視線を向けたものを、全部買い占めようとするので
す!
「パパ、そんなにいっぱいは持てないよ!」
「気にするな。馬車をもう一台呼べばいい」
私は慌ててパパの『過保護』な爆買いを止めるのに必死でした。
買い物をひと通り終え、お弁当を食べるために見晴らしの良い公園へ向かおうとした時のことです。
街の冒険者ギルド(魔物退治や依頼を受ける場所です)の裏路地を通りかかった時、ガシャーン! と物が割れる激しい音と、大人たちの下品な笑い声が聞こえてきました。
「ぎゃははは! なーにが『天才少年冒険者』だ! 結局は子供のお遊びじゃねえか!」
「お前が囮になってくれたおかげで、俺たちは安全に宝を手に入れられたぜ。感謝するよ、薄汚いネズミ坊主!」
嫌な予感がして私がそっと路地裏を覗き込むと、そこには三人の柄の悪い大人たち(冒険者のようです)が、一人の男の子を取り囲んで蹴り飛ばしていました。
男の子は私より少し年上、十二歳くらいでしょうか。
珍しい銀色の髪をしていて、ボロボロの革鎧を着ています。
彼の腕や足には魔物にやられたと思われる深い爪痕があり、赤黒い血が流れ
ていました。
「……くそっ。お前ら、最初から俺を捨て駒にするつもりで、パーティーに誘ったのか……!」
銀髪の少年は、痛みに顔を歪めながらも、鋭い目で大人たちを睨みつけています。
「生意気な口を叩くな! 孤児のくせに魔法剣士の才能があるからって、調子に乗ってんだよ!」
大人の一人が、少年の顔を思い切り蹴り上げようと足を振り上げました。
「っ!」
その瞬間、私の頭の中で、イザベラ様の地下室でムチを振るわれていた自分自身の記憶がフラッシュバックしました。
才能があるという理由だけで利用され、用済みになればゴミのように捨てられる。
大人たちから浴びせられる、冷たくて残酷な言葉。
あの銀髪の男の子は、数日前の『私』そのものでした。
(やめて……っ!!)
恐怖で足がすくむはずなのに、気づいた時には、私はパパの手を振りほどいて駆け出していました。
「こらっ、やめなさい!!」
私の小さな怒鳴り声に、大人たちの動きがピタリと止まりました。
「あ? なんだこのガキ。どっかの貴族の迷子か?」
怪我をして倒れていた銀髪の少年も、驚いたように私を見上げます。
「君……何やってるんだ、早く逃げろ! そいつらは危険だ!」
少年は必死に私を逃がそうとしてくれました。
自分が一番痛くて辛いはずなのに、見ず知らずの私をかばおうとしてくれたのです。
その言葉を聞いて、私は絶対にこの子を助けるんだと決意しました。
「逃げません。あなたこそ、ひどい怪我……!」
私は大人たちを無視して少年の側にひざまずき、その傷だらけの手に自分の両手を重ねました。
「なっ、何をする気だ……?」
少年が戸惑う中、私は大きく息を吸い込み、体の中に眠る『創造と癒やしの魔法』を呼び覚ましました。
(この子の痛みを、全部なくして! 元気になって!)
私の手のひらから、淡く温かい緑色の光が溢れ出し、少年の体を優しく包み込みました。
「これは……治癒魔法……!?」
少年が目を見開く中、彼の腕や足にあった深い傷口が、みるみるうちに塞がり、血が止まっていきます。
数秒後には、傷跡一つ残らない綺麗な肌に戻っていました。
「す、すげえ……! あのガキ、とんでもない治癒能力を持ってやがるぞ!」
それを見た悪い大人たちの目の色が、欲望にまみれた嫌なものに変わりました。
「おい、あのチビを捕まえろ! ギルドで奴隷として売り飛ばせば、一生遊んで暮らせる金になるぞ!」
大人たちが下品な笑いを浮かべて、私に汚い手を伸ばしてきた、その時です。
「――俺の娘に触れようとは。貴様ら、万死に値するな」
地鳴りのような、底冷えするほど低い声が路地裏に響き渡りました。
ドシン! と、地面が揺れるほどの重い足音とともに現れたのは、全身から怒りのオーラ(黒いモヤが見えそうなくらいです)を立ち昇らせた、レオンハルト公爵様――私のパパでした。
「ひっ!? 『血塗れの熊』!?」
「ど、どうして公爵がこんな路地裏に……っ!」
パパはゆっくりと剣の柄に手をかけ、鋭い琥珀色の瞳で三人の大人をギロリと睨みつけました。
その殺気たるや、魔境の魔物すら逃げ出すほどの恐ろしさです。
「ひ、ひえええええっ!!」
大人たちは腰を抜かして泡を吹き、その場でバタッと気絶してしまいました。
パパは剣を抜くことすらなく、ただ睨んだだけで悪党たちを成敗してしまったのです!
(パパ、すごい……! かっこいい!)
「リアナ、怪我はないか!?」
パパは血相を変えて私を抱き上げ、怪我がないか隅々まで確認してくれました。
私が無事だとわかると、ふうっと安堵の息を吐きます。
その時、「ぐきゅるるるる……」という、とても大きな音が鳴り響きました。
音の主は、怪我が治って呆然としていた銀髪の少年でした。
彼は顔を真っ赤にして、お腹を押
さえています。
「あ……いや、これは……俺は三日もまともな飯を食わせてもらってなくて……」
言い訳をする少年に、私は持っていたバスケットを開けました。
「あのね、これ、私がお弁当で作ったの。よかったら、一緒に食べない?」
私が差し出したのは、ふかふかのパンに挟まれたBLTサンドと、まだほんのりと温かい『唐揚げ』でした。
「こ、こんな美味そうなもの、俺がもらうわけには……」
「いいから、あーんして!」
私が唐揚げを一つ、少年の口に無理やり押し込むと、彼は目を白黒させました。
しかし、ひとくち噛み締めた瞬間。
サクッ、ジュワァァ……!
「……っ!! なんだこれ、美味え……っ!!」
少年の目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちました。
「肉汁が溢れて、味がしっかり染みてて……それに、あったかい。俺、こんな美味しくて、あったかいご飯……生まれて初めて食べた……!」
孤児として育ち、大人たちに利用され、虐げられてきた孤独な天才少年。
彼の心もまた、私が
初めてパパのスープを飲んだ時と同じように、愛情たっぷりのグルメによって、冷たい氷が
溶かされていくのでした。
「俺の名前はシリウス。十二歳だ。……君は?」
お弁当を三日ぶりにお腹いっぱい食べて落ち着いた後、少年――シリウス君は、少し照れくさそうに名乗りました。
「私はリアナ。十歳だよ」
「リアナ。君のあの魔法と、この信じられないくらい美味い唐揚げに、命を救われた。俺は孤児で、何もない底辺の冒険者だけど……いつか絶対に、この恩は返すから!」
シリウス君の瞳には、真っ直ぐで強い決意の光が宿っていました。
その様子を黙って見ていたパパが、ふいに口を開きました。
「小僧。お前、魔法剣士の才能があると言われていたな」
「あ、はい! レオンハルト公爵閣下!」
シリウス君が慌てて姿勢を正すと、パパは腕を組み、シリウス君をじっと見つめました。
「私の見立てでは、お前は近い将来、帝国でも有数の剣士になる器だ。……どうだ。うちの公爵家に来て、リアナの『専属護衛』になる気はないか?」
「えっ……!?」
私とシリウス君は、同時に声を上げました。
「私の娘は、優しすぎてすぐに面倒ごとに首を突っ込む(さっきのように)。私は公務で常に側にいてやれるわけではない。だから、お前が強くなり、この子の剣となって守ってほしい」
パパの顔は相変わらず怖かったけれど、その言葉には、私を心から心配する父親としての愛情と、シリウス君の才能(そして、大人に虐げられていた境遇への同情)を真っ直ぐに評価する温かさがありました。
「俺が、リアナの専属騎士……!」
シリウス君はギュッと拳を握りしめ、パパに向かって深く、深く頭を下げました。
「やらせてください! 俺に、剣の稽古をつけてください! 誰よりも強くなって、絶対にリアナ様
をお守りしてみせます!」
こうして、私たちの初めてのお出かけは、お弁当のピクニックだけでなく、とても素敵な出会いをもたらしてくれました。
ルルが「ワゥッ!」と歓迎するように鳴き、私はシリウス君の手を嬉しそうに握りました。
私の傷ついた心を癒やしてくれた、公爵パパ。
今度は私が、同じように傷ついたシリウス君を癒やし、救済を果たしたので
す。
頼もしい銀狼のようなお兄ちゃん(専属騎士)が家族に加わり、公爵家での私のスローライフは、ますます賑やかで、温かいものになっていくのでした。




